まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

弟子のブログとハンナ・アーレントに捧ぐ

2010-07-10 12:25:51 | 哲学・倫理学ファック
先日、ミルクソープという気色悪い話のついでに紹介することになってしまいましたが、
渡部純先生が新しくブログを始められたことをお伝えしました。
渡部先生のブログのタイトルは 「VITA ACTIVA」 で、
これは彼が好きなハンナ・アーレントの言葉から取られたものです。
それがどういう意味かは、彼のブログの最初の記事をご覧ください。
ブログ全体が 「VITA ACTIVA」 にちなんで、
「活動」、「仕事」、「労働」 の3つのカテゴリーから構成されており、
行き当たりばったりにカテゴリーを増やしていっている私のブログとは異なり、
むちゃくちゃオシャレです。
しかしながら彼は私のことを 「ブログの師匠」 と呼んでくれており、
師匠としては少しは師匠らしいこともせねばと、
ちょっとした技術的なアドバイスなどをしてあげましたが、
彼は文章の途中に画像をはさみこむなど私が使ったことのない手段も駆使しているので、
もはや勝敗は明白です。
こちらの読者を全部取られてしまうのではないかと今から戦々恐々としています。

それはさておき、私もアーレントには少なからぬ因縁があって、
前々からどう扱ったらいいか悩んでいる相手です。
ものすごーく惹かれる部分と、ものすごーく反発を感じる部分が同居している思想家で、
捉えどころがないなあというのが正直な感想です。
その昔、「社会思想入門Ⅱ」 という授業のなかで、
アーレントについて1回だけ語ったことがあります。
そのときのレジュメを今日は掲載してしまいます。
実はこの内容は、公民学習研究会で発表して渡部先生にも聞いてもらったことがあるのですが、
専門家の前で拙い発表などしてしまい忸怩たる思いが残っています。
いろんな意味で弟子に遅れを取ってしまっておりますが、
そういう師匠もいていいのではないかなあと思います。
(私の師匠も以前そんなようなことを書いておられました。)
というわけで、恥も外聞もなく拙論を引用させていただくことにいたします。



      アーレント「政治という公的活動の場の再構築」
                                   小野原雅夫

Ⅰ.「国家なき人間」―全体主義の時代のユダヤ人女性

 ハンナ・アーレント(Hannah Arendt 1906-75)は、20世紀初頭のドイツにおいてユダヤ人女性として生を受けました。幼い頃のアーレントはユダヤ人であることをほとんど意識せずに成長することができましたが、20世紀の歴史は彼女を否応なく波乱の人生へと呑みこんでいくことになります。1933年、反ナチ活動に従事して逮捕拘留されたアーレントは、その直後、フランスへと亡命しました。このときからほぼ20年近くのあいだ、アーレントは「国家なき人間」として生きていくことになります。こうした経験は彼女に「政治的思考」を深めさせていくことになります。
 アーレントの出世作でありかつ代表作でもある『全体主義の起源』は、彼女がアメリカの市民権をやっと獲得した1951年に出版されました(そして、この書以降、アーレントは自著をすべて母語であるドイツ語ではなく、英語で執筆しています)。『全体主義の起源』は、反ユダヤ主義の起源とその20世紀的展開について詳しく分析しており、とりわけ20世紀という時代が、亡命者や難民といった、国民国家から締め出され、まったく法的庇護を与えられない「見捨てられた人々」を大量に生み出していく悲劇を描き出しました。アーレントは、人権という理念が彼らを護るのに何の役にも立たないということを鋭く批判します。彼らは人権よりも根本的な権利、「諸権利を持つ権利」を奪われてしまっているのです。アーレントの人権批判は、「法の保証を失って生国から放り出され、国籍喪失という非人間的状態に委ねられた場合の、われわれの基本的恐怖を、いやというほど知り尽くした」(ヤスパース『哲学的自伝』)当事者本人から発せられているからこそ、現代においても耳を傾ける必要があると言えるでしょう。そして、アーレントにとって、国家に属すること、政治に参加することは人間の根本的条件に関わる重要な要件となるのです。

Ⅱ.アーレントの政治観―複数性、共和主義、「社会問題」批判

 アーレントは人間の条件として生命、世界性、複数性(=多元性)の3つを挙げています。そしてそれぞれに対応して、労働 labor、仕事 work、活動 action という3つの営みがある、と論じています。このうち最初の2つは人と物との関係であり、特に労働は人間のみならず、生命を持つものすべてが生命維持のために携わる低次の営みです。これに対して、活動だけが純粋に人と人との関係であり、したがって最も重要な営みであるとされています。活動とは、相互に異なりそれぞれ唯一の存在であるような複数の人間たちが、語り speech を通して互いの唯一性 uniqueness を示し合うような共同的相互行為です。アーレントにとって、政治とはまさにこのような意味での活動にほかなりません。
 このアーレントの政治観には、大きく言って2つの含意があります。まず、政治とは人間にとってたんなる手段としての価値しか持たないようなものではない、ということです。アーレントが考える政治は、近代社会契約説が言うような諸個人の利害を調整する手段でもなければ、ウェーバーの言うような支配のための道具でもありません。政治(ポリティクス)とは人間が人間であるための条件であって、それ自体が目的そのものであるような公共的な活動です。そして国家(ポリス)とはそのような活動の場にほかならないのです。したがって政治参加を奪われた者、国家を奪われた者は、まさに人間の基本的条件を奪われたことになるのです。アーレントによれば、公的領域は人間にとって必要不可欠な場です。アーレントは「政治の存在理由は自由であり、自由が経験される場は活動である」(『過去と未来の間』)と述べていますが、彼女の言う自由は、私的領域さえ侵犯されなければ自由でありうるといった近代自由主義の言う自由とは根本的に異なります。自ら公的世界に積極的に関与していくことこそが、アーレントの言う自由なのです。市民にそのような公共性、共同性を要求する彼女の政治思想は「共和主義 republicanism」、ないしは現代の言葉で言うなら「ラディカル・デモクラシー」と呼ぶことができるでしょう。
 第2に、アーレントは政治という活動の場に労働の問題を持ち込むことに反対します。アーレントによれば、近代とはまさに労働(すなわち生存維持のための行為)が公共性のあり方を規定するようになってしまった不幸な時代です。これを言い換えて、「社会問題」が政治を規定するようになってしまった時代、とも言っています。これは、政治が本来関わるべきではない私的領域の問題への対処に追われるようになってしまったということであり、それによって政治は自由な意見の交換の場としての本来的機能を失い、生命の必然(必要)によって一義的に決定が下されるような場へと貶められてしまっている、というのです。その最たる形がマルクシズム、社会主義にほかなりません。アーレントはソ連型の社会主義(スターリニズム)を、ナチズムと同様「全体主義」―イデオロギー支配と組織的テロルの統合―であるとして断罪しましたが、それと同時に、そもそも労働に定位したマルクスの思想は(ロックやスミスの思想も然り)、政治の本来のあり方を誤らせてしまうものなのです。

Ⅲ.ユダヤ人女性であることを超えて

 アーレントの思想が、彼女がユダヤ人であることによって蒙った政治的経験に基づいて形成されてきたことは確かですが、彼女の思考はユダヤ人であることによって規定されてしまっていたわけではありません。むしろ彼女の思想はユダヤ人の中できわめてユニークであったと言うことができます。1961年、アーレントは、ユダヤ人絶滅計画の実行に重要な役割を果たした元ナチ親衛隊アドルフ・アイヒマンの裁判をイスラエルで傍聴しました。その記事は雑誌に連載され、それを書物にまとめたものが『イェルサレムのアイヒマン』です。この書には「悪の陳腐さについての報告」という副題がつけられています。あらゆる罪状を否認して無罪を主張する被告に対して、法廷中が、イスラエル中が、そして世界中のユダヤ人が怒りを募らせている中、アーレントはただ1人この裁判を冷静に見守っていました。そして、彼はけっして残虐かつ狂信的な人種差別主義者であったわけではなく、ただ法や命令に忠実なだけの平凡な一官吏にすぎなかったこと、彼がもたらした甚大な悪の原因は、自分で何も考えていないということ、ただそれだけであるという事実を見抜きました。さらにこの書の中で、ナチの絶滅計画に協力したユダヤ人が存在していたことをも取り上げたアーレントは、これ以後ユダヤ人社会から激しい非難を受けることになりますが、彼女は自らの立場から一歩たりとも撤退することはありませんでした。
 アーレントはそもそもイスラエル建国以前から、「アラブ人とユダヤ人の協力という思想は、これまで一度も、全くといってよいほど実現されなかったし、今日ではかつてないほど実現困難に見えるが、理想主義的な夢物語ではなく、穏当な言明である。つまりそれは、それなしではユダヤ人のパレスチナでの試みがすべて灰燼に帰すという事実を述べたものである」と語り、パレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の共存を唱えていました。アーレントはユダヤ人であるからといってユダヤ人問題に対する目を曇らせてしまうことなく、現代にもそのまま当てはまるような洞察に、すでに1940年代前半の段階で達していたのです。彼女の言う共同性や公共性が、たんに同じ民族や仲間たちで群れ集い同じ価値観で団結することにあるわけではない、ということは明らかでしょう。
 さらに言えばアーレントは、自らが女性であることにも囚われず、当時勃興しつつあったフェミニズムの思潮から一線を画していました。彼女に言わせれば、女性であることは私的領域の問題にすぎないのです。そのようなアーレントの考えはフェミニズムから批判を受けることになりましたが、それに対しても彼女は超然と構えていました。私的な問題を離れて公共性の世界へと参与していくという共和主義の理想は、貴族主義的で近寄りがたい感じも抱かせますが、本来、自由とか政治というものはそのような孤高の勇気と高貴さに溢れたものであるべきではないでしょうか。

ちょっとはがんばるダイエット勝因分析

2010-07-09 12:28:47 | がんばらないダイエット
皆さんお待ちかねの 「ちょっとはがんばるダイエット」 勝因分析です。
まさおさま史上最高の体重を記録してしまった3月から、
16年ぶりに65㎏を切ることができたこの7月まで、
三日坊主の私が4ヶ月間も取り組み続けることができたのは以下のダイエットです。

階段ダイエット
これまで1週間ともたなかった 「階段ダイエット」 ですが、今回は未だに継続中です。

MBTダイエット
これは毎日というわけにはいかず、
その日の服装のコーディネート次第というところがあるのですが、
週の半分くらいはMBTを履いているんじゃないかと思います。
最近、MBTのサンダルを購入しましたので、
夏場になってMBTの着用率はグンとアップしました。

発泡酒ダイエット
これは3月よりも前からずーっと続けています。
我が家の冷蔵庫には常に 「サントリー・ダイエット生」 とライムが入っています。
ビール飲みとしては発泡酒に手を染めるのには忸怩たるものがありますが、
しかしビール摂取量が異様に多い私としては、
カロリー50%OFF! 糖質70%OFF!
というのは大きな魅力です。
ライムを搾ってコロナビール風に飲むことで、
発泡酒で代替する屈辱をなんとかごまかし、ずっと続けることができました。

朝だけ断食ダイエット
しかし、なんといっても石原結實先生の 『男を持続させる食べ物、生き方』(ベスト新書、2009年)
という本に出会えたことが最大の勝因であったろうと思います。
この本の中心的テーゼは 「朝だけ断食」 = 「石原式基本食」 で、
もう一度以下に記しておきますが、下記のような食生活を送ることが主となります。

朝食:生姜紅茶 (紅茶にすり下ろした生姜とハチミツを入れる)
    または
    人参・リンゴジュース だけ
昼食:そば (ざるそばかトロロそばかワカメそば、いずれも七味唐辛子とネギをたっぷり加える)
    または
    具沢山のうどんかスパゲッティ・ペペロンチーノ
夕食:アルコール類を含めてなんでも可

夜はいくらでも何でも食べていいというのが気に入って、
ちょっとやってみる気になったのでした。
折しも、今年になって生まれて初めて満腹感を感じることができるようになっていたので、
まったくツライ思いをすることなく、「朝だけ断食」 を実行することができました。
昨年までだったら朝起きるともうお腹が空いていて、
朝っぱらからカップラーメンやら袋メンとかをペロリと食べていましたから、
「朝だけ断食」 を続けることはできなかったろうと思います。
以前にはヒルズダイエットではありませんが、
ダイエット用のスープとビスケットみたいなやつを試したこともありましたが、
それだとやはりお腹いっぱいにならず、けっきょくガマンできなくて、
さらにカップラーメンを食べてしまうなんていうことを繰り返していましたので、
満腹を感じられるようになったがゆえに 「朝だけ断食」 を続けることができたと言えるでしょう。
なんだかんだ言っても、やっぱり摂取カロリーを減らすことが、
ダイエットにとっての大事な必要最低条件なんだなということを実感しました。

石原先生の本には他にも 「男を持続させる生き方」 として、
下半身を中心とした運動を行うことなども書いてありました。
しかし、本のなかにはこんな運動を行うといいよという、
具体的な例示が図を交えてたくさん紹介されていたのですが、
残念ながら、本を読んだだけでは実際にそれをやってみる気にはなれませんでした。

⑤専属インストラクター作成の運動メニュー
そんな話をたまたましていたら、ジムでインストラクターのバイトをしてる子が、
私専用の運動メニューを作ってくれることになりました。
その道のプロからすると、やはり筋肉をきちんとつけておかないと、
リバウンドしてしまったりなど、ダイエットは成功しないのだそうです。
大変なメニューだったら絶対に続かないから、とにかくラクなやつにしてくれとお願いして、
腕立て伏せ10回×2セット、腹筋10回×2セット、スクワット10回×2セット、
というとても簡便なメニューを作ってもらいました。
腕立て伏せは腕を鍛えるのではなく、体幹を鍛えるためなので、
両手を肩幅の2倍くらいに開き、全身が一直線になるよう意識してやってくださいとか、
フツーの起き上がり腹筋なんて私にできるはずありませんから、
脚をイスに乗っけた状態で上半身を20~30㎝持ち上げるだけでいいですとか、
随所に私に合わせた工夫がこらされたメニューです。
最初はヒーヒー言ってたのが、次第にラクラクこなせるようになっていき、
1ヶ月以上続いたあとは、腹筋の回数を倍に増やしたり、
背筋を鍛えるメニューが加わったりして、現在に至っています。

運動を続けるためには専属のインストラクターを付けることが必要だと聞いたことがあります。
意志が弱い人間は1人で運動を続けることはできませんが、
誰かがわざわざ自分のためだけに作ってくれたメニューを、
その人に励まされたり、続いているかどうか確認されたりしながらやっていると、
なんとか続けることができるようになるというのです。
たしかにその通りだなと思いました。
石原先生の本を読んだだけでは1人でやることはできなかったでしょう。
たまたま知り合いにインストラクターがいたというのは本当にラッキーだったと思います。
しかもその子は手書きの表まで作ってくれて、
毎日それぞれの運動をやったかどうかチェックできるようにしてくれました。
表にチェックしていくという作業があったことも続けられた一因だったように思います。
専属インストラクターさんには感謝してもしきれません。

計るだけダイエット
「ためしてガッテン」 でやっていた 「計るだけダイエット」 というのを以前やったことがありますが、
まったく成果が上がらないまま挫折したことがあります。
今回はこれだけいろいろやっていますから、全然 「計るだけ」 ではないのですが、
作ってもらった手書きの表には起床時体重を書き込む欄もありましたので、
ずっと体重をモニタリングしていました。
始めた頃の1ヶ月近くは下がったり上がったりでほとんど成果が現れなかったので、
今回も徒労に終わるだろうなあと思っていたのですが、
ある時から確実に減りつつあるというのがわかるようになってきました。
そうなってくると楽しくなってきてやり甲斐も生まれてきます。
おそらく、はじめのうちは筋肉をつけているので、筋肉のほうが脂肪よりも重いため、
体重減少という形で成果が目に見えてはこないのでしょう。
ある程度筋肉がついてくると、ムキムキになるほどの運動はしていませんので、
筋肉量は一定し、基礎代謝量も上がるとともに、
運動すると筋肉が脂肪を燃焼させるので体重が減っていくということではないかと思います。
とにかく一度減り始めると、毎日体重計に乗るのが楽しみになっていきました。

この4ヶ月ほどやってきたのは以上のようなことです。
どれが一番効いたのかは定かではありませんが、
おそらくすべてが複合的に作用してこの成果につながったのではないかと思います。
しかし、最大の勝因は先にも書いたとおり、
石原結實先生の 『男を持続させる食べ物、生き方』 という本に出会えたことと言えるでしょう。
タイトル通り、この本はダイエットを謳った本ではありません。
「男を持続させる」 というところに焦点が当てられています。
だからこそ私はブックオフの100円コーナーでたまたま見かけて買ったわけですし、
そのためにこそ 「朝だけ断食」 を続け、
下半身を鍛える運動もしなければと思うことができたわけです。

痩せなきゃマズイなあとは思っていましたが、
これまでも、そして今回も、心底痩せようと決意してはいなかったような気がします。
若かった頃、痩せていることにものすごくコンプレックスをもっていた私は、
むしろ意識下では太りたいとすら思っていたのかもしれません。
したがって理性的判断としては痩せなきゃマズイと思いながらも、
本能的部分でよりいっそう太っていく行動を取っていたように思うのです。
これはどうやったってダイエットに失敗しますよね。

したがってダイエットを成功させるためには、
「痩せる」 というのとは別の目的がどうしても必要だったわけです。
それが 「男を持続させる」 でした。
もう別に特に使う必要があるわけでもなく自分1人での問題にすぎないのでしょうが、
それでもやはりこのところ急に弱ってきているのは自分的に大問題だったようです。
レゾンデートル (存在理由) に関わる問題だと思っていたのでしょう。
これは、痩せるなんてことよりもよっぽど大事な喫緊の課題でした。
痩せることが目的であったならば、
最初のなかなか体重減として成果の現れなかったあの1ヶ月のあいだに、
とっくにやめてしまっていたでしょう。
しかし元気を取り戻すためにこそ続けなければならなかったのであり、
じっさいそっちの面ではすでに少しずつ成果が現れ始めていたので続ける気になれたのです。
というわけで 「男を持続させる」 こととダイエットとを結びつけた、
石原先生 (もうずっと 「先生」 扱い) のあの名著こそ、
今回の成果をもたらした最大の要因だと思うのです。
石原先生、本当にありがとうございました
一生ついていきますっ

