★★★★ 教育 ★★★★
【はじめに】
人間の能力をペーパーテストの得点で判定するのは一番簡単です。 然し、私は、「ペーパーテストで人間の能力を決めるのは間違いだ!」と考えています。人間の能力を測るのは非常に難しいです。人間には種々の能力が有ります。 A社では『能力a』が重要でも、B社では『能力b』の方が重要かもしれません。
社会人になって重要なのは、創意/工夫の能力と臨機応変に対応出来る能力だと思います。私の持論は、「社会が要求する能力を向上する様に教育を改革すべきだ!」です。
子供の『虐め』と大人の『パワハラ』が社会問題になっています。これらの問題を減らす方法/対策について、種々考えてきました。 自然に反する様な社会になっている事が、原因の様に私には思えるのです。
今回は、教育についての私の持論を書きます。 繋がりの無い様な話を並べますが、結構・密接な関係が有ると私は思います。
【虐め問題】
現在の教育の最大の問題の一つは、『虐め』に対する教育者の対応だと思います。虐めを隠蔽したり、責任を取らなかったり、・・・教育者として恥かしく無いのでしょうか?
『虐め』は犯罪です。大昔から現在まで、子供から大人の社会にまで存在します。多分、どんな人類にも存在する犯罪だと思われます。「虐めを撲滅する」と考えるのが間違いの元」だと私は考えます。泥棒と同じで、減らす努力/工夫は大切ですが、無くす事は出来ません。
無くせない事を、「無くせ!」と命じたら、先生達や教育委員会のお偉方は、知らぬ顔の半兵衛を決め込むか、皆で結託して隠蔽するか、・・・。 ばれたら!カメラの前で頭を下げれば済む話しです。 虐められている子供の気持ち慮ったり、虐められて自殺した子供の親の悲しみが分かる人間を教育委員、教育委員長や教育長に任命すべきです。
もう一度書きますが、虐めは無くなりません。減らす努力を地道に続ける事が肝要です。虐められて苦しんでいる子供を、一人でも助けられたら『大手柄』です!
虐めが増えて社会問題にまでなったのは、「学校教育に問題が有る」と考えるべきでは有りません。核家族化や、放課後に塾に通って受験勉強する事が原因だと私は思います。子供にとっての理想は『よく遊びよく学べ』です。 但し、スマホゲームをやるのは、『遊び』にカウントすべきでは有りません。
「子供の健全な遊びとは?」を真剣に考えて、健全な遊びが出来る場所を作って子供達に提供すべきです。例えば、公園の近くに学童保育所を設けて、天気の良い日は公園で遊ばせ、雨の日は屋内で年の違う子供達で教え合って勉強する。 「種々の知恵玩具が市販されていますから、国費で学童保育所に沢山備え付ける」案はどうでしょうか?
(余談:パワハラ) 大人社会の虐めをパワーハラスメント(パワハラ)と呼ぶ様になりました。私は幸いにも田舎育ちだった為か、子供の頃は殆ど『虐めている現場』を見た事が有りません。1971年に入社して、パワハラの現場を沢山見ました。当時は「パワハラは犯罪だ!」と言う認識が無かった様に思います。
平社員のパワハラは殆ど有りませんでしたが、課長以上になると日常的にパワハラを繰り返す人間が出て来ました。 重役待遇になったT氏は、反対の意見を言うと、「首だ!」と時々怒鳴るのです。社内規則では、上司が勝手に、部下を首にする事は禁止されていました。人事部が走り回って「首だ!」と言われた社員の出向先を探しました。(私は、T氏を出向させるべきだと思いました。) T氏には一切お咎めが有りませんでした。 パワハラは犯罪でも、処罰の対象でも無かったのです!
私は中小企業・数社に出向しましたが、2社の社長はパワハラを生き甲斐の様にしていました。取引先の中小企業の社長にも同様の人間がいました。
1980年頃に、私が勤務していた会社では「セクハラ防止運動」が始まりましたが、パワハラについては2005年に退職する時点でも問題視されていませんでした。
「痴漢は犯罪です!」と書いたポスターを良く見かけます。若い女性が「お尻を触られる」のは気持ち悪いと思います。 然し、チョットしたミスで怒鳴りまくられて、次の日も怒鳴られて・・・結局、辞めた若者を十人以上見て来ました。私は『痴漢』よりも『パワハラ』の方が罪が重いと考えています。苦労して大学を卒業し、企業に入って悪辣な上司のパワハラで会社を辞めた若者を慮って下さい。
(余談:パワハラ防止法) 『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(労働施策総合推進法)』が2019年に一部改訂され、俗に『パワハラ防止法』と呼ばれる様になりました。今年から大企業には適用され、2022年4月から中小企業にも適用されます。
今回の改定は、①パワハラとは何かを定義し、②企業は対策を取りなさい、③パワハラを無くしたら貴方の会社は活性化しますよ!・・・と言う様な内容です。対策を取らない企業に対する罰則規定は書かれていません。 パワハラを繰り返す社員を罰しなさいとも書いていません。こんな法律で、パワハラが少なくなると、皆さんは思われますか?
①中小企業では社長がパワハラをするケースを多々見ましたが、そんな企業がパワハラ対策を真面目にするとは考えられません。 ②大企業で重役がパワハラをするのを沢山見ました。③躁病の管理職は大抵パワハラをします。 パワハラを繰り返す重役は首にすべきとか、躁病の人間を管理職にしてはならないとか、規定しない限りパワハラを減らす事は出来ません。
【昔の幼児の遊び相手】
昔の田舎では、三世代家族が多かったので、幼児の面倒は 爺婆(祖父祖母)の仕事でした。小学生が下校すると、集落の(他人の家の)幼児達を含めて一緒に遊びました。 お墓と氏神さんの草引き、田圃の畔の野焼きは集落の子供達でやりました。 小学校の高学年になると、結構責任が重かったのです。
私の故郷には高等小学校は無かったので、戦前は尋常小学校を出たら、殆ど村を出たか、山林労務者になったのだと思います。(高等小学校は現在の中学校に相当しますが、義務教育化されていませんでした。) それで、中学生が幼児達と遊ぶ習慣が無かったのだと思います。 然し、夏・川で泳ぐ時は、中学生も幼児の面倒をみました。
戦後・まだまだ田舎の女性達は和服が主流でした。 和服の洗濯は大変です。 一度・糸を外し→洗濯し→干し→縫って仕立てるのです。 竈でご飯を炊いた事が有りますか? 「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」と言う様に、薪(火力)の調節が必要です。 現在は、米を洗って、炊飯器のスイッチを入れたら御飯が炊けます! 他にも、田植え→草引き収穫→脱穀、畑の野菜の手入れ、牛にやる草を刈る・・・等々の仕事が有り、主婦達には幼児の世話をする時間が無かったのです。 1950年代の後半から家庭電気製品が普及する様になり、主婦の仕事が楽になって来ました。 然し、その頃から、私の故郷では男達が出稼ぎに出る様になって、主婦は益々忙しくなりました。
都会の主婦たちは、家庭電化製品のお蔭で、幼児の相手をする十分な時間が持てる様になりました。昔は子供を数人育てましたが、家事が楽になると(皮肉な事に、)少子化が始まりました。 子供に手が掛からなくなった奥さんの一部は、韓流ドラマに嵌って韓国まで追っ掛けたり、愛人を作ったり、良からぬ事に時間を使う様になったのです。
人類の長い歴史の中で庶民の奥さんが『専業主婦』でおれるのは、現在だけです。家事と言う仕事が殆ど無くなっていますから、「奥さんは家の外で仕事を見付けるべきだ!」と考えます。
(余談) 知り合いの家に50歳代の女性が月2回、料理を作りに通っています。彼女は真新しい、500万円以上する電気自動車(EV)に乗っています。パートの給料で買ったそうです。 韓流ドラマに嵌って、年に何回も韓国に出掛けていた様ですが、「コロナのせいで今年は行けない」と不満そうでした。 「ひいきの俳優を追っかける為に、途中で充電しないで東京まで走れる車に買い替えた」と言っていました。「旦那さんは文句を言いませんか?」と聞くと、「旅行費用は全て私の稼ぎだから、文句は言わせない!」と言いました。
(余談 :椿の葉巻タバコ) 紀州の山奥の私の故郷では、主婦の多くがタバコを吸っていました。椿の生の葉を筒状に巻いて、キセル用の刻みタバコを詰めるのです。日に一、二回、数人集まって『井戸端会議』ならぬ『椿の葉巻タバコ会議』をしていました。 それが、主婦達の楽しみだったと思います。
(余談 :集落の集会場) 私が小学校の高学年になった1966年頃に、村の補助金で集落の集会場が出来ました。プロパンガス・コンロの付いた台所とトイレが有りました。毎月一回、集落の主婦達が集まって、持ち寄った食材で昼食を作って、一日骨休みをしました。 (口を動かす筋肉は、休めるどころでは無く、酷使されましたが。) この頃から、故郷の女性達にも自由な時間が持てる様になったのです。
日本に人間が住むようになって、庶民の女性達が天候に関係なく、皆で集まって一日楽しく過ごせる様になったのは、100年も経っていないのです。映画やドラマでは、江戸の長屋の奥さん達は何時も井戸端会議をしていますが、「実際の彼女達は結構毎日忙しかったのでは?」と思います。
「今日は、うどんが出るから下校したら集会場においで!」と言ってくれる日は嬉しかったです。私の母は料理に砂糖を殆ど入れなかったので、集会場で食べる『素うどん』は格別に美味でした。
【小学校+幼稚園+保育園】
幼児から小学生までは、同じ学年の子供達だけ集めて教育するのでは無くて、「週に何時間か、年齢の違う子供のクラスを作って、年長者が小さい子供に教える授業が必要だ!」と考えます。 その為には、保育園から小学校まで、一つの学校にすべきです。全国一斉は無理ですから、特区を設けて始めたら良いと思います。 過疎地なら直ぐにでも可能です。
『情けは人の為ならず』と言いますが、人に教える事は自分の勉強を深める事にもなります。私の経験では、人に教える事は非常に難しいと思います。 『一を聞いて十を知る』ような子供は少ないですから、最初はどの子供も悪戦苦闘しながら教える事になると予想されます。 傍で見ている先生が、時々・教えている子供に、次の様なアドバイスをします。 (教える側の子供が、色々工夫しながら教えられる様に、先生は指導するのです。)
① 相手が理解出来る様に話す。(相手のレベルを加味して、説明する。)
② 相手が興味を持てる様に話す。(時々関連する興味深い話を挿入する。)
③ 怒らないで!褒めて教える。
長男の娘(YR)は7歳で、次男の娘(SH)は4歳です。 毎年・正月、ゴールデンウイークとお盆に三泊四日ほど帰省します。私は二人で遊べる知恵玩具を毎回買って置いています。YRのするのをSHはジット見ていて、少しずつ出来る様になります。 YRはまだ7歳ですから、口でやり方を教えるのは難しいですが、努力しているのは分かります。「YRちゃんが出来るんだから、私もやれる!」とSHは思って頑張っている様に見えます。
私は入社するまで、殆ど『虐め』の現場を見ませんでした。 子供の頃は、年長の子供に種々の遊びを教えて貰い、小学高学年になると私も教える様になりました。「そんな環境だと虐めは少ないのでは?」と思います。 近所の小さい子供達は、私が下校するのを待っていたのです。そんな子供を虐めるなんて出来ませんでした。
現在の教育は、高校や大学受験のための暗記型勉強に力を入れている様に思えます。 皆さんの経験で、暗記型の勉強が社会に出て役に立ちましたか? 大学で勉強された事が、社会に出て直接・役立ちましたか? 私が入社した時の大学卒の同期は450名程いましたが、殆どの方は大学での勉強が直接役立つ部署には配属されませんでした。
企業では、創意/工夫の能力が高く、臨機応変に対応出来る社員の評価が高いのです。ペーパーテストの点数が高くても、仕事が出来るとは限りません。修士/博士課程は別として、幼児教育から大学教育までは、『創意/工夫と臨機応変な対応』の力を養う事に力を入れるべきです。
くどいようですが、教育の在り方を原点に帰って見直し/改革する必要が有ります。
【はじめに】
人間の能力をペーパーテストの得点で判定するのは一番簡単です。 然し、私は、「ペーパーテストで人間の能力を決めるのは間違いだ!」と考えています。人間の能力を測るのは非常に難しいです。人間には種々の能力が有ります。 A社では『能力a』が重要でも、B社では『能力b』の方が重要かもしれません。
社会人になって重要なのは、創意/工夫の能力と臨機応変に対応出来る能力だと思います。私の持論は、「社会が要求する能力を向上する様に教育を改革すべきだ!」です。
子供の『虐め』と大人の『パワハラ』が社会問題になっています。これらの問題を減らす方法/対策について、種々考えてきました。 自然に反する様な社会になっている事が、原因の様に私には思えるのです。
今回は、教育についての私の持論を書きます。 繋がりの無い様な話を並べますが、結構・密接な関係が有ると私は思います。
【虐め問題】
現在の教育の最大の問題の一つは、『虐め』に対する教育者の対応だと思います。虐めを隠蔽したり、責任を取らなかったり、・・・教育者として恥かしく無いのでしょうか?
『虐め』は犯罪です。大昔から現在まで、子供から大人の社会にまで存在します。多分、どんな人類にも存在する犯罪だと思われます。「虐めを撲滅する」と考えるのが間違いの元」だと私は考えます。泥棒と同じで、減らす努力/工夫は大切ですが、無くす事は出来ません。
無くせない事を、「無くせ!」と命じたら、先生達や教育委員会のお偉方は、知らぬ顔の半兵衛を決め込むか、皆で結託して隠蔽するか、・・・。 ばれたら!カメラの前で頭を下げれば済む話しです。 虐められている子供の気持ち慮ったり、虐められて自殺した子供の親の悲しみが分かる人間を教育委員、教育委員長や教育長に任命すべきです。
もう一度書きますが、虐めは無くなりません。減らす努力を地道に続ける事が肝要です。虐められて苦しんでいる子供を、一人でも助けられたら『大手柄』です!
虐めが増えて社会問題にまでなったのは、「学校教育に問題が有る」と考えるべきでは有りません。核家族化や、放課後に塾に通って受験勉強する事が原因だと私は思います。子供にとっての理想は『よく遊びよく学べ』です。 但し、スマホゲームをやるのは、『遊び』にカウントすべきでは有りません。
「子供の健全な遊びとは?」を真剣に考えて、健全な遊びが出来る場所を作って子供達に提供すべきです。例えば、公園の近くに学童保育所を設けて、天気の良い日は公園で遊ばせ、雨の日は屋内で年の違う子供達で教え合って勉強する。 「種々の知恵玩具が市販されていますから、国費で学童保育所に沢山備え付ける」案はどうでしょうか?
(余談:パワハラ) 大人社会の虐めをパワーハラスメント(パワハラ)と呼ぶ様になりました。私は幸いにも田舎育ちだった為か、子供の頃は殆ど『虐めている現場』を見た事が有りません。1971年に入社して、パワハラの現場を沢山見ました。当時は「パワハラは犯罪だ!」と言う認識が無かった様に思います。
平社員のパワハラは殆ど有りませんでしたが、課長以上になると日常的にパワハラを繰り返す人間が出て来ました。 重役待遇になったT氏は、反対の意見を言うと、「首だ!」と時々怒鳴るのです。社内規則では、上司が勝手に、部下を首にする事は禁止されていました。人事部が走り回って「首だ!」と言われた社員の出向先を探しました。(私は、T氏を出向させるべきだと思いました。) T氏には一切お咎めが有りませんでした。 パワハラは犯罪でも、処罰の対象でも無かったのです!
