すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

最近のトラックバックスパム

2005-10-22 15:43:32 | へっぽこ文章講座
 ブログのトップページの画面は、実にさまざまな要素でできている。またサイドにはいろんな項目が並んでいる。それぞれがまるで将棋のコマのように、あるいはサッカーの各ポジションにおける選手のように、はたまたバンドにおける各パートのように、自分に託された異なる機能を発揮しあい、ブログという「全体」を形成している。対する各項目は全体の「一部」だ。

 まずカレンダーである。それから月別のアーカイブやカテゴリ、ブックマーク、プロフィール、リンク。これら「部分」が助け合い、チーム全体が点を取って試合に勝つこと、または相手の「王」を詰ますことを目ざしている。

 そのうち特に重要なのが、「最近の○○」シリーズである。たとえば、

「最近のエントリ」

「最近のコメント」

「最近のトラックバック」

「最近のトラックバックスパム」

 ん? いやブログのサイドに「最近のトラックバックスパム」って項目があったら、笑えるなと思って。それだけ。

 これ書いといたら、トラックバック研究家のえっけんさんあたりが、ネタでほんとに作って笑わせてくれるかな? とか。

 だめ?


--------------------------------------------------------


【ユーモア力・テスト】

 (質問) あなたは今回の駄オチを、どの時点で察知しましたか?

【1】冒頭のタイトルを見た瞬間 
   (松岡の浅はかなワナなんかにかかるかよタコ、と発想した)

   [診断] 
   
   あなたはある種の芸術的才能、もしくは洞察力、
   あるいは猜疑心が強いタイプです。
   生き方に気をつけましょう。
   大成するか、堕ちて行くか、
   オール・オア・ナッシング型です。

【2】3段落目の「特に重要なのが最近のシリーズだ」を見た時点

   [診断] 

   【1】の心理的側面から、「猜疑心」だけがないタイプです。
   あなたは良い要素で満たされています。
   ただし生き方に気をつけるべきであることに、
   変わりはありません。

   芸術な人はとかく身を持ち崩しやすく、
   また洞察力はそれを生かす職業に就けば成功しますが、
   日常生活では友人等に「うがった見方をするヤツだ」と
   受け取られることもしばしばです。

【3】文中の「最近のエントリ」以下、
  「最近の○○」シリーズが次々に並び始めたとき

   [診断]

   あなたには「気配」を察知する能力があります。
   続々と発生する社会現象を見て、
   「いま、日本は希望格差社会へ向かっている」
   などと考えるタイプです。

   あなたは気配を読みます。
   ですから浮気がバレることもなく、
   未然に対策を取られていることでしょう。

   でもひょっとしたらあなたは、
   この時点でオチを先読みしたのではなく……

   本文中に「最近のエントリ」等のシリーズが並び始めたとき、
   最下段の太字で書かれたオチが
   先に目の端に入っただけではありませんか?
                    ……ウソつき。   

【4】本文中盤の「最近のトラックバックスパム」を見た瞬間

   [診断]

   こんなのありえねーだろ? と。
   常識に富み、法則や原理、公式などに
   慣れ親しんできたタイプです。

   ただ、ややもすると既成概念にとらわれすぎ、
   あなたの価値観では「ありえないこと」を
   認められない側面があります。
   弁護士や警察官、公務員等を目指せば勝ち組です。 

【5】「ん? いやブログのサイドに~~それだけ。」という、
   オチをわざわざ筆者が自分で説明するくだりを読んだ瞬間

   [診断]

   きわめてノーマル、健康的な精神の持ち主です。
   書き手の狙った通りにハマってくださいます。
   性格は屈折しておらず、天真爛漫、
   みんなから好かれるタイプです。
   特に筆者から好かれます。

   ただしあなたはややもすると、
   与えられた情報をうのみにする傾向があります。
   それさえ留意すれば幸せな結婚をし、
   満ち足りた人生が送れるでしょう(サービス)。

【6】この「ユーモア力・テスト」が始まってから

   [診断]

   現代社会の常識においては、
   やや負け組みにカテゴライズされそうです。

   ですがあなたには大きな魅力があります。人を信じる力です。
   これは何物にも勝る才能といえましょう。
   自信をもち、希望を捨てずに生きようではありませんか。
   人間とは、そもそもそういうものなのです。

【番外編】

【7】いまに至るも、何が起こっているかわからない

   [診断]

   大物です。政治家をめざしましょう。
   日本のリーダーの条件は、「ユーモア力がないこと」です。

【8】筆者の松岡は、書いているうちに前半のネタが「弱いな」と感じ、
   あわてて後半部分に「テスト」をつけ加えるという逃げ
   思いついたにちがいない

   [診断]

   合格です。

 ところでみなさん。今回のエントリは、「ユーモア力・テスト」の部分全体が、実は【へっぽこ文章講座】を兼ねていたことにお気づきだったでしょうか?

 え、お気づき? 大変失礼致しました。私の負けです。

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡さん、コメント欄が大変ですよ

2005-10-15 23:56:25 | インターネット
 ゆうべから私用で外出していた私は、1本の電話で食事を中断された。携帯を取り出し電話に出ると、知人である。いまオレ店でメシ食ってるんだけどなあ……。すると知人は意味不明なことを言う。「松岡さん、コメント欄が大変ですよ」。彼の声はやや上ずってはいたが、心なしかうれしそうだった。

「え、コメント欄? なに?」

知人「いや、ほら松岡さん、2ちゃんねるの一部がどうとか書いてたでしょ? ブログに」

「うん」

知人「だからそのエントリのコメント欄がね、爆発してるんですよ」

(※やはり彼は明らかにうれしそうな感じだ)

「はぁ?」

知人「いや、今もうコメントの数がね、40本こえてます

「はぁぁぁぁぁ?」

【場面転換】

 ガランとした部屋。効果音は、ロバート・フリップが作ったおどろおどろしい悪魔の音楽。うす暗い部屋にモニターの青白い光がほのかに浮かびあがっている。

【ACTION!】

(カチンコの音)

 さて私は今、パソコンを前にしている。43本のコメントを読み終えたところだ。というか今現在も、コメントが送られ続けている(笑)。くだんのエントリーは知人の通報通り、この状態である。

『2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?』

 もはやこの数になると、1人1人にレスをつけるのは不可能だ。そこで総評的な形で書こうと、このエントリを立てたってわけだ。

 さて、コメント欄を通読してまず最初に感じたのは、ロジカルで知的な書き込みがほとんどだった点だ。主観的な感情論に流されてる人がほぼいない。しかも大部分がおハツの人たちなのに、である。

 さすがは私のブログにお見えになるだけのことはある(おい)。

 もちろんなかにはごく少数の意味不明なノイズもあったが、43本という総数を考えれば占める割合は驚異的に低い。

 やはりブログで問題提起し、議論を呼びかけるのは意義があるな、って感じだ。ちなみにこのエントリでは、トラックバックはほとんど打っていない。

 いやはや、やっぱりブログが議論を喚起する力はすごいわ。

 しかも書き込みの内容を見ると、私が書いた文章に賛同している人は少ない。たいてい何がしかの異議を唱えている。これがとても貴重な点であり、重要なポイントだ。

 私がブログに求めているのは、まさにコレだからである。

【ご参考】

※うちの過去の関連エントリです(議論・ブログ論)

『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』

『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』

『【匿名論争始末記】トラックバックスパムと議論の「呼びかけ機能」のあやうい関係』

『ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱』

【商業サイトに書いた原稿】

●RBB TODAY『第11回:議論の呼びかけはトラックバックスパムか?』

 ブログのコメント欄や送られてくるトラックバックが、「お説ごもっとも」みたいなうなずき系ばっかじゃ意味がない。過去に何度か書いたが、私は自分とは異なる価値観と出会いたい。

