ママラボ➕(ぷらす)

摂食障害からの回復を目指して 月一zoomで12ステップミーティングをしています 次回は2021年9月26日

一人で聴かない

2022-10-23 13:20:00 | 日記
これ、赤ちゃんの泣き声のとき言われたわ。

「一人で聞いてるのと、もう一人大人がいるのとではぜんぜん違うからな。一人で聞いたらあかんよ。」

もう一人の大人っていうのが、大事でさ。上の子ではあかんのよ。

電車とかバスとかでもさ、一人で泣く赤ちゃん抱っこしてると辛いけど、そこに、パートナーなり義理の親なり、誰か「もう一人の大人」がいると全然ちゃうかったりする。

なんやろな、一人で聴かないって、そういう態度、あるよな。

今日一日

聴く3

2022-10-23 13:15:00 | 技法以前
p104
その意味で「聴く」というのは、決して方法ではない。むしろ、態度に近いものである。

p105
…聴くということは一対一の関係を超えて「共に聴く」という共同的な行為としてある。

大切なことは「一人で聴かない」ことなのである。



聴く2.

2022-10-22 21:00:00 | 技法以前
p104
「延々とこっちの言ってることを聞いてくれるような人だと、この人に相談しても信用できないな、みたいな感じになったり、ただ聞いてくれているだけだと思ったりで、本当に自分の力を信じて対応してくれているのかという疑いを感じる」

それでも

2022-10-21 09:33:00 | 日記
私の家族で希死念慮のある者があって

そのとき先ゆく仲間の一人が「本当に死にたいんなら死にたいって言わずに行動するもんだから、言ってるうちは言ったるだけ」と

怒りではなく、悲しみがわいた。
ちがう、ちがうよ、と。

私は、死にたいと言う人は決して嘘を言ってないと思うし、真剣に受け止めたい。止めることはできないけど。

でも、今日読んだところによると、真剣に受け止めると、本人が病気から降りられなくなる…という。

私は「ハイハイ、忙しいからあとでね」とか、「みんなも辛いんだよ、あなただけじゃない」とかで、口を塞がれる痛みを知っている。そうしてきたから。

だから、仲間にただただ聴いてもらったとき、すごくひるんだ。

最後まで喋ったことがなかったので、そもそも最後までしゃべれなくて、いつも尻切れとんぼになった。最後自分の言葉でなく、社会や教科書の言葉で締めくくった。

それでも、どんなときも、ただただ聴いてくれる仲間がいたから、死にたいというひとの話を聴けるようになった。

でも…
病気から降りられなくなるっていう本人の困りごとも、本当なんだろうな…

最近、たてつづけに、死について仲間の口をかりて神さまが語りかけてきたんだよ

今日の読み物もそうだった

今日一日


聴く1.

2022-10-21 09:20:00 | 技法以前
p104
「死にたい願望」の女性メンバーもそうである。彼女の場合は、訴えが訴えだけに、家族や関係者は内心緊張しながら対応を迫られる。そんな彼女の「死にたい」という言葉の背後には「生きたい」という切実な願望があったということが、その後の当事者研究を通じてわかっている。

「死にたい」と訴える彼女が一番困ったことは、死にたいという気持ちを家族や関係者に真正面から受け止められ、受容されることだった。…「真剣に聴かれれば聴かれるほど、自分の病気から降りられなくなる」…それは「うれしくて、つらいみたいな感じ」