私は中小企業・数社に出向しましたが、2社の社長はパワハラを生き甲斐の様にしていました。取引先の中小企業の社長にも同様の人間がいました。
1980年頃に、私が勤務していた会社では「セクハラ防止運動」が始まりましたが、パワハラについては2005年に退職する時点でも問題視されていませんでした。
「痴漢は犯罪です!」と書いたポスターを良く見かけます。若い女性が「お尻を触られる」のは気持ち悪いと思います。 然し、チョットしたミスで怒鳴りまくられて、次の日も怒鳴られて・・・結局、辞めた若者を十人以上見て来ました。私は『痴漢』よりも『パワハラ』の方が罪が重いと考えています。苦労して大学を卒業し、企業に入って悪辣な上司のパワハラで会社を辞めた若者を慮って下さい。
(余談:パワハラ防止法) 『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(労働施策総合推進法)』が2019年に一部改訂され、俗に『パワハラ防止法』と呼ばれる様になりました。今年から大企業には適用され、2022年4月から中小企業にも適用されます。
今回の改定は、①パワハラとは何かを定義し、②企業は対策を取りなさい、③パワハラを無くしたら貴方の会社は活性化しますよ!・・・と言う様な内容です。対策を取らない企業に対する罰則規定は書かれていません。 パワハラを繰り返す社員を罰しなさいとも書いていません。こんな法律で、パワハラが少なくなると、皆さんは思われますか?
①中小企業では社長がパワハラをするケースを多々見ましたが、そんな企業がパワハラ対策を真面目にするとは考えられません。 ②大企業で重役がパワハラをするのを沢山見ました。③躁病の管理職は大抵パワハラをします。 パワハラを繰り返す重役は首にすべきとか、躁病の人間を管理職にしてはならないとか、規定しない限りパワハラを減らす事は出来ません。
【昔の幼児の遊び相手】
昔の田舎では、三世代家族が多かったので、幼児の面倒は 爺婆(祖父祖母)の仕事でした。小学生が下校すると、集落の(他人の家の)幼児達を含めて一緒に遊びました。 お墓と氏神さんの草引き、田圃の畔の野焼きは集落の子供達でやりました。 小学校の高学年になると、結構責任が重かったのです。
私の故郷には高等小学校は無かったので、戦前は尋常小学校を出たら、殆ど村を出たか、山林労務者になったのだと思います。(高等小学校は現在の中学校に相当しますが、義務教育化されていませんでした。) それで、中学生が幼児達と遊ぶ習慣が無かったのだと思います。 然し、夏・川で泳ぐ時は、中学生も幼児の面倒をみました。
戦後・まだまだ田舎の女性達は和服が主流でした。 和服の洗濯は大変です。 一度・糸を外し→洗濯し→干し→縫って仕立てるのです。 竈でご飯を炊いた事が有りますか? 「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」と言う様に、薪(火力)の調節が必要です。 現在は、米を洗って、炊飯器のスイッチを入れたら御飯が炊けます! 他にも、田植え→草引き収穫→脱穀、畑の野菜の手入れ、牛にやる草を刈る・・・等々の仕事が有り、主婦達には幼児の世話をする時間が無かったのです。 1950年代の後半から家庭電気製品が普及する様になり、主婦の仕事が楽になって来ました。 然し、その頃から、私の故郷では男達が出稼ぎに出る様になって、主婦は益々忙しくなりました。
都会の主婦たちは、家庭電化製品のお蔭で、幼児の相手をする十分な時間が持てる様になりました。昔は子供を数人育てましたが、家事が楽になると(皮肉な事に、)少子化が始まりました。 子供に手が掛からなくなった奥さんの一部は、韓流ドラマに嵌って韓国まで追っ掛けたり、愛人を作ったり、良からぬ事に時間を使う様になったのです。
人類の長い歴史の中で庶民の奥さんが『専業主婦』でおれるのは、現在だけです。家事と言う仕事が殆ど無くなっていますから、「奥さんは家の外で仕事を見付けるべきだ!」と考えます。
(余談) 知り合いの家に50歳代の女性が月2回、料理を作りに通っています。彼女は真新しい、500万円以上する電気自動車(EV)に乗っています。パートの給料で買ったそうです。 韓流ドラマに嵌って、年に何回も韓国に出掛けていた様ですが、「コロナのせいで今年は行けない」と不満そうでした。 「ひいきの俳優を追っかける為に、途中で充電しないで東京まで走れる車に買い替えた」と言っていました。「旦那さんは文句を言いませんか?」と聞くと、「旅行費用は全て私の稼ぎだから、文句は言わせない!」と言いました。
(余談 :椿の葉巻タバコ) 紀州の山奥の私の故郷では、主婦の多くがタバコを吸っていました。椿の生の葉を筒状に巻いて、キセル用の刻みタバコを詰めるのです。日に一、二回、数人集まって『井戸端会議』ならぬ『椿の葉巻タバコ会議』をしていました。 それが、主婦達の楽しみだったと思います。
(余談 :集落の集会場) 私が小学校の高学年になった1966年頃に、村の補助金で集落の集会場が出来ました。プロパンガス・コンロの付いた台所とトイレが有りました。毎月一回、集落の主婦達が集まって、持ち寄った食材で昼食を作って、一日骨休みをしました。 (口を動かす筋肉は、休めるどころでは無く、酷使されましたが。) この頃から、故郷の女性達にも自由な時間が持てる様になったのです。
日本に人間が住むようになって、庶民の女性達が天候に関係なく、皆で集まって一日楽しく過ごせる様になったのは、100年も経っていないのです。映画やドラマでは、江戸の長屋の奥さん達は何時も井戸端会議をしていますが、「実際の彼女達は結構毎日忙しかったのでは?」と思います。
「今日は、うどんが出るから下校したら集会場においで!」と言ってくれる日は嬉しかったです。私の母は料理に砂糖を殆ど入れなかったので、集会場で食べる『素うどん』は格別に美味でした。
【小学校+幼稚園+保育園】
幼児から小学生までは、同じ学年の子供達だけ集めて教育するのでは無くて、「週に何時間か、年齢の違う子供のクラスを作って、年長者が小さい子供に教える授業が必要だ!」と考えます。 その為には、保育園から小学校まで、一つの学校にすべきです。全国一斉は無理ですから、特区を設けて始めたら良いと思います。 過疎地なら直ぐにでも可能です。
『情けは人の為ならず』と言いますが、人に教える事は自分の勉強を深める事にもなります。私の経験では、人に教える事は非常に難しいと思います。 『一を聞いて十を知る』ような子供は少ないですから、最初はどの子供も悪戦苦闘しながら教える事になると予想されます。 傍で見ている先生が、時々・教えている子供に、次の様なアドバイスをします。 (教える側の子供が、色々工夫しながら教えられる様に、先生は指導するのです。)
① 相手が理解出来る様に話す。(相手のレベルを加味して、説明する。)
② 相手が興味を持てる様に話す。(時々関連する興味深い話を挿入する。)
③ 怒らないで!褒めて教える。
長男の娘(YR)は7歳で、次男の娘(SH)は4歳です。 毎年・正月、ゴールデンウイークとお盆に三泊四日ほど帰省します。私は二人で遊べる知恵玩具を毎回買って置いています。YRのするのをSHはジット見ていて、少しずつ出来る様になります。 YRはまだ7歳ですから、口でやり方を教えるのは難しいですが、努力しているのは分かります。「YRちゃんが出来るんだから、私もやれる!」とSHは思って頑張っている様に見えます。
私は入社するまで、殆ど『虐め』の現場を見ませんでした。 子供の頃は、年長の子供に種々の遊びを教えて貰い、小学高学年になると私も教える様になりました。「そんな環境だと虐めは少ないのでは?」と思います。 近所の小さい子供達は、私が下校するのを待っていたのです。そんな子供を虐めるなんて出来ませんでした。
現在の教育は、高校や大学受験のための暗記型勉強に力を入れている様に思えます。 皆さんの経験で、暗記型の勉強が社会に出て役に立ちましたか? 大学で勉強された事が、社会に出て直接・役立ちましたか? 私が入社した時の大学卒の同期は450名程いましたが、殆どの方は大学での勉強が直接役立つ部署には配属されませんでした。
企業では、創意/工夫の能力が高く、臨機応変に対応出来る社員の評価が高いのです。ペーパーテストの点数が高くても、仕事が出来るとは限りません。修士/博士課程は別として、幼児教育から大学教育までは、『創意/工夫と臨機応変な対応』の力を養う事に力を入れるべきです。
くどいようですが、教育の在り方を原点に帰って見直し/改革する必要が有ります。