変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




なぜかしら。この夏、おいらは暑がりに変貌しました。痩せ型で、もともと
暑いのにも寒いのにも弱い軟弱者だったが、今年の暑さは尋常じゃない。
エアコンは大働きですよ。電気代は結構痛いし、必要以上に環境を破壊
しているのではないかという心痛もある。

しかし、だ。暑いものはしょうがない。

そんな暑い日差しを受けて、外を歩いてみる。路上には様々な影が落ちて
いる。大通りに出ると、歩道を歩く。歩道はタイルで舗装してあったり、色々
な模様が付けてあったり、趣向が凝らされている。

昔からそうなんだけど、左右の足が何処を踏むか、拘っていたりする。
路上の影の場合。
左足が影を踏んだ場合、次に影を踏むのは右足でなければならない。
歩道の模様の場合。
まず、線は踏んではならない。面を踏みしめて行くのだ。そして。模様付き
のタイルについては、路上の影と同じだ。左右の足は順番に模様に行き当
たらねばならないのだ。
路上と歩道、両者のレベルは全く違う。規則性が期待できる歩道の模様と、
不規則が故に幾何学的図柄を描く影画。

更に難しいことに、歩幅は一定である必要がある。影なり模様を目的の足で
踏みしめるために、そこだけ歩幅を変える等という不細工は許されないのさ。
前方の影や模様を見極め、そこまでの距離を適切な歩幅で割る。
そして、あくまでも自然体で歩み続けた後、目的の足が目標を踏みしめる。
勿論、踵は目標の後端に振り下ろされ、つま先は目標の先端を蹴り出す。

決まった時。

至高の時。

最も忌むべき事象は、階段。右足から上り始めて、右足が踊り場を踏む構図。
簡単に言うと、奇数の段数を持つ階段。

許せない。

階段は偶数であるべきだ。これだけは、歩幅の調整では如何ともし難いのだ。
ムリに歩数を合わせようとしようものなら、階段上でのその行為は無様以外の
何者でもない。

おいらの哲学が許さないのだ。
おいらの美学が受け付けないのだ。

こんな具合なので、デパートなんか行くと大変ですよ、おいら。
ほんと、勝手にしろよって感じ?


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