 たくさんの異論を聞き、私がそれまで想像もしなかったような独自の視点や、ユニークな発想にふれたい。で、胸いっぱいのエンドーストメント、じゃなかった、インスパイ(ヤ)されたい。

 私は教えてほしいのだ。

 で、最後にひとつささやかな提案なのだが……。

 今回みたいに議論になることが予想されるテーマのとき、あるいは文章が一定以上の長さになる場合は、できればご自分のブログで新しくエントリを立て、トラックバックの形で送ってもらえると助かります。

 たとえば今回は各コメントがけっこう長文で、閲覧者はおそらく読みにくいんじゃないかと思ったり。またコメント欄の機能上、基本的にみなさんと1対1のやり取りがしにくい。

 やっぱりまとまった議論をするなら、トラックバックを送りあうのが理想的だなあと感じた。

 上にあげた過去の議論系エントリを読んでもらえればわかる通り、私はむしろ異論を聞きたい。

 だから反論エントリが送られてきたからといって、相手のブログに乗り込んで、みょうなことをやったりするようなセコイ人間じゃない。この場でそれを証明して見せることはできないが、そこはもう「信頼してほしい」というしかない(笑)。

 とはいえもちろん、「コメントするな」なんて意味じゃない。むしろ逆だ。トラバじゃなくやっぱりコメントがいいと思えば、そうしてもらってけっこうだ。

 長くなったのでひとまず店じまいしよう。今回はいただいたコメントに対する踏み込んだ感想は書けなかったが、機会があれば回をあらため、それ用のエントリを立てようと思う。

 さて……。いまこの原稿を書き終わり、ふとコメントの本数を見たら60本になってるし(笑)。

 わはは。

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エイベックスが公式謝罪(?)~「のまネコ」のロイヤリティはもう要りません

2005-10-13 21:57:33 | インターネット
 きのう(10/12)、エイベックスが公式に謝罪し、「のまネコ」グッズで発生するロイヤリティ(キャラクター使用料)を受け取らないことに決めたと発表した。はたしてこれで一件落着なのか? 実にわかりにくい話である。

■エイベックス・グループ・ホールディングスのニュースリリース(10/12付・PDF)
『「のまネコ」商品化に関する当社グループの方針』

 このリリースを読むと、なるほどいままでよりはマトモな社会人ぽい文書になっている。赤ペン先生が出動する可能性も低そうだ。なおかつ謝罪のニュアンスも込められている。

 だけど騒動を傍観してるだけの私みたいな外野にすれば、どうもハッキリしない。

 たとえばこれなら小学生でも理解できるだろう。

インスパイヤされてやった。いまは反省している。キャラクターとしての「のまネコ」は、もうこの世からいっさい抹消する。
 けどプレスリリースの文面を解読すると、こういうことだよね?

1 ネットコミュニティから生まれたモナー等は、誰もが自由に使えるキャラクターだ。AA文化とインターネット特有の精神を背負った存在である。

2 (そのモナーにインスパイアされて作った「のまネコ」の)商標登録出願に関与し、一方的な企業の論理で「のまネコ」グッズを展開したことは、モナーを生んだネットコミュニティに対する配慮に欠けていた。

3 だから「今回の件」に関しては反省している。ごめんなさい。

4 で、懺悔の証として、「のまネコ」グッズで発生するロイヤリティを我々は受け取らないことに決めた。

 あー、要約を書いてるだけでアタマ痛くなってきた(笑)。

 リリースの後半には、「今回の件に関し非常に不快な思いをされたネット・コミュニティーに参加されている方々にもお詫び申し上げます」とあるけど……エイベックスが謝罪してる「今回の件」てのが、いったいどこからどこまでのことがらを指すのか? が、えらくわかりにくいのだ。

 たとえば2ちゃんねる管理人のひろゆき氏は、「謝罪してキャラクター使用料を放棄するというのは、のまネコのパクリ疑惑に関しては実質認めたようなものだと思います」とコメントしている。

出典●『のまネコ問題への個人的見解。2005/10/13』

 一方、不買運動を呼びかけている以下のブログは、「盗作を認めず、版権使用料も取ったままなんだ(先払いだよね?)。不買祭り終わんないよ」と宣言した。

出典●『モナーを守る具体的な方法 - のまネコ問題』

 で、結局どうなんだこれ? いや私にはよくワカリマセン……。

 私自身は、モナーにはまるで興味がない単なる野次馬である。だからどっちが正しいのかを論じるつもりもない。

 けど、いままでの経緯を客観的に見ると、エイベックス側は非難に押されてズルズルと謝罪+譲歩を小出しにしている印象は否めないなあ。

 戦場で防衛線Aが突破されたから、じりじり後退して今度は防衛線Bに陣取る。で、防衛線Bが破られたら、次はもうちょっと下がってトーチカにこもり……みたいな感じだ。

 そもそも外野スタンドから見た印象では、「のまネコ騒動」の根本的な対立点ってこうだったんじゃないの?

主張A●2ちゃんねるの「一部の人」たち

『「のまネコ」はモナーのパクリじゃないか?』

主張B●エイベックス側

『モナー等にインスパイアされて作ったが、「のまネコ」はオリジナル・キャラクターだ。モナーとはまったくの別物である』

 今回のエイベックスの声明は、この点にはふれていない。だから少なくとも文言の上では、主張Aと主張Bの溝は埋まってないように見える。

 はたしてひろゆき氏が言うように、ロイヤリティを受け取らない=「のまネコ」のパクリ疑惑を実質的に認めたことになるのか?

 それともロイヤリティの放棄は単に、商標登録出願に関与したことに対するおわびのしるしにすぎないのか?

 プレスリリースの形で公式声明が出ても、相変わらず「あうん」の呼吸で行間を読まなきゃならない要素がふえるばかりだ。

 モナーのそもそもの出自や厳密な法解釈はさておき、観客席にいる小学生レベルの頭脳しかない私にはわからないことだらけである。いやはや。

【蛇足】私が商業サイトに書いた関連記事

『「のまネコ問題」がダントツの1位に~インフォシーク検索ランキング』

※同じ記事のYahoo! JAPAN版

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?

2005-10-10 16:07:40 | メディア論
 avexの「のまネコ」騒動をめぐる、2ちゃんねるの「一部の人」論争を考えてみた。結論から先に言えば、これって2ちゃんねるに限った話なのか? 実は何にでもいえることなんじゃないの? てなお話である。

 今回、問題になっているのは以下の案件だ。

-------------------------------------------------------------
【検討すべき案件】

 2ちゃんねらーは、2ちゃんねる上で良いこと(千羽鶴、電車男など)が起こると2ちゃんねるのみんながやったことだと言う。

 だけど一方、2ちゃんねる上で悪いこと(犯罪予告など)が発生すると、それは2ちゃんねるの一部の人がやったことだと主張する。

 これはまるで手前勝手な論理じゃないか?

※上記の「案件」の内容は、以下の参考資料をもとに要約した。

【参考資料】

■はてなキーワード『一部の人』

■備忘録ことのはインフォーマル
『都合のよすぎる2ちゃんねるの「部分と全体」』

■むだづかいにっき♂
『のま猫を糾弾する人は「権利」について都合が良すぎるのではないか』

■天才コメンテーター日記『一部の人ですからのガイドライン』

-------------------------------------------------------------

 さて、ここで思考実験である。

【案件】中の「2ちゃんねる」をあなたの出身高校である「猫又高校」に、また「2ちゃんねらー」を、猫又高校に通う「現役高校生」、あるいは「OB」に読み替えてみてほしい。で、次のモデルケースについて考えてみよう。

