今秋は埴輪好きにはたまらない展覧会が開催されています。私も高校生の頃、東京国立博物館で埴輪としてはみんなが知っている「踊る人々」を見て衝撃を受け、以来、仏教以前の日本の美術、さらには考古学といった分野まで興味が広がりました。今日のように多くの人が訪れるより前に古代からあるような神社を訪れたり、考古遺物の展示を喜んで見に行くようになったわけです(仏像、お寺への傾倒は社会人になってからでした)。
そんな私ですので、上野の国立博物館で開催の特別展「はにわ」は大変楽しみにしておりまして、入間基地の話と前後いたしますが、10月に見に行ってきました。
今回の展覧会、有名な「挂甲の武人」が国宝指定されてから50年という節目もあっての開催のようです。
看板中央が200円切手でおなじみ「挂甲の武人」です。
まずはお出迎えがこの2体、踊る人々です。
(写真は博物館サイトより拝借)
埼玉県で発掘されたこの埴輪、以前は髪型などから「踊る男女」として記載されていました(右側・小さい方が男です)。驚いたような、喜んでいるような独特の表情とポーズがたまりません。近年では踊っているのではなく馬を牽いているという説もあるようですが、やっぱり踊っているようにしか見えません。実はこの2体、近年大規模な修復を行い、きれいになって戻ってきました。それにしてもシンプルな造形、個人的には「二体分粘土があるから、これでなんか作ってよ」と言われて当時の工人が作ったように思えます。逆に狙って作れるようなものではないかも。目と口は指で突いて穴を開けたようにも見えます。この二体だけがそうではなく、ここで出土した他の埴輪の顔もこんな感じでした。
今回展示されているものの多くが、どこかで以前お会いしたものが多く、メスリ山古墳の巨大円筒埴輪をはじめ、全国各地で展示されているものが来ています。個人的にはこちらが衝撃でした。
顔つき円筒埴輪。顔のついた円筒埴輪は珍しいです。なんで顔付けたのかなあ。動物の埴輪についても「見返りの鹿」意外に全国各地にあるなあとか、意外な発見がありました。やはり奥が深い。
今回は「挂甲の武人」の5兄弟勢ぞろいということで、おそらく同じところで作られ、群馬県内のあちこちの墳墓に置かれ、後世に出土後は国内の博物館に、さらにはアメリカに旅立った五体が揃うということで、一つの展示室に集められていました。
こちらは五体のうち1体。今は奈良県・天理大が所蔵しています。解説の中で5体の中には「1体から2体を修復したという説もある」という記載があり、ほほう、と思いました。めったなことは書けませんが、現代の学術的な調査とは違い、発掘と盗掘、修復と改変が表裏一体だった時代もあった、と書くにとどめておきましょう。また、実際に墳墓の上に立っていた頃にどのような色だったかを復元した武人埴輪も展示されていました。墓の造営は現代の公共工事のようなものだったでしょうし、埴輪の製作も、他の地域への供給も含めて計画的に行われていたのではないかと思います。
こちらの武人はともかく、人物の多くは喜びを表現しているものが多いですし、兵馬俑のような整然とした感じは見られず、いい意味でルーズさがあります。農夫も、盾を持った人物も、時にはへらへらしていますし、稚拙ではあるものの頭に壺を乗せ、幼子を背負った埴輪などは、人間生活の営みそのものという感じがいたしまして、被葬者が生前に「いつもの暮らしと同じような埴輪を作って」とリクエストしたのではないかと思います。
水鳥の埴輪。動物は馬、犬、鹿、牛、猿、魚など実にさまざま
人物にはこんなものも。力士です。
グッズも自分にとっては目新しいものは少なく、図録などを買って会場を後にしました。それこそTシャツからネクタイ、ミニチュアに至るまで(いや、でかいのもいるなあ)持っておりますので、それだけで「モノものがたり」何回分にもなりそうです。
普段、埴輪を含めた日本の考古遺物は特別展「はにわ」が開かれている「平成館」の1階にいます。留守を守っているのはこちらでした。
盛装の女子です。こちらも女子像としては代表的で落としてはいけないものです(って落としたら割れちゃうから)。
その昔、埴輪も含めた考古展示物は国立博物館の「表慶館」で展示されていました。人もまばらな館内で、埴輪や土偶、銅鐸を独り占めして観た頃が懐かしいです。表慶館はクラシカルな内装も含めて好きです(写真は博物館公式サイトより)。
さて、日を改めて、今度は国立近代美術館で開催の「ハニワと土偶の近代」も観てきました。国立博物館が埴輪そのものなら、こちらはハニワや土偶を明治以降の日本人はどのように見つめてきたか、というテーマです。ここでは「はにわ」ではなくカタカナの「ハニワ」です。ポップな感じですね。ハニワは抽象・具象問わず絵画をはじめさまざまな形で描かれ、ついにはコミックや教育番組にまで進出していますが、日本神話との関連付けからとらえられていた時代が長く続きました。戦前のハニワの展示の様子も触れられていて「踊る埴輪」が当初は石こうと思われる白い部材で下半身のほとんどが補強、補修されていることが分かります。ハニワは戦後、より学術的な対象として捉えられるようになりますが、そこに現れたのが岡本太郎ほか現代芸術の旗手たちで、彼らは古墳時代の埴輪よりもさらに遡った縄文土器や土偶の美しさに魅かれるようになります。ここでハニワは土偶に「追い上げられた」わけですが、今もハニワは根強い人気を見せていて、この人たちも「復活」しています。
はに丸様は「はに丸王子」ですから(byひんべえ)「大王(おおきみ)に、オレはなる」と言っているのでしょうか(おいおい)。
こちらの展覧会の方が、初めて見聞きするものが多く、得るものが多くありました。ハニワ好きならぜひ見ておくべきです。私自身が高校生から大学に入ったあたりまでしばらくは、日本とは、日本人とは、ということをよく考えていて、仏教以前の日本・つまり古墳時代の美術からひもとくべきなのか、さらにそれ以前の縄文時代まで遡ってこそ、日本なのかといったことを自分なりに模索していました。やはり自分もハニワと神話をどこかで結び付けて見ていたことは否めません。ついでに岡本太郎の著作に感化された一人でもあります。これは答えが出ないもののようにも思えますが、10代の頃、表慶館で観たハニワや土偶たちのことを思い出しながら、美術館を後にしました。
土偶に関しては「原始芸術」の感がありまして、海外でも15年前にイギリスの大英博物館で特別展が開催され、たまたまロンドンを訪れていた時でしたので、見た記憶があります。ハニワに関してはどうでしょうか、古墳時代は西洋では古代ローマが終焉の時を迎え、中世の入り口と言う感がありますが、それ以前のギリシャ・ローマ時代にはかなりリアルな彫刻が遺されています。素朴でユーモラスな造形はそれはそれで日本のオリジナルにも見えます。西洋人はどうとらえているのか気になるところです。
なお、お気づきかとは思いますが、後半部分では国立近代美術館の展覧会のタイトルに合わせ、あえてカタカナの「ハニワ」という表記にいたしました。
こちらはだいぶ前に東京国立博物館で買ったはにわ柄の手ぬぐいとはにわ、土偶柄のネクタイ(右)。気に入って使っています。