MA by So Shi Te 

南青山のインテリアショップ MA by So Shi Te のブログです!
毎日の出来事を綴らせていただきます。

失われていく記憶

2010-01-17 23:03:12 | 過去(イギリス等)
本日は日記を二本立てでお届けしております(笑)。

先日 Facebookで一人のイギリス人がメッセージを送ってきた。
 「君は僕が知っているShiro?」

名前を見ると、
 うっすらそんな名前を知っているような知らないような。
 深い海底から何かが海面に浮かんでくるような、
  そして海面にその物体がぷかっと浮き出たかのように、 
  「あっ!この名前知っている!」
  と明確に頭の中にインプットされる。

そしてその人の画像を見る。
 ん?! 見覚えが無いぞ?!?!
 
少しのメッセージのやり取りで、
 まだ自分がBirminghamで学生であった頃の知り合いであったことが判明。
 ということは10年以上も前のこと。
 当然外見も異なっている。

もう一度その人の画像を見ると、 
 またもや海底からゆっくり物体が海面に浮き出てくるかのように、
 海面から記憶が甦る。

あ~顔を思い出した!!!

でも正直何をして遊んだとか、
 詳細を全く思い出せない自分。

そもそもイギリスで勉強をして就職をした、
 という記憶自体が不思議なことに夢のような、 
 何故か自分の経験した記憶としてではなく、
  何か別の人から聞いた過去の記憶的になりつつある。

自分の肉体から切り離されていく記憶。
 当時とは環境が大きく異なり、
 「その後」の経験がかなり濃厚になりつつあるので、
 当時の記憶がどんどん薄まってしまうのだろうか。

そして自分という人間自体も、 
 当時とは大変異なり、
 当時の自分を自分として認識できないのかもしれない。

イギリスで住んでいた場所の地名のスペルも思い出せなくなっていたり、
 英語力も悲しいほど衰えた。

自分も今年で35歳。
 幼稚園の頃の記憶があまり無いように、
 イギリスで過ごした自分の記憶も徐々に消えて無くなってしまうのかな?!
 なんて考えつつ悲しくも不思議な感覚になった日曜日でした^^;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本帰国 (UK11)

2008-03-24 18:56:16 | 過去(イギリス等)
今日は昨日とは激変。
 寒くて雨。
 とっても暇な日になってしまいました。
 うっっっ、辛い。

明日はまた暖かくなるようですね。
 こうも温度の変化が続くと、体調を崩してしまいますよね。
 皆さんお気をつけください。

さてさて、そろそろくどくなってきたUK回想記。
 今回で最終回!

嫌々日本に帰国(させられて?!というのも学費は誰がだしてやったんだ!っとまで言われていたので・・・)し、日本での初社会人生活が始まりました。

 ちなみに先にお伝えしておきますが、結論的には日本に帰ってきて良かったのだと思っております。

 全く違う文化に突然放り込まれて、
  さらには全く違う職種で、しかも社長の息子ということで精神的にもとても辛い日々が続きました。

 新入社員歓迎会では、
  突然「社長の息子だからって、すんなり社長になれると思ってんじゃねぇよ」
  などと言われたり、
   冷たい視線を浴びせられているのが痛いほど分かりました。
   っていうか、好きで自分も入ったわけではないし、
   隙があればいつでも辞めてやるよ!!畜生!っと心の中でぐっとこらえていました。

 最初に配属させていただいたのが、国内営業部。
  国内のお得意様の工場を定期的に訪問し、
  問題などがないか巡回、また新しい製品を紹介したりするお仕事でした。
 
 主に担当になったお客様は切削油を使って下さっているお客様でした。
  機械で金属を加工するときに油、もしくは油を水に混ぜたもので潤滑・冷却をして加工をするのですね。
  その切削油です。

 自分の所属した営業部隊は人数がとても少なく、
  慣れてきた頃には一人で営業をすることが多かったですね。
  作業着を着て、時には工作機械の切削油タンクの液交換を一人で10台(2台でも大変なことです)おこなったり、
   夜工場が止まった後、暗い中一人で工場内に入り、
    切削油タンクの交換を行ったりしたものでした。
    
 他社の分野を自社ので切り替えてもらうときには最初にテスト期間があります。
  その時には営業自らサービスで油の交換作業をするのですね。
  一生懸命頑張れば頑張るほど辛い思いをするわけです。
  
 シティーの金融街をスーツで闊歩していた自分から、
  作業着を着て油まみれになって一人で夜、油交換をしている自分。
  あまりの差に本当に悲しくなりました。
   必死で油交換をしまくりました。

 朝6時には家を出て、2時間半くらいかけて週二回静岡県の富士市までドライブ。
  一日営業をして研究所のある神奈川県に着くのは8時過ぎ。
  それから事務処理をして研究所を出るのが10時過ぎという日が暫く続きました。
  工場が稼動しない週末は油交換というのが通常でしたね。
  車に泊り込んで加工試験の立会いなどもやったものです。
   真夏の車中泊は蚊にさされて大変でした。
   別に宿泊代が出ないわけではなく、
    経費がもったいないという気がしたわけですね。
  
 誰の為に働くのか?!
  営業が仕事を取ってきて、自社製品をお客様に使っていただくことにより、
  会社が潤う。
  会社の従業員は300人程度。
   300人には家族があり、会社が養っている人数は1000人以上に達するわけです。
  会社の為に=皆を食わす為に、そんな気持ちで自分は頑張っていました。

