だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
マタイ 6章 34節
神と心配は共存できません。とはいえ、「心配してはなりません」といくら言われても心配してしまう弱さが私たちにあります。
私たちが思いわずらわずに考えられる範囲は、今日ということをイエスはよく知っておられます。あす、来月、来年のことを考えすぎると、
思い煩うのです。ですから、一日、一日、神から与えられたものに、感謝することが大事なのです。
世界を見回しますと、非常に興味深いことは、物があふれるようになった社会に心の病が始まるということです。
物がなければ、今生きていることに感謝することが容易にできます。日々の糧は神からの贈り物であることを実感できます。
空の鳥のように、自分も養われているのだということを実感できます。けれども物が溢れているところに、
私たちは物そのものに仕える誘惑が増えます。そして物に仕えているので心を思い煩い、それで心の力をすり減らすのです。
物があること、便利なこと、安全であることが悪いことでは決してありません。それらは神からの賜物であり、感謝して受け取るべきものです。
けれどもそれは同時に責任であります。絶えず選択していかなければいけません。
富に仕えることなく、富に頼ることなく、ただ天の父の養いの中に生きていくことを意識して選び取っていかなければいけないのです。
伝道者5:18
「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、
しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。」
伝道者5:19
「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、
自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます