すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【ゲームモデルとプレー原則】森保監督みたいなサッカー論を見つけた

2023-10-09 05:31:38 | サッカー戦術論
「モダンサッカー3.0」とは何か?

 先日、興味深いサッカー本を読んだ。まるで日本代表の森保一監督のように選手の自主性を重んじるイタリア人監督がいるのだ。書名は『モダンサッカー3.0 「ポジショナルプレー」から「ファンクショナルプレー」へ』(ソルメディア)だ。

 この本は2人の共著で、著者のひとりは「モダンサッカーの教科書」シリーズでおなじみの片野道郎氏。もうひとりはイタリアで注目されている若手理論派、ペルージャU-19監督のアレッサンドロ・ビットリオ・フォルミサーノ氏だ。

 片野氏がフォルミサーノ氏の頭の中にある「サッカーとは?」を聞き出し、会話体で論述してある本である。

 おもしろかったのは、片野氏がフォルミサーノ氏に「ゲームモデルとプレー原則についてどう考えるか?」を問うくだりだ。

 フォルミサーノ氏にとってのゲームモデルとは、監督が一方的に選手に押し付けるものではなく、逆に選手たちが自由にプレイしているのを監督が観察し、それらのプレイの中から「抽出し、発見するもの」だという。

 まるで選手の自主性を尊重する、森保監督そっくりのことを言うのだ。

選手たちは「創発的」にプレイした

 そして白眉なのは、フォルミサーノ氏が初めてU-16を指揮したときのことだ。それはある国際トーナメントだった。監督としてそのチームを見るのは初めてで、選手たちがどんなプレーをするのかもよく知らない。白紙の状態だ。

 ちなみにそのチームは前年、大型CFを前線中央に置いて教科書通りの4-3-3で戦っていたらしい。

 そのチームをフォルミサーノ氏は、システムや配置をまったく決めないまま送り出そうとした。で、選手の面々を前に「どうだ? 行けるか?」と言うと、アタッカーの1人が「去年、自分はウイングでプレーしたが、実は真ん中のほうがやりやすいんだ」と言ってきたという。

 で、ならばと彼をトップ下にし、中盤を菱形にして4バックでやってみた。すると小柄なアタッカーたちが細かくパス交換をし何度も相手の守備を崩して6-0で大勝した。

 フォルミサーノ氏は思わず助監督と顔を見合わせて、「よし、ここからスタートしよう」と宣言した。

「すべては、私のアイディアや戦術ではなく、選手の創発性から始まったのです」

「次の試合からは中央の密度を高めて細かくパスをつないで崩す、というアイディアをチームに伝えて、それを原則として固めて行きました」

 選手たちがイキイキとプレイしている様子が、手に取るように伝わってくる。こういうチームの作り方もあるわけだ。

 なるほどそれもいいかもな、とちょっと思った。

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【サッカー攻守4局面】いまや「0局」の時代に突入している?

2023-07-02 07:00:27 | サッカー戦術論
現代サッカーは保持・非保持に関係なく常にボールに関わる

 例によってサッカー・サイトを散歩していたら、すごい珍説にめぐり合った。

 ケルン体育大学サッカー専門科を経てアナリストの庄司悟氏による言説だ。それは以下の通りである。

『現代サッカーは、ボール保持・ネガティブトランジション・ボール非保持・ポジティブトランジションという「4局」の循環ではなく、ボール保持・非保持にかかわらず常にボールに対して能動的かつ組織的に動く「0局」の時代に入り始めている(図2)。

「ハードワーク」「切り替えの速さ」「ハイテンポ・ハイライン・ハイプレス」という現象を、単なる汗かき仕事のように分類し、とらえる時代はもはや過ぎ去っているのだ』(『マリノスとFC東京に共通する「0局」の概念。4局面では説明できない現象とは【Jの十字架】』フットボールチャンネル)より

 サッカーを「0局」なるユニークな視点で論説しておられる。

 まず庄司氏のおっしゃる「ボール保持・非保持にかかわらず常にボールに対して能動的かつ組織的に動く」のは、いうまでもなく現代サッカーでは常識だ。

 それを言葉で言い表せば「ハードワーク」「切り替えの速さ」「ハイテンポ・ハイライン・ハイプレス」などとなる。そしてこれらの行為を「単なる汗かき仕事のように分類」し、とらえている人は今でもけっこういる。

 しかし逆に「汗かき仕事だ」と思ってない、「それが普通だ」という人だって多い。単に「汗かき仕事だ」と思っている人がいるからといって、現状を「0局」と言ってしまうのは違う気がする。

 あえて4局面に引き付けていえば、確かに60年代とか大昔のサッカーは、攻撃の選手がボールに関わるのは「ポジティブトランジションとボール保持の間だけ」だった。それ以外の時間はウインガーとかCFは、ピッチをのんびり歩いてボールのゆくえをただ眺めていた。

 だが、いまは4局面すべてでプレイヤ―がボールに関わるのは常識だ。「ネガティブトランジション」時にボールを取り戻そうとしたり、カバーシャドウで敵のパスコースになりうるルートを切るのは当たり前だ。また「ボール非保持」時にボールに対しプレスしないなんてありえない。

