今年度も前半の終わりが見えてきたということで、修正事業計画のための資料作りがスタートした。法人相手の営業部門ということもあって、顧客ごとに「戦略プラン」を立てているのだけれど、当然ながらお客さんの業種は多岐に渡るし、業績も様々だし、おつきあいの深さもマチマチということもあって、これまでは報告の様式は「フリーフォーマット」だった。
記載する内容は、特に指示がなくても、必要なことを絞っていけば何となく決まってくるのだけれど、書き方が「自由」ということは、同じ項目の下で書いていたとしても、書き手によって「メッセージ」の表われ方が全く違ってくるということだ。
それが今回、企画部から「様式」の指定があった。
で、この報告の「様式」・「フォーマット」を決めるということについて、ちょっと考えてみた。
もちろんフォーマットが統一されていなくたって報告する「項目」があっていればいいんじゃないか、という考え方もある。しかしこれはそうではない。「フォーマット」を統一するというのは、単に報告する項目があっているというのとは違う。それ以上の効果がある。
そもそも会議体への付議資料や営業などの活動資料、戦略プランなど、報告書のフォーマットを統一することのメリットとは何だろう。それは組織としての「意思決定」を迅速化し「意思統一」をしやすくするのだ。
報告を受ける側、経営者や幹部層には様々な報告が上がってくる。投資判断を求めるものや月例の営業報告、プロジェクトの進捗結果などなど。営業報告などでも複数の事業部が存在していればその単位で報告があるだろうし、部門別や顧客別に管理していることもあるだろう。
そうしたものがそれぞれ独自の様式で報告が上がってくれば、当然、「視点」が異なることになる。ある部署は「売上」を中心に報告をしある部署は「利益」ベースで報告するかもしれない。「粗利」で報告するものもあれば、一人当たりの「生産性」を述べるところもあるかもしれない。特定の顧客や案件の重要性を説く人もいるかもしれないし、潜在的な可能性に重きを置く人もいるかもしれない。
部下から上司に対しての報告であれば、部下としては自分に有利な形での報告をしたくなるだろう。しかし上司の側からすると異なるポイントで報告されても、他の報告・事案と「比較」することができない。客観的にその報告内容の評価ができなくなる。
組織全体の戦略やそれに基づく「指標」を明確にし、個々の事案がそれに対してどのように貢献しているか、進捗しているかを判断するために、「様式」をあわせることはてっとり早い方法なのだ。
また報告をする側、実行部門や担当者にとってもメリットはある。
まず資料作成が効率化される。当然、個々の事案で報告する内容が違えばそれを伝えるための「表現」の仕方は違ってくるし、報告を受ける側によって図やグラフを好む人もいれば必要なポイントを簡潔に箇条書きで求める人もいる。論理的であることを求める人もいれば、見た目などの感覚的な要素を求める人もいる。自分が報告するとは限らないから、報告者の好みが反映される場合もある。
そうしたことを鑑みて報告資料を作成するというのは意外と手間だ。
しかし「様式」が決まっていればそうしたことに煩わされる必要はない。形が決まっているということは、そこで報告するポイントも決まっている。そのポイントにしたがって記載していけば、自ずと上司にとっての判断ポイントが整理されることになる。(そうした「様式」でなければならないわけだけど)
それだけではない。そうした「視点」の整理された「様式」を使うことで、現場や担当者にとっても経営者や幹部の求めている視点や戦略が理解され、メンバー間での共通認識・共通言語となりやすい。組織内が同じ視点の下に行動すれば意思決定も迅速になるし、戦略の実行についてもブレがしょうじにくくなる。
ただしこうしたアプローチは当然ながら、個々の案件・事案での「想い」が伝わりにくくなる。
現場としてはどのように進めたいのか、どれだけ可能性のある案件・顧客なのか…上からの指標では測れないような現場の「想い」、現場だからこそ「わかっていること」を反映させる余地が少なくなるからだ。
あるいは自己アピールの強い人にとってももの足りないかもしれない。「俺はこんなにやっているんだー」というアピールも、様式が決められてしまえば、他者と客観的な土俵の上での判断となってしまう。
現場の担当者からすると、こうした状況は多少寂しいものかもしれない。だが、経営全体という観点からはやはりまっとうなのだろう。それを「これじゃぁ、俺の『想い』が伝わらない」「この事案ではこの様式は合わない」として、みんなが勝手にカスタマイズをかけていくと、個別の報告としては適切なのかもしれないが、全体最適とはならない。
それは現場を分かっていないというのではなく、組織としての全体最適をはかるための方法論なのだから。
事案特有の「個別性」のようなものは、別添や補足資料のような形で報告し、原則は組織としての意思統一のしやすい「様式」で報告することが必要なのだろう。それを勝手に様式を変えたり、2枚で済む報告を10枚のてんこもりの資料にするというのは、現場の「勘違い」「わがまま」なのだ。