  この時の経験は一生の財産です。
   汗水垂らして作業着を着ながら汚い工作機械のタンクの底を這いつくばって、
    無我夢中で綺麗に掃除をするわけです。
    イギリスで学士を取り、英語がペラペラに話せて、銀行に就職して金融街で働いていました、などという過去は他人は知る必要が無く、
    ただ自分という人間がお客様にどれだけ尽くせるか、
    自分という人間をどれだけ無にできるか、
     自分との戦いであったのですね。
 
  ちなみに同期がライバルとかそんな話がでたりしますが、
   他人をライバル視すると無駄なストレスが発生するだけで、
   良いことはありません。
  本当のライバルは自分なのですね。
   人間は楽をしよう、楽をしようとする生き物です。
   時間があれば休みのことを考え、
    自分が楽しむにはどうすれば良いのだろうって。
    人間って本当は怠惰な生き物なのですね。
   その怠惰な心に打ち勝つ事が必要なわけで、
    本当のライバルって自分自身なのですよね。

 国内営業部から海外営業部へ異動させていただき、
  韓国、米国を主に活動し、ロシア、中国などにもいかせていただきました。

会社では煙たい存在であり、
 仕事は辛く、
 悩みを打ち明けられる同僚もいなければ上司もいなかった。
  そんな中で楽しみは休日の友達との国内旅行でした。

佐渡島、神戸、京都、奈良、沖縄、長野などなど、
 休みを利用して色々回ったわけですね。
 帰国した当初は日本が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
 東京は無機質な鉄筋コンクリート作りの建物ばかりで、
  美意識のかけらもない建物ばかり(例外も勿論ありますが)。
  個々のお店や建物を主張するために電飾をとりとめも無くつけ、
  更に景観を汚していると思いました。

しかし日本を観光しているうちに、
 神社やお寺はなんて素晴らしい繊細なデザインをしているのだろう、
 近代化の波が来るまでの建物は質素にも関わらず、
  均一に柱が立っていて、屋根の裏など素晴らしいデコレーションがされている。
  窓枠一つにもこだわりがあり、
   いや、日本のデザインって凄いのだ!
   っと気がつくようになりました。
  
  まあありきたりの話ですが。

もともと何か自分で始めたいと思っていました。
 インテリア関係の仕事をしたかったのですね。
 時間が経つにつれ日本って素晴らしい国だったのだよね、
  っと思うようになり、
  それがMA by So Shi Te につながった訳ですね。

日本という国は素晴らしい。
 もっと日本を大切にしなければなりません。
 イギリスへ渡ったその日から、
  ここへ辿り着くまで、
   全てが経験となりその経験は互いに連鎖して、
   新たな感情を創造する。

カナダに行っていれば全く別の人生があり、 
 それなりに生活をしていたと思う。

帰国命令を出し、
 協同油脂退社の時には激怒をした父、
 事細かく口うるさい母、
  しかしこんなに素晴らしい両親は世界中に他にはいない。
  やはり自分の国に帰ってきて本当に良かった。
 
終わり。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

London (UK10)

2008-03-23 00:00:24 | 過去(イギリス等)
さてさて、東京の開花発表は今日であったようですね。
 一気に暖かくなったので、桜も元気に開花をしたようです。
 明日は自転車で青山霊園の桜並木を確認してきますね(時間があれば・・・)。

通常 お彼岸の当日に(20日)に目の前の通りに渋滞ができるほどお墓参りの方が増えるのですが、
 今回は20日が強風と雨であったため、
 今日お店の前の通りが渋滞をしていました。

あそこで渋滞をしてしまうと、
 お墓参りの方が駐車場から出るまで前に進めないので、
 偶々車で麻布の方まで通り抜けようと思った人は可愛そうですね。
 渋滞は暫く続いていました。

さてさて風邪で熱もあり辛いのですが、まあ日記を更新してから寝るとしましょう。
 風邪薬も飲んだし、意外と今は元気です。

さて 学生生活のBirminghamにもさよならをし、
 ロンドンのBelsize Parkにある友人宅に転がりこみました。
 Belsize Parkはロンドンでも高級住宅街。
  Belsize Parkに住んでいました、
  というと おっ、いいところだね、と必ず言われます。

しか~し!!真相は違かったのです!
 友人も安月給で、自分も安月給、
 場所は良いものの、お風呂もトイレもシェアーをするという一軒家。
 洗濯機も相変わらず無かったので、
  毎週末コインランドリーへ出向いて、
   陽だまりの広場で新聞を読むのが楽しみでした。

勤務地はロンドンのシティー。
 東京三菱銀行のロンドン支店です。
 これまた とても良い場所に大きなオフィスがあり、
  目の前には公園があり、
   駅も近くとても通勤しやすかったですね。

シティーはロンドンの中のロンドンといいますか、
 ロンドンの金融の中心街。
 歴史もとても古い街です。

最初に配属になったのは、
 日系課の財務分析部みたいなところでした。
 イギリス人のSueという女性を含む、
 5人の小さな部署でしたが、
  色々勉強をさせていただきました。

相変わらずランチはサンドイッチなどを作って、
 事務所の端っこで食べていましたね。
 現地採用であったので、
  それ程給与は高くありませんでした。
  イギリスでは交通費も自腹で、
  税金もとても高いのですね。
  ですので、手取りの初任給は意外と少なかったですね。

暫くすると日系課の別の部署に移動させていただき、
 日本本部への提出資料をまとめる係りのようなことをさせていただきました。
 月次の貸し出し残高の管理みたいな感じであったでしょうか。

この後また別の部署へ移動させていただき、
 いずれはアカウントオフィサーという、
 自分でお客様も持ち、営業職にさせていただけるはずだったのですが、
 実は 大学を卒業する前に、
  カナダへの移住ビザを申請していたのです。

イギリスでそのまま就職が難しいと思っていたので、
 カナダへ移住することも考えていたのですね。
 審査には1年ほどかかります。
 通常新卒で、財産も無く カナダへの移住は難しいとは思うのですが、
  心理学を専攻していた、ということで多少有利であったようです。
  なんとカナダへのビザがおりたのです!!!
  
銀行にも大変お世話になり、
 イギリスでのビザが切れるまで銀行で少しずつ恩返しをさせていただきながら働こうと思っていたのですが、
 やはりカナダへ移住したいという気持ちもあり、
  カナダ移住を決行することにしたのでした!!

両親にそのことを電話で告げたのですね。
 「カナダへ移住します」。

両親から猛反対。
 自分からしてみると4人兄弟で、
  3人日本に居るわけですし、
  一人海外にいても良いじゃないか?! くらいの気持ちでした。
  しかし「4人いたって息子は息子、日本に帰ってきて欲しい」、
   と泣きながら母親に言われてしまったのです。

両親にとっては幾つになっても自分は息子なのですね。
 いつも自分のことを見守ってくれています。
 何をするのでも、厳しいことを言いつつも、
  心底心配してくれているのは両親です。

日本に帰ってきて父の会社で働きなさい、 
 っと言われてから1週間ほど悩んだでしょうか。
 日本へ帰国することにしました。
 新卒採用の次期と合わせて入社しなさいという命令があり、
  急遽日本へ帰るということになったのでした。

当時は日本へ帰らされる、という気持ちが先行し、
 とても辛い気持ちでした。
 カナダに行きたかったのに・・・
  どうして自分の人生を自分で決められないのか、
  っと不服に思ったものでした。

日本へ強制送還させられる。
 そんな思いが強かったですね。
 本当に不服でした。
 協同油脂なんていう会社になぜ入らなければならないのか!!!
  そんな気持ちを抱いて帰国をしたのでした。。。

乱文でごめんなさい。
 熱もあるのでそろそろ寝ます。
 見直す気力もありません。。。。

ざっとイギリスでの6年間を10回で綴ってみました。
 帰国後のお話はまた次回に。
 おやすみなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Birmingham 5 (UK9)

2008-03-20 00:16:38 | 過去(イギリス等)
今日は夕方から結構強い雨になってしまいましたね。
 しかし塵が流され、空気を洗浄してくれることでしょう。
 明日は春分の日。
 明日はお墓参りにいらっしゃる方が多いかとは思いますが、
  雨だと大変ですね。
  予報だと雨になっていました。
 
さてイギリスのお話から少々休憩を取っておりましたが、
 今日は続きを書きますね。

大学を卒業してから東京三菱銀行ロンドン支店バーミンガム出張所に就職が決まりました。
こちらはたった2人の小さな事務所。
 もう一人のアシスタントを探していたのでした。
 大変ありがたいことに採用していただき、
  数ヶ月こちらのバーミンガム出張所でお世話になることになりました。

事務所はBirmingham の中心街、
 大聖堂の隣にある当時Birminghamでも比較的高層な建物にありました。
 最初はビザも無いのでアルバイトとして働き始めました。
 お金も節約するため昼食は必ずサンドイッチやお弁当を作り、
  事務所で食べていたものです。
 サンドイッチはスモークドターキーハムとレタスやトマトを挟んだのが通常バージョンで、
  その当時良く食べていたクスクスをご飯代わりにお弁当箱につめ、
   前の晩の残りなどをおかずに持っていったりしていました。

クスクスってご存知ですかね。
 パスタを小さい粒状にしたものという感じですが、乾燥したクスクスにお湯を注ぐと膨れて米粒よりちょっと小さい程度のものになるのですね。
 通常オイルや野菜など色々なものと混ぜて食すのですが、
  自分はこれをご飯と同じように食べていました。
  正直言ってそのままではあまり美味しくないのですね。  
   しかし高蛋白で簡単に作れて安いということもあり、
    当時毎日のように食べていました。
    上司には鳥の餌って言われていましたね・・・。

直属の上司であった女性にはこっぴどくご指導をしていただきました。
 やはり社会人一年生ということで、私の不適切な行動が彼女を幾度も怒らせてしまいました。
 言われた仕事をちゃんとできない、
  頼まれたことを忘れてしまう、
  など自分でも信じられないミスを犯していました。
  
イギリスの大学をそこそこよい成績で卒業したという無駄な自信がありました。
 仕事を甘くみていました。
 しかし銀行の仕事というのはお遊びではありません。
 今ではそのころ叱っていただいた事が役に立ち、
  お客様に依頼されたことは正確に、早急に、誠意を持って対応をさせていただく、という精神に結びついている気がいたします。
 
叱られてもなかなかミスが減らなかったため、
 今考えれば当然のことですが、当時自分なりに工夫をして
 頼まれたことは目立つところにポストイットに書いて張っておく、
  であるとか仕事はなるべくためないでその日のうちの終わらせる、
  であるとかやらなければいけない仕事を分かりやすく整理しておく、
   などすることにより改善がなされました。
   まあ社会人として当然のことがその時にはできなかったのですね。

当時は怒られてばかりいたので大変辛かったですね。
 相談をする同僚もいなければ、その女性と二人っきりということも多く、
 毎日職場へ行くのも辛いと思うようになってきました。
  日曜日の夜は特に憂鬱になり、不眠症になってしまうほど仕事へ行くのが嫌になっていましたね。

そこで出張所長にそのことを伝え、
 折角頂いた職だったのですが辞めさせていただきたいと伝えところ、
 思い留まるよういわれました。
  実はロンドン支店に転勤することが既に決まっていたのです。

就労ビザが下り、正式に正社員として銀行に採用をしていただきいざロンドンへ!
 友人がロンドンのBelsize Parkに住んでおり、
  そこにフラットシェアーをさせてもらうことになりました。

Belsize Parkはハムステッドという高級住宅街の近く、
 Belsize Park 一帯も準高級住宅街という感じで、
 とても住みよいところでした。
 
お世話になったBirmingham 出張所の方にもお別れをし、
 ロンドンでの新生活がスタートです。

つづく
   



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Birmingham 4 Edgebaston (UK8)

2008-03-17 00:06:14 | 過去(イギリス等)
さて、今度は引っ越す場所が近いので、
 移動はとても簡単♪
 徒歩でも5分くらいのところへお引越しです。

新しい家は5部屋あり、
 5人で一軒家をシェアーします。
 イギリスではこのシェアーをするスタイルが一般的ですね。
 次に社会人になってから引っ越した場所も、
  このようなシェアーをする家。
  他人と一つの家に住むって、慣れると意外と普通です。

タイ人が同じ家にいたので、
 トムヤムクンやグリーンカレーの作り方を直々に教えてくれました。
 それ以来自分でトムヤムクンとグリーンカレーは作ります。

カレーは全般的に好きですが、
 タイカレーが一番好きですね。
 インドカレーは乾燥したスパイスを中心に使いますが、
  タイカレーは新鮮なスパイスを使います。
  なので味もフレッシュ!
 風邪などを引いて熱でうなされているときには、 
  辛いグリーンカレーを食べて、どばっと汗をかくと直ぐに良くなります。
 
大学3年生になってから卒業研究や卒業試験など、
 勉強が更に大変になりました。
 最後の試験の時には緊張しすぎて眠れないほど。
  この頃は不眠症に悩まされました。
  今は不眠症ではないのですが、
   当時より精神的なストレスが少ないということでしょうか?!

無事最後の試験も終わり、
 成績もそこそこで卒業できることが決まった頃、
 就職を本格的に考えなければならない時期になりました。

もちろん就職活動は大分前から始めているわけですが、
 学生ビザの状態で、イギリスで仕事を見つけるのは大変です。
 なぜなら、採用する企業にとって、コストと時間のかかることだからです。
 企業が外国人を採用する場合、
  何々だからどうしてもこの人でなければならないということを証明しなければならないので、新卒の外国人は採用が大変難しく、
  就労ビザを申請するにしても、企業にとってとてもコストの掛かること。

日系企業のリストを入手し、
 100通以上自分の履歴書を送ったでしょうか。
 全てが断られました。
 もう諦めていた頃、
  友人が日系の銀行の求人広告を見つけてくれました。

直ぐに電話をし、
 当日の午後には簡単な試験を受けることに。
 とても簡単な試験であったので、軽くパス。
  数週間後に銀行の人事の人と面接、
   そして銀行のバーミンガム出張所へ出向いて面接。

なんと採用が決まりました!!!
 学生ビザがある間はアルバイトとして、
 学生ビザが切れてからは一旦強制的に休暇になり、
 数ヶ月かかって就労ビザも銀行がとってくださり、
  なんとイギリスに残れることになったのです!!

私のビザを取るのは本当に大変であったようです。
 その銀行にとって始めての日本人現地採用が私だったので、
  手探り状態でビザの申請等を行ってくださったようです。
 しかし その銀行も2年余り勤めて辞める事になってしまい、
 本当に申し訳ないと思っています。
 いつか恩返しをしたいですね。

大学の卒業式はとても感動的でした。
 楽しくもあり、とても辛くもあった大学生活がその日で最後です。
 天気が良く、青空に帽子を投げて写真を撮ったのをついこの間のように覚えています。

卒業と同時に、別の家に引っ越すことになりました。
 まだ最初はバイト生活であったため、
  安く住める場所を探しました。
  そこはやはり低所得者が住む地域で、
   一軒家を他の3人とシェアーをするというものでした。
  もちろん全員他人です。
  おじさんも居れば、怪しい商売をしているような男も居て、
   隣の部屋に住んでいた男は精神病を抱えていました。

まあ短い期間ですが、
 それらの人達とも普通に仲良くお話などをしたり、
 そこそこ快適な暮らしができました。
 ちなみに場所の名前は忘れてしまいましたね。

さて 学生としてのイギリス滞在4年間は終わり、
 社会人としてのイギリス滞在が継続です!

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Birmingham 3 Edgebaston (UK7)

2008-03-16 00:24:26 | 過去(イギリス等)
お店から徒歩2分位のところ、
 青山墓地の脇にショコラシックというケーキ屋さんがあります。
 そこは幼稚園の頃の友人が経営しているケーキ屋さん。
 http://www.chocolat-chic.com/
 塩チョコレートが有名でわざわざそれを目当てに訪れるお客様がいらっしゃいます。
 カフェもあり、お店にあるケーキを墓地を眺めながらいただくこともできるのです。
 ふむふむ、墓地を眺めながら美味しいケーキをいただけるのは、
  日本でもここだけでしょう!

さて、Aston から今度は大学の裏手にあるEdgebaston という町にお引越し。
 そのFlatは2階で、1階はフィッシュアンドチップス屋さん。
 フィッシュアンドチップスは好物だったので、良く食べに行きましたが、
  部屋中が油臭くなってしまうことも良くありました。。。。
   あまり健康によくないですよね。

ちなみに自分はフィッシュアンドチップスを買い、
 そこにマッシーピー(グリーンピースをすりつぶしたもの)をポテトにかけて食べるのが大好きでした!!
 
