ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

光ファイバであることを体感するために必要な要素とは

2006年07月01日 | コンテンツビジネス
cnetで森さんが光ファイバのメリットについて書かれている。実は光ファイバならではのメリットというのは意外と探しにくい。その理由も単純で、光ファイバだろうが、ADSLであろうが、あるいは無線であろうが、実際にはただの伝送媒体・伝送方式の違いでしかなく、コンテンツ(内容)そのものとは全く関係がない。また多少のその伝送媒体・伝送方式の特性によって「違い」が生じたとしても、ユーザーが問題視するほどの差にはなりにくいからである。

 今こそ光ファイバならではのメリットを考えるとき - CNET Japan

例えば、Bフレッツで50Mbpsを超える人はかなり条件のいい人だろうが、ADSLでも48Mbpsというプランはあるし、その一方で通常のDVDクラスの映像を配信するのに必要な品質が6Mbpsであることを考えると、リッチコンテンツだから「光」というロジックにはなりにくい。(本来、一番違いを感じるのがUPLOAD時であろうが、マルチタスク可能なPCにおいてリアルタイムにUPLOADの速度を求められる状況などあまりないだろう)

そう考えると「光」であることの意味を伝えることは非常に難しいわけであるが、個人的には「利用体験の量」こそが、その「差」を体感できる一番のポイントではないかと思う。

「利用体験の量」とはすなわち、どれだけリッチコンテンツを使ったかということだ。たまたま6Mbpsの映像を見たとして、「光」ではスムーズに配信され「ADSL」では4~5回、各2~3秒ずつバッファリングがあったとしても、たまたま一度だけの利用であればそれほど気にならないかもしれない。しかしこうした映像を何度も利用しようとすると、この「バッファリング」というストレスが蓄積され、その時こそ伝送媒体・伝送方式の違いが明確になるのだろう。

であるならば、具体的にその違いを感じ取れるものとしては、

1)双方向性・リアルタイム性のあるリッチコンテンツ(ビデオチャットやインタラクティブ性のあるゲーム)
2)リッチコンテンツによるコンテンツ配信(動画配信など)

ということになるのだろうが、これに追加して

3)利用体験を積極的に蓄積させていく仕掛け・仕組み

というものが必要なのではないだろうか。1)にしろ、2)にしろ、すでに多くのコンテンツが提供されている。3)の要素についても本来はコンテンツ側に内包されているものだろう。オンラインゲームなどがいい例だと思うが、「中毒性」「継続性」「参加性」といった要素はそのまま利用体験の蓄積につながし、「韓ドラ」ブーム・「24」にみられるように一度見ると、次が見たくなるという「中毒性」「連続性」のあるドラマというのも利用体験を増やしてくれる。

ではユーザーに利用体験を蓄積させるものは「コンテンツ」の魅力や特性によってのみ規定されるものなのか。僕はそうは思わない。

実はその「はざま」にこそそれを解く鍵があるのではないかと思う。、「コンテンツ」とも「伝送方式」とも違う、コンテンツを利用したくなる「環境」やごく自然にコンテンツを利用してしまっている「状況」を創りだすこと、コンテンツの「魅力」に依存しないでリッチコンテンツの利用体験を蓄積していくような仕掛けが。

現在、こうしたこれまでにない新しい取り組みをうちのプロジェクトでは進めている。リッチコンテンツをより利用しやすい環境、ごく自然に利用しているという状況を作り出し、ネットを使った新しい利用シーンを作り出そうというものだ。今の予定では7月中旬にはオープンにできるのではないかと思うのだが、もちろんこれは「光」でないといけないサービスではないが、結果的に「光」であることのメリットを体感できるサービスになるのではないかと思う。




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