何気に建築物とか都市設計のようなものが好きなので、ちょっと興味を引かれて手に取った一冊。五十嵐さんの著書では以前、「過防備都市」を読んだことがある。建築物、例えばオフィスビル1つとってもそこには設計者の様々なコンセプトが注入されている。「せんだいメディアテーク」のコンペにおいても磯崎新の落選案のもつ設計思想についても、現在の過防備という観点からその斬新さについて非常に評価されていた。
本作は、五十嵐さんと磯達雄さんとの共著ということだけれど、リアルな建築の世界がどのように「未来都市」を扱ってきたかを語る部分と小説やSFなどのフィクションの世界がどのように扱ってきたかを語る部分とに役割分担を行っている。そういった意味では、別々な評論が一冊にまとめました、という感じ。それらを横断した「語り」があってもよかったと思うし、それぞれを深堀してまとめあげてもよかったと思う。
また過去がどのように「未来都市」を語ってきたかが中心であり、現在が「未来都市」をどのように語れるかについての記述はない。否、現在が「未来」を語れなくなっている、建築のようなメガストラクチャーが語るべき環境でなくなっているということなのかもしれない。
むしろ「おわりに」の章で触れられているように、「上海」や「ドバイ」など海外はまだ建築こそが「未来都市」を作り上げるものであり、そうした期待が存在しているのかもしれない。
日本やあるいは既に「先進国」と言われている国々では既に都市や国家としての「成長」や「拡大」が頭打ちとなっており、あるいは成長への分野が「ICT」、「ナノテクノロジー」などがハイテク関連、「環境との共存」へと移ろうとしている。「コンパクトシティ」が求められ、ハコモノ行政から「福祉」「環境」へと舵が切られ、メガストラクチャーは大都市における「再開発」くらいなのかもしれない。
そして都心での「再開発」は都市計画や建築にコンセプチュアルなものを求めるというよりは、「テーマパーク性」や「商業性」を求めるようになってきている。
しかし中国やインド、あるいは金融都市・ドバイなどは全く違うのだろう。そこには「成長」こそが未来であり、その象徴として巨大なメガストラクチャーが求められているのだ。かって描かれた「未来都市」はBRICsやドバイでこそ実現される。
では、将来にむけて描かれる「未来都市」とは誰によって描かれるのか。ハリウッドやジャパニメーションにそうした構想力は残されているのか。そうしたところまで問い直して欲しかったと思う。
ぼくらが夢見た未来都市 (PHP新書 676)/五十嵐太郎、磯達雄
![](http://www.php.co.jp/shinkan/ISBN978-4-569-77957-7.gif)
【内容】
上海万博が開幕した。中国が威信をかけた、「より良い都市、より良い生活」がテーマの万博である。
しかし、そこに展示された未来都市像は、どこかで見たことがある。かつて少年向け雑誌のイラストや漫画に描かれた超高層ビル群、エアカー、空中都市……。1970年の大阪万博から40年、未来都市はたいして変わっていない。
「未来」はノスタルジーになったのか?
一方で、現実の上海やドバイの街は、あのころ夢見た未来都市のようだ。
本書では、建築家による未来都市について五十嵐が、フィクションにおける未来都市について磯が執筆。ひとつのテーマを、リアルとフィクションの両面から考察する。
大阪万博へと至る1950~60年代の未来都市への関心の盛り上がり、東京をめぐる未来都市のヴィジョン、ルネサンス期から近代・現代へと至るユートピア、コンピュータの発達による未来都市像の変貌、そして、大阪万博と対照的な形で、愛知万博について論じる。
【目次】
第1章 大阪万博と1960年代
第2章 未来のふたつの顔
第3章 東京をめぐる想像力
第4章 未来都市としての東京
第5章 近代ユートピアの系譜
第6章 ユートピアから科学へ
第7章 アジアとユートピア
第8章 サイバースペースの彼方へ
第9章 21世紀へのヴィジョンと愛知万博
新・都市論TOKYO / 隈 研吾・清野 由美 - ビールを飲みながら考えてみた…
![](http://books.shueisha.co.jp/search/book_image/978-4-08-720426-1.jpg)
過防備都市 / 五十嵐太郎 - ビールを飲みながら考えてみた…
![](http://www.chuko.co.jp/book/150140.jpg)
本作は、五十嵐さんと磯達雄さんとの共著ということだけれど、リアルな建築の世界がどのように「未来都市」を扱ってきたかを語る部分と小説やSFなどのフィクションの世界がどのように扱ってきたかを語る部分とに役割分担を行っている。そういった意味では、別々な評論が一冊にまとめました、という感じ。それらを横断した「語り」があってもよかったと思うし、それぞれを深堀してまとめあげてもよかったと思う。
また過去がどのように「未来都市」を語ってきたかが中心であり、現在が「未来都市」をどのように語れるかについての記述はない。否、現在が「未来」を語れなくなっている、建築のようなメガストラクチャーが語るべき環境でなくなっているということなのかもしれない。
むしろ「おわりに」の章で触れられているように、「上海」や「ドバイ」など海外はまだ建築こそが「未来都市」を作り上げるものであり、そうした期待が存在しているのかもしれない。
日本やあるいは既に「先進国」と言われている国々では既に都市や国家としての「成長」や「拡大」が頭打ちとなっており、あるいは成長への分野が「ICT」、「ナノテクノロジー」などがハイテク関連、「環境との共存」へと移ろうとしている。「コンパクトシティ」が求められ、ハコモノ行政から「福祉」「環境」へと舵が切られ、メガストラクチャーは大都市における「再開発」くらいなのかもしれない。
そして都心での「再開発」は都市計画や建築にコンセプチュアルなものを求めるというよりは、「テーマパーク性」や「商業性」を求めるようになってきている。
しかし中国やインド、あるいは金融都市・ドバイなどは全く違うのだろう。そこには「成長」こそが未来であり、その象徴として巨大なメガストラクチャーが求められているのだ。かって描かれた「未来都市」はBRICsやドバイでこそ実現される。
では、将来にむけて描かれる「未来都市」とは誰によって描かれるのか。ハリウッドやジャパニメーションにそうした構想力は残されているのか。そうしたところまで問い直して欲しかったと思う。
ぼくらが夢見た未来都市 (PHP新書 676)/五十嵐太郎、磯達雄
![](http://www.php.co.jp/shinkan/ISBN978-4-569-77957-7.gif)
【内容】
上海万博が開幕した。中国が威信をかけた、「より良い都市、より良い生活」がテーマの万博である。
しかし、そこに展示された未来都市像は、どこかで見たことがある。かつて少年向け雑誌のイラストや漫画に描かれた超高層ビル群、エアカー、空中都市……。1970年の大阪万博から40年、未来都市はたいして変わっていない。
「未来」はノスタルジーになったのか?
一方で、現実の上海やドバイの街は、あのころ夢見た未来都市のようだ。
本書では、建築家による未来都市について五十嵐が、フィクションにおける未来都市について磯が執筆。ひとつのテーマを、リアルとフィクションの両面から考察する。
大阪万博へと至る1950~60年代の未来都市への関心の盛り上がり、東京をめぐる未来都市のヴィジョン、ルネサンス期から近代・現代へと至るユートピア、コンピュータの発達による未来都市像の変貌、そして、大阪万博と対照的な形で、愛知万博について論じる。
【目次】
第1章 大阪万博と1960年代
第2章 未来のふたつの顔
第3章 東京をめぐる想像力
第4章 未来都市としての東京
第5章 近代ユートピアの系譜
第6章 ユートピアから科学へ
第7章 アジアとユートピア
第8章 サイバースペースの彼方へ
第9章 21世紀へのヴィジョンと愛知万博
新・都市論TOKYO / 隈 研吾・清野 由美 - ビールを飲みながら考えてみた…
![](http://books.shueisha.co.jp/search/book_image/978-4-08-720426-1.jpg)
過防備都市 / 五十嵐太郎 - ビールを飲みながら考えてみた…
![](http://www.chuko.co.jp/book/150140.jpg)
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