「ベランダから見た昨夜のサザンの花火」
良い天気が続いている。昨夜は海ではサザンの花火大会で破裂音がひとしきり、
煙の匂いもするようだった。ビールを飲みながらそれを聞くのも、ウクライナと
違って有難いことに平和なものだ。
今日は公民館のある南湖町のお祭りがある。御神輿が出て露天が並び賑やかだそうだ。
秋の日本の風景だ。
最近は眠りが浅いせいか夢ばかり見ている。
そもそも人間は毎日必ず夢を見ているのだそうだ。昨夜は見なかったというのは忘れて
いるだけだという。夢を見たと言うのは目覚める寸前に見たものだけだそうだ。
すると合点がいく。つまり睡眠時無呼吸症候群と診断されて以来、夜中に何度も目が覚めて、
その都度ウトウト状態だから見た夢をよく覚えているのだろう。
夢の中の私は強く元気で積極的で我ながら頼もしい。それはそれは楽しいものが多い。
登場人物も、年代も老若男女も全てごちゃごちゃで、それは時空を超え、理屈を超えて自由な
世界である。あり得ない人と人が一緒に出てきたり、まさに夢の世界は奔放で自由で面白い。
夢というと、今思えば私の父親は夢達人だったと思う。
母を亡くし私と2人で淋しい生活したことがあった。中風を患い体は不自由で、仕事の絵を
描く気力も失せ、日中はTVを見て夜は早々に寝室へという生活をしていた(何だか今の私の
生活に似ているが)。
夜遅く起きて来ると一緒にお茶を飲みながら、今見ていた夢が楽しかったと話していた。
そして、さぁ、今の夢の続きを見ようと言ってはいそいそと寝室へ引き上げるのだった。
翌朝、聞いてみるとあの続きを見たと楽しそうに話していた。羨ましいことだ。
残念ながら、私にはこの特殊な才能と絵のセンスと才能とは伝わらなかったようだ。
私は何度も夜中に目が覚めては、日本経済と世界平和と、首相でもないのに国民の幸せを
願い考えてはなかなか寝付けない? しかし意識がなくなると何かしら夢を見ている。
ほとんどが懐かしく楽しい夢であるような気がする。
でもその楽しい続きを見ることは、幾ら努力しても未だに出来ていない。
しかし夢は年寄り、特に体の不自由や孤独そして特に淋しい老人にとっては、これは神が
与えて呉れた、せめてもの慰めなのかも知れない。さぁ今夜も楽しい夢を見よう!