喪中のはがきを出してから、「御仏前」の現金書留が2通きた。
そして昨日は母の友達で、私の小さいころ前橋で一緒だった方から電話がきた。
私は小さかったので覚えていないけれど、あちらは小さかった私を覚えてくれていて、そして母とは仲が良かった人だ。
母にとっても、その方にとってもあの頃が一番楽しかったときだったらしい。
子どもたちが学校へ行ってから、近所の奥さんたちとコーラスの練習をしたりしていた仲間だったそうだ。
母が亡くなる前にも、電話で話をしたばかりだったという。
そういえば、母も亡くなる数週間まえから、その時代の話ばかりしていて、楽しそうだった。
わたしにしてみれば、またその話と思ったけれど、一番楽しい時代だったのだろう。
友達の不幸の知らせを受け取るのはとても悲しいことだと思う。
私も去年、友達の亡くなった知らせをうけ、お香典を送り、彼女のお姉さまと電話で話したことがあった。
共通の悲しみは、話すことである意味、少しその悲しさを少し和らげてくれるような気がする。
生前の楽しかった思い出話をすることができると、亡くなったという現実を、きちんと受け止めることができるような気がする。
私の知らないところで元気な笑顔を見せていただろう母。
電話をもらってそんなことを考えていたら、また涙がこぼれた。
私がいつも乗るバス停。
松葉町五丁目。
ケヤキ並木がずっと続き、垣根は赤く紅葉していて。
この並木道は松葉1丁目から7丁目までずっと続いている。
まっすぐな一本道。
柵の向こう側は川が流れている。
いつも走ってバス停に行く。
もうちょっと早く、1~2分早くでれば、いいのにね。
でも、バスも平気で遅れてくる。
だから時刻表があってもないようなもの。
通勤時間帯はたくさん出ているので、いつ行ってもバスに乗れる。
バスを待っていると、犬の散歩の人や、ウォーキングの人も通る。
これから会社へ行かなければならない人にとっては、うらやましい人々。
おとといの送別会で、何の仕事をしているか聞かれたので、パズルの編集といったら、証拠をみせろ(?)ということで、昨日、会社終わりに、古紙化する予定のパズル誌を持って行った。
昨日は、お弁当を買っていったので、荷物をおいてすぐ帰るつもりだったが、つい、ビールを一杯頼んでしまった。
そしたら、持ち込みOKということで、カフェでお弁当を開けてしまった。
お昼に天ぷらうどんを食べたので、胃がまだもたれているのに、なんで「から揚げタルタルソース弁当」を買ってしまったのだろうと、思っていたので、スタッフにも一緒に食べてもらった。
お客様はウィング席のほうに数人いただけなので、こちらからは見えない。
まかないの黒豆ご飯をもらって、私はそれだけでおなか一杯。
から揚げやら、なんやら、お弁当の中身は皆でつついてもらった。
そして私は、どさくさまぎれにビールをもう一杯。
しばらくしたら、木曜日だけのワンプレート・ランチを担当する姉妹が、材料を置きに来た。
風のように入ってきて、風のように去っていったが、明るい二人なので楽しい。
今日は、近くの中学の職場体験だそうだ。
男子4人くるそうだ。
ワンプレート・ランチを手伝ってもらう予定。もちろん、ホールの注文取りと皿洗いも。
いったい、あの狭い厨房に何人が入るのだろうか。
戦争になっていそうな気がする。
ほぼ毎日、フェイスブックにコミュカフェとして発信しています。
ご縁カフェ「まつばR」で検索してください。
先日の送別会での写真もあり、私の駆けつけスピーチの写真も載っています。
フェイスブックに入っていなくても、観ることはできます。
よろしかったら、覗いてください。
だんだん、地域密着型になってきました。
日曜日の出番の時、カフェに時計を置いてきてしまった。
月曜日が休みだから、昨日、速攻で会社をでて取りに行った。
ついでにご飯でも食べようかなと思いながら。
カフェは明るく、中には人がいっぱい。
この時間で?
しかも貸切?