【良いこと】

 あなたが卒業した猫又高校の野球部が、夏の甲子園にみごと出場した。あなたはまるでわがことのように誇らしい。

 あなたは高校時代に野球部とは何の関係もなかった。また母校の甲子園出場に何か貢献したわけでもナンでもない。だけど「自分が猫又高校出身である」という一点において、母校の甲子園出場をよろこんでいる。

 ここでは甲子園出場という良いことが、猫又高校の関係者全体にかかわるものとして共有され、祝福される。

【悪いこと】

 ところが一方、猫又高校の出身者が電車で痴漢を働き、新聞で報道されたとしよう。そのとき世論はこう糾弾してきた。

 猫又高校は痴漢予備軍の巣窟だ。過去に何人も痴漢をやったヤツがいるじゃないか。そもそもあそこの出身者にはロクなやつがいない。猫又高校のOBは、今回の痴漢事件を自分のこととして反省しろ。
 あなたはこう反論するだろう。

 チカンを犯したヤツは、あくまで猫又高校OBの「一部」にすぎない。現にオレは痴漢なんて一度もやったことがないぞ。なのに猫又高校OBが、全員、痴漢みたいに言うのはお門ちがいだ。オレを犯罪者といっしょにするなよ
 痴漢という悪いことは、猫又高校の関係者全体にかかわるものとして共有されることはない。OBの1人が痴漢を働いたからといって、猫又高校の現役高校生、およびすべてのOBが社会に対して喪にふくし、現役生・OB全員が世の中に謝罪するなんてことはありえない。

【中間まとめ】

 甲子園出場という良いことは、みんなのものとして共有される。だけど痴漢という悪いことは、あくまで一部の人間がやったこととして認識される。

 こんな例はあげればいくらでもある。

 次は【案件】中の「2ちゃんねる」を日本という国に、また「2ちゃんねらー」を日本人に読み替えてみよう。

 サッカーのワールドカップで、日本代表チームが優勝した。まるで信じられない快挙である。あなたはサッカーをやってるわけじゃないし、もちろん日本代表チームのメンバーでもない。単なる日本人のひとりである。

 だけどあなたは日本代表の優勝が、まるで自分のことのように感じられる。日本人のみんながそれを成し遂げたかのように思える。世界に対して誇りたい気持ちでいっぱいだ。

 かくてワールドカップでの優勝という良いことは、日本人全体のものとして人々の胸に記録される。

 では悪いことのほうはどうか?

 たとえば日本人であるあなたが、外国人からこんなふうに言われたらどう感じるだろう?

 日本人はもともと残虐な民族である。彼らは隙あらば軍事力をたくわえ、他国を侵略し、殺戮を行おうとする。それは過去の歴史が証明している。日本は先の戦争で犯したあやまちを反省し、未来永劫、世界に対して懺悔し続けるべきである。
 まだ20才であるあなたは、「あの戦争」のときには生まれてなかった。だからその戦争は日本人の一部がやったことだとしか思えない。ましてや日本人全体がもともと残虐な民族だなんて認めることはできない。

「はたしてオレは日本人の一員として、未来永劫、ずっと懺悔し続けなきゃいけないのか?」

 あなたはそんな大いなる疑問を感じる──。

 人間は希望がなければ生きられない。だからネガティブな要素はなるべく隅に追いやり、ポジティブなことがらを生きるためのエネルギーに変えようとする。これは人間の自己保存本能である。

 ゆえに良いことは自分もふくめた「みんながやったこと」になる。かたや悪いことは、自分を除く「一部の人」の責任だと認知する。

 もともと人間とは、そういうものなのである。

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!

