『 冬の花火 』 高橋 裕一さん 撮影
今日は良い天気になったが風が冷たい。花見には一寸肌寒かろう。
行く気は全くないけれど、昨日の雨と風で桜は又萎んでしまったかも。
今日もTVを付けるとウクライナだ。夕方には大統領の演説が日本の
国会であるという。国会が強く反応することを期待している。
最近ではTVのスイッチを入れるのが憂鬱になってきた。あの殺戮の
悲劇の光景を見るのが辛くなり始めてしまった。
何も出来ない自分がもどかしくもあるし、本当ならよくよく見定めて、
一方の情報だけでなく、事の善悪、真実の在処を知って声を上げるべき
なのだろうが。
もう今の私には何も出来ない。声を上げることも、デモに参加する元気も
体力気力もないのだ。
最も、よくよく考えてみると、学生時代は勉学に忙しく、勤め人時代は仕事に
追われ、定年後は絵画とピンポンとが忙しく、何も出来ず結局はノンポリ、能天気、
政治的無関心(あっても行動には至らず負け犬の遠吠えばかりだった)という多くの
日本人の典型的な1人だった。
ただただ社会が移り変わり歴史が動くのを、ある時は怒り、ある時は非難したり
悲しんだり、そして又或る時は喝采したり喜んだりはしたが、何もしない何も出来ない
のが多くの市民である。
国政選挙で自分の一票の虚しさを感じるのと同じように、傍観者としての悲しさと虚しさ
を覚えるのである。