まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

徳冨蘆花と徳富蘇峰

2018年02月18日 | 歴史

遠くに薄っすらと富士山が見えますね。
もっと近くで見たいものです。
大昔に一度、富士山に登ったことがありました。
あと少しというところで、野宿して次の朝、頂上に行くはずでしたが、もう登りたくないと言って泣いて帰ってきました。
登山は本当に苦手です。
小説「不如帰(ホトトギス)」を書いた徳冨蘆花(ろか)は、キリスト教の信仰を捨てていましたが、富士山に登り死にそうになりました。
そして、信仰を回復させたのです。
兄の徳富蘇峰(そほう)は、信仰を捨てたままでした。
大人になってから仲の悪い兄弟でしたが、蘆花が亡くなる前に和解しました。
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窓税

2018年02月09日 | 歴史

イギリスでは155年間、窓に税金がかけられていたので、多くの家では窓を塞いでいました。
スポルジョンが子供の頃、おじいさんの家では、多くの窓が塞がれていたので、暗くて湿っていて悪寒がしたそうです。
隣にある教会は、絵を見ると窓が全部使われていました。
1851年位廃止されました。
日本には、江戸時代間口税というのがあり、玄関の広さで、税金が決まりました。
だから、京都では、奥行きのある町屋スタイルになったそうです。
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失われた10部族

2017年10月23日 | 歴史

今連載している連載漫画「海を越えて」の中に描きましたが、明治初期にマックレオドというスコットランドの商人が、日本の歴史や祭りや伝統などを調べて「日本の古代史の歴史」という本を横浜で出しました。
その中に、他のアジアにはないユダヤの風習が日本に残っているのは、イスラエルの失われた10部族は、日本人ではないかと書いたのです。
西洋では、相手にされませんでしたが、1901年に出された「ユダヤ大百科事典」に、そのことが載せられました。
ルーマジア人のイリエ・コロアマさんは、1940年生まれですが、1932年にお母さんが乳癌によって死にそうになったのです。
しかし、死の直前に、神様によって奇跡のいやしを体験されました。
その時、4つの預言をお母さんがされたのです。
1932年というと、日本人によって満州国が出来た年です。
日本が、戦争に負ける。
戦後、発展して経済で、トップになる。
日本人は、失われた10部族だ。
最後のリバイバルは、日本から起きる。
という内容です。
イリエさんは、8歳の時から、日本のために祈って来た方です。
昔お世話になった牧師さんは、日本人ユダヤ人説を信じていらっしゃいました。
面白いですね。

コメント (2)
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西郷隆盛が聖書を!

2017年08月06日 | 歴史

今日は、月に一度の東京カリスマ聖会です。
6時から、新宿のホテル・ハイアットリーゼンシー東京の地下一階です。
ところで、某キリスト教大学の歴史の先生は、勝海舟と西郷隆盛はクリスチャンだったと言っていらっしゃるそうです。
勝海舟は、ずっとクリスチャンを助けて来た方であり、子供や孫たちの中にもクリスチャンがいます。
本人も、亡くなる少し前に受け入れたという手紙が残っています。
西郷隆盛の「敬天愛人と聖書展」があったように、クリスチャンだったと言われています。
民衆に、聖書を教えていたと言われ、先祖がそれを学んでいたと言う方もいます。
無血開城の話し合いの時には、その背後にキリスト教の教えがあったのです。
西郷が、西南戦争で自害した後、勝は密かに西郷の記念碑を建てています。
後年、西郷の名誉が回復された時、記念碑を立てようと言う話が持ち上がりました。その時、勝は「もう建ててあるよ。」と言ったのです。
西郷の子供のためにも、勝は尽力しました。
興味あるい話ですね。
写真は、大好きなくら寿司のカレーうどんです。
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十字屋の原胤昭

2017年03月17日 | 歴史

日本初のクリスマカードは、明治15年のリバイバルの時、銀座の十字屋が作りました。
今も十字屋は、ありますが、最初の創設者である原胤昭が、ミロル宣教師に勧められてクリスマスカードを作ったそうです。
明治7年に、お店を開いたときは、絵草紙とキリスト教の本を売っていました。
聖書は、ほとんど売れなかったそうです。
しかし、リバイバルの時には、聖書が飛ぶように売れました。
原は、幕末時代、今の警察のキャリア組である与力に13歳でなりました。
お姉さんが、平田神道の家に嫁いでいて、そこに国禁の書がいろいろあったので、内緒で借りて聖書も読みました。
明治の初めに洗礼を受ける時は、「警察に捕まっても、命が危なくても受けますか?」という質問に答えてから受けたそうです。
政府に批判的な自由党員の似顔絵を配ったという理由で、捕まりかつて自分が働いていた石川島に送られます。
そこで、チフスになり死線を越えますが、その経験から、刑務所の改善のために生涯を捧げる者となりました。
人生は、何が転機となるか分からないものですね。
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