(追記)冒頭部分に、『※上記の「案件」中の内容は、以下の参考資料をもとに要約した』を付記した(2005,10/16)
コメント (77)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倒幕運動、あえなく自爆

2005-10-09 13:21:17 | 政治経済
 さっそく玄倉川さんがトラバくれたんだけど、あまりにも予想通りの展開すぎて反応する気が起こらず…(笑) でもそうこうするうち佐倉さんからもトラバをいただき、当の筆者さんもトラバをくれたんでしょうがない。いちお反応しとこ。

■世に倦む日日
『反小泉「左右共闘」の意味と論理-多数を結集するリアリズム』

「反小泉の一点で左右は結集できる」と言いながら、いきなり「日本は韓国中国と手を組まなければならないはずだ」。あーあ、やっちゃったよ。この政治的センスには参りました。

 なんでもっと戦略的に立ち回れないかなあ。

 人間、相手の身になって考えれば、見えなかったことが見えてくる。たとえばサヨクな人たちに、こう呼びかけたらどうなるだろう?

 日本は世界に火種をバラまくネオコン・ブッシュのアメリカと手を切るべきだ。徹底した対米従属路線の小泉さんはその象徴である。いまこそ左と右は共闘し、「STOP THE KOIZUMI」を宣言しよう。(ここまではいい)

 日本はアメリカのくびきから脱し、自主独立の道を歩もう。そのためには憲法を改正し、核武装して「普通の国」になるべきである。
「あーあ、やっちゃったよ」って思うでしょ? やっぱりあなたも。

 てなわけで祭りはたった3日で終わりました。ワタシゃ無責任なタダのウォッチャーなんで、もっと楽しみたかったんだけど。

 あと私が言いたいことって、もうほとんど玄倉川さんがすでに書いてるんで(笑)。リンク貼っときますね。ぺたぺた。

■玄倉川の岸辺
『呉越同舟ならず』
『片翼だけの包囲戦術』

 なお私は玄倉川さんの「河村たかしを総理にするブロガー同盟」に参加するつもりであることは言うまでもない。

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【へっぽこ文章講座】わざと説明しないことのかっこよさ

2005-10-06 02:39:07 | へっぽこ文章講座
 カゼが直るまで更新は休むと言いながら、またまた書いちゃお。最近、私のお気に入りブログになっている『bogusnews』についてである。お題は、「説明しすぎる文章」って面白さを殺しちゃう場合があるよね、ってお話だ。

 この『bogusnews』、実際にあったニュースをふたひねりし、パロディとして読ませるユーモアが身上である。いわば1年365日がエイプリルフールみたいなノリだ。

 このテの文章は、かなりの技術がないと成立しない。だけど筆者は、毎回、きっちり仕上げてくる。特に10月3日付の「Yahoo!ロボット検索中心へ変更 非難の声も」のデキは抜群だった。このエントリーを読み、「筆者はひょっとしてプロなのかな?」と思ったくらいだ(プロだったらゴメン)。

 で、今回、まな板にあげるのは、10月5日付の「[阪神買収] 村上ファンドの裏に謎の外国人?」である。ただし残念ながら(この人がもっているだろう能力を考えれば)失敗作としてだ。みなさん、まずは先に上記のエントリーをお読みいただきたい。

 さてネタバレになるのでどこまで分析していいものやらむずかしいのだが……このエントリーはご覧の通り、右上段に掲載してある写真と、本文の中盤に出てくるコメント「ヘドロのにおいを漂わせていた」を読んだ時点で、オチがわかるしかけになっている。

 阪神という球団の歴史に関するちょっとした知識とユーモアを解するセンスがあれば、この「ヘドロのにおいを漂わせていた」のくだりでぷぷっと吹き出して「いっちょうあがり」な作品なわけだ。

 で、読み手のレベルをそこに設定するならば、本来ならこの文章は、最終段落にもってきた『この老紳士、風体と「かなりの資本をもっているらしい」という以外のことは一切わかっていない。ただ、阪神に強い恨みを抱いているのは確かなようだ』の二行で、サラリと締めくくって終わるのがベストだ。

 そのほうが余韻も残るし、さりげない締め方が逆にインパクトを生む。ココで切ったほうが文章としては絶対におもしろい。

 ところが残念なことに、筆者はそのあとに余計な一文をつけ加えてしまう。最後にオチを自分で説明してしまうのである。この最終段落にあるコメントの部分は、完全な蛇足だ(失礼)。

