世の中が複雑になり、決して○と×、あるいは白と黒がすっきりと分けられるものではないとはいえ、このニュースにある「カードで換金」商法は一体どこからどこまでが×なのだろうか。「うまくやったもの勝ち」の風潮の中で僕等はその立ち位置さえ危ういことに気付く。
「カードで換金」商法が急増 発行会社、対策に苦慮 (朝日新聞) - goo ニュース
「カードで換金」商法とは、「客に自社の商品などをカードで買わせ、その代金の8割前後の現金を渡す。業者にはカード会社側から代金が丸々入る仕組み」のものだ。この記事を一読すれば、直感的にこれが×だということは何となくわかる。あきらかにクレジットカードの債権回収システムの穴を利用した、まぁ、ある意味詐欺みたいなものだ。しかしこの仕組み、ここの要素を見ていくと×と言い切れなくなる。
「業者は「即金を求める人の金券を買い戻しているだけ。正当な売買だ」と話す。売買に必要な古物商の許可も公安委員会から得ているという。」という発言に見られるように、もしかしたら一つ一つの部分は合法的なのかもしれない。あるいは、かって光通信がやっていたビジネスモデル、シェア拡大を狙う通信事業者からの奨励金を収益源とし使う気のない顧客にまで携帯の契約をさせ、わずか2~3ヶ月の利用で破棄させるというモデルと何が違うのか。また程度の差こそあれ、それは電気量販店で今も行われているものだ。
また「大阪府内の業者はネット上で注文を受け、「自社製作」のパソコンソフトを販売。25万円分をカードで買えば「キャッシュバック」と称して20万円を返す」というのもある。キャッシュバックキャンペーン自体は決して珍しいものでもないし、仮にそのキャッシュバックの割合が問題なのであれば、一時期はやっていた「教育訓練給付金制度」はなんだったのか。
また仕事を斡旋するために教育ソフトを購入させたり、IT講座に通わせるということなどごく一般的であり、それは必ずしも怪しい事業者だけが行っているわけではない。結局はその提供元がどれだけ信用できるところか、ということなのだ。
しかもこうしたことは何も他人事ではなく、いつ自分達の仕事内容とかかわりを持つかわからない。先ほどの業者がいうように、「即金を求める人の金券を買い戻しているだけ」であれば、これは利用者と業者ともにwin-winの関係であり、利用者が事後、クレジットカード会社に支払いを行っている限り何も問題はない。こうしたwin-winの関係はビジネスの世界では賞賛されるものであり、僕らが少なからず目指しているものだ。
これだけ不透明な世界でどのようにビジネスを行うかというのは、「資本」の論理ではなく「倫理」によってしか保証されないのだろうか。思わずそんなことを考えてしまった。
「カードで換金」商法が急増 発行会社、対策に苦慮 (朝日新聞) - goo ニュース
「カードで換金」商法とは、「客に自社の商品などをカードで買わせ、その代金の8割前後の現金を渡す。業者にはカード会社側から代金が丸々入る仕組み」のものだ。この記事を一読すれば、直感的にこれが×だということは何となくわかる。あきらかにクレジットカードの債権回収システムの穴を利用した、まぁ、ある意味詐欺みたいなものだ。しかしこの仕組み、ここの要素を見ていくと×と言い切れなくなる。
「業者は「即金を求める人の金券を買い戻しているだけ。正当な売買だ」と話す。売買に必要な古物商の許可も公安委員会から得ているという。」という発言に見られるように、もしかしたら一つ一つの部分は合法的なのかもしれない。あるいは、かって光通信がやっていたビジネスモデル、シェア拡大を狙う通信事業者からの奨励金を収益源とし使う気のない顧客にまで携帯の契約をさせ、わずか2~3ヶ月の利用で破棄させるというモデルと何が違うのか。また程度の差こそあれ、それは電気量販店で今も行われているものだ。
また「大阪府内の業者はネット上で注文を受け、「自社製作」のパソコンソフトを販売。25万円分をカードで買えば「キャッシュバック」と称して20万円を返す」というのもある。キャッシュバックキャンペーン自体は決して珍しいものでもないし、仮にそのキャッシュバックの割合が問題なのであれば、一時期はやっていた「教育訓練給付金制度」はなんだったのか。
また仕事を斡旋するために教育ソフトを購入させたり、IT講座に通わせるということなどごく一般的であり、それは必ずしも怪しい事業者だけが行っているわけではない。結局はその提供元がどれだけ信用できるところか、ということなのだ。
しかもこうしたことは何も他人事ではなく、いつ自分達の仕事内容とかかわりを持つかわからない。先ほどの業者がいうように、「即金を求める人の金券を買い戻しているだけ」であれば、これは利用者と業者ともにwin-winの関係であり、利用者が事後、クレジットカード会社に支払いを行っている限り何も問題はない。こうしたwin-winの関係はビジネスの世界では賞賛されるものであり、僕らが少なからず目指しているものだ。
これだけ不透明な世界でどのようにビジネスを行うかというのは、「資本」の論理ではなく「倫理」によってしか保証されないのだろうか。思わずそんなことを考えてしまった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます