教員という仕事には邪悪な喜びが伴うという話を昨日書きましたが、その話の続きです。
昨日はもっと別の喜びで代替しようというとてもまじめな話で終えましたが、
今日のはそれとはちょっと違う方法です。
先日の講演 「まさおさまの幸福の倫理学」 のなかで、
「②-1 欲求・欲望をコントロールする」 という方法をご紹介しました。
それの応用編です。
特権を行使し人を支配することは楽しいことだと認め、
その欲求・欲望はどんどん肥大化して歯止めが利かなくなりがちだということも理解した上で、
この邪悪な欲求をできるだけ小さく抑え、
他人に実害を加えなくてすむくらいにコントロールしながら楽しむというやり方です。
これは、いつものように私が講義をしているときにふと発見してしまった方法です。
私の講義はむちゃくちゃ板書が多いです。
M教室の4面の黒板を用いて書いては消し書いては消し、
延々と板書をしていきます。
で、ときどき大事なキーワードや記号なんかを書くときに、
白のチョークではなく黄色や赤の色チョークに持ち替えて書くことがあります。
そうすると学生たちはみんな一斉に、
筆箱をガチャガチャ言わせながら色ボールペンを取り出すのです。
別に私は 「ここは色を変えてノートしておいてね」 と指示したわけでもないのですが、
みんなちゃんとペンを持ち替えてくれるのです。
私の振る舞いによって70~80人が一斉に動き出すのを見ているとものすごく気持ちいいです。
ああ、みんな俺の言いなりだ、今俺はこれだけの人間を支配してるんだ、と感じられます。
それは小っちゃいけれど十分邪悪な喜びです。
しかも誰にも実害は与えません。
ノートのなかのキーワードが赤ペンで強調されることによって、
むしろ彼らは利益を得ています。
私が心のなかで邪悪な喜びに打ち震えているのも知らないで、
彼らは単位を取る上で重要な単語を記憶に刻みつけているのです。
昔一度だけ、エスカレートしたがる邪悪な欲求に負けて、
キーワードでも何でもないところを黄色いチョークで板書したことがありました。
するとやはりみんな一斉にペンを持ち替えて書いてくれました。
こんな単語、大事でも何でもないことなんかちょっと考えればわかりそうなものなのに、
やっぱりみんな俺の言いなりなんだ、と邪悪な欲求は一瞬満たされましたが、
しかしすぐに後悔と自責の念に囚われてしまいました。
で、「ゴメン、ゴメン、ここはキーワードじゃなかった」 とすぐに謝り訂正することになりました。
昨日も言ったとおり邪悪な喜びは長続きしないのです。
特に相手に実害を与えるような振る舞いは一瞬しか喜びをもたらしてくれないと知り、
その後はそんな馬鹿なマネはきっぱりやめ、
邪悪な欲求がこれ以上肥大化していかないようコントロールしています。
学生たちにこの話もしてあげました。
邪悪な喜びに打ち克てない人は、こんなことでもその喜びを得られるから、
それ以上エスカレートしないようにこれぐらいで満足していようね、と。
この話を授業でしたのが、福大祭のあとでしたから2、3週間前のことだったでしょうか。
その後、授業をするときに何かちょっと違和感を感じていました。
その違和感が何なのかよくわからないのですが、何かいつもと違う感じがしていたのです。
その正体が先週の授業のあとやっとわかりました。
ある学生さんがワークシートにこんなふうに書いてくれていたのです。
「授業の内容とは関係なくてごめんなさい。
先生が、『色を使ったときにみんながガチャガチャするのが気持ちいい』
といったようなことを以前おっしゃっていました。
その後、色を使うとき (今日の 「>」 など) に、みんなが密かに抵抗をしているのか、
ペンケースから音を立てないようにひっそりと取り出している感じがして
すごくおもしろかったです。
かく言う私も、音を立てないようについ気をつけてしまいます。」
クソー、そうだったのか!
そうなんですよ、色チョークを使ったときに得られる快感が薄れていたのです。
色チョークを使うとみんなペンを持ち替えているのは見えますから、
それで気づかなかったのですが、
みんなが一斉にガチャガチャ言わせるあの音があまり聞こえないから、
それで邪悪な喜びが半減してしまっていたのでした。
なるほど、やはり人はどんなことであれ人から思い通りに操られるのはキライなんだな。
だけど授業前にみんなで話し合ったわけでもないだろうに、
みんながみんな揃ってそんな行動を取っていたとは…。
やはり人を支配しようなんて思ってはいけませんね。
必ずしっぺ返しを食らいます。
というわけで教員の邪悪な喜びに身を委ねるのはやめて、
やはり人の成長を助け人の成長を見届けるという、
教員にとっての正当でかつ最大の喜びを追求するようにいたしましょう!
どうしてもやりたい人はネタバレしないよう気をつけてください。
昨日はもっと別の喜びで代替しようというとてもまじめな話で終えましたが、
今日のはそれとはちょっと違う方法です。
先日の講演 「まさおさまの幸福の倫理学」 のなかで、
「②-1 欲求・欲望をコントロールする」 という方法をご紹介しました。
それの応用編です。
特権を行使し人を支配することは楽しいことだと認め、
その欲求・欲望はどんどん肥大化して歯止めが利かなくなりがちだということも理解した上で、
この邪悪な欲求をできるだけ小さく抑え、
他人に実害を加えなくてすむくらいにコントロールしながら楽しむというやり方です。
これは、いつものように私が講義をしているときにふと発見してしまった方法です。
私の講義はむちゃくちゃ板書が多いです。
M教室の4面の黒板を用いて書いては消し書いては消し、
延々と板書をしていきます。
で、ときどき大事なキーワードや記号なんかを書くときに、
白のチョークではなく黄色や赤の色チョークに持ち替えて書くことがあります。
そうすると学生たちはみんな一斉に、
筆箱をガチャガチャ言わせながら色ボールペンを取り出すのです。
別に私は 「ここは色を変えてノートしておいてね」 と指示したわけでもないのですが、
みんなちゃんとペンを持ち替えてくれるのです。
私の振る舞いによって70~80人が一斉に動き出すのを見ているとものすごく気持ちいいです。
ああ、みんな俺の言いなりだ、今俺はこれだけの人間を支配してるんだ、と感じられます。
それは小っちゃいけれど十分邪悪な喜びです。
しかも誰にも実害は与えません。
ノートのなかのキーワードが赤ペンで強調されることによって、
むしろ彼らは利益を得ています。
私が心のなかで邪悪な喜びに打ち震えているのも知らないで、
彼らは単位を取る上で重要な単語を記憶に刻みつけているのです。
昔一度だけ、エスカレートしたがる邪悪な欲求に負けて、
キーワードでも何でもないところを黄色いチョークで板書したことがありました。
するとやはりみんな一斉にペンを持ち替えて書いてくれました。
こんな単語、大事でも何でもないことなんかちょっと考えればわかりそうなものなのに、
やっぱりみんな俺の言いなりなんだ、と邪悪な欲求は一瞬満たされましたが、
しかしすぐに後悔と自責の念に囚われてしまいました。
で、「ゴメン、ゴメン、ここはキーワードじゃなかった」 とすぐに謝り訂正することになりました。
昨日も言ったとおり邪悪な喜びは長続きしないのです。
特に相手に実害を与えるような振る舞いは一瞬しか喜びをもたらしてくれないと知り、
その後はそんな馬鹿なマネはきっぱりやめ、
邪悪な欲求がこれ以上肥大化していかないようコントロールしています。
学生たちにこの話もしてあげました。
邪悪な喜びに打ち克てない人は、こんなことでもその喜びを得られるから、
それ以上エスカレートしないようにこれぐらいで満足していようね、と。
この話を授業でしたのが、福大祭のあとでしたから2、3週間前のことだったでしょうか。
その後、授業をするときに何かちょっと違和感を感じていました。
その違和感が何なのかよくわからないのですが、何かいつもと違う感じがしていたのです。
その正体が先週の授業のあとやっとわかりました。
ある学生さんがワークシートにこんなふうに書いてくれていたのです。
「授業の内容とは関係なくてごめんなさい。
先生が、『色を使ったときにみんながガチャガチャするのが気持ちいい』
といったようなことを以前おっしゃっていました。
その後、色を使うとき (今日の 「>」 など) に、みんなが密かに抵抗をしているのか、
ペンケースから音を立てないようにひっそりと取り出している感じがして
すごくおもしろかったです。
かく言う私も、音を立てないようについ気をつけてしまいます。」
クソー、そうだったのか!
そうなんですよ、色チョークを使ったときに得られる快感が薄れていたのです。
色チョークを使うとみんなペンを持ち替えているのは見えますから、
それで気づかなかったのですが、
みんなが一斉にガチャガチャ言わせるあの音があまり聞こえないから、
それで邪悪な喜びが半減してしまっていたのでした。
なるほど、やはり人はどんなことであれ人から思い通りに操られるのはキライなんだな。
だけど授業前にみんなで話し合ったわけでもないだろうに、
みんながみんな揃ってそんな行動を取っていたとは…。
やはり人を支配しようなんて思ってはいけませんね。
必ずしっぺ返しを食らいます。
というわけで教員の邪悪な喜びに身を委ねるのはやめて、
やはり人の成長を助け人の成長を見届けるという、
教員にとっての正当でかつ最大の喜びを追求するようにいたしましょう!
どうしてもやりたい人はネタバレしないよう気をつけてください。