『 11日の夕焼け 』 河津 米子さん 撮影
政治も社会も嫌な話が多過ぎて考えるのも辛い。その所為なのか書くことがあまりないからか、
このところの日記では84才というのを連発している。
何も84才を自慢しているわけでも嘆いているのでもないけれど、日記というのが自分に起きた
出来事、或いは世間の面白いこと、そして今自分の一番の関心事、心を占めて居ることを書く
ものだとすれば、たまたまこの日記を見た方には全く退屈な話だろうが、ついつい年齢と体のこと、
不安なこと、持病の事などになってしまう。
ふと思う時がある、84才の世界とはどんなものなのだろうかと。
もちろん未知の世界だから想像するしかないのだが、期待と不安が入り混じったあれこれである。
私の場合は不安の方が多いような気がするけれど。
この年代では、もう一つ二つ年上だ下だと言うことよりも、各人が持っているものの違いだろうと
思う。この個体の差は大きく年上でも元気で全てに達者な人があり、一方では年下でも亡くなる人も、
めっきり弱って老け込んだ人もありだ。
これはDNAの問題や生活態度とかその人の気持ちの持ち様で別れるのだろう。
例えば青鳩の中でも、年上の鳥居さんが84才の時に、お元気でやれ畑だ、テニスだ、そして
ピンポンだと活躍されながら、コテコテの関西弁のジョークで明るく皆の笑いを誘っていた。
その時、あと何年後かに自分もあんなに元気で明るくピンポンをし笑っているだろうかと、
驚きの目で見ていたものだ。
その鳥居さんは、運動量こそ減ったけれどまだまだバリバリの現役だ。なかなか彼の域には
追いつけそうもない。
84才なんて老人層の初心者みたいなものかも知れない。しかし80才の壁を超えてやれやれで、
やがて4年も経って慣れと同時に疲れもあって、本物の老化と老衰が忍び寄ってきているのを日々
実感させられる年ではあるまいか。
それは自分の体力に容貌や姿にそして己の思考回路にもはっきり表れて嫌でも自覚させられている。
そして84才には何も楽しいことも新しいこともない。元気が出て、病知らずの1年になるとはサ
ラサラ思わないけれど、平均寿命はクリアーしたが、理想とされる86才という健康寿命には未だ
届かないといった一寸中途半端な老人といったところだろうか。
様々な持病の悩みや苦痛は別にしても、84才になったからではないけれど、最近では何をするのも
億劫、意欲がなくなった。心の琴線はすり切れて感動とか喜怒哀楽の情が鈍っているのを覚える。
肉体的には、長く歩けないゆっくりしか歩けない、脚や腰や膝が日常的に痛い、耳が遠くなった、
話が相手に伝わり難くなった、体のバランスが取り難い等々、体の不便が84才ではより強くなる
のではと恐れている年でもある。
美味しく食事が摂れて、1杯の酒が旨いと感じられて、何とか立ったり座ったりが出来て自分のこと
は自分で出来て、日に1回は笑えてなんて言う生活の出来る84才という1年間であって欲しい。
せめてそんな程度の生活がより続くように祈るような気でいる84才の新入生である。