ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

平田オリザ×松田正隆の「月の岬」が描いた平穏の中の深い闇

2012年06月10日 | 演劇
かって芸術祭典・京というイベントがあり、平田オリザが京都の演劇人を集めて行ったプロデュース公演「月の岬」。ちょうど僕が学生の頃に観た作品であり、時空劇場・松田正隆の脚本のもつ「深み」「豊潤さ」「可能性」を平田オリザが見事にあぶりだしたことを覚えている。

その平田オリザ×松田正隆の「月の岬」が12年ぶりに再演された。

青年団第66回公演『月の岬』


作:松田正隆 演出:平田オリザ
出演:内田淳子(客演) 根本江理子 太田 宏 大塚 洋 井上三奈子 山本雅幸 他
舞台美術:奥村泰彦
照明:吉本有輝子


当時と同様に内田淳子、太田宏(当時は金子魁伺)が出演。スタッフも当時と同様に奥村泰彦(舞台)、吉本有輝子(照明)も参加。

作品はというと、長崎県の離島で生活する平岡家の一室が舞台。閉ざされた島の中で「平穏」を維持するために、人々はその奥底に真の感情を隠しながら生活をし続ける。しかし長男の信夫と直子の結婚と長女・佐和子のかっての恋人・清川の登場によって、押し隠していた感情が曝け出される。

姉と弟の中にある「共依存」的な愛情。愛情という名の支配欲、あるいは母性という存在。佐和子は何から逃れようとしていたのか、あるいは信夫は何故、逃れようとしなかったのか。それが男と女の違いであり、それゆえに女は高い生(性)命力をもっているのだろうか。

「私は水のような存在」と言いながら、当たり前のように佐和子の部屋で着替えをする直子。世代交代。女はたくましいのだ。

何気ない会話の中から暴き出される隠された感情というものは、何もこの島特有のものではないだろう。

島国という閉ざされた世界がそうであるというならば、この日本もまさにそのとおりであり、事実、都市化によって解体される以前の地方都市ではこうしたムラ社会的土着的な世界が広がっていただろう。タイプこそ違うが中上健二が描いて路地の世界とも繋がるだろう。

今の日本の社会にこうした世界観がどこまで通用するのかは正直わからない。しかしその一方でコミュニティ再生が叫ばれる時、こうした問題は避けては通れない問題としても存在するのだろう。

あぁ、それにしても内田淳子は相変わらず魅力的な演技をするし、太田宏もいい雰囲気をかもし出していたし、松田正隆の他の作品も見てみたいところだ。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名)
2012-08-08 22:37:06
突然失礼します。
出演者の名前ですが井上三奈子ではなく、井上みなみです。
できれば訂正をお願いします。
返信する
Unknown (beer)
2012-08-16 00:08:14
青年団のHPを確認したのですが、お2人とも出演されていたようで、妻・直子を井上三奈子さん、生徒役の七瀬を井上みなみさんが演じられていたのではと思います。
返信する

コメントを投稿