「 仙台の駅前通り 」
森川 雅昭さん 撮影
仙台か…懐かしいなぁ。昔、出張で行ったり、友人が居て
遊びにも行ったものだ。牛タン、松島の牡蠣などもう一度
食べてみたいナ。でも今では胃の調子もいまいちで、
そう思うだけだけど。
朝から風もなく太陽がキラキラで暖かい長閑な小春日和だ。
ウクライナの戦闘も想像できないようなのどけさで、何時ミサイルが飛んでくる
かもなんてことがまるで信じられないような平和な日だった。
抑止力を持つという名目で、敵地攻撃力を保有すると言うことが自公で合意したという。
一党独裁と言ってもいい今の日本では、まもなくこれが法律として成立してしうのだろう。
理由の如何を問わず、敵地攻撃というのは明らかに憲法違反だろう。
これほど第3国からのミサイルが飛んで来て脅威となっている現状では、日本にとって
攻撃力を持たないというのは現実を見ない幼稚なきれい事であるという説もある。
しかし一方が攻撃力を備えれば相手側は又それを上回る攻撃力を備えると言った果てし
のない攻撃力強化合戦になってしまう。一発の危機もより増大する。
疲弊するのは経済であり国民の生活である。
具体的な攻撃力を持つ事こそが、あらゆる平和交渉や政治折衝そして経済交流や人的交流
などではなし得ない相手への抑止力になると言うのが決定の根拠のようだ。
果たしてそうなのだろうか。
旅人のマントを脱がすのは強風ではなく,やわらかで暖かい日射しであるようにはならない
のだろうか。
公明党という宗教団体を支持基盤とする政党が、虎の威を借りる狐のように与党に組みしている。
自民という利権と権力と不正にまみれた独裁党を、多少でも牽制し押さえることが出来るのでは
と言うところにその存在意義を見いだしていたが、そんな党がとうとう賛成に廻った。
どんな軋轢、圧力、交換条件があったのか知らないが、宗教的清純さと正義と人間性とで、
あくまでも平和を求める政党かと期待していたのだが残念だ。
こうした事から、自民党が統一協会へ厳しく宗教団体を規制する法案が出来ないのも、公明党への
遠慮か反対があるのではと勘ぐられるのであろうか。
早く日本も一大政党政治から脱皮したいものである。
在野の政治家には人物は居ないのか。時折TVで見掛ける昔の人は何だか草臥れて見えるし、
若手は屁理屈ばかりをこねてキャンキャン吠えるだけの負け犬ばかりに見えてしまう。
今こそ与野党に救国の士の出現が待たれる時なのに…。