大学とは目と鼻の先。
 当時パソコンを持っていなかった自分は、
 エッセイなどの作成は大学のパソコンを使っていました。
 学部のパソコンルームは夜になると施錠されてしまうので、
  メインキャンパスにあるパソコンルームを良く利用していました。
  そこは24時間開放されていたので、
   レポートの提出前などは毎晩そこへ行って、
   夜中までタイピングしたものでした。
 ←ここ
 
夜になると、
 裏門は閉まってしまいます。
 ライトアップされた大学を背に、
  裏門をよくよじ登って帰りました。
  まあ家まで徒歩5分くらいだったので、随分と楽でしたね。

Astonとは違い友達も近くに住んでいたため、
 よく友達と近くのパブなどに飲みに行ったものでした。
 洗濯機は無かったので、
  近くのコインランドリーへ毎週1回行っていました。
  シャツを乾燥機で乾かすと襟や袖の部分が破けてしまうのですよね。
  
週末になると友人と一緒にBirmingham の町のオンボロマーケットへお買い物によく行きました。
 買うものはいつもリンゴとチェダーチーズ、そしてマッシュルームとかでしたね。
 イギリスのリンゴは小ぶりで、酸味があり美味しいのです。
 毎日一個は必ず食べていました。
 チェダーチーズはトーストにすると美味しいですね。
  マッシュルームをスライスして、チーズとハムと一緒にオーブンで焼くと、   病み付きになります!
  マッシュルーム大好き♪

大学の試験は通常エッセイのスタイル。 
 数問 ~について書きなさい、などの質問が与えられ、
 それに関してずらずらと2時間くらい?!以内に書くのですね。
 試験は本当に大変でした。

外国人の自分にとっては、
 即興でエッセイを書くというのはかなり難しいことです。
 そこで考え付いたのが、本1冊分くらいのエッセイを事前に書いて、
 全部覚えるのです。
  講義の内容に合わせて、
   本を読み、そしてエッセイを書き、
   各科目につき本一冊分くらいの内容を2週間くらいかけて覚えていくんですね。
 全てを覚えていると、
  出題される問題に応じて、覚えた内容を組み合わせを変えながら、
  即興にエッセイをかけるのです。
  お陰で2年目からは結構良い成績を取れるようになりました。
  しかし試験前は眠る時間が殆ど無いほど勉強をしましたね。

 もう一度学士号を取れ!っと言われても、
  絶対にやりたくないですね。
  本当に辛くて厳しい日々でした。。。。

一人暮らしはやはり大変お金がかかります。
 両親はいつも心配して、お金は気にしなくて良いなどと言ってくれていました。
 しかし節約をしなければいけない、 
  と節約を心がけていました。
  食費もなるべくなるべく抑えるよう、
   朝昼晩とも家で作るように、更になるべく安いものを買うようにしていました。

帰国後に聞いた話ですが、
 実は父の会社の関係で財政的にその時にはとても厳しかったようです。
 そんなことを一言も言わず、留学をさせてくれたことに感謝です。
  しかしそのことを察していたかのように、節約生活は続きます。

友人がEdgebaston でも大学よりちょっと離れたところで、
 ハウスシェアーをしていました。
 日本人、タイ人、香港人、フランス人と一軒家をシェアーしていたのです。
 節約をするために、その家に移り住むことになりました。

Birminghamでの3度目の引越しです。
 
つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Birmingham 2 Aston (UK6)

2008-03-15 11:18:20 | 過去(イギリス等)
昨日は雨がかなり降りましたが、
 今日はとても良い陽気になりましたね。
 お彼岸より少々早いですが、
  お墓参りにいらっしゃっている方をぼちぼち見かけます。

 昨日は続々と新製品が入荷しました!
  今日からまた少しずつ紹介していきますね。
  大好きな有田焼の作家さんの作品も追加で入りました。

さて、Astonにはやはり半年位住んでいたでしょうか。
 イギリスのアパートは家具付きが殆どです。
 なのでそれほど引越しも大変ではありません。

徒歩圏内のところにはAston Villaというサッカーチームのサッカー場があり、
 試合があるときには人で溢れていました。
 Aston Villa の近くには Aston Hallという400年前に建てられたレンガ造りの
  豪邸があります。
  今は一般公開されていて、無料で中を見学できます。
  庭も綺麗に手入れがされていて、
   週末には良いお散歩コースでした。
  
 Aston Hall.


Astonは自分にとってとても住みやすい所だったのですが、
 大学から離れていたため大学の友人等と交流が疎かになりがちでした。
 図書館へ行くにも面倒なところもあり、
  またまた引っ越すことにしました。

ちょうど大学の裏手に空きができ、
 Edgebastonという町に引っ越すことにしました。
 Edgebaston は大学のお膝元の町。
  学生が多く住んでいます。
  やはり楽しい大学生活を送るには大学に近い方が良いですよね。

ということでまたタクシーでお引越し
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Birmingham (UK5)

2008-03-14 00:02:05 | 過去(イギリス等)
今日は近所のフランス人のお客様がお店に寄ってくださいました。
 大変気に入ってくださったようで、
 彼女のジュエリー関連の展示会に弊店の小物等を使いたいなどとご提案いただきました。
  ありがたいお話です。
   ありがとうございます。

さてRomeから戻り、直ぐにBirminghamへお引越し。 
 Birminghamはイギリスの中部の都市。
 日本で言うと大阪という感じです。
 インドやパキスタンからの移民が多く、
  カレーで有名な町です。
  至る所にカレー屋があり、
  比較的安いので良く食べに行ったものです。

Birmingham という町は当時決して魅力的な町ではありませんでした。 
 Bull Ring という汚らしいマーケットがあったり(しかし学生の頃は毎週待つ友達と買い物に行っていましたね。安かったので)、70年代のモダニズムな建物が多かったのですね。
 私が大学を卒業するあたりから再開発が進み、
 今ではマーケットも一掃されて、綺麗になったようです。
 
Birminghamでも4箇所くらい引越しをしたでしょうか。
 同じBirmingham近郊でも移民文化が強い場所であるとか、 
  学生街であったりと違った楽しみがありました。

大学のメインキャンパスは赤レンガ造り。
 時計台を中心にメインキャンパスがあり、
 自分の惚れ込んだ心理学部もメインキャンパスの中心部。
 メイン図書館の他に、各学部が図書館を有し、
 心理学という学問のお陰か、医学部の図書館や教育学部の図書館など頻繁に行ったものでした。
 懐かしい・・・

大学にはバーが3箇所あり、
 銀行も2箇所、巨大なスポーツ施設、湖など、
 一つの街が出来上がっています。
 大学内を一周するにも1時間以上軽くかかってしまいます。
 まるでお城みたい!

やはり大学の勉強は辛かったですね。
 エッセイなど頻繁に書かせられるのですが、 
 英語の文法もチェックされるので、最初の1年は成績は最悪でした。
 もう一年英語学校で勉強し直した方が良いかも?!
 などと考えるほどでした。

イギリスの学生は講義を真面目に受けに行きます。
 講義を聴かないとついていけないからです。
 講義はあくまでも補足的な内容で、
  講義の最後に読む必要のある本のリストなどが与えられます。
  講義が終わると一斉に図書館に駆け込み、リスト上の本の取り合いです。

イギリス人の学生も勉強熱心なのに、 
 自分は外国人というハンデもあり、
 むちゃくちゃ勉強をしました。
  図書館へはほぼ毎日行っていましたね。
 
しかも経済学部などは日本人や外国人学生が多かったのですが、
 心理学部は殆どがイギリス人。
 外国人も1%くらいしかおらず、日本人は自分一人。

まず最初に住んだのは、
 大学の寮の一つです。
 Birmingham 大学は巨大な大学であったので、
 寮が何箇所もあります。
 1年生は寮に住み、2年目から一軒家を友達と借り切ってシェアーをするというのが一般的です。

最初の寮は5部屋あるアパート(イギリスではFlatと呼ぶ)。
 キッチンやトイレ、シャワーは共同です。
 イギリス人の学生が3名に、イタリア人が1名、そして自分という構成でした。
 夜は一緒に飲んだり、それなりに楽しい寮生活でしたが、一人暮らしもしたいと思うようになり、
  引越しをする場所を探し始めました。

CadburiesというチョコレートメーカーはBirmingham 近郊に工場がありました。
 その町にも住む場所を探しに行ったのですが、町全体チョコレートの香り。
 それはそれでよかったのですが、やはりチョコレート漬けの毎日は嫌だったので、
 様々な場所を見に行って、結局落ち着いたのがAstonという町。
  大学の駅から30分くらいの場所でしょうか。

AstonはAston Villaというプロサッカーチームがあるところです。 
 しかし町の80%くらいが移民者と思われるほどパキスタン系やインド系が多い町でした。
 また低所得者が住む町です。 
 明かりも少なく、ちょっぴり危険な感じのするところでした。
 安くて綺麗なFlatが見つかったので、
  そこに引っ越すことにしました。

ちなみにHPソースというウスターソースのようなソースを作っている工場がAstonにあったため、町は甘いソースの匂いで満たされていました。

さてさて、次はAston へお引越しです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Rome (UK4)

2008-03-13 00:07:01 | 過去(イギリス等)
今日は寒かったためか、
 もしくは風が強かったためか、
 とても静かな日となってしまいました。
 一人でお店にいると、
  無性に淋しくなるときがあります。
 
新しい街に移り住むと、 
 周りには沢山人がいるのに、淋しい時ってありますよね。
 お店の前には人が通るのに、
  話をするわけでもなく、
  また人の楽しそうな笑顔を見ていると逆に辛くなってしまったり。
  今日はそんな日。

さて Birminghamへ移り住む前に、
 Romeへ友人と一緒に行くことになりました。

この友人は私に人生というものを教えてくれた人。
 決してその人の人生がばら色であったわけではありません。
 しかし人生って意外と楽なのだと、
  人生って楽しむ為にあるんだって。
  そんなことを教えてくれた人。
  
計画をするのは勿論必要ですが、
 計画がなくてもその場の対応でどうにでもなる。
 その場で与えられた環境で、どうにでも楽しく生活が送れる。
 硬い自分の性格を揉み解してくれた感じです。

Romeでは勿論計画などありません。 
 その友人が勤める学校の教師寮に最初の数日は泊めてもらい、
 Rome観光などをした後、どこか違う場所へ行こうかとなり、
 突然 Sperlongaというナポリとローマの中間辺りのビーチリゾートへ行くことになりました。
 駅で電車の切符を買い、Sperlongaへ。 
  Sperlongaはイタリア人向けのこじんまりとしたビーチリゾート。
  日本人など自分一人でした。
  旧市街は丘の上にあり、高台から見える夕日に照らされたビーチは心を癒してくれます。

当然宿など予約していません。
 ついた当日に宿探し。
 シーズンということもあり、どこも宿が一杯。
 街一番の高級ホテルは部屋が空いていましたが、
  学生の自分が泊まれるような価格ではありません。
 翌日からなら部屋があるというボロいホテルを見つけ、
  とりあえずその晩は野宿をすることに。

夜中の1時頃までバーで時間を潰し、
 ビーチに人がいなくなった頃に、
 そこら辺に置いてあるビーチベッドを拝借。。。
 心地よい夜風に吹かれながら一晩を明かしました。
 お目覚め最高、心地よい波の音で朝を迎えます。

その後ボロいホテルでも充実した数日間を過ごし、
 再びRomeへ戻り、
 今度は友人が学生の頃に宿泊していたという学生寮を紹介してもらい、
 寮の空き部屋に泊めてもらいました。
 
Romeはその後 3回ほど行ったでしょうか。
 その度に季節が異なり、
 クリスマスの時には教会に飾られるCrib(ジーザスが生まれた光景を模した模型)を見て回ったり、
 春先のある日には突然大粒の氷が降ってきて、
  路地裏で雨宿り。 
  突然友人が歌いだし、野外コンサート! などと言って、
   その場を楽しませてくれたものでした。

あ~、人生ってどうにでも楽しくなるんだなって、 
 与えられた状況を楽しむのは自分で、
 その状況に不平不満を言うのではなく、
  楽しむ為に工夫をすれば、いくらでも楽しい人生を送ることができるのです。

そうか、自分の人生を切り開くのは、
 他人ではなく自分なのだとそのとき感じました。

さて、今回のRome旅行は2週間ほどで終わり。
 イギリスに戻って今度はBirmingham で大学生活が始まります。

つづく



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Sutton (UK3)

2008-03-12 00:12:51 | 過去(イギリス等)
さてさて、今日は魔の火曜日、
 通常火曜日はいつも暇です。
 悲しくなるほど暇です。
 しかし今日は暖かくなったので、お散歩ついでやお墓参りの人が寄ってくださり、
 ちょっぴり通常より多い人出でした。
  寄ってくださった方々ありがとうございます!!

さて、GuildfordからSuttonへお引越し。
 引越しをする度に色々な人と出会い、
  物が増えるかのように、経験と想い出も増えていきます。
 両親は文句一つ言わず、手紙を新しい住所に送ってくれ、
  毎週末電話をくれたものでした。
 守られている、という安心感が離れていてもあった気がします。

 Suttonは近代的な町で、ロンドンに勤めている人が多く住む住宅街。
 Hight Streetには一通りお店は揃っていて、
 ショッピングモールもあり、とても生活をするには便利な町でした。

さて、今回は英語学校が決まっていなかったので、 
 まず始めに英語学校を探さなければなりません。
 9月の大学入学に向けて、英語を上達しなければ、という焦りがありましたね。
 Wimbledonの学校に1ヶ月程通ったのですが、
 あまり授業が面白くなかったので直ぐに次の学校を探し、
  今度は公立専門学校が運営している英語学校へ移ることに。

1週間通ったところでインフルエンザに掛かってしまい、
 熱と咳で2週間寝たきりの生活になってしまったのです。
 声も出せず、死ぬかと思ったほど辛かったですね。
 しかし友人がいたので、面倒を看てくれたのが救いでした。

回復をした頃には入学したばかりの学校にも戻る気がせず、
 また新たな学校を探すことになりました。

やはり大学付属の英語学校が大学で勉強することを考えると良いと感じ、
 London大学の一つのGoldsmith College へ入ることに。
 ちょうど春先で、コースの入れ替えの時期だったようです。 
 他の学生と一緒にコースの最初から入学ができました。

Goldsmith Collegeは美術系の大学で、
 日本からの留学生も、美術を専攻している人が多かったですね。
 授業も美術史であるとか、
  実際に大学で美術を教えている先生が講義をしてくれたり、
  とても新鮮な授業ばかり。
  このときにアートというのに触れ、
   建築に関して勉強をすることができました。

数ヶ月もしないうちに、次の行き先を決めなければなりません。
 そう イギリスの大学は9月からスタートです。

ロンドンは物価が高いので、郊外の大学を狙っていました。
 イギリスの大学は学部によってレベルが大分異なります。
 心理学でレベルが高く、郊外都市、歴史のある等で絞っていくと、
 Birmingham 大学と Nottingham大学、Bristol大学、Bath大学が最終候補でした。 
  全ての大学と大学がある街を見学に行き、
  最終的に受験をしたのがBirmingham大学とNottingham大学。
  どちらもRed Brick University で歴史のある大学。
  最終的にBirmingham 大学に決定したのですが、 
   決め手は大学のキャンパスがとても綺麗で、心理学部の建物もレンガ造りの
   いかにもイギリスという感じの建物であったというのが印象的でした。


   適当に決めたように感じられますが、Birminghamもオックスフォードとケンブリッジに次ぐ中部ではトップクラスの大学であったのと、
   どうせ短いイギリス生活を過ごすのであれば、
    住んでいて楽しい方が良いに決まっていますしね。
   後から同級生にNottinghamの方がレベルが高いのでそっちにすれば良かったのに、などと言われましたが、
   結果的にはBirmingham大学でよかったと思っています。
    
たった半年のSuttonでの暮らしも色々な出来事がありました。
 泣いたり笑ったり、
  友達の結婚式にお邪魔したり。
   あっ、Guildfordで買った自転車はここで盗まれてしまい、
   所持品を一つ失いました・・・
 
9月には自分はBirmingham大学へ進学することが決まり、
 部屋を貸していてくれていたアイルランド人の友人は、
  ローマにあるアメリカンスクールに転職することが決まっていました。

そこで良い機会であるとのことより、
 Birminghamへ引越しをする前に、
 英語学校を早めに切り上げ、ローマへ2週間ほどその友人と旅行に行くことにしました。

つづく
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Guildford (UK2)

2008-03-11 00:07:06 | 過去(イギリス等)

雨も昼前には上がり、晴れて良かったですね。
ちなみに本日はご近所様の蒔絵教室がある日でした。
そちらの生徒さんが帰り際に良くお店に寄ってくださいます。
 その方々とお話をしているととても楽しいですね。
 「お兄ちゃんの顔を見ていこうか!って寄ってくださいます」。
http://www.makieshi.com/
また別の機会にご紹介させていただきますが、
 ご興味のある方は是非体験教室に行かれてみてください。

さて前回の続き。
 ChichesterからGuildfordへ移り住むことになったのですが、   
 この街には4ヶ月くらいしか居なかったのでしょうか。
 滞在させていただいていたお宅の名前などは全く覚えていません。
 健康に大変気遣うご家族で、毎朝サプリメントを6種類くらい飲んでいたのを記憶しています。

そうそう、梅干を食べさせてあげたら凄い顔をして食べていましたね。
 梅干って匂いをかぐと、甘酸っぱいフルーティーな匂いがするんですよね。
 あれに騙されてしまうわけですよ!
 ここでは普通の一軒家で家族が住んでいて、
 部屋のみを借りるというスタイルで、キッチンはそのご家族とシェアーをしました。
 食事は全部自分で作ります。
 卵を電子レンジでチンして、破裂させてしまったのもこの時・・・。
 朝の忙しいときに電子レンジを必死で掃除したのですが、やはり授業には遅れました・・・
  あれって掃除が大変なんですよね。本当に吹っ飛びます。
 もともと料理は日本に居たときからしていたので、
  それ程苦ではありませんでしたね。色々作って楽しんでいました。

移り住んでから数日してマウンテンバイクを購入、
 滞在が長くなればなるほど、所持品が増えていきますね。
 今後荷物は増える一方で、旅行鞄一つで引越しをしたのはこの時が最後でした。

Guildfordもそれ程大きな町ではありません。
 しかしChichesterよりも都会な雰囲気でしたね。
 日本では商店街は銀座通りなどと呼ばれますが、
  イギリスだとHigh Street と名付けられることが多いですね。
  やはりここにもHigh Streetがあり、
   なだらかな坂になっていて、風情のある街並みでした。

学校は大学付属の英語教室で、大学で必要な英語を中心に勉強が進み、
 論文の書き方などを教わりましたね。
 キャンパスは高台にあり、緑豊かなところでした。
 毎日自転車で20分くらいかけて通っていましたね。

渡英したのが春で、夏をChichesterで過ごし、
 冬はGuildfordで過ごすことになったわけです。
 茶色いジャンパーを購入したのを今でも覚えています。

当時の4ヶ月ってとても長く感じましたね。
 社会人になってからの4ヶ月って瞬きのごとく過ぎていきますが、
 この頃の4ヶ月とうのは今の1年という感覚でしょうか?!
  スローモーションですよ。、
 エッセイを書いたり、プレゼンテーションをしたり、
 ここで大学生活の基礎を教えていただきました。

ロンドンへ電車で遊びに行くことが多くなり、
 やがてロンドンで友達ができて、
 もう少々ロンドンに近いところに住みたくなりました。
 先日話題にでたアイルランド人の友人に知り合ったのもこの頃です。
 そのアイルランド人の友人がSuttonというロンドン近郊の街に住んでいました。
 部屋が空いているので、部屋を貸してくれるということになり、
  今度はそこへ移り住むことになりました。

徐々に都会へと移動をしていたのです。
 Suttonへ移動したのは2月頃でしょうか。
 まだまだ寒い時期に、友人に車で迎えに来てもらい、
  引越しを済ませました。

いざ、Suttonへ!!

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Chichester (UK1)

2008-03-10 11:37:09 | 過去(イギリス等)
今朝起きたら雨でした。
 しかし開店の時間には止んでくれましたね。
 このまま晴れてくれると嬉しいのですが、どうでしょうね。

思い出しながら過去シリーズをしばらく連載してみたいと思います。

渡英したのは19歳の時。
 成人式は残念ながら日本で体験できなかったのです・・・うぅぅぅ。
 成人式ってどんな感じなのですかね?!

最初に留学した町はChichester。
 イギリスの南、ブライトンの近くです。
 チチェスターも歴史のある町で、
  大聖堂があり、城壁も残っていました。

なぜこの町を選んだかは覚えていません。
 人の力を借りずに、自分で留学をしたかったのですね。
 飯田橋にあるブリティッシュカウンシルの図書館へ出向き、
  本を見ながら決めた記憶があります。
  全ての留学手続きを日本から一人で行いました。

ホストファミリーはBridgetとGordon夫妻。
 そしてChristianという孫とBenという犬が一緒に暮らしていました。
 外国人を受け入れることは多少なりとも収入になるため、
  比較的裕福ではない家庭が多かったりします。

半年くらいチチェスターにはいたでしょうか。
 このときが留学期間で一番楽しかった頃でしょうね。
 学校の友達と遊ぶことが英語の勉強だったので、
  いつも友人と遊びに行っていました。

半年間でこのホストファミリーの同居人は自分の他に、 
 フランス人であったりイタリア人であったり。
 楽しい思い出ばかりです。

休日はChristianと近くの小さな川へ行って、
 ラバーボートを漕いだり、
 近くの野原に野イチゴを採りに行ったり、
  Benを散歩させたり。

町を出ると野原が続いています。
 そのためか野生の動物も街には出没します。
 ウサギはもちろん、ハリネズミも良く見かけましたね。
 
時間がゆったりと過ぎる町。
 小さな町は最初の留学先としては最高の場所でした。

 Bridget と Gordonは元気にしているのでしょうか?!
 
 半年後 英語も大分理解できるようになり、
 Guildfordという町に移ることにしました。
 University of Essex の英語学校に通い、
  自分の英語を更に上達させたいと考えたのでしょうね。
  学校への転入手続きを済ませ、
   住む場所も確保し(掲示板などを見て自分で探しあるくのですね)、
   いざGuildford へ!!
  
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Blogram

blogram投票ボタン