ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

新型インフルエンザ問題雑感。「生権力」とか「IT」とか。

2009年05月10日 | Weblog
思いもよらず『新型ウィルスの診療拒否と「判断」のできない日本人』の記事にいくつかコメントをもらったり、またついに新型インフルエンザの国内初感染のニュースなんかもあったりしたので、ちょっと感じたことを。

新型ウィルスの診療拒否と「判断」のできない日本人 - ビールを飲みながら考えてみた…
新型インフル感染者、国内で初確認 大阪の高校生ら3人 :NIKKEI NET(日経ネット)

『新型ウィルスの診療拒否と「判断」のできない日本人』の中で言いたかったことは2つあって、1つは「診療拒否」のように医療従事者としての「個」の「使命感」のようなものが低下しているのではないかということ、もう1つが、だとするならば「システム」「制度」としての対応が必要になるのだろうがそれは十分なのかという疑問。コメントの中でも書いたのだけど、そういう意味で何が何でもそれぞれの現場の医師が対応しなければならないとは思っていない。ただやり方や対処方法としてあまりに未熟だったのでは、というのが感想。

「都筑てんが」さんのブログやその他、医療現場の実情を書かれた記事などを見ていると、現場の医師が全てを対応しろというのも無理からぬ話だというのも分かるのだけれど、かといってそれが「無理だ」という声を上げて終わりだとすると、そこには解決策などは何もない。「医者なんだから対応しろ!」と言う人とかわらない。

医療関係者でない僕が仮にGW前に海外に行っていて、帰ってきたときから具合が悪く熱もでているとしよう。僕がとる行動ととしては結局「医者へ行く」くらいしか思いつかない。それが直接行くか、まず病院に行くかという違いはあるにしても、保健所に電話するとか相談センターに電話するといった行動は、そういった情報が周知徹底されていなければ思い立たないものだ。

そういった一般市民の行動パターンを前提に、対応方法が組み立てられていたのだろうか。そこには当然、「検査キット」の配備のようなインフラ整備もあるのだろうが、こういった患者(の可能性がある人)がきた場合にどのように案内をし対処すればいいかといったものも含めての整備(相談を受けたものに誤解されずに適切な行動をとってもらうための対処など)、また市民に対する対処方法の周知など十分だったのかというのは気になるところ(そういう意味ではマクドナルドの圧倒的に共通化された接客マニュアルや新商品の周知・プロモーション活動というのは圧巻だ)。

昨日のニュースであったように国内でも初感染者が、水際の監視体制の中で見つかったということもあり、今後もこうした国家レベルでの監視体制やアクションプランが求められていくことだろう。

これらは求められていることであり、必要なことなのだろう。

しかし同時にこの状況はフーコーの言うところの「生権力」「生政治」そのままではないか。ミッシェル・フーコーは、従来の権力機構はその支配した臣民に対して「臣下」となるか(=生きるか)「死」を与えるか(=死ぬか)といった「殺す権力」であったが、西洋社会が生み出した近代の権力とは、住民の「生」を公衆衛生や都市計画によって管理・統制する新しい権力(「生の権力」)へと変質したと説いた。

今回の「新型インフルエンザ」に対する防衛措置というのは、一市民とし考えれば、当然のことながら国家レベルでの対応が必要なのはわかる。しかしその一方で、そうした対応が既存の権力機構を維持・存続させるための装置となっていることもまた事実なのだ。特にそうした措置が中央集権型のシステムにならざろうえないとしたら…正直、複雑な気持ちがあることも確かだ。

特に今後、こうした「生権力」「生政治」がITテクノロジーと結びつくとしたら…

今回も水際対策として海外渡航者への検疫で発見したわけだけれど、当然のことながら、感染者の周囲にいた人(潜在的に感染の可能性のあるもの)への監視活動が継続的に行われる。こうした措置を継続的にかつ「効率的に」続けるために、個人に対してのIDの付与(国民葬背番号制)や行動の記録、監視活動を継続して行うためにITを利用するというような議論に発展する可能性はある。携帯電話にしろ、ICカードにしろ、監視カメラにしろ、そうしたことを実現するための技術的バックボーンというのは既にそろっているのだ。全体幸福(功利)のために多少のプライバシーの犠牲は仕方がない…

仮に今回の「新型インフルエンザ」ではそこまでの話にならなかったとしても、第2、第3の「新型インフルエンザ」が現れたとしたら…そういう議論になる可能性はあるのだ。

もちろんこうしたことが一概に「ダメだ」と言えないのが、「東浩紀」世代の悩ましいところだ。大塚英志であれば簡単に「反権力」を唱えられるかもしれない。が、東浩紀世代の人間にとっては、こうした「生権力」「生政治」、あるいはITによる「生活環境」の向上が、同時に「市民」が求めていることでもあるからだ。

まぁ、全体的にとりとめのない話になってしまったんだけれど、個人的には「新型インフルエンザ」に感染したくもないし、かといって権力の肥大化も避けたいし、でも「個」の「プライド」や「使命感」に期待できる時代でもないのだろうなぁ、というのが感想です。


〈個〉からはじめる生命論 / 加藤秀一 - ビールを飲みながら考えてみた…

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム / 東浩紀,北田暁大 - ビールを飲みながら考えてみた…

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)



1 コメント

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Unknown (SIRO)
2009-05-10 21:41:33
はじめまして、こんばんは(^^

>保健所に電話するとか相談センターに電話するといった行動は、そういった情報が周知徹底されていなければ思い立たないものだ

私もそう思います。こういった情報を発信&周知徹底するのは厚生労働省とマスコミの仕事ですね。怖さを煽る記事よりも有益な情報を発信してほしいなと思います。


診療拒否は病院の対応にも問題があったのかもしれませんが、諸悪の根源は厚生労働省です。各病院に通達をし、病院がそのとおりに対応したら診療拒否というのは、医療従事者が気の毒ではないかと私は思いましたが...。


>医療従事者としての「個」の「使命感」のようなものが低下しているのではないかということ

日本の医療は医療従事者の使命感に支えられてようやく成り立っていますよ...(詳細はこの記事の1を読んでみて下さい→http://d.hatena.ne.jp/ancomochi/21090227/1235734454)

新型インフル問題、非医療者の私達にはなかなか難しいことが多いですが、できることをしていきたいですね。

突然失礼いたしました。では!
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