まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

少年マガジン

2018年12月10日 | まんが

骨董品屋をのぞいたら、1970年の少年マガジンが並んでいました。
もしやと思い、中を見たら「巨人の星」と「あしたのジョー」と一緒に、私がアシスタントをしていた先生の作品が載っていました。
まだ私が、アシスタントになる前の作品だと思います。
それでも、懐かしいなーと思わず見てしまいました。
びっくりです。
写真は、高円寺の夜景です。
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エリザベス・サンダース物語

2018年12月10日 | Weblog

ノーベル書房・大南勝彦さんの「エリザベス・サンダース物語」を読みました。
三井グループの三井高国が、イギリスで生まれた時、乳母となったのが、エリザベスです。
大正二年、父親の三井高精(たかきよ)が、日本に帰る時、一年という約束で乳母のエリザベスも43歳で日本にやってきました。
しかしそのまま、エリザベスは日本に残り、76歳で亡くなるまで一度もイギリスに帰りませんでした。
母親が早くに亡くなったこともあり、高国はエリザベスを母親のように慕って暮らしました。
高国が、成長して恋人となったのが、吉村チエでした。
チエのおじいさんは勝海舟の弟子で、勝と一緒に咸臨丸に乗ってアメリカにも行っています。
母親も、勝の家で働いていました。
チエの兄の名前は圓(まどか)と言って勝海舟が付けたそうです。
もともと知り合いだった高国とチエが仲良くなったダンスホール「フロリダ」は、日本にタンゴを広めた勝の孫の目賀田綱美です。
面白い出会いです。
しかし高国とチエは、身分違いで結婚できませんでした。
高国は、同じ男爵の娘と結婚しますが、その妻は数ヶ月で結核のために亡くなってしまいます。
その後、高国とチエを助けていたのが、エリザベスでした。
チエの姉の夫は、イギリス人だったので、姉妹とエリザベスと高国は、深い絆で結ばれました。
しかし、第二次世界大戦の中、姉の夫はイギリスに帰り敵国人になり、エリザベスには見張りがつきました。
戦争が終わり、高国が肺結核で若死にした年に、エリザベスも大腸癌で亡くなっています。
その時、エリザベスが残した財産が昭和21年で5万円でした。
大雑把に計算して、今の2500万円くらいだと思います。
高国とエリザベスを看取ったチエ姉妹は、赤ん坊だった高国を愛し生涯を捧げたエリザベスの遺産を子供達のために使いたいと望みました。
その話を、知り合いから聞いた聖公会のポール・ラッシュが、旧財閥岩崎家の娘だった沢田美喜に
伝えました。
ポール・ラッシュは、八ヶ岳を愛しキープ協会を作った人です
沢田美喜は、占領下の日本にたくさんいた混血の孤児たちのための孤児院を作るようにと神様から示されていました。
しかし、資金不足で困っていた時に、エリザベスの遺産が与えられたのです。
それで、エリザベス・サンダースホームという名前が付けられました。
漫画プロテスタント史「荒野で叫ぶ者の声」を描くときに、大磯にある沢田美喜記念館に取材に行ったことがあるので、読みながら感慨深く感じました。
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