まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相馬看護13期生に 「病気が教えてくれたこと」

2015-05-22 08:50:49 | 生老病死の倫理学
昨日は感想だけお伝えした看護学校での新しいワーク 「病気が教えてくれたこと」 の、
各グループ代表作品をご紹介していきましょう。
昨日引用したなかに 「感動部門だけでなく面白部門もあって、聞いていて楽しかった」
という感想があったことにお気づきだったでしょうか。
実は、全7班中3つのグループがいわゆる 「面白部門」 だったのですが、
昨日も述べたように彼らはまだ若いですのでそれほど病気体験が豊富なわけではありません。
ですから、それはそれで彼らにとっての大切な病気からの学びだったのだろうと思います。
それでは、13期生に病気が教えてくれたこと、ご堪能ください。


【1班の代表作品】
病気にかかった昔の自分は、毎日が嫌いだった。
1日に何回も飲む薬。
定期的に行かなければならない病院、採血、検査。
学校を早退して、友だちとサヨナラする時間が嫌だった。
そんな時にいつも思ってたことがある。今でも思いだす。
「なんで私なんだろう…。私だけ? みんなと違うの?」
子どもながら疑問ばかりだった。
でも、
いつも傍らで支えてくれる母、治そうと一緒に向き合ってくれる先生、看護師さん。
何かに気づかされた自分がいた。
「病気なんかに負けたくない」
「お母さんを心配させたくない」
そう思うようになった数年後、病気に勝つことができた。
私の戦いは終わったのだ。
それと同時に、病気は自分を強くしてくれる ”友だち” へと変化した瞬間だった。


【2班の代表作品】
普段とかわらないある日、その時は突然におとずれた。
口の中におかしな感覚がやってきた。口内炎だった。
翌日から壮絶な戦いが始まった。
歯をみがくのもおかしをたべるのも授業をうけてる時すらいたい。
一番いたいのは汁物をのむ時。死にたくなる。
毎日クイックショットをふきかけ、ケナログをぬり痛みにたえた。
薬をぬる時すら痛い。
が、一週間後戦いはおわった。私は勝った。

やつから様々なことを学んだ。
ゆっくりかむこと。口の中に食べ物を多く入れないこと。
大好きなスープやみそ汁がのめなくなること。
やつへの殺意が芽ばえた時もあった。
食べたい物を食べれないという葛藤。
痛みをおそれ、食べるのをちゅうちょしてしまう自分の弱い意思。
いろいろ経験した。その中で気づいたことがある。
太ってから、やつとの戦いが多くなってきたことを。
やつは私に ”おまえ太ってんの自覚しろ” といっているのだということを。
分かった。やせる。
教えてくれてありがとう。


【3班の代表作品】
ノンフィクション。
私は腹痛、吐き気がひどく、病院を受診した。血液検査を行い、Drは 「炎症反応が高いから胃腸炎ですね。おそらく食べすぎでしょう」 といった。しかし私はご飯を食べすぎたと一言もいってない。体型で判断されてしまったのだ。薬を処方されても効かずにご飯も食べれなかったため、別の病院の救急外来を受診した。診断は虫垂炎で早急の手術が必要だった。手術後3日間は食事が摂れずに点滴での給油。病室には普段では食べれない見舞いの果物やお菓子の誘惑。やっと食べれるようになったころには看護師さんが 「○○くんじゃ病院食は足りないでしょう、大盛りにしてあげる」 と言ってくれたので、自分の体型にはメリットもあるんだなと思いつつ、3日間も断食をしたことのない私は、食べれないことがこんなにも苦しいことで、普段1日3食たべていることがこんなに幸せなことなのかと教えられる出来事だった。


【4班の代表作品】
鼻風邪をひいた。
その週に限って大好物のご飯ばかりでる。お母さんの作るご飯はいつも美味しい。
悔しいことに鼻がつまって味がしない。
鼻風邪は、ご飯を美味しく食べれる日々の有り難みを教えてくれた。ありがとう。
だけど、風邪が治ってからのご飯は好きな物がでなかった。


【5班の代表作品】
毎日なにげなくお弁当ができあがっていたり、夜ご飯、朝ご飯がつくってあって、家の中はいつもきれいに掃除されていることが当たり前だと思っていた。そんな中急に母がお腹の痛みを訴えすぐ入院することになってしまった。その日から自分のことに加え家事や妹の面倒を見ながらの生活が始まった。学校のことと家事を両立するのはものすごく大変だった。家の中に一人いないだけで家の中がものすごく広く感じて静かに感じた。毎日母のことばかり考えて不安な気持ちをおさえ、妹の世話や家事をできる限りやった。そんな中、私が休みの日に母のお見舞いに行った。なぜかわからないが母の顔を見ただけで涙がこぼれた。母は、腸閉塞になっており2週間ほど絶飲・絶食であったため、ひとまわり小さくなっていた。そんな母をみた時に母の大変さを身にしみて感じた。また、家族の大切さも改めて感じた。そのため、母への感謝の気持ちを忘れず、家族のありがたみを忘れずに生きていきたい。


【6班の代表作品】
私は1才頃から左大腿部に大きな、大人の拳ほどの腫瘍がありました。見つけたのは私の祖母で、ある日突然 「太ももが腫れている」 ということで病院へ行きました。病名は 「リンパ管腫瘍」 でした。良性のもので、手術で取れば問題ないのですが、当時21才の母は医学に関する知識はほとんど無かったため、「一人娘の足を手術するなんて」 と大きなショックをうけていました。大人ばかりが入院していた整形外科の病棟に入院して、私と母の闘病生活が始まりました。
手術したのは3~4才頃でした。左大腿部の腫瘍は筋肉とゆ着していたため、少しの筋肉といっしょに切ってしまったので、術後の痛みと下肢筋力を回復するためのリハビリはとてもつらかったです。
ちょうど私と母が病と闘っているときに、1本の電話が入りました。「(祖父の名前)ちゃん、脳梗塞で倒れた」 と知らされました。母にとっては実父なのでショックが大きかったと思います。祖父は一命をとりとめることができましたが、私と母はA市に住んでおり、祖父母はB市に住んでいたので、顔を見にいくことが出来なくてとても心配し、つらい思いをしました。母と私は病院で折り紙を買って病室で二人、千羽鶴を折りました。A市は父方の地元だったので母にとっては知らない土地なので頼れる人もいない孤独な場所だったと思います。しかし、1日中私につき添い続けている母も、1日の中でほんの数回だけ喫煙所にたばこを吸いに行っていました。その喫煙所には、様々な病気をかかえる患者さんが集い、その中で、優しい言葉をかけてくれたり、互いにがんばろうと励まし合っていたと後に聞きました。
病のおかげで学んだことは、人と人のあたたかさ、優しさと、歩けることのよろこび。母とすごした病室の思い出が、今の私を支えてくれています。あのときの手術の傷は20cmほどのケロイドで残っていますが、それは、私と母が頑張った勲章であり、この傷は他者から見たら不格好ですが、それが私の一番の誇りです。


【7班の代表作品】
祖母にいつも甘えていた。それなのに祖母に言われたこと、名前を呼ばれたのに無視をしてしまった。
私が旅行に行っている時、祖母が脳梗塞で倒れた。それを知ったのは旅行から帰ってきた時だった。その日、私はあんな態度を取ってしまったことに対して自分が許せなくくやんでいた。笑顔を見せる祖母の姿を見て心がほっとした。
現在祖母は車椅子での生活をしている。私がその日学んだことは 「くやむことはしないこと」、「家族のありがたさ」 を思い過ごしていくことの大切さを学んだ。今、私は祖母に話しかけたり、楽しく生活している。祖母が一緒にいれることに対して私は 「感謝」 しているし、家族がそばにいることを 「当たり前」 だと思ってはいけないと感じている。


いかがだったでしょうか。
ユーモラスなものもありつつ、本当に壮絶な闘病体験談もあって感動的でした。
発表に際しては、本人が読み上げるのではなく、
代表作品の作者とは別に読むのが上手かった人を選出してその人に発表してもらいました。
発表を始めようとしたところ、学生のひとりがさっと前に走り出て、
マイクとスピーカーの用意をして最初の発表者に手渡してくれました。
それほど広い教室ではないので、いつものグループ発表ではマイクなんて使っていませんが、
今回のワークはマイクを通して聞いたほうがより感動的でした。
その場でさっと書いたエッセイにしてはどれもよくできているのではないでしょうか。
ゆっくり文章の推敲をする時間を与えられなかったので、
若干、文章表現に難も見られますが (ら抜き言葉や主語・述語の非対応など)、
明らかな誤字脱字や語の重複以外はそのままにしておきました。
ワークシートを返却するときはきちんと添削して返還してあげたいと思います。
このあと私もゆっくりみんなのエッセイを読ませていただきますが、
代表作品以外にもぐっと来るものがあったらまたご紹介していきたいと思います。