「 ヤドリギのある風景 」
森川 雅昭さん 撮影
昨日の続きなのだが、そんな案配で最近の私は浅い眠りばかりで、昼間はぼうっとして
眠くて、疲れ切ったという情けない状態なのである。
しかし夢は毎晩見ている。夢の私は多分、髪はフサフサ脚は長くて、すこぶる元気で
積極的で活動的である。
様々なところに出掛けるし、旅行にも行っている。登場人物は今の人もあり、昔の人もある。
不思議なのは時代が違う人、違う世界の人が一緒なのはあり得ないことだが、夢では一緒に
登場するところがまことに面白いし不思議なものだ。
夢名人とか夢達人という人が居るという。
自分の思う夢を自由自在に見られるそうだ。心理学や脳科学でも、はっきり究明は出来ていない
けれどあり得るとしている。それが出来るなら、どんなに楽しく慰めにも希望にもなるだろう。
特に年をとったら、体が不自由になっても、境遇がどうであれ、それが出来れば寂しいことも忘れ、
どんなに良いことだろう。
それで思い出すのだが、私の父親はそれに近かったのではないかと思う。
母を先に亡くし、体が不自由になり画家なのに絵が描けなくなり、気力もなくなり、さぞや淋しく
辛かったのだろうと今になってつくづく思う。
夜遅く小用に起きると、我々の居る茶の間に顔を出して、今見た夢を楽しそうに話していた。
そして、さぁ続きを見よう!と言いながらいそいそと寝室へ戻っていったものだ。
翌日聞いてみると確かに続きを見たという。
これなども夢達人の未だ初段位かも知れないが、その一種だったのだろう。
私は残念ながら未だこの技を会得していない。未だ暫く修行しなければ、あの境地までも達する
ことが出来ないのだろうか。