 ひょっとしたら筆者の頭には、こんな思いがよぎったのかもしれない。

「道頓堀に投げ込まれたアレのことを知らない人が読んだら、なんのことだかサッパリわかんないかもしれないな。だったらラストでちょっと説明しておこうか」

 文章を書く上で「どこまで説明すればいいのか?」って、とてもむずかしい問題だ。説明不足のせいで読者が意味をくみ取れないのでは、それこそ意味がない。

 だけどその一方で、わざと説明せずにやめておくという寸止め戦法も、これまた高等な文章技術のひとつである。今回のケースで使ってほしかったのがまさにコレだ。

 今回のネタは、アレがかつて道頓堀に投げ込まれたことを知らない人が読んだらそもそもアウトなのだ。どんなに筆者が説明しようが、笑えないものは笑えない。だってその人は笑うための予備知識がないんだから。だったらもう割り切って、説明しないことを選択するのが正解だ。

 つまり本文の中ほどに出てくる「ヘドロのにおいを漂わせていた」を読んだ時点で笑えない人は、もう見切っていいのである。もし私がこの筆者の担当編集者だったとしたら、そう進言しただろう。

 以前、私はエントリー『人は映画の中に「観たいもの」を観る』の中で、映画は説明しすぎるととたんに色あせてしまうと書いたことがある。これは映画に限らず、文学や美術、音楽など芸術全般にいえることだ。

 たとえばユーモアがわからない人に、ユーモアの意味を説明するのって最高にダサい。笑う才能がない人は、どうしたって笑えないものだ。

 仮にあなたが友人にジョークを言ったとき、意味が通じず笑ってもらえなかったとしよう。

 でもそこであなたはわざわざ、「いや、いまオレが言ったのはジョークなんだよ。意味はコレコレこうでさぁ~」などと説明し直したりはしないだろう。なぜならあなたが放ったジョークは、相手に説明している時点ですでに失敗なのだから。

 同じようにゲージュツがわからない人に、その意味を解説するのは無粋だ。世の中には、わかる人だけわかってればそれでいいやみたいな世界ってやっぱり存在する。

 というか今回、たまたま私は他人の文章をサカナにし、エラソーに論評なんぞをぶっこいているが……もちろん私だって毎回、同じことに頭を悩ませ、七転八倒しているひとりである。

 現に今回のエントリーにしても、仮に10人がコレを読んだとしていったいそのうち何人に意味をわかってもらえるだろうか? 私は不安でいっぱいだ。

 ああ、うまく説明できてないよなあこのエントリー。すんません。出直してきます。やっぱりブログ書くのはカゼが直ってからにしようっと。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ところであなたは「NO! KOIZUMI」?

2005-10-05 04:39:37 | 政治経済
 更新はお休みと言いながら1本だけ書いちゃう。病院でもらったカゼ薬がとにかく強烈なんだわ。これ飲むと昼間中ずっと爆睡してしまい、本末転倒なことに夜、まるで眠れなくなるのだ(笑)。

 さて本題。「反・小泉」を接着剤にし、右翼と左翼の共闘を呼びかけているブログがある。

世に倦む日日『STOP THE KOIZUMI-改革ファシズムを止めるブロガー同盟』

 もしこの運動に呼応して、辻元清美氏と西尾幹ニ氏が肩をならべて国会にデモをかけ、「NO! KOIZUMI」とシュプレヒコールを上げたら私も参加してもいいかな。だってそれ見たいし(笑)。

 てか、それくらいのことが戦略的に実現できなきゃ、この運動って意味ないと思うぞ。

●この記事がおもしろかった人はクリックしてちょ♪

人気blogランキングに投票!
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カゼっぴきです。直るまで更新休みます。

2005-10-05 01:44:52 | お知らせ
カゼひきました。死んでます。直るまで更新休みます。季節の変わり目、みなさんもお気をつけて。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする