男性か女性かというのではなく、同じ人間だよネ
という議論に、昔は与していたけれど、今はできません。
その地平に立って回復の道を歩くと、悪化はするけど、改善はしないからです。仲間の経験が示しています。
それでもなお「同じ人間だよネ」を通そうとするのは、なにかそうしなければならない理由があるのです。
たとえば、パリテを批判する人です。
女性の割合を上げると、その人のパイの取り分がなくなるのを恐れています。
たとえば、性にまつわる話。
男性にとって自分のセクシュアルな話は、どんなミーティングでもできるし、それによってホッと荷を下ろせる、たくさんあるテーマの一つです。そしてそれは、話を聞く女性にとっては恐怖であったり、自己嫌悪のトリガーになったりするのに、男性は気づく必要がありません。
これに対して、女性の正直なセクシュアルな話は、男性にとって脅威にならないどころか、消費の対象になります。この場合はそのままです。「配慮しなくていいし、消費もできる」です。
悪意でやる人はむしろ少ないと思います。
だからこそです。
分かり合えないことは、ある。
それはもう絶望的に仕方がないこと。
それを無視して同じ人間だよネを貫くのはそれが
何か
得だからですよ。
得の何がいけないって?
いけなくないですよ。
いけないのは
「人間みんな同じだよネ」というあたかも平等で先進的で寛容な考えからきたものだと、誤魔化していることです。
じゃあ何が得かって?
回復しなくてすむことですよね?
今日のデイリーリフレクションより
「…たった二つの罪しかない。まず一つは、他の人間の成長を妨げる罪であり、そして二つ目は、自分自身の成長を妨げる罪である」
今日一日