かって天才と呼ばれた男が再び陽のあたる場所に立つことになるかもしれない。来る2月26日、アメリカンフットボールのアジア選手権が川崎球場で行われる。その日本代表選手に、かって「天才」と呼ばれた男が選ばれた。その名は「東野稔」。立命館大学パンサーズを初の大学日本一に導いたQBだ。
アメフット:“天才QB”東野、けが克服し初の日本代表 - 毎日jp(毎日新聞)
今でこそ立命館大学パンサーズは日本トップクラスだが、東野が学生だった当事は関西学生リーグで3強の一角ではあったものの、どうしても1位になることができない、そんな存在だった。個人技はすごいがチームとしては未熟、1,000yrdラッシャーは登場するのに、パスが通らない。
1994年、そんな中、当事2回生だった東野稔がスターターQBとして登場する。そしてその東野はWR下川・芝原へのピンポイントのロングパスと、誰にも止められないスクランブルで、立命館大学を初の関西学生リーグ制覇へと導いた。その凄さはまさに伝説だ。歴代の学生No1QBは誰かと問いかければ、未だに「東野」の声があがるくらいだ。立命館は甲子園ボウルでも法政を破り学生No1となる。
おそらく優勝した2回生の時よりもその後の方が東野の凄さは物語れるだろう。
1995年、優勝をかけて立命館と京大が最終節でぶつかる。この時も一進一退の攻防。両者の意地と意地とのぶつかり合い。京大が4点リードのまま残り2分をきったところで、この試合最大の見せ場がやってくる。4点差――FGではなくTDでなければ追いつけない点差。立命館に攻撃権がわたったのは、自陣ゴール手前といったところだ。
そこから東野は襲い掛かる京大ディフェンス陣をロールアウトしてかわしながら、パスを決め続け、ついにGOAL前まで攻め立てる。残り30秒強。残り2yrd。このわずか2yrdをめぐって最後の攻防が繰り広げられる……この年、京大はライスボウルを制することになる。しかしその試合以上にファンに語り継がれたのはこの「涙の2yrd」だ。
「涙の2ヤード」19951126京大VS立命館大2/3
そして東野が最終学年を迎えた1996年。連覇を目指す京大、名門復活を目指す関学ともに「東野封じ」に全力かけることになる。特に京大の「東野封じ」は執念さえも感じるものがあった。
東野の凄さはパスはもちろん、パスが投げられないときの「スクランブル」にあったといっていい。誰かにタックルを受けても体を回転させ、タックルを振りほどきそのままgainを重ねる。そこで京大はただでさえ「魂のタックル」と呼ばれ恐れられている激しい当たりを、東野に関しては、必ずといっていいほど2方向から仕掛けていった。その結果、東野は負傷。
京大、関学、立命館が6勝1敗で並び3校優勝となったものの、甲子園ボウルをかけたプレーオフでは東野は投げることができず、QB大橋の活躍で関学を破るものの再び京大に敗れ甲子園ボウルを逃すことになる。
その後、東野はシルバースターに所属するものの、そこには不動のQB金岡がおり、また度重なる負傷もあって、決して活躍したとはいえない。「まだやっていたんだ」と思った人もいるだろう。それくらいXリーグでは存在が薄かった。特に当事の「天才」ぶりを知っているファンからすれば、過去の人だったといってもいい。
それが全日本の3人のQBの一人に選ばれたのだ。
正直言えば、26日の試合でスターターになることは難しいだろう。順当にいけば、立命館の後輩・高田を軸に状況に応じて菅原を、あくまで東野は3番手に過ぎない。でも、当事を知るものからすれば、わずかでもいいからプレーコールをかけて欲しいと思う。一度、翼を失ったものが、それでももがき見つけた武器を手にがんばって欲しい、心のそこからそう思う。
天才と呼ばれた男~東野稔~ 1of3
天才と呼ばれた男~東野稔~ 2of3
天才と呼ばれた男~東野稔~ 3of3
BORDER アサヒビール・シルバースター密着ドキュメント ~天才と呼ばれた男 東野稔~ [DVD]
アメフット:“天才QB”東野、けが克服し初の日本代表 - 毎日jp(毎日新聞)
今でこそ立命館大学パンサーズは日本トップクラスだが、東野が学生だった当事は関西学生リーグで3強の一角ではあったものの、どうしても1位になることができない、そんな存在だった。個人技はすごいがチームとしては未熟、1,000yrdラッシャーは登場するのに、パスが通らない。
1994年、そんな中、当事2回生だった東野稔がスターターQBとして登場する。そしてその東野はWR下川・芝原へのピンポイントのロングパスと、誰にも止められないスクランブルで、立命館大学を初の関西学生リーグ制覇へと導いた。その凄さはまさに伝説だ。歴代の学生No1QBは誰かと問いかければ、未だに「東野」の声があがるくらいだ。立命館は甲子園ボウルでも法政を破り学生No1となる。
おそらく優勝した2回生の時よりもその後の方が東野の凄さは物語れるだろう。
1995年、優勝をかけて立命館と京大が最終節でぶつかる。この時も一進一退の攻防。両者の意地と意地とのぶつかり合い。京大が4点リードのまま残り2分をきったところで、この試合最大の見せ場がやってくる。4点差――FGではなくTDでなければ追いつけない点差。立命館に攻撃権がわたったのは、自陣ゴール手前といったところだ。
そこから東野は襲い掛かる京大ディフェンス陣をロールアウトしてかわしながら、パスを決め続け、ついにGOAL前まで攻め立てる。残り30秒強。残り2yrd。このわずか2yrdをめぐって最後の攻防が繰り広げられる……この年、京大はライスボウルを制することになる。しかしその試合以上にファンに語り継がれたのはこの「涙の2yrd」だ。
「涙の2ヤード」19951126京大VS立命館大2/3
そして東野が最終学年を迎えた1996年。連覇を目指す京大、名門復活を目指す関学ともに「東野封じ」に全力かけることになる。特に京大の「東野封じ」は執念さえも感じるものがあった。
東野の凄さはパスはもちろん、パスが投げられないときの「スクランブル」にあったといっていい。誰かにタックルを受けても体を回転させ、タックルを振りほどきそのままgainを重ねる。そこで京大はただでさえ「魂のタックル」と呼ばれ恐れられている激しい当たりを、東野に関しては、必ずといっていいほど2方向から仕掛けていった。その結果、東野は負傷。
京大、関学、立命館が6勝1敗で並び3校優勝となったものの、甲子園ボウルをかけたプレーオフでは東野は投げることができず、QB大橋の活躍で関学を破るものの再び京大に敗れ甲子園ボウルを逃すことになる。
その後、東野はシルバースターに所属するものの、そこには不動のQB金岡がおり、また度重なる負傷もあって、決して活躍したとはいえない。「まだやっていたんだ」と思った人もいるだろう。それくらいXリーグでは存在が薄かった。特に当事の「天才」ぶりを知っているファンからすれば、過去の人だったといってもいい。
それが全日本の3人のQBの一人に選ばれたのだ。
正直言えば、26日の試合でスターターになることは難しいだろう。順当にいけば、立命館の後輩・高田を軸に状況に応じて菅原を、あくまで東野は3番手に過ぎない。でも、当事を知るものからすれば、わずかでもいいからプレーコールをかけて欲しいと思う。一度、翼を失ったものが、それでももがき見つけた武器を手にがんばって欲しい、心のそこからそう思う。
天才と呼ばれた男~東野稔~ 1of3
天才と呼ばれた男~東野稔~ 2of3
天才と呼ばれた男~東野稔~ 3of3
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最近関西学生リーグ観てもあまり熱くなれずの日々でしたが、36才で初の日本代表とは、泣かせます。
ぜひ世界選手権でも華麗なTDパス決めてほしいですね。
まだ、続けて下すっていたのですね、フットボールを。ありがとう、東野選手!
今年は、久々にスタジアムに足を運ぼうと思います。ホント、東野選手のプレーコールが見たいです。