前にも書いたかもやけど、プライベートパーツが受け入れられない、それがあることで非常に憂鬱になるというとき、身体を手術などで変える行為は、神さまから与えられたありのままの身体を受け入れていなくて、自分の意志を使っていることになるのでは…と思ったりした。
しかしこれも、「本来の自分に返る」ことならば、神の意志。
本来の自分に返ったとき、神の意志に従っているので、その人の傷は癒されるはず。
トランスの方の、自分の身体に対する憎しみ、恨み、悲しみ、受け入れられなさが、摂食の痩せ願望に似てる気がしてたんだ。
でも、決定的に違うのは、神の意志かどうかなんじゃないかと思った。
私たち摂食は、痩せたら癒されるのではないから。
今日一日