ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

地方変革のキーワードは「福祉」と「地域マネー」

2005年07月26日 | 地方政治・経済
所用があって、ここ数日地元に帰っていたのだけれど、うん、まぁ、北陸の地方都市の現状というのは東京では考えられないほどひどい。バブル期のつけをうけて公共工事はめっきり減ったし、景気が悪いこともあって駅前の商店街にも人は少ない。若者は外へ流出し、気がつけば年寄りばかりになりかねない。高齢化社会というのは日本国全体の問題かもしれないが、その進展は地方から訪れるのだろう。

高校時代に生徒会長をやっていた友人が先日市議会に立候補しようかなと言っていたが、これはある意味正しい。地方都市の場合、コネや仕事上の付き合い、親戚や友人関係といったヒューマンネットワークの影響が大きいとはいえ、そういったそれまでのしがらみと経験則では、この社会構造の変化について正しい認識をもてるとは思えない。本来であれば、地方都市の場合、行政機関が社会動向の変化などを鑑みた上でその地域の「あるべき姿」を描かなければならないのだろうが、志望動機が「安定志向」だったり、既存の利益関係者からの意見集約が中心となる市役所や県庁ではそんな期待はできない。地方都市にこそ明確なビジョンとリーダシップをもつ若手の台頭が求められる。

そんなこともあってふと今、地元に求められる「変化」とは何かについて考えてみた。とれあえずきちんとした根拠はない(笑)。

こういった地方都市というのは、基本的に「公共工事」に依存した産業構造となっている。これをよくない、という「正論」はこの際置いておこう。景気対策として「公共事業」が利用されるのと同じ理由で、地域経済というのは「公共工事」に依存した構造となってしまっているのだから。

道路や箱ものを中心とした公共工事が景気対策として用いられている理由としては、こうした投資が社会インフラとして付加価値を生み出すという理由というよりは、そこで使われるお金が直接的・間接的にその地域での景気に結びつきやすい、ということがある。

例えば道路を作るために100万円の投資をした場合、(道路を作ることでもたらされる効果は除いて)100万円の内訳は「請負った会社の利益」+「道路を作るための材料費」+「作った人の工賃」となる。例えば複雑な製品を作ったりすれば、様々なところから部品調達が必要となるであろうし、その地域で完結しないかもしれない。それに比べて道路や建物の建築は必然的にその地域で働く人へお金が落ちていく率が高いのだ。

しかし既に道路は張り巡らされ、文化ホールやら運動公園やらも整備つくされ、しかも地方債などの償還が迫っている現状において、「サグラダ・ファミリア」のようにいつまでも作りつづけるわけにもいかない。

そう考えると、地方行政が行うべきことはこれまでのような「箱もの」を作るというよりは、その地域の中でお金が還流するための「仕組」を作るというところに注力されるべきなのだろう。ではその仕組とは何か。

「公共工事」依存型が問題なのは、1)ある程度インフラ整備が終わってしまった現状を考えると、「道路」を作ったからといってその沿線上にあらたな「産業」が生まれるという効果が弱くなっていること、2)「地方債の償還」など財政的な理由、3)スーパーゼネコンの台頭やIT投資などの増大によって「地域経済」にお金が落ちにくくなっていることがあげられるだろう。ましてやこれらの公共工事のメリットが市民に分かりやすく伝わっているのであればともかく、どうも利害関係者だけで収まっているような感じがある。

しかしこの急速な高齢化社会の進展はそのような状況を放置しておくほどの余裕さえなくなるだろう。市民にメリットを理解してもらいつつ、地域内に継続的にお金が滞留する「仕組」が求められているのだ。そう考えると、地方都市はまず「公共投資」による産業振興から「福祉サービス」の充実による「雇用確保」「産業振興」に舵を切らねばならないと思う。

ここで安易に「福祉サービス」という言葉を使ったが、そこには幾つかの条件をつける必要がある。まず福祉や介護といったサービスを提供主体としては、全国展開を行う企業などを招聘するというのではなく、その地域のNPO、NGOに行わせる必要がある。確かに企業が行った方が効率的なオペレーションが可能であろうしノウハウなども溜まりやすいかもしれない。しかし福祉や介護サービスのコストの多くは人件費だ。NPO/NGOは利潤を目指すものではないのだから、多少オペレーションコストが高くついても利益部分が相殺されれば全体額の差はないだろうし、今回の目的の1つが地域へのお金の滞留である以上、人件費が多少高くついてもそれはそれで仕方がない。域内でお金の流れを完結させる方を重視する必要があるのだ。

また東京とは違って消費を牽引する1千万所得者層がそんなにいるわけでもない。であれば「所得格差」を生み出してまで高所得者層を優遇した政策が地方都市に当てはまるわけではなく、ここで求められるものも、「効率的」に人をあてがうというよりは「雇用確保」の意味合いを重視する必要があるのだろう。ワークシェアリングとより多くの人の参画による地域ネットワークの確保を目指す方がいい。

福祉・介護と聞くとどうしても女性が中心の雇用と考えられがちだが、ここに男性の事業領域を作り出す必要がある。今後、公共事業が減りつつある以上、男性に対してもこの分野で働くべき領域を作り出し、そのための就労訓練などをさせる必要がある。そうすれば「職業」としてはもちろんだが、そこで培われたノウハウは高齢化社会到来後の住民同士のサポート体制にも利用できるはずだ。

そしてもう1つ。実はこれが一番大掛かりなことなのだが、この福祉サービスの従事者、利用者を含めてお金が地域経済に滞留させるために、「地域マネー」を導入させる必要がある。「地域マネー」がどうして地域にお金を滞留させるために必要なのかについては、疑問に思う方もいると思う。このあたりについては、ちょうど一年ほど前に書いた『「ポイント制」と「地域通貨」-ポイント流通という仕掛け』を読んでもらうといいと思う。というか、今読むと、一年前から進歩してなさそうで嫌なのだが、まぁ、こういうことだ。

 「ポイント制」と「地域通貨」-ポイント流通という仕掛け

またちょうどITmediaの『「スーパーでEdy」の結果は?アサノ社長インタビュー(前編) 』の中でシルバー層にEdyが好評という記事が載っていたが、こうした地域マネーを「電子マネー」化した上で地域のスーパーや商店街、公共機関、バスやタクシーなどで利用可能にする必要がある。もちろんそのための設備投資やオペレーションの問題はあるが、これによって地域内で滞留させることが可能になるのである。

このあたりについてはまた別途書きたいと思う。

 ITmediaビジネスモバイル:「スーパーでEdy」の結果は?アサノ社長インタビュー



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