「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」
詩編 19篇 14節
詩編 19篇 14節
ユダヤ人が贖い主というときは、自分が窮地に陥り、全財産を失い、自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないようなとき、
犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことなのです。
私たちにとっては、いのちを投げ出し、全身の血を流し切って、滅びから、裁きから救ってくださる主イエス・キリスト
こと真の贖い主なのです。そんな贖い主に、「私はこんなことをしました、認めてください」と、まるで商取引のような祈りません。
私たちが差し出すべきものは何もなく、御前で祈る祈りの言葉をお受けくださいと祈るばかりです。
心の底から湧き上がる信頼、願い、感謝し礼拝の思いと言葉だけしかありません。しかし、神はどんな供え物にも勝って、
へりくだった信頼と祈りをお受けになってくださるのです。
また、自分の心の思 い、また口から出る言葉が神に受け入れられたものとなっているように願っています。
そのためには、神の贖いが必要です。自分の罪を赦し、清め、そして神が自分をご自分のものとしてくださる 働きが必要です。
この詩編のみ言葉を、私たちの祈りにしたいと思います。自分が発する言葉において、主に受け入れられるものであるように。
また、心の思いが受け入れられたものでありますように。情欲、ねたみ、怒りなどの悪い思いを心の中にとどまらせることがないように、
お祈りしましょう。
ミカ 6:8
「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。
「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」
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