これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その12)

2020-11-28 20:14:22 | 改革
★★★★ 教育 ★★★★

【はじめに】
 私の持論ですが、「戦後・日本の経済が急成長した要因の一つは、個性の乏しい・従順な国民が多く、一致団結して物作りに励めたため」、逆に「バブル崩壊後に日本経済が低迷している要因の一つは、独創性に乏しい国民が多く、世界的に受け入れられる商品を作る事が出来ないため」だと思います。

(典型例 :アパレル産業) 「日本の糸偏産業はアメリカの圧力で衰退した」と私は認識しているのですが、今でも『糸』と『布』は世界的に競争力の有る製品を生産して、輸出しています。 日本では、顧客と接する営業マン/ウーマンは黒っぽい服を着用しています。 個性を主張する洋服が好まれない傾向が強いのです。その為に、世界的に受け入れられる斬新なデザインの洋服が国内で余り売れず、アパレル産業は成長出来ず、海外に打って出る事も出来ないのです。

 1980年頃の話しですが、私の勤めていた会社で、日本の大学を卒業したあとイギリスの研究所で活躍されていた女性を、当時の社長の肝いりでヘッドハンティングした事が有りました。彼女の服装は何時もド派手ででした。そして、性格と考え方が超個性的で、超酒豪でした。 あんな女性を後にも先にも見た事がありません。 日本人が個性が無く、従順なのは遺伝子のせいでは決して有りません。社会風潮と教育によるものです。 「出る釘は打たれる」社会からの脱却が必要です。

 各生徒の特性を生かして、個性豊かな人間を育てる教育に方向転換すべきです。勉強が苦にならない子供には、どんどん難しい勉強に取り組んでもらい、物作りが好きな子供はロボットでも家具でも陶器でも作る勉強をしたら良い、スポーツが得意なら・・・、歌が好きなら・・・、

【戦前と戦後の教育制度】
 明治元年は1868年で、終戦の年は1945年ですから、その間は77年間です。戦前は国が豊かに成るにつれ少しずつ、教育制度を充実させて来ました。1886年に義務教育の尋常小学校ができましたが、当時の就業年限は4年間でした。1907年から6年間になったのです。 (私の父は1901年生まれで、10歳頃に尋常小学校を中退したと言っていました。)

 戦前は種々の学校を作りました。尋常小学校以上のの学校は義務教育では無かったので、比較的裕福な家庭の子供達しか行けなかったと思われます。優秀な子供には、飛び級制度や7年制の旧制中学校を設けエリート教育をしたのです。

 戦後は、学校をシンプルな体系にしました。 「男女七歳にして席を同じゅうせず」という考え方を破棄して、男女が同じ学校で学べる様にしました。義務教育を9年間に延長しました。

 戦後75年経ち、日本は豊になり、世の中は大きく変化しました。 近年の教育の改革は内容よりも『金』絡みです。大学への補助金制度、高校の無償化などなど。 ゆとり教育、土曜日を休校にする・・・。 最優先で教育内容を見直す事が肝要だと思われませんか?

 小泉内閣の時(2003年)に国立大学法人法を制定して、国立大学を法人化しました。表向きは規制を緩和して、各国立大学に「自分達で運営しろ!」と命じたのです。 小泉氏の本音は、「これ以上、金は出せないよ、自分達で何とかしろ!」だったと思います。 学者先生達が、企業から金を集めたり、社会のニーズに合致する様に大学を改革出来るとは考えられません。

 戦前と戦後の代表的な学校を以下に整理して見ました。 紙面の都合で、専門学校等々は省略しています。 高等専門学校(高専)に相当する旧制専門学校が有りました。戦後、廃止されて近隣の大学の学部になりました。 現在の高専は1961年以降に、新たに設けられたものです。

