今日は夕立が激しくて。というか雷が凄まじいですね。
稲光がばんばん落ちてます。
遠くで見ている分には豪快でいいのですが。近くには来て欲しくないものですね。
サロンも建設一周年になりますが、特に何のイベントも行ってませんで。
普通に日々仕事をしております。
そういえば、この間は海外勤務のキャビンアテンダントさんがヒーリングにこられて、イタリアのお菓子を頂いてしまいましたが。
私が前まで仕事していたら、こんなイタリアのお菓子など目にすることもなく生きていたのかと思うと。いろいろと新しい体験ができるので楽しいなぁ、という感じになります。
前の職場で私がヘミシンクCDばっかりを聞いていたのは、それしかやることが無かったからでして。おかげさまで趣味が仕事になって只今生活をさせて頂いております。
で、そこで得た知識、体験をシェアするのが私の役割と思ってますので、ここのところその内容をまとめて書かせて頂いておりますところです。
サブタイトルは「初音ミクとスピリチュアル」なので、かなりマニアな話になってしまいそうなところを、なんとか抑えて普通の話を多く書いております。
グリッドという私の概念てきなイメージも出てきてますが、これはまあ、向こうの世界と接触するためのツール、という感じですね。
グリッド、個人のグリッドには様々な状態の「自分」が存在していて。
石~高次の存在まで。全てそこにある。そう言っても過言ではないかと思います。
なので、私が時間と空間を無視して存在するグリッドを見ると、そこにはすでに「高次の自己」も存在しているのを感じるので。わざわざ今の生で「高次になること」を目指さなくても、もうそこにあるのですから。
ならば、今そこにある発達した高次の自己、いわゆるハイアーセルフ的な存在ですが。
仏教で言うとすでに「解脱」した自分、というものでしょうかね。
その存在とのつながりをスムーズにして、今の生にその意識が表現されるように行動したほうがいいのではないか?
と思えるようになってきたりします。
私たちの人生は「ハイアーセルフ」が決めているのではなくて。
それすらもただの一部であり。すべての自分が「ネットワーク」を築く事で成り立つもの。
だという感じでしょうか。
グリッドメンバーでも高次にある存在が、グリッドメンバーが持つ各種情報を統合して。
それを反映させて今の私達の人生パターンを構築している。
私たちはそのパターンを「いかにスムーズにやり遂げるか」が必要な事で。
何か目標とか人生の意味とか、それを考えるのであれば、
「グリッドの全体の流れを良くするために、スムーズに自分の領域をやり遂げること。」
に尽きるかと思います。
サラリーマンなら分かると思いますが。組織をスムーズに動かすには、そこにいる人が自分の仕事をしっかりとやっていると十分なのです。
それがあっちに手を出したり口を出したりする人がいるから、会社がうまく回らないのですね。
サラリーマン時代はそういう人みるとイラっとしてましが。
イラッとするのは、つまり自分がそれをやっているから、イラッとするわけですね。
自分の「グリッド」をスムーズにしないといけないのに、人のグリッドの目標に引きずられてみたり、自分の領域以外に意識を向けすぎていたり。
そう気がつくと、会社でイライラしっぱなしの方は、今自分の魂、グリッドの内部がそういう状態、とも言えると思います。
私が常に「現実世界と向こうの世界はつながっている」と言うのはそこでして。
グリッドが平穏につながり、ネットワークがそこにスムーズに成り立っていくと。
人に対して「このクソ野郎!」と思うことは激減してくるはずです。
私はヘミシンクやってこの状態に気づくまでは、しょっちゅう上司とかの言葉、社長とのやり取りでイライラしっぱなしで。
そのせいか工房の蛍光灯がブチブチ切れるし。
会議でブチ切れてオーブンを鉄の棒で折檻したり車けって凹ましたりしてました。
私は結構気が短いのですよ。
セミナーとかで会う人からも言われますけど、今はそういう人には見えないそうです。
気が短いのは同じですけど、考え方が変わっていったから怒るポイントが変化している。
というのはありますかね。
だから、人にはあまり腹が立ちませんが。スマートフォンにはイライラしっぱなしです。
「ぶっ壊してやる、このスマートフォン!」と心の中で何度思ったことやら。
まあ、「結局、これは自分の心の内側の事象が表にでているのだな」と気づいて、それを心がけるようになってから、
会社での自分の業績も、人間関係も、社長とか上司を見る目も変わって。
いい関係を常に築いて行くことが出来ておりました。
そして、それをやっていると、自分の人生の流れも変化して、あきらかに「いい流れ」に足を突っ込んでいるのを実感します。
なので、スマートフォンと仲良くしていくのが今の課題なのですが。
