だからどうしたって事では無いのだが、おいらにゃ「恩師」と呼べる人がいない。
小学校から大学まで、塾や予備校をふくめてみても、現在まで連絡を取り合う
仲の先生は皆無だ。それに近い人は二人いた。高校時代に通っていた進学塾
の塾長。そして大学のゼミの先生。どちらもタイプは違うがいい人で、本音を晒
す勇気を持たないおいらに対して、真摯に語りかけ働きかけてくれたもんだ。
表現するのが下手だったんだけど、本当に感謝してたんですぜ、おいら。
今更ながら、ありがとうございました。
その他、色んな先生方に出会って、様々な教えを頂いて、その結果としての
おいらはこんな男になりました。
どうですか?
と聞ける相手がいないということな訳さ、恩師がいないということは。
ちょっと寂しい。
小学校に入った時の担任は、おいら史上最悪の女性教師だった。今考えても
許し難い。ああいう教師、と言うか、人間として、彼女の存在は許せない。
正直に謝りに来る生徒を罵倒し、少しでも褒められるように努力するも上手く
できない子供に愛想を尽かし、いじめられている現場を見て見ぬふりをする。
そして数年で寿退職。
あなたの人生はいったい何なのですか?
聞いてみたい。
そんな先生に出会ってしまったことが、その後の先生との関わりに悪影響を
及ぼしたとは言わない。先生との距離を置くことで自らの保身を図る、という
術も、経緯はどうであれ結局おいらが至った手段なのだろう。
先生との関わり方だけじゃなくて、何かに怯えているんだ、おいらってヤツは。
怖いものなんていっぱいある。誰にでもある。逃げ方避け方も実地で学んで
来た。でも、そういうことじゃないんだ。
分かること、予想できること。言い換えると、考えが及ぶ範囲。それなら何と
かなるんだよ。予防線も張るし、善後策も抜かりは無いはずだ。それだけの
経験を踏んで来たという自負もある。
しかし。
アタマで考えられる範囲なんて高が知れているというのも事実。無防備で
無警戒な事象が発生した時、おいらは自分だけで受け止めねばならんのか。
「あの人ならどうするだろう? 何と言ってくれるだろう?」的な先達の教えは
少ない。
自分が知らない感情の芽生え。
何かが起こりそうな予感。
そして何事も起こしてはならぬという人生観。
支離滅裂が混乱の証。
ランキング参加中です。
宜しければクリックをお願いします。
↓
| Trackback ( 0 )
|
|
|
|
|
|