衆院・特別委員会での戦争法案をめぐるやり取りや、ネットでの攻防を見て、絶望的な気分にさせられる毎日が続いている。
いってみればキリスト教を信仰する者たちに対し、キリスト教の欠点を挙げ、自分たちが信仰する仏教の美点を得々と訴え改宗を迫るようなやり取りに終始しているからだ。特定の宗教を固く信仰し、まるで異なる教理経典をもつ相手に「改宗しろ」などと言ってもムダな話だ。
どういうことか?
たとえば「国防は血を流してこそ行うものだ」と考える勢力に対し、「自衛隊員の尊い命を危険にさらすのか?」などと相手の心理に何の影響も与えないピントはずれな論理をふりかざす。
「現行憲法はGHQが作り、押しつけたものだ。欠陥が多く、一刻も早く変えるべきだ」と考える勢力に対し、「戦争法案は尊い我らの憲法に違反している」、「命と平和を守る憲法九条を守れ」などと、これまた完全にピントはずれな攻勢をかける。
まったく議論がかみ合ってないし、有効な攻め方ができてない。
野党・リベラル市民側の主張は、「1人の人間の命は地球より重い」という彼らと同じメンタリティを持つ「人権ムラ」の村民にしか通用しない。
たとえば相手が「命や人権は何よりも大切だ」と考えていれば、「自衛隊員の戦死は想定しているのか?」と追及すれば相手はひるむ。うつむき、黙る。やり込められる。だが肝心の相手は「命や人権より国防が大事だ」という認識なのだ。「自衛隊は軍隊だからリスクがあるのは当然だ」と切り返されて終わるのは当然だ。
肝心の説伏すべき「敵」は、「命は国を守るために捧げるべきだ」と考えている勢力である。そんな彼らに対し、「隊員の命をどう考えているのか」などと人権「真理教」的な迫り方をしているのだから、見ているこっちはまったく腰が砕ける。そんなもの、自衛隊は軍隊なんだから戦死を想定してなきゃ成り立たないじゃないか。
あー、うんざり。
こんなやり取りは60年安保の昔からさんざん繰り返されてきたし、いいかげん、「その攻め方では何の効果もない」、「世の中を変えられない」と歴史に学ぶべきだ。
戦略を根本に見直し、攻め方を180度変えなければダメだ。具体的で実現可能な対案がなければ説得力がない。
たとえば (1) 日米安保条約を破棄し、自衛隊を改組して武装中立・自主独立を訴える。それには米軍がいなくなるぶん差し引き防衛費が年間20兆円かかり、その財源はこれこれこういうふうに捻出します、かつ、この戦略を取った場合に国際世論はこう変わり、日本は対外戦略としてこういう外交を展開する必要があります、と訴えるとか。
あるいは (2) 尊い人命が失われる可能性のある自衛隊は解体し、非武装中立を訴える。その場合に米中はじめ国際的なパワーバランスはこう変わり、日本の国防リスクはこれくらいに留まる、ゆえに非武装中立はこういうふうに成立します、だとか。
はたまた、(3) これまで通り日米安保条約を維持しながら、アメリカの核の傘の下で防衛負担を極力抑えながら経済成長を目指す。ただしアメリカは国力が衰え「世界の警察官」はやめて一種のモンロー主義を取り内に籠ろうとしてるから、そのアメリカにこれまで通りの(片務的ではないが)非対称な日米関係を納得させるにはこれこれこういう論理でこのルートを通じて説得するのがベストだ、そうすれば成功確率は○%ある。ただし中国が台頭する中その戦略を取った場合の国際情勢は今後こう変わり、とすれば日本としてはこれこれこういう外交を展開する必要性がある、とか――。
やり取りを見ている第三者が「なるほどそうか」、「その通りだな」と納得するような、具体性のあるディベートでなければ意味がない。ひたすら「命」や「人権」だけを切り口にし、論理ではなく人の「情動」に訴えかける手法ではダメだ。
単に「戦争反対!」、「命を守れ!」の抽象的な大合唱では、有権者の大多数を占める無党派層を説得できない。世の中に大きなうねりは起こせない。最後は与党の絶対多数で押し切られて終わりだ。
問題は、安倍政権が出した新安保法制に「賛成か?」、「反対か?」の二択を問う政権側の戦略に絡め取られていることだ。良識ある人々は「第三の選択」を提示し、国民をあげた大議論を巻き起こしてこそ道が開ける。いや安倍首相自身も「隠した本音」を国民に向けて率直に語り、またメディアとすべてのネットワーカーは日本が取りうるオプションを残らず挙げてそれらのメリット、デメリットをまな板に乗せ、喧々諤々議論するべきだ。結論を出すのは、まだ早すぎる。
いってみればキリスト教を信仰する者たちに対し、キリスト教の欠点を挙げ、自分たちが信仰する仏教の美点を得々と訴え改宗を迫るようなやり取りに終始しているからだ。特定の宗教を固く信仰し、まるで異なる教理経典をもつ相手に「改宗しろ」などと言ってもムダな話だ。
どういうことか?
たとえば「国防は血を流してこそ行うものだ」と考える勢力に対し、「自衛隊員の尊い命を危険にさらすのか?」などと相手の心理に何の影響も与えないピントはずれな論理をふりかざす。
「現行憲法はGHQが作り、押しつけたものだ。欠陥が多く、一刻も早く変えるべきだ」と考える勢力に対し、「戦争法案は尊い我らの憲法に違反している」、「命と平和を守る憲法九条を守れ」などと、これまた完全にピントはずれな攻勢をかける。
まったく議論がかみ合ってないし、有効な攻め方ができてない。
野党・リベラル市民側の主張は、「1人の人間の命は地球より重い」という彼らと同じメンタリティを持つ「人権ムラ」の村民にしか通用しない。
たとえば相手が「命や人権は何よりも大切だ」と考えていれば、「自衛隊員の戦死は想定しているのか?」と追及すれば相手はひるむ。うつむき、黙る。やり込められる。だが肝心の相手は「命や人権より国防が大事だ」という認識なのだ。「自衛隊は軍隊だからリスクがあるのは当然だ」と切り返されて終わるのは当然だ。
肝心の説伏すべき「敵」は、「命は国を守るために捧げるべきだ」と考えている勢力である。そんな彼らに対し、「隊員の命をどう考えているのか」などと人権「真理教」的な迫り方をしているのだから、見ているこっちはまったく腰が砕ける。そんなもの、自衛隊は軍隊なんだから戦死を想定してなきゃ成り立たないじゃないか。
あー、うんざり。
こんなやり取りは60年安保の昔からさんざん繰り返されてきたし、いいかげん、「その攻め方では何の効果もない」、「世の中を変えられない」と歴史に学ぶべきだ。
戦略を根本に見直し、攻め方を180度変えなければダメだ。具体的で実現可能な対案がなければ説得力がない。
たとえば (1) 日米安保条約を破棄し、自衛隊を改組して武装中立・自主独立を訴える。それには米軍がいなくなるぶん差し引き防衛費が年間20兆円かかり、その財源はこれこれこういうふうに捻出します、かつ、この戦略を取った場合に国際世論はこう変わり、日本は対外戦略としてこういう外交を展開する必要があります、と訴えるとか。
あるいは (2) 尊い人命が失われる可能性のある自衛隊は解体し、非武装中立を訴える。その場合に米中はじめ国際的なパワーバランスはこう変わり、日本の国防リスクはこれくらいに留まる、ゆえに非武装中立はこういうふうに成立します、だとか。
はたまた、(3) これまで通り日米安保条約を維持しながら、アメリカの核の傘の下で防衛負担を極力抑えながら経済成長を目指す。ただしアメリカは国力が衰え「世界の警察官」はやめて一種のモンロー主義を取り内に籠ろうとしてるから、そのアメリカにこれまで通りの(片務的ではないが)非対称な日米関係を納得させるにはこれこれこういう論理でこのルートを通じて説得するのがベストだ、そうすれば成功確率は○%ある。ただし中国が台頭する中その戦略を取った場合の国際情勢は今後こう変わり、とすれば日本としてはこれこれこういう外交を展開する必要性がある、とか――。
やり取りを見ている第三者が「なるほどそうか」、「その通りだな」と納得するような、具体性のあるディベートでなければ意味がない。ひたすら「命」や「人権」だけを切り口にし、論理ではなく人の「情動」に訴えかける手法ではダメだ。
単に「戦争反対!」、「命を守れ!」の抽象的な大合唱では、有権者の大多数を占める無党派層を説得できない。世の中に大きなうねりは起こせない。最後は与党の絶対多数で押し切られて終わりだ。
問題は、安倍政権が出した新安保法制に「賛成か?」、「反対か?」の二択を問う政権側の戦略に絡め取られていることだ。良識ある人々は「第三の選択」を提示し、国民をあげた大議論を巻き起こしてこそ道が開ける。いや安倍首相自身も「隠した本音」を国民に向けて率直に語り、またメディアとすべてのネットワーカーは日本が取りうるオプションを残らず挙げてそれらのメリット、デメリットをまな板に乗せ、喧々諤々議論するべきだ。結論を出すのは、まだ早すぎる。