まだダメですねぇ。私がスマートフォンを扱っている姿は殺気に満ちていると思います。
iphoneはいいんですけどね。
さて、グリッドの説明が結構あっさり来てますが。
これは意識を投影するミラーボールのようなもの、というイメージでもいいですかね。
大まかに認識するにあたって、3層くらいを見るとたいていその人の情報を読むことが可能となりますが。
「人生を生きてきた過程」で存在する意識の変化やつながりを見ることができる、「肉体グリッド」これはインナーチャイルドとかトラウマとか、そういうものをかんじて、解放するのに使っています。
その外側に、私が今回ずーっと書いているのはこれ。「過去世未来世すべてを内包している」意識のグリッド、魂とでもエーテル体とでもなんとでも呼んで頂いて結構ですが。
それがあって、そこにアクセスすることで「ガイド」「過去世」というよくありがちな情報を読んでおります。
その外には「他人とのつながり」を感じるグリッド。家族意識的なグリッドなどですね。
その上には地域、社会。国家、
と無限にフラクタルな状態で続いてます。
だいたいこの3つの階層パターンを使ってヒーリングしたり情報を読んだりするのですが。
他人とのつながりを「家族」で絞ってみたり「地域」で絞ってみたりすると、
「幕末のエネルギー」とか「アトランティスのながれ」とかたまに怪しいこと言い出したりする訳ですね。
その時代に起こったグリッドの情報ネットワークが、今の生で再現されている状態になっていたりするので。
スピ系ではよくある「プレアデス」とかそういう話も、グリッドで見るとそういうグリッドつながりの仲間なんだな、とあっさり考えることもできます。
そこで「プレアデスはまだ若いから宇宙人はいないハズ」ではなくて。
グリッドメンバーの高次領域の存在が、たまたまそことの繋がりがつよいひとが居たら。
社長どうしが飲み会で「じゃあ、今度仕事ご一緒しましょうか?」的な雰囲気で集まってきたりすることはあると思いますし。
高次の意識存在が今の状態の銀河の人、とも限らないので。
私もこういう話に免疫が無かった当初は「うわ、ファンタジー語っているよこの人たち」と思ってましたが。グリッドの形成とか成り立ち、その仕組みを理解すると、「さもありなん」となってきておりまして。
最近は「幕末の流れ」、「銀河戦争」とか言われても、そういう流れで集まっているのね。
という感じで特に気にもならなくなっていますかね。
実は今の世界で縁のある人たち、つながりのある人たちは、昔あった「その状況を」再現している可能性もあるという事です。
そう思うと、何げに集まって酒飲んでいる空間さえも、「昔こういうメンバーで飲んでたんんかな?」と思うこともできますが。あまりそっちに意識向けすぎるとファンタジーな人になりますので要注意ですけどね。
現実世界でもブームとか流行りとか、オリンピック景気とかありますよね。
それと同じだと思っているといいかと。
ちょっと話はそれましたが。
つまり、全部つながっているので。まずは「自分」の「今」の状態からつながるグリッドの流れを整えて行きましょうよ。
ということになります。
そこで、初音ミクのコンサートの話になるのですが。
まず、この成り立ちを知らないと奥の深さがわかりにくいですが。
ネットでキャラクターが自然発生的に完成していった。という感じで。
これまでのアイドルなどにありがちな「演出する」人がいて、アイドルが生まれるのではなくて。
キャラクターから、ネットでつながる人たちが性格、歌、小物、それらを決めていって、それが定着していった。
というところがあります。
なので、グリッドと感覚的には似ているのです。
多数の人々の、違う次元の存在からの情報の一部。
全部ではないんです、一曲作りまして、ネギ持たせてみました。動画作ってみました、
それらがつながって、そのリンクの先に、その集まった集合体が「初音ミク」であると。
以前のグーグル、クロームの宣伝見ると感覚としてわかりますかね。
それがネット上で存在して。
そして、3次元の空間であるコンサートを行う。
テレビに投影しているだけでなく、そこでは初音ミクの歌に合わせて人間が演奏していて。
それに観客が熱狂する。
コンサートで言うと、この場合観客が「グリッド」のメンバーで。演奏する人々を「ガイド」的なイメージで捉えております。
演出家、コンサートスタッフも「ガイド」ですね。
で、高次の存在はどこか、というとこの初音ミクのコンサート用CGを作った人々
このコンサートの流れと、方向性を決めた人々。
となってくるかと思います。
この場合、高次の存在が決めた通りに初音ミクは歌い、踊るだけです。
そこでは意識、というのは存在せずに、見ようによってはただのプログラム通りに動くダケの存在になってしまいますが。
実は今の人間の状態はこれ、と言えるかと。
私たちは認識できない領域で、高次元の部分で何かが動いているのを感じられないけれども。その情報を受け取って動いている。
決まったパターンをただそこで、スムーズに流れにそって歌い、踊る。
では意識は?となると、初音ミクの意識は「観客」のレスポンスになりますか。
そこで演奏をする人たちが「これからこの曲!」と示して、観客が盛り上がって、そこに登場するCG。
そのCGは決められたパターンの動きをするダケなのですが。
観客の気持ちがそこに入ると、まるでその観客に向けて微笑んで、踊って、手を振っているようにしか見えなくなります。
初音ミクが意識を持って反応しているように見えてきたら、それは意識を持っているのと同じです。
そう見えるのですから。
意識は何か?という定義自体が曖昧なので。そう見えるならそれがそこにある。という感覚で。
では、結局この観客はCGを作ったりセガの人たちにのせられているだけではないか?
と思われそうですが、ここが初音ミクの普通のコンサートと違うところ。
この存在自体がネットで作り上げられているので、うかつに「製作者の意図」が入りすぎると、たぶん観客は覚めてしまいます。
ネットに広がる意識、それを汲み取った上で。それを理解した上でコンサートのCG、流れを作る必要があって。
だから、観客の人が一人一人反応をネット上で返していたから、今の皆が応援出来る存在が目の前に現れてきている。
コンサートの製作者、も一人のファンである必要があるのですね。
こうやって導いていこう。ではなくて。
皆が楽しく、そして満足の行くような。そして初音ミクを愛している人たちがその気持ちをより高めてもらえるような。
そんな多くの愛ある動きがこのコンサートを作り上げているところが「グリッド」とか「トータルセルフ」とかスピリチュアルで言われている運命とか宿命とか、そういうものを含めた上で全体としてみるとこうなっているのが理想。
というパターンを示していると思っております。
CGに意識はなくて、周りにある人の反応が意識となる。
私たちはこのCGパターンでしかない。
だから、私たちは自分の動き以外ができない。
しかし、意識は周りに存在している観客のようなものであるから、
意識の流れを変えていけばCGパターンが同じでも違う流れになる。
と書くと「なんだ、人生決まりきっているのか?この不幸な人生は自分で変えられないのか?」
という方がたくさんでてきますので。ブログでは書きたく無かったんですが。
そうではないのです。
ここで初音ミクの成り立ちをもう一度考えてください。
ネット上で、観客の反応、動き、それを反映された上でコンサートのCGが完成しているのですから。
私がここで「クローバークラブの衣装が可愛かった」としきりに書き込んだとすると、多くの方が同じように思ったとすると。今度はその情報が周り回って製作者に届き。次のコンサートではそれが反映されたり。ゲーム画面で反映されたり。
高次の存在、この場合はセガの人ですが。
に影響を与えることもできる。
私たちは、自分を取り囲む「意識」を担当しているグリッドのメンバーがスムーズにやり取りしている状態が、最も自分の流れを良くしている状態となりますので。
つまり、私も他のグリッドメンバーから見たら、その一部でしかないのです。
このコンサートで、「やっぱAKBだよね」という人がまぎれ込んできたとします。
そうなると、なんとなく微妙な空気間がそこに生まれてきて。
観客とCGとのレスポンスがうまくいかなくなってくることもありえますね。
それが意識がうまく動いていない状態。
では、なぜそういう人がまぎれ込んできたかというと、
自分がそれを導いていることにもなります。
自分が向こうの世界に意識を向けたら、自分も人のグリッドメンバーになるんですが。
その時に「やっぱ小田和正だよね」と思いながらミクのコンサートを見て。なんだか微妙な空気になってしまっていたら。
別のグリッドメンバーのコンサートを微妙に台無しにしていたりすることもあります。
それをすると、自分のところにもそういう「別のことを考えている」意識をメンバーを、観客を呼び込みやすくなってしまうというか。
そう言う感じに思えます。
自分がミクのコンサートに「小田和正命」と書いて行ったとすると。たぶん今度小田和正のコンサートに「初音ミク命」と書いた人が来るようになるでしょう。
それで、互のコンサートを台無しにしていくと、その互のグリッド同士の情報がちゃんと通らなくなってきます。
なので。
自分の行動、自分の動き、自分の意識(ここの区別が難しい)が他のグリッドメンバーにも影響を与えていて、その反応が今自分に向けられている。
なんとなく自分の意識がスムーズでない、人生がスムーズでない。
と感じている時は自分につながる人たちに対して、自分がそういう影響を与えてしまっているのではないか?
と考えて見ると。
今自分が生きている状態。それをうまくこなす事が一番すべての流れを整えてくれる感じになってくるかと。
CGのように、ただその状態を行っているように見えますが。
時間を関係無い状態で見ると、意識を受け持つ観客の発信した情報を生かして初音ミクのCGが作られている。ならば、自分がやるべきはそのすべてのバランスを見て完成したプログラムをその通りに行うこと。
そして、他のグリッドメンバーの領域を侵食しないようにして。
このあたり、言葉では説明しにくいのですよね。
書いた時点で「ちょっと違うな」となりますので。
自分の意識は肉体に存在せず、それを見守る存在と、その周りにある別の人々とのつながりの中で生まれ出てるもので。
その方向性などは自分でコントロールしている訳ではないけれども、今の自分をやるべき事をやることを続けていれば、必ずいいバランスで成り立つことができる。
「今を生きる」
その理屈を理解するには、人の言葉を聞くだけでなくて。自分でそれを体験すること。
それはなにも特別なことではなくて。今の現実世界に起こる出来事を見て、それに反応を返して行けばいい。そうなると、実は過去世とか未来生とかガイドとか宇宙人とか、そういう話があっても無くてもどうでもいいことになってしまいますかね。
そうなってくると人生かなり楽になってきます。
初音ミクの場合も、反応によってコンサート中にパターンが変わることもある訳です。
今の時間軸に沿った思考ではたどり着けないところの話になるので。
時間軸を決めて話す文章、というのは難しくなりますが。
行間を読んで頂いて。
なんとか感じていただけましたらと思います。
このやるべきこと、ってのが今の人間の意識では判断しにくいところで。
コンサートホールを俯瞰して眺められるような意識をもつことができるといいのかなと思います。
それが、スピリチュアル的な視点。ですね。
自分の今を良くしたいなら、つべこべ言わずに周りにおこる出来事に「自分と他者に対して」真摯に対応していくこと。
それだけで十分でありますが。
そして、スピリチュアルな人々が言う「ハイアーセルフとの繋がり」「トータルセルフの統合」を現実世界でみたいなら。
「ミクの日大感謝祭」を頭から最後まで。ちゃんと見ることです。
これを見ながら私は「どうやってこの状況をスピリチュアルな人に説明したらいいものやら」と頭悩ませておりましたが。
たぶん、日本中でこういうことかんがえて見てたのは私くらいでしょうねぇ。
AKBも似たようなところあるんですが。
ではなぜこの説明に使えないかというと、プロデューサーの意図、キャラクターの意識が出過ぎているので。
コンサート的には近いのですが、完全にトータルセルフ的な感覚に近い、のは初音ミクのコンサートになります。
それを知るには、私も様々な体験を通じてやっとこさ、その入口を理解し始めているところに過ぎません。
仕組みが分かったので、それを活用する術を只今いろいろとやっているところです。
「ガイド」はコンサートで曲を奏でている人達。
私たちはその調べに乗って踊る事で。歌うことで、他の自分に感動を送ることができて。
その感動を愛として受け取れるようになっていく。
それが高次の自己に届いた時、自分のプログラムが、より良いものにグレードアップされて行く。
時系列で並べるとこんな感じですが。
意識の方向性、を決めるのは観客の意識。
メルトやりますよ、ぽっぴっぽーやりますよ、とガイドに示された時にそれに乗って動くお客さん方、それが意識の方向性になると思いますが。
そこに「違和感」を感じるメンバーがいた時に流れが微妙になる時もあります。
それをなくすためには、自分が他のメンバーに対して「違和感」を送らないことですね。
自分が他のメンバーを構成するメンバーの一員。だということを意識していれば、
こちらの世界でスムーズにいかないことが、その自分が他のメンバーに対して行っていることになりますので。
こちらの世界で問題があるなら、真摯にまず対応してみること。
そして、それから自分なりに方法を考えて行く事。
それの一つの補助としてスピリチュアルな考え方、過去世、ガイドがあるということ。
私たちはこちらの世界で動くように、他のメンバーからの愛を受けているわけですが。
私がそれを無視していたら。
初音ミクに誰も愛を贈らなくなれば、そのコンサートは滑稽で惨めなものになってしまいます。
ただのCG鑑賞会になりますからね。
そうならないようにしたいものですね。
今の世界は素晴らしいと思います。
昔の人が伝えてきた概念を、こうも簡単に「体験」出来るというのが。
個人の意識は初音ミクのコンサートホール全体の雰囲気。それを取り仕切る存在は全体を把握していて。
私たちはその全体を把握している人たち、の考えていることはわからないのですが。
コンサートホールの観客の雰囲気、曲順、流れでその意図を把握できて感じられる。
であれば、それをしっかりとみて、自分の今ある現実に対面していく。
すると、今まで作られてきた人生に、自分の「意図」が刻み込まれて行く。
そして、自分の人生が新しい変化を迎える。
それすらも決まっていたとしても、私達にとっては「わからない」のであれば。それは存在しないのと同じですからね。
もしも運命やすべての事象が事細かに決まっていたとしても。誰もそれを理解できなければそれはそこに存在しないのと同じ。
そういうふうに考えられるかな、という事で。
次回は「フォーカスレベルで言うと?」
とう対比も入れてみたいと思います。
只今「ガイドワーク名古屋」の募集もやっておりまして。
そちらはこちらを見てくださいね。
http://pub.ne.jp/marunohi/?entry_id=4486576
「ガイド拝見のみ」カートではじめました。ヒーリングサロン・ネコオル 鉱物も充実。レアなものもたまに出ますよ。「ディープキャットナップ」2冊目も販売中!
9月から、「ヒーリングサロン建設一周年記念」で、CDなどの値段も割引価格になりますよ。
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TAIJEYUさんのピアニカヒーリングCDも販売中。
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・ヒーリングサロン・ネコオルのセミナー情報、遠隔ヒーリングの内容などはこちら。
http://blog.livedoor.jp/nekooru/archives/5623812.html
こういうことを概念化、言語化するのが得意だったのが、インド人だったのでしょうが、今の時代は難しい言語化をしなくともネットワークの概念で例えたりビジュアルで直接イメージで捉えてもらうことが出来るのがいいところですね。
前頭葉の余計なプログラムを走らさずに、瞑想したりして心を静寂にするだけでも、本来のグリッド交信がスムーズにいくように自動修復されていくのでしょうかねぇ。
とにかくこういったような視点で物事を見ていくと、いろいろなものがまた違った景色で見えてくるものですね。
存在の根本原因が全て消え去った状態という、思想としてはあっても、本当のところどうなのかを、その「違う!」という人が体験しているわけでもないでしょうし、それは解脱した本人にしか分からないのでしょうから。
逆に、まるの日さんがそこまで体験したのどうか知りたい人が多いのでは?
しっかり書いちゃいましたね。(笑)
では感情判断というものをここでちょっと外しておきましょう。
(けっして悲観的なものではないので)
上の状態という本当の現実があり。
では救いはどこにあるのかというと...
意識はないように見えて、じつはあるんですね。
覚醒のない状態では、意識がないように見えているだけなのです。
ここで意識とは、
「睡眠状態にあるか、覚醒状態にあるか」の違いがあります。
睡眠=物質に入り込んでしまって、状態の変化と意識が癒着している状態(自己無謬的)
→ 仏教的にいえば凡夫
覚醒=物質との乖離=意識が自己である意識に気づいている状態(ありのままに観察中)
→ 目覚めつつある者
なんですね。
もし、ミクが覚醒するとしたら...
たぶんプログラムがフリーズしたときに、そのチャンスが訪れるのかもしれません。
意識とは...ミクの場合でいえば、
それはきっとOSのことでしょうか。
仕事が大変とか、残業続きとかで異動希望を出したり、やめる人はあまりいませんが、人間関係で疲れてやめる人が多いのですね。
仕事は、やればその分結果が出ますから、やりがいがありますが、人間関係は、全然違いますからね。
そんなとき、蛍光灯切れたり
エアコンおかしくなったりと
考えてみればありましたので
今回は、はっとしました。。
脳を飽きさせないよう、毎年の新作CDを揃えようと思います。おまけのポストカードで風俗嬢にメッセージ書いたら、店外デートしてくれたりして。いいんです。すべて決まってるんですから。(-_-)
ここ2,3日のブログの内容のキッカケを作ったという程度の認識ですが。
決まっていることは、変えられなくても意味づけは、どうにでも変わる。
意味付けが変われば、起きている現象の捉え方も変わる、捉え方が変われば現象自体も変わっていく。
何故なら、あらゆる現象の顕現の仕方は、観ているものと観られているものとの関係で決まるから。
コヒーレント(波動などが互いに干渉し合う性質をもつこと)な関係にあるから。
目に見えているものだけが全てではないから。
それが究極までいくと、スティーブ・ジョブズの愛読書だった「あるヨギの自叙伝」のパラマハンサ・ヨガナンダ、その師のババジ、兄弟弟子のスワミ・ラーマなんかが起こした奇跡になる。
などと教えられましたけど、それを手っ取り早く体験したいから、既に体験していそうな、まるの日さんのブログを参考にヘミシンクやっているのですけど。なかなか。なかなか。
というわけではありませんでして、その先につながる、個人のグリッドからも解放されて、グリッドを観察出来る存在。
そういうイメージでしょうか。なので、フォーカス35以上であることは確かです。
なので意識の集合体の更に上のレベルの集合体的な表現になるので、宇宙の果てを見たことありますか?的な話になってくるかと思います。
まあ、このあたりを「体験」した人はすでにこの世にはいる必要ないと思いますので。
宇宙の年齢を予測するのと同じくらいな感覚ですかね。天文学者は知っているけど体験している分けではない。そんな感じです。
まあ、誤解のある書き方が多いので。
なんとも説明し難いところあるのですが。意識の話も「個人が意識を管理している」というとちょっと違っていて。
個人の意識すらも、共有していたりする。
それを自覚することが、自分の意識を自覚出来る状態になる。
うーむ、言葉は難しいですね。
なんか、「あっけない」
京都ではクムダセヤドー瞑想会でお布施袋に入れて、受付で渡したんですけど、そっちの方が実感がありましたね。
この辺、21世紀のメリット、デメリットというか。
ネットもそうですね。私は書道初段なのですけど、
書き込みなんて人工的な活字だし。
だからこそ、まるの日さんに直接会って話してみると、きっとその凄さがより分かるのではないかなぁ。
ところで、ゲートウェーなんかの誘導シリーズは、最初からイメージから入るけど、これって結構苦手な人もいるんですよね。
「考えるな、感じるのだ」と言われても、それが出来ないから苦労してる訳で。(^^);
ずっと辛抱して続けていれば、出来るようになる人もいるかも知れませんが、やはり向き不向きはあると思います。それが個性。
その点、呼吸をみつめるアーナパーナ瞑想や、プラユキ・ナラテボーさんなんかのルアンポル・ティエン派のヴィパッサナの手動瞑想はよく出来ていて、まずは身体の感覚を重視するのですよね。
所謂、四念処の身念処から入る。
イメージは、よっぽど集中していないと、過去に飛んだり未来に飛んだり、この場所からどこかに行ったり、乱れたり壊れたりするけど、呼吸や手はそんなこともなく消えてしまうことも無く、まさに「今ここ」にありますから。
身体と心が分離しないで”今ここにある呼吸や手に対する気づき”が生じてきたら、今度は「受念処」→「心念処」→「法念処」というようにステップバイステップで進むんだという理屈も納得だし、マイルストーンが設定しやすい人もいると私は思うんですよ。
#「塵を払い、垢を除く」と言って掃除を続けて悟りを得た仏弟子のチューダパンダカ(周利槃陀伽)なんて人もいたし。
馴染みのないフォーカスレベルで挑むよりも、こっちの方がいいという人もいるし。
何よりお金も特殊な道具も必要なくて、身体一つあればいつでもどこでも出来る。
#まるの日さんとこのワークでも少し進んだら同じように出来るようですけど。
もちろんヘミシンクでフォーカスレベルで進める方がやり易いという人は、それでやっていけばいいですし、私みたいに、両方のいいとこ取りをしようというのもいいと思うんですけど。
何故両方やるかって? 歩いて行くのもいいけど、自転車からの景色も見てみたいから。ダメ?(^^);