年齢 : 現在            ;戦前
0歳 : 保育園
1歳 : 保育園
2歳 : 保育園
3歳 : 保育園/幼稚園
4歳 : 保育園/幼稚園
5歳 : 保育園/幼稚園
6歳 : 小学校           ;尋常小学校
7歳 : 小学校           ;尋常小学校
8歳 : 小学校           ;尋常小学校
9歳 : 小学校           ;尋常小学校
10歳 : 小学校            ;尋常小学校
11歳 : 小学校            ;尋常小学校
12歳 : 中学校           ;高等小学校/旧制中学校/高等女学校
13歳 : 中学校           ;高等小学校/旧制中学校/高等女学校
14歳 : 中学校           ;旧制中学校/高等女学校
15歳 : 高等学校/高専     ;旧制中学校/高等女学校
16歳 : 高等学校/高専     ;旧制中学校/高等女学校
17歳 : 高等学校/高専     ;旧制高等学校
18歳 : 大学/高専        ;旧制高等学校
19歳 : 大学/高専        ;旧制大学
20歳 : 大学             ;旧制大学
21歳 : 大学             ;旧制大学
22歳 : 大学院(修士) :旧制大学の大学院は何年と決まっていませんでした。
23歳 : 大学院(修士)
24歳 : 大学院(博士)
25歳 : 大学院(博士)
26歳 : 大学院(博士)

(余談 :高専) 高専から大学に転入したり、卒業して大学に進学する学生が多くなって来ています。 旧制専門学校から大学への転入は難しくしていました。(東京と京都帝国大学は認め無かった様です。) 現在も戦前も、専門の単位数は大学よりも多いいのです。 現在、転入希望者が多いいのは、高専卒だと出世街道に乗れない事が原因だと思われます。企業が仕事で評価せずに、高専卒を冷遇する事が根本原因です。 高専卒で大手超優良企業に入った方と話していたら、「高専卒は昇格にハンディが有る」と言われました。 私が入社した時お世話になった旧制専門学校卒の方は、数年後に重役になられ、最後は専務になられました。 私の会社では、高専卒の方の昇格は遅れていました。管理職になった方は少なかったです。

【高等学校と旧制中学校】
 私が学んだ高等学校は旧制中学校の施設を、ほぼそのまま使用していました。図書室では無くて、立派な図書館が有りました。 沢山・旧制中学校時代の図書が残っていました。 非常に黴臭かったので、数回しか旧制中学校時代の本は閲覧しませんでしたが、難しい本が並んでいました。

 旧制中学校と高等女学校の最終学年(5年生)は、現在の高校2年に相当します。戦前は16歳になる前から難しい本を読んでいたのでしょう! 「両校の学生は周辺では重んじられる存在で、卒業したら国家や地域に貢献すると自負を持って勉強していたのでは?」と想像します。

 母は1904年生まれで、一番上の姉は1930年生まれだったと思います。二人とも同じ高等女学校を卒業して、小学校の先生になりました。 昔は17歳で小学校の先生になれたのです!

 私が社会人になった1971年頃には、まだ・旧制中学校卒の方が活躍されていました。 戦争で沢山亡くなられていましたから少なかったですが、私は十人ほどの方のお世話になりました。皆さん、新制高校卒よりも凛としておられました。多分・戦争を経験された事も影響したと思われますが、知識/経験が豊富な様に見受けられました。

 「新制高校卒の方が1年間長く勉強しているのに、何故・旧制中学校卒の方が知識が豊富なんだろうか?」と不思議に思ったのですが、私の結論は「徴兵制が最大の原因だ!」です。

 現在は、徴兵制は無くなり、進学率がほぼ100%になっていますから、高校生はエリートでは無く、「心を引き締めて勉強する」環境でも有りません。 現在の高校生は、昔と比べると可愛そうな状況に置かれている様に思います。 卒業後の長い人生を楽しく/生き甲斐を持って生きられるような、高校教育に改革する必要が有ります。(勉強が嫌いな子供でも、何かを学べる様にすべきです。)

(余談 :狼の絶滅) ニホンオオカミは20世紀の初めに絶滅したと言われていますが、私の子供の頃は「狼を見た!」と言う大人がいました。(多分、噓です。) 狼は人間を襲う事も有った様ですが、猪や鹿が増えるのを抑えてくれていました。 私には、狼と徴兵制の効果は似ている様に思えます。男子は二十歳になると徴兵検査が有り、2年間の厳しい!厳しい!兵役に就かなければならなかったのです。軍隊の厳しい訓練に耐えられる様に、若者は日頃から身体と精神を鍛えておく必要が有った様に想像します。 何よりも、時間を大切に使ったのだと想像します。

【高等学校の改革】
 私の持論は、「高等学校を4年制にして、大学を3年制に戻す」です。 私達が大学の教養部で学んだ事を、高校で教えるのです。 例えば、法律です。社会人になったら誰でも法律に無関係ではおれません。 日本国憲法をジックリ教え、民法。刑法、商法、民事訴訟法及び刑事訴訟法の概要を教えるべきです。 各種産業法のタイトルだけでも学んだら、物作りの仕事に就いたら役立ちます。

 現在は公費でエリート教育をする事に反対する人達がいますが、戦前に種々の学校/コースが有り、飛び級制度が有ったり、エリートのための7年制の中学校も有りました。

 私の母校は中学校を併設しました。狙いは、大学入試対策の様です。 現在は大学の数が増えて、レベルはピンからキリまで有ります。適当に勉強していたら、どこかの大学には入れます。 入試の為の勉強よりも、『良く遊び、良く学べ』の方が重要だと思います。チャレンジ精神や創意/工夫をする事を教えるのが重要です。

 英・国・数・理・歴公が勉強の全てでは有りません。話し上手で/カラオケの旨い営業マンが大活躍した例を知っています。 5教科が駄目なら、何か得意なものを見に付けさせ、自信を持たせて学生が社会に出ていける様にすべきだと思います。

(余談 :笑い話) 超レベルの低い男子高生と女子高生が乗って来る電車で通勤していたことが有ります。大きな声で話すので、内容がハッキリ分かりました。期末試験の頃は寄席に行くより面白かったです。 一人が問題集を見ながら「江戸幕府を作ったのは誰でしょうか?、①明智光秀、②徳川家康、③豊臣秀吉」、友達が「明智光秀!」と答えるのです。 知識は無くても『あっけらかん』と話せるので、彼達と彼女達は社会に出て、活躍したと私は思います。

【大学の改革】
 戦前の大学は3年制でした。(イギリスは今でも3年制です。) 戦後は教養課程を学ばせる事にしたので、4年制になったのだと思われます。ストレートに進学した場合の、卒業時の年齢は、戦前も戦後も同じです。

 30年程前から、国立大学や有名私立大学の学卒や修士卒の、報告書が満足に書けない、基礎知識が不足している新入社員が増えてきました。私は幸いにも優秀な新入社員を回して頂いたので、問題の有る社員は一人しか経験していません。親しい管理職が、新入社員教育で毎年・毎年悪戦苦闘していました。彼が赤鉛筆で添削した報告書を出して、「これを見てくれ」と時々言いました。 表現だけで無く、『てにおは』も間違いだらけで、報告書は『真っ赤っ赤(まっかっか)』でした。

 現在の大学を『大学』と『大学院大学』に分離して、大学は学部だけにして、「学問の基礎を教える」事に徹すべきだと思います。現在の『教授、准教授、講師』などの称号を廃止して、『ティーチャー』の様な統一の称号に変えましょう! ティーチャー達には、その大学の学生達の学力を加味して、上手に教える工夫をして貰うのです。

 私が大学生だった時、字は下手くそで、声は小さく、少し東北弁が混じる教官がいました。必須科目でしたから、学生がなんとか理解しよう努力して授業に臨みました。文字通りの反面教師でした。

 文系の方の『卒論』に相当するのが、工学部では『卒業実験』でした。私はポンプの実験を選択して、ポンプの論文や本を読みました。当時、ポンプの分野の権威者と認められていた、京都大学のAT教授が活躍されていました。2000年代の初めに某中小企業に出向すると、大阪の私立大学の工学部出身の若い社員がいました。 ある時、彼とポンプの話をすると、「僕はポンプの授業は受けたけど、京大から来たトンデモナイ教授だったので、理解出来無かった」と言いました。その教授は、私が尊敬していたAT教授だったのです。AT教授は京大の時と同じ授業をしたのでは?と思いました。優れた研究者が必ずしも、優れたティーチャーでは有りません。学生のレベルに合う教え方をすべきです。

 大規模な予備校や塾では、人気の高い先生には高給を出す様です。大学のティーチャーは、(現在の論文の数では無く)上手に教える事で評価し、給与に差を設けたら良いと思います。

【医学部と医科大学の改革】
 戦前の医学部は4年制でしたが、戦後は6年制になりました。明治政府は医師を増やす事に力を入れたので、医科大学を全国に設けました。国立医科大学をベースにして国立大学が創設されました。

 教養課程を廃止したら、医学部を4年制に戻すのは十分可能だと思います。(歯学部は3年制でも良いかも知れません。) (単純に考えると、)卒業までに必要な学費を30%ほど削減出来る可能性が有ります。

 現在は医学部入試の偏差値は高いですが、その理由は医者になりたい高校生が多いいからで、医者になるために優秀な人間が要求されている分けでは有りません。 私の高校の同級生で7人が医者になりました。 一人はトップの成績でしたが、残りは私よりも高校の成績は悪かったと思います。 それでも、全員・国家試験に合格して医師を続けています。

 偏差値が高いのは、医者になりたい高校生が多いいからです。自由主義経済の一丁目一番地は「需要に委ねる」です。日本医師会の反対を無視して、医学部の定員を増やしたり、医科大学の新設を認めるべきです。 日本医師会が危惧している様に、医師の数が増加したら医師の平均所得は低下するでしょう。 少しは問題が発生するかも知れませんが、その方が自然です。

 日本の人口1,000人当たりの医者の数は『2.3人』で、先進国の中では、決して高い値では有りません。

 ある業種に従事する人達の平均所得を下げない為に、その業種に関連する大学の定員を増やさない政策は邪道です。医師だけで無く、加計問題で表面化した獣医もそうです。弁護士は大学の定員を増やしたり、国家試験向けの大学院を設けたりしましたが、国家試験の合格者数を制限しているために弁護士は相変わらず”狭き門”になっています。圧力団体の力を削ぐ事にマスコミは力を入れるべきです。(政治家は、圧力団体の票と金が欲しため、この種の改革は出来ません。)

 「防衛医科大学校の定員(現在は80名)を大幅に増やすか、新たに二、三校設けるべき」、「各都道府県に一か所以上、自衛隊病院を設け、一般患者を受け入れるべき」が私の持論です。 (現在は、中央病院・1カ所と地区病院・15カ所設けられています。)

 新型コロナの医療では、自衛隊病院の医師たちが活躍されました。将来・もっと毒性の強い感染症が発生する恐れが有りますから、厳しい訓練に耐えた自衛隊病院の医師を増やしておくべきです。 そして、日本は地震、火山噴火、台風などの災害の多いい国ですから、各都道府県に一か所以上、自衛隊病院を設け、いざという時に助けてもらいましょう!

【大学院の改革】
 大学院を大学から分離すべきです。そして、2種類の大学院大学にする案が良いと思います。 ①5年制の博士課程大学(研究者を養成する学校)。 ②2年制で、大学や高専のティーチャーを養成する学校。

 余裕の有る企業の協力を得て、大学院生に夏休み・1ケ月ほど企業実習を受けさせたら、学生の世界観が広がると思います。 (企業側にも種々のメリットが有ると私は思います。)

 ティーチャーを養成する大学院では、専攻する学問の知識を深めるだけでなく、学生のレベルを判断して旨く教える方法/技術を学んでもらうのです。 この大学院の卒業生は、民間企業から沢山求人が来ると私は予想します。



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