だけど時計をとってこなくてはならない。
思い切ってドアを開けると・・・・・・身内だけだった。
そうか、今日は週の前半を受け持っている、もう一人のシェフの送別会だったのだ。
昼間からやるので終わっていると思ったのだけど、営業を早く終わらして、それから始めたらしい。
よかった、最後に会えて。
シフトの関係で、一緒に仕事はしたことがなかったけれど、ふくよかな優しい人だった。
何があったのか、まだ3か月しか経っていない。
個人的なことかもしれないので、あまり深くは聞いていない。
お料理もまだ残っていて、ビールをもらって、すぐに私も参加。
そして駆けつけてすぐに、マイクを持たされた。
スピーチをしろってこと?
ここは無茶ブリが多い。
私の後に、やはり都内で仕事をしているスタッフが駆けつけてきた。
彼はちゃんとお花を買ってきてカブをあげていた。
主賓が帰ったあとで、年末年始の予定について喧々諤々。
年末は28日まで普通営業。
そして、カウントダウンにも参加。
この一帯(私の住んでいる5丁目)の町内会で、毎年カウントダウンをやるらしい。
甘酒やら何やらだして。
それに便乗しようということになったけれど、何時からやったらいいかとモメモメ。
ここのカフェは、一人暮らしで行くところのない人が集まるコミュニティをも目的としているので、早めから開けたほうがいいという意見。
22時頃からでいいという意見。
私にとっては、行くところのない人だから、どっちでも参加可能。
年明けは7日からというのは決まったらしい。
今度テレビが入るらしい。
とにかく、集まって飲むのが好きな人たちがスタッフ(おじさんたち)のため、何かというと理由をつけて飲んでいる。
それでも楽しいお酒だから、私もちゃっかり混ざっている。
前の家だったら、一人ぼっちで年越しをして一人正月だっただろう。
ここに越してきてよかったと、しみじみ感じた。
年賀欠礼のはがきをようやく出し終えた。
と入れ違いに訃報が届いた。
大学をでて最初に就職した設計事務所で、私が秘書をやった専務だった。
98歳というご高齢だから、大往生かもしれないが、やはりさびしい。
2年に1度開催される、OB会にも、去年はいらっしゃらなかったけれど、その前まではお元気で参加されていた。
秘書といっても、そういう専門コースを出たわけではないので、本当に言われたことしかできなかったので、OB会のときに、ご迷惑をおかけしたのではないかと、今頃になってお詫びをしたほどだった。
タバコが好きで、飄々とした感じの方だった。
毎年年賀状をいただくが、去年に限って、ご自分で書かれた文字のようで、小さく震えた文字だった。
今まではパソコンでどなたかが(ご自分かも)宛名を印刷されていたものだったけれど、去年だけはちがった。
たぶん直筆だろう。
仕事のことで一番よく覚えているのは、リストラを行った時だった。
世間がそういう風潮で、組合こそあったけれど、会社には逆らえず、年齢のいった方から、本当に肩たたきをしたのだ。
そして、その人を呼びに行くのが私の仕事だった。
専務室で話し合いが行われている間は、私は部屋の中に入らず、休憩室で待っていた。
嫌な役目だった。もちろん告げるほうは、もっと嫌だったことだろう。
そんな思い出もあり、こんな私を働かせてくれた会社の上司だということで、やはり私には忘れがたい方の訃報だった。
合掌
日曜日の夜は身体全身がいたくて疲れているのに眠れない。
これは、カフェで働いていたからなのだ。
土日の要員がいなくて、私にいつもお鉢が回ってくる。
きのうは、朝10時から4時までだったのだけど、4時の人がなかなかこなくて、そのうち団体さんが入ってきたりで、帰る時を逸してしまった。
勤務予定表をみると、4時からの人とは誰もいなかったらしく、男性スタッフとだけなっていて、来たのはなんと理事長自らだった。
ちょっと残業して、一段落するまでいることにした。
そうするとまた、別のお客様がきたりで、本当にラストまでになってしまいそうだった。
月曜日から普通に仕事があるので、8時までやると後片付けなどやら何やらで8時30分くらいになってしまう。
心を鬼にして、7時で上がらせてもらった。
帰ろうとしたら、お店のおごりで、ボジョレーヌーボーを飲んでいけと言ってもらえたので、そこは時間外労働の賃金代わりに、快くごちそうになった。
帰りに近くのスーパーで、もう疲れていたのでお寿司を買って帰ることにした。
会計をすまし、袋に買ったものを入れていたら、目の前にさっきまでお客様でいらした人がいた。
ちょっとお話をすると、本当は先に買い物をするはずだったのだけど、ついついお酒のほうに先に行ってしまったそうだ。
家へ帰り、ご飯を食べながら、大河ドラマを観る。
久しぶりにOn Timeで観る。
そのあとボーッツとテレビを観てからお風呂に入って寝る準備。
12時にはベッドに入ったけれど、身体全身が疲れていて痛くて悶えながら寝る。
やっぱり日曜日勤務はつらいわ。
朝からだったし、そのうえ土曜日も4時から8時まで出ていたし。
でも、いろいろな人と話ができるから結構面白い。
しかし月曜の朝はつらい。
朝ごはんを食べる気にもならず、温泉卵1個と野菜ジュースのみ。
身体が疲れているし眠いし、休みたいけれどそうもいかない。
来週はドアの塗装と美容院へ行くので土日はお休み。
久しぶりの休暇ってこと。
その時間を使ってお歳暮を買ったりしなくてはならない。
結構家の中も雑然としてきたので、掃除もしなくてはならない。
やはりゆっくりとは休めなそうだ。
一般的日本人として、21日にボジョレーヌーボーを飲んだ。
カフェでなくて、友達とKシティだったけれど。
若いワインだけれど、なかなか飲みやすかった。
今年は葡萄の出来もよかったそうで、いいワインができたのだ。
熟成された渋みは、私はあまり好きではないので、これは飲みやすかったので、ついつい2杯ものんでしまった。
つまみはワインに合うものをと思いつつも、かんぱちのカルパッチョ、シティポテト、ソーセージの盛り合わせ。
どちらかというと、やはり店が店だけにビールに合うつまみだったかもしれない。
2013年という年を覚えておくと、このあとワインを買うのにもその年のワインを買うといいらしい。
という話を以前聞いたが、何年だったか忘れてしまいそう。
元々、ワインは好きだけれどワイン党ではない。
家でゆっくりくつろいでワイン、というタイプでもない。
家では今は焼酎。太らないということでもっぱらこればかり。
ワインは果実の甘味で太ってしまいそうな気がする。
日本酒もそう。お米だから太ってしまいそうな気がする。
今はそんなに家飲みも外飲みもしていない。
帰るのが8時過ぎてしまうので、着替えたり、夕食の準備(電子レンジで温めたり)をしていると
すぐに8時30分、9時になってしまう。
それからくつろいでも2時間くらい。
11時台に寝ることにしているので、お風呂にも入らなければならないし、結構、いそがしい。
気持ちがせっかちなのかもしれない。
一人暮らしの独身女性の優雅な夕食後のくつろぎはない。
それはテレビの中だけの事だと思う。
ワインから話がそれたけれど、冷蔵庫にトカイワイン(デザートワイン)が1本寝ている。
フルボトル1本飲み干すのはちょっと大変。
それにデザートワインだからちょっと甘口。
ある人にその話をしたら、ケーキを食べながらワインを飲むわよといった。
信じられない。
そのワインは彼女に進呈してしまおう。
でも今年のワインは美味しかったから、あとで小さいのを買ってみようかな。
いつもの焼酎のオッサン飲みはやめて。
くつろぎの2時間を優雅に過ごしてみようかな。
なぜか、昨日はTVを観ているときは眠かったのに、お風呂に入りベッドに入ったら眠れなくなった。
11時までTVを観ていて、そのあとウトウトしたのがいけなかったのだろうか。
それでも12時にはお風呂に入り、12時30分までにはベッドに入ったのだが。
もちろん眠剤もたっぷり飲んだ。
それでも眠れず、ウダウダと1時、2時、と時間は過ぎてゆく。
ラジオが時を告げてゆくたびに焦る。
2時からは東京FMでビリーバンバンの特集をやっていた。
いいちこのCMソングを聞いたのが最後だったが、3時近かったのではないだろうか。
朝、起きられない。
7時30分になってようやく飛び起きた。
今日は資源ごみの日。
たまっているので、まず先にそれをだしに行かなければ。
でも8時の連ドラ観なくては。
こんな時でもTVを見る余裕?
朝ごはんを食べながら15分休憩。
それからゴミ出しに行き、身支度を整え、急いでバス停へいったら、バスが出た後だった。
もう少し早く出ればよかったんだ。
しょうがないから次のバスで行くが、電車はいつものより2本遅い電車だった。
この調子で行くと少しの遅れで済む。
案の定、10分遅刻で済んだ。
着いてすぐに、N爺が制作のことで、はがきがどうのこうのと文句を言う。
始めからはがきなんてついていないから、申告しなかっただけなのに、何を勘違いしたのか、はがきをつける手配をしていたらしい。
そしてまた、私が悪者になる。
今日は朝からついていない。
たしかボジョレーヌーボー祭りを、今日カフェでやっているはずだから、帰りに寄ってみよう。
それまで静かに潜伏して仕事をしていよう。
昨日は、マンションの各玄関部分の塗装のため、一日家にいなくてはならなかった。
そのため会社はお休み。
天気がいいので、洗濯もしてしまった。
昼ころから下塗りがはじまり、2~3時間開けっ放しておき、さらに本塗り1回目(2回目があるのだ)が終わったのが4時頃。
それから2時間は開けっ放しにしておかなければならず、6時頃ようやく買い物に出かけられた。
1日中、匂いと年賀状(欠礼のお知らせ)と格闘していたので、買い物後疲れて、お手伝いしているカフェでコーヒーでも飲もうかと行ってみた。
・・・・・なにか様子が違う。
・・・・・でも客は入っている。
・・・・・知った顔の人がいるので、思い切って入っていったら・・・・
なんとTVのロケをやっていた。
カフェの様子を撮るとはきいていたが、今日とは思わなかった。
ちゃっかり真ん中のテーブルの知り合いがいる席にすわり、ビールなんて頼んでしまった。
「このように、このカフェでは、ご縁カフェというくらいだから、すぐ友達になれます・・・」というナレーションでも流れるのだろうか。
地元のTV局で来年1月の放送だそうだ。
厨房内は、今日は男性の日なので、女性は中も外も手伝っていない。
ビールを飲んだ勢いでおそばまで食べてしまった。
1週間に1度だけ、おそばを作りに来るおじさんが来ていたのだ。
TVとわかっていたら、もっといい恰好してくるのだった。
最初からエキストラ役の人たちは、きれいな恰好をして、アクセサリーなどもつけている。
わたしだけきったないトレーナー。
でも自然体でいいか。
長いこと撮っていたそうだが、使われるのは5分もないだろう。
帰ってから、買ってきたおかずがもったいないので、それをつまみに1杯。
せっかく炊いた新米はすべて冷凍に。
休みをとっても結構忙しい日だった。
「だいぶよくなったようですね。たいした進歩ですよ。」
と金曜日に受診したとき、心療内科のDr.は言った。
最近の状況として、早寝を心がけ、1時間以内に寝られるようになったこと。
1週間に1度、ご飯を炊き、小分けにして冷凍にしておき、食べるときに解凍すること。
味噌汁用のだし汁をとっておくようにしたこと。
こういうことを進歩というのか。
毎日のことだから、お弁当も飽きてきたので、まだおかずを作るというところまで到達していないけれど、少し前に進めたのだ。
母が亡くなってからの毎日。泣きながら買ってきたお弁当を食べていた時期もあった。
どんなに悲しくてもおなかはすく。
今は気候も寒さに向かっているので、暖かいご飯とみそ汁がほっとする。
人間らしさを取り戻したように感じる。
おかずは毎日、会社近くのスーパーで、昼ごはんと一緒に買っておく。
帰りがいつも8時近くなるので、やはりそれから作るのは無理。
というよりも、早く帰れても作る気になれない。
何をつくったらいいかわからなくなっている。
母と二人での毎日。
夕食は母が作ってくれていた。
母が足の指を骨折してからは、私がおかずを買って帰っていた。
でも土日は何かしら、私が作っていたような気がする。
そう、魚を焼いたこともあった。
お肉を焼いたこともあった。
煮物を作ったこともあった。
ちゃんとやればできるのだけど、今は、おかずの部分だけ、頭の中から欠け落ちている。
それはこれから続く日々のなかで、できるようになっていくのだろうか。
その時、弱い私から普通の私に、本当の独り立ちになるのかもしれない。