ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「新潟地震」だからこそ…インターネットに伝えて欲しいこと

2004年10月25日 | Weblog
昨日から今日にかけて、新潟地震(中越地震)のニュースが新聞やテレビ、インターネットで多く流れた。様々なニュースと「防災科学技術研究所(茨城県つくば市)は24日、新潟県中越地震の揺れが、1995年の阪神大震災の最大震度と同じ「震度7」に相当すると分析し」という記事を見る限り、新潟では本当に大きな揺れだったのだろうと思う。

阪神大震災の時、僕は京都に住んでいた。京都は、幸いなことに大きな揺れに襲われたりはしたが、建物の崩壊ということは殆どなかったと思う。ただし、ちょうど西宮にいた友人が「食料がない」という理由で、震災直後に京都までやってきたりしていたので、その時の様子は直後からいろいろ聞いていた。実際に大阪から神戸や西宮の方へ向かうと、橋を1つ越えるたびに、被害が大きくなり、神戸に至ってはほとんどの建物が垂直に立つことを失い、道路は水平ささへ失っていた。一瞬のうちに人々が生きる「都市」というものが崩壊していた。テレビカメラが執拗なまでに映し出した「高速道路の崩壊」といったわかりやすさは、実は生活の場として考えた場合には一部のものであり、そうした映像を用いることで他の地域に対してはその被害の大きさをドラマチックに伝えはしたものの、その映像が象徴したものは本来そこで起きていることではない。既存のメディアがあの事態を正しく伝えたとは思えなかった。

そして今回の新潟地震。また上越新幹線の脱線を含めニュースなどを見ている限り、阪神大震災ほどの死傷者や被害はなく、また今のところ天気もよかったということが幸いなのだろうが、この新潟から離れた関東での報道を見ていると、やはりあまりに他人事なのだという気がする。

もちろんその地震の大きさを伝えることは大事だろう。地震直後のテレビ局内の機材の揺れる様子や、あるいはコンビニやスーパーの散らかった様子を伝えることだってインパクトのある情報だ。上越新幹線が脱線した理由、あるいはしないための課題を洗うことも大切だろう。しかし一体誰に対して大切なのだろうか?

7月の新潟の水害の際にも、その当事者達が受けた被害の深刻さを伝えたものはテレビやマスメディアではなかったような気がする。たまたま見かけたブログの中で、被災の様子や復旧活動、心理的な不安定・虚無感といったものが赤裸々につづられており、1人の人間の視点からどのような被災だったかが伝えられていた。それは日々の情報の中で直ぐに「震災」など忘れ去られていくマスメディアとは全く違う「ニュース」の形があった。もちろん僕がたまたまであったブログであり、おそらくそういったブログはもっとあっただろうし、それぞれの状況と立場で書かれた内容、感想も違うものだろう。

今回の「新潟地震」に対しても、早々に「新潟県中越地震情報」「新潟中越地震「現地発」情報 地域別整理blog」といったブログが立ち上がっており、各地の様子が少しずつ垣間見ることができる。また書くことのできる状況の当事者たちの手によって、その状況が発信されているのかもしれない。

○新潟県中越地震情報
○新潟中越地震「現地発」情報 地域別整理blog


仮にインターネットというメディアが、あるいはブログというメディアが、マスメディアとは全く違った「個人」を表現できる可能性が秘めているのだとしたら、こうした情報を適切に紹介する努力をポータルサイトにはして欲しいと思う。果たして今何が起こっているのか、そしてそれを見た人は何ができるのか、何をすべきなのか、そういうものを伝えるメディアになって欲しいと思う。

最後にはなったけれどマスメディアも含めて、ライフラインの復旧状況と果たしてどこでどのようなものが不足しており、それを届けるための手段はどのようにしたらいいのか、といった情報だけはしっかり伝えて欲しいと思う。








1 コメント

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Unknown (ちるにー)
2004-10-25 13:39:56
コメント有り難うございました。

ワタシの住んでいる地域は中越と下越のはざまで、いわゆる県央というとっても中途半端な地域なのですが、今回の震源地からさほどは近くないといってもやはり最初の2~3回の揺れは今までに体験したことがないほどのものでとても恐ろしくオットが出張中で不在だったこともあって、水害の時のトラウマが強烈にまだ残っているワタシはガスの元栓を締め大事なものとムスメと猫を引っつかんで車に飛び乗ったのです。現地へ向かうヘリの音を聞くたびに、7.13に引き戻されてしまうココロはどうしようもありません。

下越の実家でテレビの報道をずっとつけっぱなしで見るにつけ、「コメントなんてとってる暇があったら毛布でもテントでもシュラフでもあったかいカップめんでも差し入れてあげて!」と思ってしまいます。お菓子や甘い飲み物、ビールやタバコ、コーヒーだってとてもこういうときには有難いもの。食料にばかり群がっている用に見えるのは、当たり前だけどココロに余裕がないから殺気立っているのです。

現地はいまだ停電が続いているので、たぶん携帯でしかblogをUPできないと思いますが、もしできる人はぜひしてほしいと思います。あのときその場で思ったことを残しておいてほんとうに良かったとワタシは思っています。そして行政の人はそういうblogをちゃんとチェックして、きめ細かな対応をしていってほしいと思います。
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