記載する内容は、特に指示がなくても、必要なことを絞っていけば何となく決まってくるのだけれど、書き方が「自由」ということは、同じ項目の下で書いていたとしても、書き手によって「メッセージ」の表われ方が全く違ってくるということだ。
それが今回、企画部から「様式」の指定があった。
で、この報告の「様式」・「フォーマット」を決めるということについて、ちょっと考えてみた。
もちろんフォーマットが統一されていなくたって報告する「項目」があっていればいいんじゃないか、という考え方もある。しかしこれはそうではない。「フォーマット」を統一するというのは、単に報告する項目があっているというのとは違う。それ以上の効果がある。
そもそも会議体への付議資料や営業などの活動資料、戦略プランなど、報告書のフォーマットを統一することのメリットとは何だろう。それは組織としての「意思決定」を迅速化し「意思統一」をしやすくするのだ。
報告を受ける側、経営者や幹部層には様々な報告が上がってくる。投資判断を求めるものや月例の営業報告、プロジェクトの進捗結果などなど。営業報告などでも複数の事業部が存在していればその単位で報告があるだろうし、部門別や顧客別に管理していることもあるだろう。
そうしたものがそれぞれ独自の様式で報告が上がってくれば、当然、「視点」が異なることになる。ある部署は「売上」を中心に報告をしある部署は「利益」ベースで報告するかもしれない。「粗利」で報告するものもあれば、一人当たりの「生産性」を述べるところもあるかもしれない。特定の顧客や案件の重要性を説く人もいるかもしれないし、潜在的な可能性に重きを置く人もいるかもしれない。
部下から上司に対しての報告であれば、部下としては自分に有利な形での報告をしたくなるだろう。しかし上司の側からすると異なるポイントで報告されても、他の報告・事案と「比較」することができない。客観的にその報告内容の評価ができなくなる。
組織全体の戦略やそれに基づく「指標」を明確にし、個々の事案がそれに対してどのように貢献しているか、進捗しているかを判断するために、「様式」をあわせることはてっとり早い方法なのだ。
また報告をする側、実行部門や担当者にとってもメリットはある。
まず資料作成が効率化される。当然、個々の事案で報告する内容が違えばそれを伝えるための「表現」の仕方は違ってくるし、報告を受ける側によって図やグラフを好む人もいれば必要なポイントを簡潔に箇条書きで求める人もいる。論理的であることを求める人もいれば、見た目などの感覚的な要素を求める人もいる。自分が報告するとは限らないから、報告者の好みが反映される場合もある。
そうしたことを鑑みて報告資料を作成するというのは意外と手間だ。
しかし「様式」が決まっていればそうしたことに煩わされる必要はない。形が決まっているということは、そこで報告するポイントも決まっている。そのポイントにしたがって記載していけば、自ずと上司にとっての判断ポイントが整理されることになる。(そうした「様式」でなければならないわけだけど)
それだけではない。そうした「視点」の整理された「様式」を使うことで、現場や担当者にとっても経営者や幹部の求めている視点や戦略が理解され、メンバー間での共通認識・共通言語となりやすい。組織内が同じ視点の下に行動すれば意思決定も迅速になるし、戦略の実行についてもブレがしょうじにくくなる。
ただしこうしたアプローチは当然ながら、個々の案件・事案での「想い」が伝わりにくくなる。
現場としてはどのように進めたいのか、どれだけ可能性のある案件・顧客なのか…上からの指標では測れないような現場の「想い」、現場だからこそ「わかっていること」を反映させる余地が少なくなるからだ。
あるいは自己アピールの強い人にとってももの足りないかもしれない。「俺はこんなにやっているんだー」というアピールも、様式が決められてしまえば、他者と客観的な土俵の上での判断となってしまう。
現場の担当者からすると、こうした状況は多少寂しいものかもしれない。だが、経営全体という観点からはやはりまっとうなのだろう。それを「これじゃぁ、俺の『想い』が伝わらない」「この事案ではこの様式は合わない」として、みんなが勝手にカスタマイズをかけていくと、個別の報告としては適切なのかもしれないが、全体最適とはならない。
それは現場を分かっていないというのではなく、組織としての全体最適をはかるための方法論なのだから。
事案特有の「個別性」のようなものは、別添や補足資料のような形で報告し、原則は組織としての意思統一のしやすい「様式」で報告することが必要なのだろう。それを勝手に様式を変えたり、2枚で済む報告を10枚のてんこもりの資料にするというのは、現場の「勘違い」「わがまま」なのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます