今日会った仕事先の人に言われた。
「落ち着きました?」
弟と遺産でもめることもなかったし、銀行等、役所等への届けもすんだから、落ち着いたと言えば落ち着いているのだろう。
でも気持ちは全然落ち着かない。そして全然哀しみも癒えない。
今、この時にも、わたしと同じ境遇の人は何人もいるだろう。
私一人だけがそうではないと思っても、ふとした時に涙がこぼれる。
今、鬱の薬が切れている。
もう2週間になるので、その副作用も相まって、涙がでるのだろうか。
ただひたすら寂しい。
家へ帰るのが怖い。
一人になるのがつらい。
それらがなくなった時、初めて落ち着いたと言えるのではないだろうか。
昨日、弟が自分の家の近くの空きマンションのパンフレットを持ってきてくれた。
知り合いの不動産屋さんに頼んでくれたのだ。
こちらの希望額でも、結構、たくさん空きマンションがある。
弟の住んでいるマンションの隣の部屋も空いていた。
日当たりはいいが、4階でエレベーターなし。
却下。
この辺りはライフタウンといって、1つの街ができている。
最寄りの駅へはバス利用となってしまうが、買い物等は全部この街で済ませられるので、生活には便利なところだ。
日曜日に物件を見に行くことになった。
今の家からは一日でも早く引っ越したい。
今日も家へ帰るのが嫌でしょうがない。
この家を出ようと思う
私一人には広すぎて
思い出も多すぎて
家へ帰りドアをあけると
「孤独」という名の部屋が待っている
それは声を上げて泣ける部屋
今の私には必要な部屋
それでも家を出ようと思う
そしてたとえ一人でも
これからの思い出は
一人で作らなければならないのだから
涙が枯れるなんて嘘
あとからあとから湧き出てくる
時にはじんわりと
時には嗚咽となって
そして私は自分の声を
泣く時以外聞かなくなった
いつも母とおしゃべりしているわけではなかった
二人でいても
黙ってTVをみていることも多かった
でも一言、二言、何かの話をし
私は声を出していた
深夜TVを見ていてふとした時に笑った
自分の笑い声を聞いた時の驚き
私にもまだ
こんな声が残っていたのか
そしてまた涙が出てきた
でもいつかきっと
普通に笑える日がくるだろう
まだその時ではないだけ・・・
朝、
早く目覚める
すぐにベッドから起きられる
新しい一日を
早く始めたいのか身支度も早い
朝食をきちんと食べ
両親に「いってきます」という
もちろん返事はないけれど
必要以上に戸締りを確認
バスに揺られて駅まで
電車でもまれて会社まで
会社へ着くとすぐに仕事
そうすればまたいつもの一日
違うのは
目を閉じれば涙が出てくるということだけ
「夢」というとなんとなくロマンチックな感じがする。
将来の夢、希望、願い、理想など・・・。
でも古代中国では文字として分解するとそんな甘いものではない。
まず、上の部分は音を表す字となり、下の「夕」は夜の暗さを表す。
つまり暗い中、人の脳裏に浮かぶのが本来の「夢」
そして、古代中国では日常生活から国の政治まで、大きな影響力を持っていた巫女が、呪術をつかって呪いを、その対象となる人にかけ、その結果見るのが「夢」だと考えられていた。
特に国家間の紛争があるときは、巫女がまず敵国に「夢」で呪いをかけるのが常だったそうだ。
たしかに語源は「寝目(いめ)」で寝ている時に見るものという意味で、その夢に現れた人を夢人といい、夢合わせ=夢占いのこと。
だから夢に出てくる人は大きな意味をもつ存在だったのだろう。
現実では会えない人、人目をはばかる人が夢路をたどって会いにくるともいわれていた。
手の届かないところにいるひと、すべてが夢人・・・。
父も母も夢の中に現れてきてくれない。
私もそのほうがいい。
今は夢人に会う方が哀しいから。
昨日、電車でもうすぐ下車駅に着くという時に急ブレーキがかかり、車内灯が消え非常灯だけがつく状態になった。
なんでも線路内に人が立ち入ったので、その確認作業をしているらしい。
暗くなったので本も読めず、たぶん10分くらいだったと思うが、イライラしてしまった。
乗客はここぞとばかりに携帯を取り出す。
携帯の明かりが顔を照らし、暗闇の中で懐中電灯で顔を照らして遊んだのを思い出してしまった。
地元のデパートで夕食のおかずを買おうと思っていたので、時間的に焦る。
ようやく駅に着き、デパートへ急ぐ。
もうおかずやお弁当の投げ売りが始まっていて、人がわんさか集まっている店もある。
その輪の中に入れず一回りして、すいている店(なだ万)でおかずの詰め合わせを買った。
疲れてしまっていたのと早く帰りたいのとで、よく選ばなかったけれど、美味しそうだったし安くなっていたし・・・(と言い訳タラタラ)
2つで1700円もすれば結構高い部類に入る。
でも母は何も言わず、美味しい美味しいといって全部食べてくれた。
確かに味はよく、どれも美味しかったので無駄は出なかった。
でも家計を考えるともっと安いのにしなければならなかった、と深く反省。
そのあと、店内を一回りし、漬物や納豆やら目につくものを少々買う。
あ、酢もなかった。そういえばすりごまが欲しかったんだ。
と買ったはいいが、後で考えると、酢を使う料理なんかこのところ全然やっていないじゃないか。すりごまも前に買ったのがそのまま残っていた。
まったくにわか主婦は経済的観念がなくてだめだな。
今日は電車でパニクッたからしょうがないと、妙な諦め方をする。
次こそはきちんと安い店でおかずを買おうと深く心に決めた。
一昨日から、家へ帰っても異常な疲れを感じ、ついに昨日ダウン。
初仕事は2日しかできなかった。
休みすぎたから身体がついて行かなかったのだろうか。
とにかく、食事の後片付けもできないで、ソファでしばらく寝てしまった。
11時半頃ようやく疲れも取れかけてきたので、食事の後片付けをし、そしてベッドへと。
次の日(昨日)は普通に起きたのだけど、朝食をとったあと、また異常な疲れを感じてソファでダウン。
会社へ行きたくない病が出てきたのだろうか。
急ぎの仕事もなかったので、休むことに決めた。
具合が悪くて休んでも、母は足が痛いというので、結局家事はしなくてはならない。
昼食、夕食と作って、片づけて・・・・。
いったい何のために休んだのだろう。
ただただ会社へ行きたくなかっただろうか。
それすらもわからなくなってしまった。
そして、また、夕食後は疲れがでてすぐに片づけられなかった。
なんだか怠け者になってしまったようだ。
そして今日は病院へ。
喘息のほうの病院なので午前中で終わる・・・はずが、やはり点滴になってしまった。
ピークフローも280~290、ゼイゼイ、ヒューヒュー喉がなっていればこの処置になってしまうのは当たり前。
薬をもらい、途中法務局へより、会社へ着いたのは午後2時近かった。
点滴のおかげで胸が苦しくなくなったので、仕事もはかどる。
あと2時間仕事をすれば今日は帰れる。
でも今日の夕食は何を買っていこうかな。
いったい私は会社に何をしにきているのだろう。
まったく、夕飯の買い物ついでに会社へ来ているようだ。
でもやることはやっているから・・・と自分で自分を慰めている。
1月4日、神田明神へ初詣。
前の黒いのがひとだかりで、本殿はまだまだ遠い。
御茶ノ水駅を出てからもうすごい人出で、入口へ入るのに、入り口を通りこして人の列が続き、ワンブロックあたりから、ようやく折れ曲がっていた。
いったいいつつくのやら・・・。
それでもなんとか本殿で、商売繁盛をお祈りして、裏口から上野広小路へ出る。
この写真より、きょう(5日)の朝日新聞朝刊にもっとちゃんとした写真が載っているので、それを参照してね。
そこでようやく昼食。
今日は昼間から飲むぞうーーーと意気込んで、「梅の花」に入る。
ここはお豆腐料理の店だから、そんなにおなかにもきつくないと思っていたが、なんとなんと、全品(一応フルコースを頼んだ)食べきれず、残してしまった。残念しきり。
そのあと、夕食の買い物をすませ、家へ帰ったけれど、疲れと寒さから、胃が痛くて夕食もあまり食べられず、ずっとおなかを抱えて寝ていた。
ようやく今日は治り、仕事始め(家で)ということで、仕事を広げたが、なんとなく気分的にまだお正月。
全部できなかった。
明日頑張ろう!
というより、どうしてこんなタイトなスケジュールなんだろう。
家事もあるので、今年は忙しいお正月だ。
今日のお昼はお汁粉。
練あんを買ってあったので、お湯でのばして塩を足して味を調える。
途中で味見ばかりしていたので、食べるときには味が分からなくなってしまった。
昨日、皆でおせち料理を食べたので、今日が2日目のような気分。
でももう、何もしないうちに3日が経っている。
仕事をしようかとおもったけれど、ついつい「相棒祭り」を見ながら昼寝をしてしまった。
仕事はやっぱり4日からにしよう。
三が日は休まなくては。
年の初めから自分に言い訳している。
年の初めがこんなんじゃ、きっと今年も先が思いやられる。