奇菓子ミルクソープ

2010-07-08 23:27:33 | 人間文化論
先日、いつもの仲良しの高校教員、渡部純先生と古本屋に行きました。
古めかしいわりと大きな古本屋さんで、中にはけっこう雑然と本が並べられています。
あるところには雑誌がどっさり詰まった段ボール箱が置いてあったりします。
何気なくそれを見ていた彼が 「ああっ」 と叫んで上のほうに入っていた雑誌を取り出しました。
それは彼が高校時代に先生から借りたことのある雑誌だそうです。
この雑誌の中に載っていた論文をコピーしてもらって読んだことがあるそうです。
この雑誌というのは、ある研究会に所属している学者さんたちが、
ラジオ番組のなかで語った内容を論文化して掲載しているそうで、
そのラジオ番組は未だに続いているということです。

純ちゃん (と呼んでいるので以下、純ちゃんにしちゃいますが) が読んだ論文には、
ある国に昔から伝わるお菓子のことが書いてあったのだそうです。
それが 「ミルクソープ」 というお菓子なのですが、
皆さんは聞いたことあるでしょうか。
スペルは Milk Thoughp です。
私はまったく聞いたことがなかったので、帰ってからヤホーで調べてみました。
これがものすごいお菓子なんです。
写真も載ってましたがむちゃくちゃグロいです。
純ちゃんはなんでそんなものの論文を読まされることになったのか全然覚えていないそうですが、
とにかくインパクトがあったので忘れられなかったと言っていました。

ええ、どういうものかというと、セミのつららです。
え? なんのことかまったく意味がわからない?
セミというのは夏にミンミン鳴く虫のセミです。
それを、なんでできているのかわかりませんが、
一本の芯棒のまわりに何十匹もびっしりくっつけていきます。
その上に茶色っぽい色のヌガーだかシロップのようなものを塗って固めていきます。
そうするとセミのつらら (氷柱) のようなものができあがるじゃないですか。
それがミルク・ソープなのです。
ヌガーだかシロップのようなものは半透明なので、
中にいるセミはしっかり見えます。
芯棒のまわりにびっしりとセミをくっつけているのですから、
だいたい10㎝弱ぐらいの太さの立派なつららとなります。
これをバリバリと美味しく食べていくというお菓子なのです。
なぜミルクという名前がついているかというと、
芯棒につけられた時点でまだセミは死んでいないので、
なんとか逃げようと暴れながら、
お尻から白っぽいミルクのようなものを出すのだそうです。
それがまたセミを芯棒に固着させる役割と、
自然の甘みを付加する役割を果たしてくれるのだそうで、
ミルクソープの重要なファクターなので名前に取り入れられているそうです。
なんにせよセミのつららです。
私はウィキペディアに掲載されていた写真で見ただけですが、
こんなものは絶対に食べられないと確信しました。

その後、純ちゃんにも自分はあんなもの絶対に食べられないと思うと伝えましたが、
彼はその国に旅行に行ったときに食べてきたのだそうです。
見た目はグロテスクだけど、パリパリした食感でほどよい甘みが美味しかったと言っていました。
ぼくは君とは絶対に一生キスはしないと宣言しました。
また、thoughp という単語は2人とも初耳でしたが、
辞書で引いてみると、セミを表す古い単語らしく、
私は塾講師の頃の知識を総動員して予想して、
ough のところはオウではなくオーと伸ばすはずだと教えてあげました。






















という夢を見たのです (毎度の展開で申しわけありません)。
起きた瞬間、夢とはまったく思えませんでした。
純ちゃんとの会話も、自分でネット検索したことも、そこで見たはずの写真も、
すべてがあまりに生々しくて、まさか夢とは思えず、
前日に本当に経験したことだとしか思えませんでした。
夢だったのかどうかを本当に確かめるために、
すぐにパソコンのところに行ってネット検索してみました。
すると 「ミルクソープ」 で検索しても、「milk thoughp」 で検索しても、
セミのつららのことは出てきません。
牛乳石鹸のことがヒットしたくらいでした。
そこまで確かめてみてやっと、
ああ、あれはやっぱり夢だったのかと思えるようになってきたくらい、
あまりにもリアルな夢で、 個々のディーテールまではっきりと覚えています。
あれが全部夢だったなんて…。
確かにそのつもりで思い出してみると、純ちゃんとぽくの会話で、
国名や時代がはっきりしていないというのはおかしな話です。
論文がどういう趣旨の論文だったのかが話題になっていないというのも腑に落ちません。
とまあ、そういう若干の不審点が今にして思えば出てくるものの、
夢としてはひじょうに細部まで作り込まれていて、
完全に現実の話と騙されてしまいました。

ちょっと落ち着いてきたところで、なんでこんな夢見たんだろう、
この夢は何を象徴していたのだろうかと考えてみましたが、よくわかりません。
私の無意識はいったい何を考えているのでしょうか?
唯一思いついたのは、純ちゃんが最近ブログを始めて、
そのなかでサグラダ・ファミリアのことを取り上げていたのですが、
あのサグラダ・ファミリアの塔の写真が、ミルクソープに似ていたかもしれないなということです。
サグラダ・ファミリアもけっこうグロテスクな建物だと思いますが、
それが私の潜在意識に何ものかを訴えてしまったのではないでしょうか。
それにしてもセミのつららのお菓子の夢なんて見なくたっていいのに…。
でも、本当に夢でよかったです、セミをおやつに食べずにすんで。
そしてなによりも、純ちゃんがあれを食べたことがないということに本当に安心しました。
だったら、これからもずっと友だちでいようね。

心不全患者の心臓再生?

2010-07-07 23:59:59 | 生老病死の倫理学
先日、脳死と植物状態のちがいについて論じましたが、
その同じ日に、こんな記事を目にしました。

「心不全患者の心臓再生 京都府立医大が成功」

これはクローン技術なんだろうか、
しかしヒトクローンの研究は禁止されていたはずだけどなあ、
なんて思いながらこのニュースを見ていました。
ところが翌日になったらこのニュースを閲覧することができなくなっていました。
皆さんも上記をクリックしてみた方は、
「お探しの記事は見つかりませんでした。」
と断言している黄色いニワトリをご覧になれたことでしょう。
どうやら日テレニュース24のホームページは7月3日にリニューアルしたようで、
上記のニュースは7月1日か2日の出来事でしたので、
それで失われてしまったのかもしれませんが、
あるいは、別の理由で消さざるをえなかったのか、そのあたりは不明です。
なんにしても 「心臓再生」 という言葉遣いはちょっと気になるところです。

他の媒体でこのニュースを報じているところを探してみたところ、
これ↓はまだ閲覧可能でした。

「世界初 自分の心臓幹細胞での心筋再生医療患者が退院」

KBS京都というのは京都ローカルのテレビ局のようです。
失われてしまうとイヤなので、ここに記事もコピペしておきましょう。


(2010/07/01)
自分の心臓幹細胞による心筋再生医療を受けた世界で初めての患者がきょう、京都府立医科大学を退院しました。
退院したのは、神戸市在住の山口茂樹さん60歳です。
山口さんは、今年2月に急性心筋梗塞を発症し、重症心不全と診断されました。
京都府立医科大学では、山口さんの心臓幹細胞を15.5ミリグラム採取し、山口さんの血清を使って1カ月以上培養して、およそ8億個まで増殖させました。
そして先月1日の冠動脈バイパス手術の際、心臓の動かなくなった部分20カ所に増殖した細胞を移植しました。
術後は心配された不整脈も見られず、日常生活が可能なところまで回復しています。
研究を進めた松原弘明教授によりますと、自分の心臓に由来する幹細胞の心筋内への移植は世界で初めてということで、心臓移植の代替医療として期待されています。


こちらは 「心臓再生」 ではなく 「心筋再生」 という言葉遣いをしていますね。
このほうが正しい言葉遣いなのだろうし、受ける印象もマイルドになります。
しかし、いずれにせよこれはクローン技術であろうと私は思います。
現在、再生医学がものすごい勢いで進みつつあります。
近い将来、脳死・臓器移植よりも、
自分の幹細胞を利用した再生医療のほうが主流となることは間違いありません。
誰かが脳死になるのを待って、その人の臓器をもらうというよりは、
はるかに医学的に安全・確実ですし、倫理的問題も少ないでしょう。
日本で世界初の心筋再生医療が成功したというのはたいへんめでたいことだと思います。
ひと昔前はクローン技術というと、同じDNAをもった新しい個体を作り出すことでしたが、
今はもう臓器レベルでの再生が可能となっています。
こうした流れを禁止したり阻止したりすることはもはや不可能でしょう。
私としては脳死・臓器移植が要らない時代が一刻も早く来てほしいと思っています。
そして、私の従来の主張ですが、
たとえそうなったとしても 「脳死」 の問題はけっしてなくならない、
だから 「脳死のための脳死」 をきちんと議論しておかなくてはならないのだと信じております。
詳しくは拙論をご参照ください。

祝 ・ 64.0㎏!

2010-07-06 21:52:58 | がんばらないダイエット
「がんばらないダイエット」 の趣旨を逸脱してしまい、
最近は 「ちょっとはがんばるダイエット」 になってきていましたが、
ちょっとはがんばったおかげでなんと
15年ぶりくらいに65㎏を下回ることができましたあっ
今朝の起床時体重なんて64.0㎏です
これまでも、死ぬほど働いて帰ってきて、夕食&晩酌の前に体重測ってみたら、
64㎏台だったということが何回かなかったわけではないのですが、
私はいま起床時体重をずっとモニタリングしていますので、
ちゃんと朝測ってみると65㎏台半ばから後半だったり、
下手すると66㎏台に乗ってしまっていたりということが多く、
やはり夕食& or というのはズッシリ来るんだなあと思っていたのですが、
今日はとうとう起床時体重が64.0㎏だったのですっ
うーん、素晴らしいっ、完全勝利だっ
送別会の嵐だったこの3月なんて一時期70㎏の大台に乗ってしまっていたのですから、
その頃から比べると6㎏の減量成功ではありませんかっ
おめでとう、まさおさま、よくがんばったね

1994年に32歳で福島大学に赴任したとき、たしか体重は55㎏くらいだったと思います。
学生時代は50㎏なくて、大学4年生のときに栄養失調と診断されたこともあったのですが、
その後、院生時代はだいたい50㎏から55㎏のあいだで推移していたと思います。
ところが、福島で一人暮らしをするようになって、
食生活がムチャクチャになり、毎日山盛りパスタばっかり食べたり、
1リットルの男」 だったり、
その上、その年の6月に父が亡くなってクルマを相続し、クルマ通勤になったら、
本当にあっという間に、途中経過のデータなんかまったく知らないうちに、
秋の健康診断の時には65㎏を超えてしまっていました。
ですので、64㎏台という数字なんて今まで見たことがなかったのです。
その後はずっと65㎏から66㎏のあいだで安定してくれていました。
それが40代になってからでしょうか、じわじわと増え始め、
67㎏台に乗っかってしまって、しばらくそこでまた停滞し、
数年後には68㎏台がノーマルになってしまって、また数年が経ち、
そして、ここ1、2年は69㎏台からたまに68㎏台に戻ることもあるけど、
年末、年度末などの飲み会シーズンにはとうとう70㎏台を記録してしまうという、
着実に右肩上がりの成長を遂げてきていたのです。

たまに痩せなきゃと思って、ダイエットを始めることもありましたが、
三日坊主もいいところで、1週間も続けばむしろ表彰ものというくらい、
意志が弱くてまったく続けられずに、けっきょく何の成果も出せなくて、
ただ敗北感と無力感に苛まれるだけだったのです。
まあMixiやブログで自虐ネタとして使えたので、
それだけはよかったと言えるかもしれません。
とにかく不可逆的に増え続ける一方で、
50㎏なかったダンサーの頃や福大に来たばかりの頃のスリムな自分なんて夢のまた夢、
みんなから成人病は大丈夫?と心配される日々だったのです。

ところがやはりこの3月に70㎏台を突破してその大台で安定しそうになったことによって、
本格的に危機感が生じてきたのが一番のきっかけでしょうか。
もはや 「がんばらないダイエット」 なんて言ってる場合じゃない、
「ちょっとはがんばらねば」 と一念発起したのがよかったのだろうと思います。
それと、たまたまいいタイミングでいろいろなものに出会えたのもよかったと思います。
右肩上がりの成長を遂げてきた私の身体のバブルがはじけてくれるなんて、
3月の段階ではまったく夢想だにしていませんでしたが、
とにかく64㎏台までもちなおすことができました。
いやあホントによかった。
ここに至るまでにどんなことをやってきたのか、そして何が効いたのか、
といった勝因分析はまたの機会にやりたいと思いますが、
今日のところはひとまず勝利報告だけさせていただくことにいたします。
ヤッター

日本の国技?

2010-07-05 20:02:24 | 人間文化論
昨日、今日と相撲の解雇の話題で大盛り上がりですね。
特に関心もなかったんですが、謝罪会見ということで、
「反省ゲーム」 の研究のためについ見てしまいました。
力士をずらりと並べて全員に頭を下げさせるという演出はなかなかのものでしたが、
みんなが深々と頭を下げているなか、
(元) 理事長はほんの1秒も経たないうちに頭を上げてしまうなど、
反省していると納得してもらえたかどうか怪しいなあと思っていたら、
案の定、ほかにもいろいろと情報が出てきてしまい、
終結にはほど遠いという感じがいたします。

今回の報道のなかでなんといっても2点、
あ、「ダメだこりゃ」 (by いかりや長介) と思ったことがありました。
ひとつは日本相撲協会が理事長代行を選ぶに際して、
外部理事から選ぶことに抵抗したということ。
もうひとつは、琴光喜を解雇処分とすることに対して貴乃花親方が反対し、
それが通らなかったために退職願を提出したということ。
前者に関しては、私も組織の一員として、
外部の人間をトップに据えるということに心理的抵抗があるのはものすごーくよく理解できますが、
今の相撲界はそんなこと言っていられるような状態ではない、
ということがわからないというのはとってもイタイことだなと思いました。
今年に入って、横綱の暴行事件、暴力団との癒着問題と続いて今回の賭博問題です。
花札ぐらいならたぶん関係ないでしょうが、野球賭博は完全に暴力団がらみです。
さかのぼればそれこそザクザクと問題が出てくるわけで、
この間、日本相撲協会はまったく自浄能力に欠けている、
力士に任せておいてもムリと、マスコミばかりでなく世間もそう思っているわけです。
この期に及んで内部理事長への交替ではすまないということがわからないというのは、
この問題 (群) の深刻さを理解できていない、ということなのでしょう。
これではまったく 「反省ゲーム」 にはなりません。

貴乃花親方の動きには、表に出てこない奥深い問題が隠れているかのようにも報じられていますが、
(たんに琴光喜への処分が重すぎるということではなく、
 ウミを出し切らずに尻尾切りをしようとしていることへの抵抗だったんだ、とか?)
まあそれにしても、今世間は日本相撲協会の改革のための最後の砦として、
貴乃花親方に期待をかけているわけですから (私はそんなことありませんが)、
その彼が処分軽減を訴えるというのは、
端から見ると完全に内部の論理で動いているように見えてしまいます。
それでは前・北の湖理事長と同じじゃないのということになってしまいます。
最後の砦がそうだと、「ダメだ、こりゃ」 ですね。
そのうえそれが通らないと 「退職」 してしまうというのでは、
最後の火が消えてしまうわけです。
この動きは 「反省ゲーム」 のなかではたしてどれほど意味があったのか疑問に思いました。

さて、私はサッカーファンでない以上に、相撲ファンではありませんので、
前々から相撲に対してはけっこう冷めた見方をしていました。
外国人力士を受け入れてしまったときから、
もはや相撲は国際的なスポーツとして生き残っていくしかないだろうと思っていました。
相撲って純粋な格闘技としてなかなかよくできたルール体系をもっていると思うのです。
(ただ相手を倒せば勝ちって、ちょっと普通では考えつかないぐらい平和な格闘技です)
しかしながら日本相撲協会の人たちも、コアな相撲ファンの人たちも、
あいかわらず 「日本の国技」 とか 「日本の伝統文化」 として相撲を残していきたがっているようです。
私に言わせるとそれこそが諸悪の根源で、だからこそいつまで経っても、
八百長疑惑や特別なスジの人たちとのつながりを解消できずにいるのではないかと思うのです。
部屋制度とかも教育システムとして機能するわけがなくて、
賭博や薬物やいじめ・暴行の温床にするために残しているとしか思えません。
そうしたしがらみを断ち切ることこそ、
相撲が純粋で健全な国際スポーツとして発展していく唯一の道だと思うのですが、
相撲が好きな人からすると、そもそもそんな方向性がありえないのでしょうね。
だとすると、「日本の国技・伝統文化」 としてすべてのしがらみを大切に、
今後もダーティにやっていくしかない、
したがって今回のような問題も 「うーん、そりゃそうだよね、誰でもやっちゃうよね」 と、
温かく見守ってあげるしかない、と私には思えるのでした。

タバコはやめるのではなく、治すのだ

2010-07-04 18:02:53 | 生老病死の倫理学
舘ひろしのCMを見ました。

「お医者さんと禁煙しよう。」 というキャンペーンです。

このホームページには 「舘ひろしさんの禁煙の記録」 が、動画つきで載っています。

専門家についてもらって禁煙するというのは大事なことだと思うんです。

ですから、そのことに文句はないのですが、

なんか引っかかるものがあるのです。

それは、CMの最後に映された次の一文でしょう。

「禁煙治療には健康保健等の適用が可能です。」

ニコチン中毒は病気であり、それをお医者さんに診てもらって治すのですから、

健康保険が適用できてもいいとは思うんですが、

なんだか割り切れません。

それは、じゃあなんであいかわらずタバコを売ってるんだよ、ということでしょう。

一方では病気の元凶を独占的に売っていて、

他方でそのせいで病気になったら健康保険を使って治していいですよ、

というのがなんだか納得いかないのです。

健康保険って要するに私を含めて国民がみんなで納めているお金ですから、

独占的に売ることを国が許しているものを買って病気になっちゃった人に、

私たちのそのお金が支払われるというのがなんか腑に落ちないのです。

タバコ吸ったら病気になるんだとしたら、

やっぱりタバコを売っちゃあいけないんじゃないでしょうか。

うーん、どうなんだろう?

まあでも、アルコール依存症だって健康保険を使って治療するからなあ。

でもなんかタバコの場合とアルコールの場合は話がちがう気もするんだけど…。

とにかくみんな病院に通って禁煙し、日本人が誰もタバコを買わなくなってしまえばいいんだ。

(しかし、そうなった場合、私は誰からタバコをもらえばいいんだろうか…)

落石注意?

2010-07-03 23:26:05 | ドライブ人生論
ご覧頂いているのは 「落石注意」 の標識です。
とても覚えやすい標識ですので、
免許を取るときにわざわざ覚えようと努力する必要はありませんでした。
見ればすぐにわかります。
免許を取ってじっさいに運転するようになってからも、
まあ街中では見かけませんが、ちょっと郊外にドライブに行ったときなどにはよく見かけます。
そして、免許を取っている頃には特に疑問にも思っていなかったのですが、
じっさいに運転するようになってからちょっと不思議に思うようになってきました。
「落石注意」 っていうけど、どう注意すればいいんだろう?
運転しながら、つねに山の斜面に注意を払い、
いつ石や岩が落ちてこないか警戒しておけというのでしょうか。
初めてこの標識を見かけたときはたしかにそうやって注意したりしたものですが、
そういうところってそもそも山道ですから、坂道だったりカーブがあったり道が細かったり、
そこへ対向車がやってきたりするわけですから、
ただでさえ運転にはいろいろと気を遣わなければなりません。
そんなところで、いつ石が落ちてこないかと山の斜面に気を配っておくというのは、
むしろ事故の危険性を増やすことにつながらないでしょうか。
そして、たとえそうやって落石に注意を払っていたとしても、
本当に落ちてきたときに、はたして私たちはそれをうまくよけることができるのでしょうか?
もしもそれが不可能だとすると、不可能なことに注意を払わせることによって、
本来避けられる危険を避けられなくしてしまうというのは愚かな選択ではないでしょうか?
ずっとそんなことを思っていたわけです。

ところが、このあいだ初めてあの標識の意味がわかりました。
やはり山道を走っていたときのことなのですが、
ちょっと先のほうに 「あれ、何だろう?」 と思うようなものが見えてきて、
近づいてみるとそれが岩だったのです。
それほど大きなものではありませんでしたが、
やはりよけなければいけない程度の大きさではあります。
(これは拾ってきた画像で、こんなにたくさんではありませんでしたが、まあこんな感じ)
そして、それをよけながら、
ああそうか 「落石注意」 ってこれに気をつけろってことだったのかと気がついたのです。
落ちてくる石に気をつけろではなく、
落ちている石に気をつけろという意味だったのです。
よく落石が発生する場所では、
たとえ石が落ちてくるその瞬間に出くわすことはそんなにないとしても、
道に石が落ちているということはけっこうな確率で生じるでしょう。
それはたしかに気をつけた方がいいですね。

今回の発見から、人生に応用できる教訓が3つありました。
その1。
変化 (ex.石が落ちる) は一瞬でも、その爪痕 (ex.落ちている石) はしばらく残る。
その2。
ことば (ex. 「落石」) は二義性をはらんでいる (ex. 「石が落ちること」 or 「落ちた石」)。
その3。
人間は視覚画像に左右されやすい (ex.あの標識によって 「落石=石が落ちること」 と思い込む)。
どれも当たり前といえば当たり前ですが、
しかし、いずれもリスクマネジメントに役立つ教訓ですので、
ふだんから心に刻んでおくようにしようと思います。

脳死と植物状態のちがい

2010-07-02 13:29:46 | 生老病死の倫理学
脳死・臓器移植について講じている共通領域 「倫理学」 ですが、
第1回目のときに、そもそも脳死って何なんだという話をしつこくやりました。
脳死と植物状態のちがいを書いてみてください、なんていう課題を出したりした上で、
そのちがいも詳しく教えてあげたわけです。
ざっくり言うと、脳のなかの脳幹と呼ばれる部分が機能しているかいないか、
というのが大きなちがいです。
脳幹は、人間が無意識的にできることを司っている部位です。
呼吸とか、心拍とか、消化とか、ホルモン分泌とか、新陳代謝とか…。
つまり、人間が寝ているときにもできることをコントロールしているのが脳幹です。
植物状態の場合、動いたり話したりができず意識活動がないとはいえ、
脳幹がまだ機能していますので、上記のようなことはできるわけです。
植物状態というのは、要するに寝たきりの状態であり、
植物が動かないし話さないけれど呼吸はして生きているのと同様、
自分で呼吸をしているし心拍もあり、ちゃんと生きているわけです。
これに対して脳死は、この脳幹部分も働いていません。
したがって呼吸その他ができないわけで、だから人工呼吸器に繋がれているわけです。
(心拍は脳幹によるコントロールを受けずに心臓自身の自動機構で動いている)

とまあ、こういうことを一所懸命説明したわけですが、
翌週に 「脳死と植物状態のちがいを書け」 という授業内課題を課してみました。
先週やったことを覚えているかな?という意地悪な質問です。
採点基準としては、
①脳幹が機能しているかいないか、
②自発呼吸があるかないか (人工呼吸器に繋がれているかいないか)、
の2点に言及した者を○とし、どちらか一方にしか言及していなければ△、
いずれにも触れていなかったり、間違った字や内容を書いていたりした場合には×としました。
結果は、
○ 20名 (32%)
△ 28名 (44%)
× 15名 (24%)
でした。
まあ抜き打ちテストですし、採点基準もあらかじめ明示していなかったわけですから、
○が3分の1弱だったというのはしかたないとしましょう。
しかし、ほとんど4人に1人が×というのはどういうことでしょう。
私が90分間、精魂込めて講義したことはほとんど彼らに伝わっていなかったということでしょうか。
うーん、どうなんでしょう、これは (突然、長嶋口調)。

頭に来た私はさらに翌週まったく同じ問題を出してみました。
するとさすがに、
○ 54名 (79%)
△  8名 (12%)
×  6名 ( 9%)
という結果が出ました。
大幅な改善です。
やはり、こちらがどれだけ大切と思って話していても、
それだけでは定着せず、何度も繰り返してあげることが大事なのですね。
×の6名も、そのうち3名は脳幹を 「脳管」 とか 「脳肝」 と書いてしまった者、
残り3名は前回欠席していた者ですので、
脳死と植物状態のちがいは、私の授業の中でだいぶ浸透したといっていいでしょう。
授業中に2回も同じことを聞いてみたのは初めての試みでしたので、
(私の講義の場合基礎知識が必要になるということがめったにないということもありますが…)
こういうことも必要なんだなと今さらながらにわかった次第です。

ちなみに、両者のちがいとして、
回復する可能性があるかないかということを挙げる学生がよくいますが、
これは不正解です。
脳死の場合はもちろん 「死」 なんですから、
回復の可能性があっては絶対にいけないわけですが (韓国ではこんなこともありましたが…)、
植物状態のほうも、定義上は 「回復の見込みがないこと」 という文言が含まれています。
ただし、学生たちが誤答を書きたくなってしまう気持ちはわからなくもなくて、
よくドキュメンタリー番組などで、家族や看護師があきらめることなく、
普通の患者と同じように声がけしたりタッチングしたりし続けたことによって、
奇跡的に意識を取り戻したとか、意思の疎通が可能になったとか、
場合によっては歩けるくらいに回復したというような話が取り上げられますので、
植物状態は回復可能なものだと思い込んでしまったのでしょう。
しかし、それは稀なケースですので、植物状態がすべて回復可能だというわけではありませんし、
むしろ厳密な言い方をするならば、回復した人たちは回復してしまったわけですから、
定義上、植物状態ではなかったと言うべきなのだろうと思います。
(植物状態の定義についてはそのうち書きます。)
しかしながら、植物状態に関しては回復するかしないかは何とも言えませんので、
定義のなかに 「回復の見込みがない」 ということを含める必要もなければ、
「回復の可能性がある」 と言い切ることもできず、
したがって、脳死とのちがいとして回復可能性を挙げることはできないのです。

ゲリラ豪雨による浸水に注意!

2010-07-01 14:25:44 | グローバル・エシックス
昨日はすごい雨でしたね。
熊本県あたりはこんなもんじゃすまないのでしょうが、
それでも十分ビックリするほど降っていました。
体育棟の前あたりがあんなに冠水して、
水たまりになっちゃったのを見たのは初めてな気がします。
大雨といっても昔とは破壊力がケタちがいになっています。
最近では 「ゲリラ豪雨」 なんていうことばもあるようです。
昨日のやつはそこまでのものではありませんでしたし、
福島ではそんなにゲリラ豪雨に遭ったことはないように思いますが、
東京なんかでは短時間のあいだにとんでもなく降られたことが何度もあります。
温暖化をはじめとする異常気象のせいなんでしょう。

さて大雨というと、最近ちょっと心配なことが。
うちのマンションの駐車場は3段式の立体駐車場です。
ふだんは上段のクルマしか見えていませんが (こんな感じ)、
中段と下段が地下に隠れていて、クルマを利用するときはボタンをずーっと押し続けて、
中段や下段を呼び出すという仕組みになっています (出てくるとこんな感じ)。
私はできるだけクルマを使わないようにするためにわざと一番下を借りています。

で、この駐車場を借りてからもう4年ぐらいになるのですが、
今年になってから変化がありました。
こんなところに小さな貼り紙が貼り出されているのです (白い白馬?)。
よく見えないだろうから拡大しておきます。
この写真でもよく確認できない人のために打ち込んどいてあげましょう。

    ご注意
大雨により駐車場地下部分内
に浸水の恐れがある場合には、
駐車場利用者は各自にて車両
の移動等をお願いします。
            管理組合

えっ、大雨のときには立体駐車場の地下部分は浸水してしまうんですか
上段と中段のクルマに被害が及ぶということは考えられませんから、
その場合被害に遭うのは下段に停めているうちのクルマということになるじゃないですか。
そんなこと考えたこともなかったけど、
たしかに言われてみれば、そういうことも起こりうるような気もします。
この近所には川はありませんので、まあ大丈夫じゃないかなあとは思うんですが、
それでも熊本県ぐらいの集中豪雨に見舞われたら、
下段が水没しちゃうということはあるでしょうね。
ちょっとショックというか心配です。

それにしてもこのアリバイ作りのようなお知らせは何なんでしょう?
この貼り紙以外に特に各戸へのお知らせのペーパー等はありませんでした。
エレベーター前の掲示板にも特に何の貼り紙もありません。
立体駐車場の仕切りの部分にこんな小さな貼り紙が急に貼り出されただけです。
立ったままでは文字も読めないので、しゃがみこんで読まないといけなかったくらいです。
というか私は今年、管理組合の役員もしているはずですが、こんな話は知りませんでした。

きっとどこか南のほうの雨の多い地域で、
立体駐車場の地下部分が浸水したということがあったんでしょうね。
で、誰かのクルマがおシャカになって、
マンションの管理会社だか立体駐車場の管理会社だかが訴えられたりして、
損害賠償しなければならなくなったのではないでしょうか。
そのさい管理会社ではなく管理組合が訴えられるということはないと思うんです。
管理組合は住民自身が組織しているわけですし、
自分が払っている共益費で長期的に自分のマンションを保守してくれるところですから、
そこにダメージ与えるのは自分の首を絞めるようなもんです。
だから訴えられたのは管理会社のほうだったろうと思うんですよね。
で、敗訴してしまった管理会社は急遽、日本中のマンションの立体駐車場に貼り紙をして、
しかもそれを何食わぬ顔で管理組合名義で出したということではないかと推理するのです。
(すべては私の勝手な妄想ですが…)

うーん、それにしてもこの貼り紙1枚ですべてを自己責任にしてしまえるもんなあ。
いやあ、みごとな危機管理だと思います。
こういう悪知恵の働く人、キライじゃないです。
しかしただ感心してる場合じゃなく、
大雨やゲリラ豪雨には気をつけたいと思います。
地下駐車場に浸水してきたらすぐにクルマを避難させなきゃ。
でも、地下駐車場に浸水してるかどうかってどうやって確かめたらいいんだろう