昨日、今日と相撲の解雇の話題で大盛り上がりですね。
特に関心もなかったんですが、謝罪会見ということで、
「反省ゲーム」 の研究のためについ見てしまいました。
力士をずらりと並べて全員に頭を下げさせるという演出はなかなかのものでしたが、
みんなが深々と頭を下げているなか、
(元) 理事長はほんの1秒も経たないうちに頭を上げてしまうなど、
反省していると納得してもらえたかどうか怪しいなあと思っていたら、
案の定、ほかにもいろいろと情報が出てきてしまい、
終結にはほど遠いという感じがいたします。
今回の報道のなかでなんといっても2点、
あ、「ダメだこりゃ」 (by いかりや長介) と思ったことがありました。
ひとつは日本相撲協会が理事長代行を選ぶに際して、
外部理事から選ぶことに抵抗したということ。
もうひとつは、琴光喜を解雇処分とすることに対して貴乃花親方が反対し、
それが通らなかったために退職願を提出したということ。
前者に関しては、私も組織の一員として、
外部の人間をトップに据えるということに心理的抵抗があるのはものすごーくよく理解できますが、
今の相撲界はそんなこと言っていられるような状態ではない、
ということがわからないというのはとってもイタイことだなと思いました。
今年に入って、横綱の暴行事件、暴力団との癒着問題と続いて今回の賭博問題です。
花札ぐらいならたぶん関係ないでしょうが、野球賭博は完全に暴力団がらみです。
さかのぼればそれこそザクザクと問題が出てくるわけで、
この間、日本相撲協会はまったく自浄能力に欠けている、
力士に任せておいてもムリと、マスコミばかりでなく世間もそう思っているわけです。
この期に及んで内部理事長への交替ではすまないということがわからないというのは、
この問題 (群) の深刻さを理解できていない、ということなのでしょう。
これではまったく 「反省ゲーム」 にはなりません。
貴乃花親方の動きには、表に出てこない奥深い問題が隠れているかのようにも報じられていますが、
(たんに琴光喜への処分が重すぎるということではなく、
ウミを出し切らずに尻尾切りをしようとしていることへの抵抗だったんだ、とか?)
まあそれにしても、今世間は日本相撲協会の改革のための最後の砦として、
貴乃花親方に期待をかけているわけですから (私はそんなことありませんが)、
その彼が処分軽減を訴えるというのは、
端から見ると完全に内部の論理で動いているように見えてしまいます。
それでは前・北の湖理事長と同じじゃないのということになってしまいます。
最後の砦がそうだと、「ダメだ、こりゃ」 ですね。
そのうえそれが通らないと 「退職」 してしまうというのでは、
最後の火が消えてしまうわけです。
この動きは 「反省ゲーム」 のなかではたしてどれほど意味があったのか疑問に思いました。
さて、私はサッカーファンでない以上に、相撲ファンではありませんので、
前々から相撲に対してはけっこう冷めた見方をしていました。
外国人力士を受け入れてしまったときから、
もはや相撲は国際的なスポーツとして生き残っていくしかないだろうと思っていました。
相撲って純粋な格闘技としてなかなかよくできたルール体系をもっていると思うのです。
(ただ相手を倒せば勝ちって、ちょっと普通では考えつかないぐらい平和な格闘技です)
しかしながら日本相撲協会の人たちも、コアな相撲ファンの人たちも、
あいかわらず 「日本の国技」 とか 「日本の伝統文化」 として相撲を残していきたがっているようです。
私に言わせるとそれこそが諸悪の根源で、だからこそいつまで経っても、
八百長疑惑や特別なスジの人たちとのつながりを解消できずにいるのではないかと思うのです。
部屋制度とかも教育システムとして機能するわけがなくて、
賭博や薬物やいじめ・暴行の温床にするために残しているとしか思えません。
そうしたしがらみを断ち切ることこそ、
相撲が純粋で健全な国際スポーツとして発展していく唯一の道だと思うのですが、
相撲が好きな人からすると、そもそもそんな方向性がありえないのでしょうね。
だとすると、「日本の国技・伝統文化」 としてすべてのしがらみを大切に、
今後もダーティにやっていくしかない、
したがって今回のような問題も 「うーん、そりゃそうだよね、誰でもやっちゃうよね」 と、
温かく見守ってあげるしかない、と私には思えるのでした。
特に関心もなかったんですが、謝罪会見ということで、
「反省ゲーム」 の研究のためについ見てしまいました。
力士をずらりと並べて全員に頭を下げさせるという演出はなかなかのものでしたが、
みんなが深々と頭を下げているなか、
(元) 理事長はほんの1秒も経たないうちに頭を上げてしまうなど、
反省していると納得してもらえたかどうか怪しいなあと思っていたら、
案の定、ほかにもいろいろと情報が出てきてしまい、
終結にはほど遠いという感じがいたします。
今回の報道のなかでなんといっても2点、
あ、「ダメだこりゃ」 (by いかりや長介) と思ったことがありました。
ひとつは日本相撲協会が理事長代行を選ぶに際して、
外部理事から選ぶことに抵抗したということ。
もうひとつは、琴光喜を解雇処分とすることに対して貴乃花親方が反対し、
それが通らなかったために退職願を提出したということ。
前者に関しては、私も組織の一員として、
外部の人間をトップに据えるということに心理的抵抗があるのはものすごーくよく理解できますが、
今の相撲界はそんなこと言っていられるような状態ではない、
ということがわからないというのはとってもイタイことだなと思いました。
今年に入って、横綱の暴行事件、暴力団との癒着問題と続いて今回の賭博問題です。
花札ぐらいならたぶん関係ないでしょうが、野球賭博は完全に暴力団がらみです。
さかのぼればそれこそザクザクと問題が出てくるわけで、
この間、日本相撲協会はまったく自浄能力に欠けている、
力士に任せておいてもムリと、マスコミばかりでなく世間もそう思っているわけです。
この期に及んで内部理事長への交替ではすまないということがわからないというのは、
この問題 (群) の深刻さを理解できていない、ということなのでしょう。
これではまったく 「反省ゲーム」 にはなりません。
貴乃花親方の動きには、表に出てこない奥深い問題が隠れているかのようにも報じられていますが、
(たんに琴光喜への処分が重すぎるということではなく、
ウミを出し切らずに尻尾切りをしようとしていることへの抵抗だったんだ、とか?)
まあそれにしても、今世間は日本相撲協会の改革のための最後の砦として、
貴乃花親方に期待をかけているわけですから (私はそんなことありませんが)、
その彼が処分軽減を訴えるというのは、
端から見ると完全に内部の論理で動いているように見えてしまいます。
それでは前・北の湖理事長と同じじゃないのということになってしまいます。
最後の砦がそうだと、「ダメだ、こりゃ」 ですね。
そのうえそれが通らないと 「退職」 してしまうというのでは、
最後の火が消えてしまうわけです。
この動きは 「反省ゲーム」 のなかではたしてどれほど意味があったのか疑問に思いました。
さて、私はサッカーファンでない以上に、相撲ファンではありませんので、
前々から相撲に対してはけっこう冷めた見方をしていました。
外国人力士を受け入れてしまったときから、
もはや相撲は国際的なスポーツとして生き残っていくしかないだろうと思っていました。
相撲って純粋な格闘技としてなかなかよくできたルール体系をもっていると思うのです。
(ただ相手を倒せば勝ちって、ちょっと普通では考えつかないぐらい平和な格闘技です)
しかしながら日本相撲協会の人たちも、コアな相撲ファンの人たちも、
あいかわらず 「日本の国技」 とか 「日本の伝統文化」 として相撲を残していきたがっているようです。
私に言わせるとそれこそが諸悪の根源で、だからこそいつまで経っても、
八百長疑惑や特別なスジの人たちとのつながりを解消できずにいるのではないかと思うのです。
部屋制度とかも教育システムとして機能するわけがなくて、
賭博や薬物やいじめ・暴行の温床にするために残しているとしか思えません。
そうしたしがらみを断ち切ることこそ、
相撲が純粋で健全な国際スポーツとして発展していく唯一の道だと思うのですが、
相撲が好きな人からすると、そもそもそんな方向性がありえないのでしょうね。
だとすると、「日本の国技・伝統文化」 としてすべてのしがらみを大切に、
今後もダーティにやっていくしかない、
したがって今回のような問題も 「うーん、そりゃそうだよね、誰でもやっちゃうよね」 と、
温かく見守ってあげるしかない、と私には思えるのでした。