同じ歩調で同じ方向に歩いていた人たちがいる。中学や高校の頃、同じように歩き、同じ風景を見ていた彼や彼女たち。あるいは大学時代、世間の流れとは無関係に、自分たちのペースで、同じ歩調、同じ方向に歩いていた仲間たち。
いつからだろう。大学を卒業して社会人となり十数年が過ぎると、僕らの見ている風景が決して同じではないのだと気付く。同じような歩幅にみえた一つ一つの「歩み」が、しかしそうではなく、気がつけば別々な方向を目指し、あるいは歩みを停める。そう、僕らは別な世界に生きているのだ。
久しぶりに会う友人たちとの会話は「懐かしさ」とともにそうした「寂寥」がつきまとう。
もちろん今でも奥底には強い「絆」は残っている。それでも久しぶりの再会はそのまま再び薄れていく「関係」であったり、昔ほどの強い「結び付き」はないものの緩やかな友情として続いて行く「関係」であったり、改めて現在(いま)に根ざした「関係」として「再構築」されていくものもある。
いずれにしてもあの頃と同じようにはありえないのだ。
それは今の僕を取り巻く関係もそうだろう。職場の仲間は担当が変わってしまえば今と同じではありえないだろう。仕事上のパートナーもその案件が終わってしまえば繋がりは弱くなるだろう。ビジネス上の付き合いが前提である以上、それは当然のことだ。仕事という枠を越えて共に何かを成し遂げようという強い結びつきでもない限り、それはある程度ドライであり、打算的なものだろう。
Facebookの登場で 、過去の関係性もそのまま「保存」できる世界になったとはいえ、そこでアップデートされる会話だけで、僕らの「絆」やつながりの「強度」までそのまま保存出来るわけではない。関係性のインフラをゆるやかに維持してくれるかもしれないが、同じ景色をシェアしてくれるわけではないのだ。
だからこそ僕らは前へ進むしかないのだろう。新しい風景をともに見ることの出来る仲間 を探しながら、あるいはたった一人だとしても自分の道を歩き続けている限り‥‥
改めて高校時代に僕が見ようとしていた景色が何だったかを思い出してみる。 それが正しかったのかどうかはわからない。それでも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。
時には昔の話を(映画ver.)加藤登紀子/宮崎駿「紅の豚」水彩画集
佐野元春 - WILD HEARTS 冒険者たち
いつからだろう。大学を卒業して社会人となり十数年が過ぎると、僕らの見ている風景が決して同じではないのだと気付く。同じような歩幅にみえた一つ一つの「歩み」が、しかしそうではなく、気がつけば別々な方向を目指し、あるいは歩みを停める。そう、僕らは別な世界に生きているのだ。
久しぶりに会う友人たちとの会話は「懐かしさ」とともにそうした「寂寥」がつきまとう。
もちろん今でも奥底には強い「絆」は残っている。それでも久しぶりの再会はそのまま再び薄れていく「関係」であったり、昔ほどの強い「結び付き」はないものの緩やかな友情として続いて行く「関係」であったり、改めて現在(いま)に根ざした「関係」として「再構築」されていくものもある。
いずれにしてもあの頃と同じようにはありえないのだ。
それは今の僕を取り巻く関係もそうだろう。職場の仲間は担当が変わってしまえば今と同じではありえないだろう。仕事上のパートナーもその案件が終わってしまえば繋がりは弱くなるだろう。ビジネス上の付き合いが前提である以上、それは当然のことだ。仕事という枠を越えて共に何かを成し遂げようという強い結びつきでもない限り、それはある程度ドライであり、打算的なものだろう。
Facebookの登場で 、過去の関係性もそのまま「保存」できる世界になったとはいえ、そこでアップデートされる会話だけで、僕らの「絆」やつながりの「強度」までそのまま保存出来るわけではない。関係性のインフラをゆるやかに維持してくれるかもしれないが、同じ景色をシェアしてくれるわけではないのだ。
だからこそ僕らは前へ進むしかないのだろう。新しい風景をともに見ることの出来る仲間 を探しながら、あるいはたった一人だとしても自分の道を歩き続けている限り‥‥
改めて高校時代に僕が見ようとしていた景色が何だったかを思い出してみる。 それが正しかったのかどうかはわからない。それでも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。
時には昔の話を(映画ver.)加藤登紀子/宮崎駿「紅の豚」水彩画集
佐野元春 - WILD HEARTS 冒険者たち
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