すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【サッカーW杯予選】わが親愛なるサルミーンに祝杯を ~日本1-0バーレーン

2005-03-31 04:44:28 | サッカー日本代表

 
 バーレーン戦、日本は「13人」の選手で戦った。はてさて、13人とはこれいかに? 12人目はホームに詰めかけたサポーターだ。13人目はいうまでもない。日本が密かにバーレーンに送り込んでおいた密使だ。日本唯一の得点を叩き出したサルミーン選手である。

 しかしオウンゴールってのは、なんでこうも見事なシュートが多いんですかね。サルミーン、正確にゴール左スミを狙って決めてるやん。あまりの美しさに初めはてっきり中澤が決めたのかと思ったよ。「おお、すごいシュート決めたなあ。中澤、やるじゃないか」って。

 ま、あれだけ自陣ゴール前で敵味方がぐちゃぐちゃに密集し、おまけにサルミーン選手にすりゃ、味方のゴール方向に向かって守備してるんだからキツイよなあ。わかるよぉ、サルミーンさん。つらかったよねえ。

 横からゴール前に入ってくる強いボールに下手に触ると、ゴールに入っちゃうんだよね。それだけ日本の選手が相手ゴール前に押し込んでた、ってことなんだけど。サルミーン、相当プレッシャーかかってたんだろうな。うんうん。

 ちなみにサッカー・ブログの人気ランキングで常に10位以内に入ってる「スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム」さんでは、このシーンを写真入りで解説してる。見て笑ったよ。

 それによれば中澤の「神の手」が、サルミーンをして「わが親愛なる選手」たらしめたらしい。中澤が手でサルミーンを引っ張ったために、クリアの角度が狂っちゃったんだってさ。てことは実質、中澤の1点な。いやはや、よくファウル取られなかったよなあ、中澤。えらいよ。

 しかし笑ってばかりもいられない。この勝利はもちろん「想定内」だ。このホームで負けたり引き分けたりしてた日にゃ、ドイツ・ワールドカップなんておぼつかない。

 さてディフェンスに関しては、イラン戦とくらべて見違えるようによかった。相手ボールに対してプレッシャーがかかってたし、イラン戦のときみたいにヘンなところにスペースをあけてしまうこともなかった。だが問題は攻撃だ。

 まずプラスの要素からいこう。再認識したのはサントスだ。やっぱり彼がいると左に攻めのポイントができる。イラン戦では右の加地がサイド攻撃の起点になってたが、バーレーン戦ではまったく逆で常に火の手は左から上がった。

 中田のボランチも及第点だろう。彼は案外もう年だし、ペルージャ時代みたいに1.5列目でたっぷりスペースをもち、縦横無尽な攻めダルマになれるほど若くない。中田はサッカーをよく知ってるし全体のバランスも見られる。対人プレイにもめっぽう強い。玉際のネバリもある。年を取ったら取ったで、実にボランチ向きな選手だ。

 ローマ時代のカペッロ監督(当時)も、同じことを一時は考えたようだった。だがローマでは圧倒的なブラジル人ボランチが途中加入したため、充分に成果を上げられなかった。この試合の形はジーコにとって、ひとつの解になるかもしれない。

 なぜならジーコは中村と中田を攻撃的なポジションで同時に使うために、常に4バックの誘惑にかられてるからだ。

 3-5-2の「5」のうち両翼は、いうまでもなくウイングハーフである。だからセンターには3人しか人がいない。守備の比重がどんどん高まっているいまどきのサッカーでは、ボランチがシングルって形はあんまりない。とすると3-5-2にするかぎり、セントラルな攻撃的MFは「1人」になる。

 そこで4-4-2にして中盤の攻撃的な選手を2枚にし、中村と中田を置こう。ジーコがいつも4バックにブレるのはこういうことなんだろう。持ち駒がすべてそろっているとき、すなわち欧州組もふくめて全員が使えるときには、ジーコは常にこの魅力的な考えにとりつかれる。

 とはいえ理由はそれだけじゃないだろう。ジーコは誇り高きブラジル人であり、彼の辞書にある偉大なるブラジルのサッカーは4バックだ。だからある意味、ジーコが4-4-2にしようとするのは、彼に埋め込まれた遺伝子がそうさせているともいえる。

 まあ中田ボランチ論をここで開陳してると本題からそれるので、別の機会にゆずろう。

 さて、ではバーレーン戦の攻撃はどこがダメだったのか? フィニッシュに持って行く形が、イラン戦同様まったくはっきりしなかった。この試合、鈴木はいたが、彼をクサビに使って前線でのボールポゼッションを高めよう、みたいな意図はあんまり見られなかった。とにかくシュートを打つ形にならないのだ。

 日本の中盤がボールをもち、前を向いても、得点のニオイがしない。「ああ、点が入りそうだな」ってイメージがわかない。

 もし神様がくれたオウンゴールがなかったら、引き分けで終わっててもおかしくはなかった。内容的には北朝鮮戦で苦しんだあげく、やっとこさ大黒様のゴールで勝ち越したときと似ている。あのゲームも、だれもが引き分けを覚悟しただろう。いまの日本代表には決定的な形を作れる気配がないのだ。

 たしかに中村はボールをもつと、再三、相手GKが取れるか取れないかぐらいのきわどい空間を狙い、クロスを入れている。「ここにボールを入れられるとイヤだな」と守備者のだれもが考えるゾーンにボールを刺し込んでる。

 けど、すべてバーレーン守備陣、および神がかり的なデキのGKが、めいっぱい伸ばした手にひっかかっちゃう。イラン戦でもまったく同じだった。あのときも中村が入れるクロスを見ていると「ああ、狙ってるなあ」と意図がよくわかった。だけどことごとく、神がかったイランGKの手にボールはすっぽり収まってしまってた。

 個人的には、高原じゃなく「あそこに柳沢がいたらなあ」と思う。彼は自分の足元に入ってきたボールを、ダイレクトで処理できる。だから中盤の選手がボールをもったとき、ターゲットマンになれる。いったん前タテにいる柳沢にボールを当て、MFが基本通りにパス&ゴーをする。ここでワンツーを使って中盤の選手がシュートを打ってもいい。

 あるいは柳沢にクサビのボールが入れば、当然、相手の守備陣は中央に絞るだろう。すると必然的にサイドが開く。そこで柳沢が落としたボールをいったん外に開く。と、今度は相手の守備者は絞ったものをまた開かなきゃならない。瞬間的に味方同士のマーキングの確認や、ポジショニングの修正をせざるをえない。

 で、最終的にはサイドからクロスがコール前に入るわけだから、またもや相手は開いたものを絞り直すことになる。こんなふうに「絞らせて、次は開かせて、また絞らせて」ってな感じで相手守備陣にゆさぶりをかけ続ける。するとどこかで必ずディフェンスの網の目にほころびができる。最終的にはそこを突くわけだ。

 ゆえにもっと強いグラウンダーのクサビのボールを、FWの足元に入れることを考えてもいいんじゃないか? 柳沢は高原とちがい「オレ様タイプ」じゃないから、自分ではなかなかシュートに行かない。でも彼には技術があるんで、もらったボールをはたいたり開いたりして「最前線のゲームメーカー」になれるんだ。

 いまの日本代表を見ていると、最前線でのボールのおさまりがめっぽう悪い。柳沢がいればこれってかなり解消されるような気がするんだが、どうだろう? ただし彼を入れるなら、MFやDFが柳沢をうまく使い、前にかかってシューターになる必要がある。日韓ワールドカップで稲本が見せた「あのシュート」みたいに。

「監督がジーコになってから攻撃がよくなった」って言う人がいるけど、いまの状態を見ているととてもそうは思えない。じゃあ守備のほうはといえば、どうやらジーコはノータッチのようだ。

 なら、「監督がジーコである意味」はいったいどこにあるんだろう? どうしてもそう考えてしまう。別にジーコを解任しろとかそんな話じゃなく、素朴な実感なのだ。

 いつぞやのジーコ解任運動と、それを叩こうとする組織的な「非国民・排除運動」のおかけで、すっかりジーコの是非を語ることは「聖域」になってしまった。私はあのときまったくの傍観者だったが、いまの状態って日本代表にとってもサポーターにとっても、とうていいいとは思えない。

 いや、だからジーコをやめさせるとかいう話じゃなく、「ジーコさん、ここをもっとこうしたらよくなりますよ」てな問題提起は常に必要だと思うのだ。

 ゲームがいったん始まれば、ひたすら叫び続けて応援する。だけど試合が終われば結果を客観的に分析し、次につなげていくことが必要だ。だから私は審判のホイッスルが鳴った時点で熱狂的サポーターの衣を脱ぎ捨て、いつも冷静な分析者になるよう心がけている。

 バーレーン戦、熱狂の中で応援し、めでたく試合に勝った。よし、じゃあモードを切り替えて次は分析だ。手放しで喜ぶ時間帯はもう終わった。ではあのバーレーン戦で見えた日本代表の問題点って、いったい何だろう。さて、あなたはどう思いますか?
コメント (7)
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