「知らない」ということに対しての異常なまでの不安のためか、情報収集をせずにいられない強迫観念のためか、目的に応じた情報を効率的に収集たるためか、このところプッシュ型の情報配送システムの動きが激しい。
その1つが「RSSリーダー」。
RSSリーダーとは、Webサイト内にあるRSSファイルを読み取り、その情報から、さまざまなサイトの要約や、Webページなどを表示するもの。例えば「asahi.com」といったニュースサイトやブログサイトの更新情報を一覧表示してくれるもので、わざわざそのサイトまで行かなくとも、更新情報の概要が見え、必要な記事単位でそのサイトに訪問すればよくなる。
そのインパクトというか影響力については、「HOTWIRED」でもいくつか記事が記されているので、詳しくはそちらを。
HOTWIRED:急激に普及する「RSSリーダー」、インターネット渋滞の元凶となるか
もう1つはgooツールバーをダウンロードした時に、WINDOWSタスクバー上に常駐するようになった「アラート機能」。
gooでの説明をそのまま引用すると、「最新の情報を設定にあわせてポップアップ表示します。 ニュースや、雨のお知らせ、プロ野球速報など、今知りたい情報を配信しているから、作業をしているときでも、最新の情報を入手することができます。」というもの。確かに何かニュースがあると右隅の目立たないところで、どんなニュースか表示してくれるのは、意外と便利。
この2つの違いを比較するのも面白いのだけれど、今日はこれを使っていて感じたことを。
最近、時間の感覚がおかしくなることがある。
例えば1つのニュースを新聞で見たとき、これは一体いつのニュースかが分からなくなるのだ。
ちょっと前までは、例えば昼過ぎに何か事件があった場合でも、よほど大きな事件でない限り、家に帰って夕刊を見たり、ニュースを見て初めて知るというのが普通。それで次の日の朝刊で詳細を知る、と。
このリズムにインターネットが加わることになる。
仕事中にyahooやgooを見れば最新のニュースが載っている。興味のあるものがあれば、それをクリックすれば最新のニュースが見える。とはいえ、こういう風に特に目的なく検索サイトの見るというのは時間に余裕がある場合で、それを常にウオッチしているということはまずない。そういう意味で、インターネットの登場も既存のメディアにとっては補完的存在でしかなく、まず既存のメディアがあった。ニュースという「情報」を時系列的に整理する上ではやはりテレビのニュースや新聞か中心だったのだ。
これがこのプッシュ型情報配送システムの登場でどうなったか。
例えば先日の「UFJ、三菱東京と合併」というニュースの時など、(日経新聞のスクープがあったとはいえ)まずgooのアラート機能が次々とニュースの推移を伝える。gooの場合、「朝日新聞」「共同通信」「産経新聞」「ロイター」から記事をもらっているため、1つのニュースに最低4社のアラートが立ち上がる。しかも「速報」から「詳細」に記事が更新されるごとにアラートが立ち上がり、デジャブのように同じような内容のニュースが延々繰り返される…
で、これで終わるわけではない。
大手のニュースサイトはRSSの配信を行っている場合も多いため、今度はRSSリーダーにも同じように記事が繰り返される。しかも今度は、ブロガーたちがそのニュースに対して一斉に発言しだす。RSSリーダーの中では、ニュースだけでなく、そうしたブロガーたちの「意見」を含めて様々な「語り」を目のあたりにする。
これは決して一日の出来事ではない。
会社にいる数時間の間でこのように「ニュース」が消費されていくのだ。
そして家に帰ると、今更って感じで「UFJ、三菱東京と合弁」といった内容のニュースが流れ、翌日には新聞が詳細を報じることになる…
こうなると既存のなメディアの記事はタイミングを逃してしまっている。既にそのニュースについては消費し尽くされている。翌日の朝刊を見るたびに、僕は思う。「これはいつのニュースだったのか…」
何もこれはRSSリーダーとアラート機能だけの話ではない。
BLOGもある意味そうした状況を生み出す。書き込むことと、書き込まれることの時間的乖離 読むことあるいは興味をもつことともたれることの乖離が発生するメディアだ。
本人にとっては蓄積型の記事の集積に過ぎないかもしれないが、他者が閲覧しそれに対してコメントやTBを入れてくるのは「最新の記事」に対してとは限らない。本人の中では既に興味を無くした事柄や意見や感想が変化してしまったものにまで、容赦なくコメントやTBが入ってくる。もちろん、これを全て無視するということも可能だ。だがやはり自分の記事に対して何が書かれたかというのは気になるものだ。
これまでの「2ちゃんねる」や掲示板であれば、リアルタイム性が確保されていた。もちろん過去の投稿を見ることもできたが、発言は圧倒的にその時々のネタに対してであった。そうした時間軸はBLOGにはない。
またHDプレイヤーの登場は、これまでのビデオとは時間の感覚をが異なるものだ。
それまでのビデオであれば「録画」というのは1つの「制約」であり、選ばれた番組を空いた時間に見るというもであったが、HDプレイヤーは「録画」への障壁を一気に下げた。それは「録りながら再生する」ことも可能であり、録画時間の制約がなくなったため「とりあえず録る」といったことが可能になった。ではいつ再生するのか。放送中に「追っかけ再生」なのか、週末の「空時間」なのか、それとも「とりあえず」録っただけなのか…
インターネットを中心としたリアルタイム性メディアと蓄積型メディアの発達は、きっとこれまでのメディアの時間軸・時系列的な情報の整理感覚というものを喪失させるものなのだろう。これから求められるメディアリテラシーの1つとして、様々な形態(メディア)、タイミング(時間軸)で提供される「情報」を明確な時系列に整理し理解・把握する感覚というものを高めていく必要があるのかもしれない。
その1つが「RSSリーダー」。
RSSリーダーとは、Webサイト内にあるRSSファイルを読み取り、その情報から、さまざまなサイトの要約や、Webページなどを表示するもの。例えば「asahi.com」といったニュースサイトやブログサイトの更新情報を一覧表示してくれるもので、わざわざそのサイトまで行かなくとも、更新情報の概要が見え、必要な記事単位でそのサイトに訪問すればよくなる。
そのインパクトというか影響力については、「HOTWIRED」でもいくつか記事が記されているので、詳しくはそちらを。
HOTWIRED:急激に普及する「RSSリーダー」、インターネット渋滞の元凶となるか
もう1つはgooツールバーをダウンロードした時に、WINDOWSタスクバー上に常駐するようになった「アラート機能」。
gooでの説明をそのまま引用すると、「最新の情報を設定にあわせてポップアップ表示します。 ニュースや、雨のお知らせ、プロ野球速報など、今知りたい情報を配信しているから、作業をしているときでも、最新の情報を入手することができます。」というもの。確かに何かニュースがあると右隅の目立たないところで、どんなニュースか表示してくれるのは、意外と便利。
この2つの違いを比較するのも面白いのだけれど、今日はこれを使っていて感じたことを。
最近、時間の感覚がおかしくなることがある。
例えば1つのニュースを新聞で見たとき、これは一体いつのニュースかが分からなくなるのだ。
ちょっと前までは、例えば昼過ぎに何か事件があった場合でも、よほど大きな事件でない限り、家に帰って夕刊を見たり、ニュースを見て初めて知るというのが普通。それで次の日の朝刊で詳細を知る、と。
このリズムにインターネットが加わることになる。
仕事中にyahooやgooを見れば最新のニュースが載っている。興味のあるものがあれば、それをクリックすれば最新のニュースが見える。とはいえ、こういう風に特に目的なく検索サイトの見るというのは時間に余裕がある場合で、それを常にウオッチしているということはまずない。そういう意味で、インターネットの登場も既存のメディアにとっては補完的存在でしかなく、まず既存のメディアがあった。ニュースという「情報」を時系列的に整理する上ではやはりテレビのニュースや新聞か中心だったのだ。
これがこのプッシュ型情報配送システムの登場でどうなったか。
例えば先日の「UFJ、三菱東京と合併」というニュースの時など、(日経新聞のスクープがあったとはいえ)まずgooのアラート機能が次々とニュースの推移を伝える。gooの場合、「朝日新聞」「共同通信」「産経新聞」「ロイター」から記事をもらっているため、1つのニュースに最低4社のアラートが立ち上がる。しかも「速報」から「詳細」に記事が更新されるごとにアラートが立ち上がり、デジャブのように同じような内容のニュースが延々繰り返される…
で、これで終わるわけではない。
大手のニュースサイトはRSSの配信を行っている場合も多いため、今度はRSSリーダーにも同じように記事が繰り返される。しかも今度は、ブロガーたちがそのニュースに対して一斉に発言しだす。RSSリーダーの中では、ニュースだけでなく、そうしたブロガーたちの「意見」を含めて様々な「語り」を目のあたりにする。
これは決して一日の出来事ではない。
会社にいる数時間の間でこのように「ニュース」が消費されていくのだ。
そして家に帰ると、今更って感じで「UFJ、三菱東京と合弁」といった内容のニュースが流れ、翌日には新聞が詳細を報じることになる…
こうなると既存のなメディアの記事はタイミングを逃してしまっている。既にそのニュースについては消費し尽くされている。翌日の朝刊を見るたびに、僕は思う。「これはいつのニュースだったのか…」
何もこれはRSSリーダーとアラート機能だけの話ではない。
BLOGもある意味そうした状況を生み出す。書き込むことと、書き込まれることの時間的乖離 読むことあるいは興味をもつことともたれることの乖離が発生するメディアだ。
本人にとっては蓄積型の記事の集積に過ぎないかもしれないが、他者が閲覧しそれに対してコメントやTBを入れてくるのは「最新の記事」に対してとは限らない。本人の中では既に興味を無くした事柄や意見や感想が変化してしまったものにまで、容赦なくコメントやTBが入ってくる。もちろん、これを全て無視するということも可能だ。だがやはり自分の記事に対して何が書かれたかというのは気になるものだ。
これまでの「2ちゃんねる」や掲示板であれば、リアルタイム性が確保されていた。もちろん過去の投稿を見ることもできたが、発言は圧倒的にその時々のネタに対してであった。そうした時間軸はBLOGにはない。
またHDプレイヤーの登場は、これまでのビデオとは時間の感覚をが異なるものだ。
それまでのビデオであれば「録画」というのは1つの「制約」であり、選ばれた番組を空いた時間に見るというもであったが、HDプレイヤーは「録画」への障壁を一気に下げた。それは「録りながら再生する」ことも可能であり、録画時間の制約がなくなったため「とりあえず録る」といったことが可能になった。ではいつ再生するのか。放送中に「追っかけ再生」なのか、週末の「空時間」なのか、それとも「とりあえず」録っただけなのか…
インターネットを中心としたリアルタイム性メディアと蓄積型メディアの発達は、きっとこれまでのメディアの時間軸・時系列的な情報の整理感覚というものを喪失させるものなのだろう。これから求められるメディアリテラシーの1つとして、様々な形態(メディア)、タイミング(時間軸)で提供される「情報」を明確な時系列に整理し理解・把握する感覚というものを高めていく必要があるのかもしれない。
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