 そんなことは4局面があろうとなかろうと関係ない。

 いまや4局面の有無にかかわらず、現代のセントラルMFはボックス・トゥ・ボックスで活動するし、それ以外の選手もボールに対してハードワークする。ただそれだけのことだ。

 そもそも4局面というのは、あくまでサッカーの試合におけるプレーの変遷・移行を言葉で示しただけのものだ。特に「ボールとの関係」をどうこう言ってるわけじゃない。

 それなのに「今のサッカーは常にボールに関わるのだから『0局』だ」などと言い始めるから、おかしくなるのだ。

 おそらくだが、4局面を庄司氏は「ボールとの相関関係」か何かだと誤解されているのだと思う。

 いや、「ボール非保持のときもやるのが当たり前だからハードワークじゃない」といえば、それはその通りなのだが。

 しかしそのことと4局面なる表現の「存在価値」とは関係ないし、「0局」などと言ってしまうとプレーの遷移が言い表せなくなる。単に不便だろう。

 だって「素早いポジティブトランジションからのショートカウンター」という表現って、「切り替えが速かったんだなぁ」ってアリアリと目に見えるようじゃありませんか?

 アナリストにとっては「0局」でも、言葉をあやつる表現者にとってこういう表現をできなくなるのは致命的なのだ。

【補稿】

 例えば「素速いポジティブ・トランジションからのショートカウンター」という言葉がある。

 これは、ボールを奪ってからダラダラとバックパスしたり、ボールを受けられる位置に素早く移動せずのんびり歩いていたりするのでなく、「切り替え速くカウンターを打った」ということを「ひとこと」であらわしている。

 それを上記のように長くだらだら説明するのでなく、「たったひとこと」で言いあらわすには「素速いポジティブ・トランジションからのショートカウンター」という表現以外にないのだ。

 ゆえに表現者にとって、4局面の遷移をあらわす言葉は必要なのである。

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【日本人】「バックパス癖」という日本人の国民病を超えろ

2023-02-17 08:22:20 | サッカー戦術論
安易にバックパスに逃げる日本人

 現地時間15日に行われたプレミアリーグ第12節(延期分)のアーセナル対マンチェスター・シティー戦。

 アーセナルの冨安が不用意なバックパスをシティのデ・ブライネにかっさらわれて失点するのを見て、思わず柴崎岳の例のバックパスを思い出してしまった。

 そう、カタールW杯アジア最終予選のサウジ戦で、柴崎のバックパスがさらわれゴールされて1-0で負けたあの試合だ。

 しかもマンチェスター・シティーの名将ペップは、日本人の「バックパス癖」を見抜いていたような観すらあるーー。

 日本人のバックパス癖については過去記事「バックパス症候群という病」でも書いたが、どうも日本人はバックパスに対する抵抗感がないような気がする。

 いや、というよりむしろバックパスを「よいプレー」のように考えているフシがある。

 いざとなったらバックパスに逃げればいいーー。

 バックパスは楽だから頼ればいいーー。

 日本人はこういう意識で、安易なプレー(バックパス)をしているように思えるのだ。かくて日本人のバックパスは「国民病」となり、深く根を下ろしているような気がする。

 国民的な啓蒙と、意識改革が必要だろう。

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【サッカー日本代表】森保続投なら「条件」ありだ ~戦術編

2022-12-20 05:49:48 | サッカー戦術論
W杯決勝を尻目に「森保続投」が既成事実化

 世の中がアルゼンチン VS フランスの激闘の決勝戦に沸くなか、日本サッカー協会の田嶋幸三会長の思惑通り、森保監督の続投が既成事実化しようとしている。

 レーヴやビエルサなど大物も取り沙汰されているが、予算を考えればわかる通りすべてダミーだ。いちおう「外国人監督も検討しました」というアリバイ作りである。

 てなわけで本命の「森保続投」はほぼ決まりなのだろう。あーあ、という感じだが、それがもし本当なら高いハードルを設定しチームを鍛えたい。

ポゼッションとカウンターの使い分けを

 まず世の中的にはカタールW杯での森保ジャパンの守備的な戦いを見て、「そろそろ主導権を握るサッカーをやってほしい」という十年一日の希望がまたぞろ寄せられている。

 ただ勝つだけじゃ満足できない、ってわけだ。

 そうなると森保ジャパンは、カウンターとポゼッションを使い分けるチームでなければならない。

 敵が低いライン設定でカウンターを狙っているなら、ポゼッション・スタイルでこちらから仕掛けて圧倒する。攻め切ってしまう。

 かと思えば敵がラインを上げて遮二無二攻めてきたら、ブロックを低く構えてカウンターで打ち取る。

 そんな戦況に応じた機敏なサッカーをするべきだ。

最終ラインからビルドアップする

 またカタールW杯での森保ジャパンは、GKの権田がアバウトなロングボールを放り込んでばかりいた。ここも変えたい。

 もちろん前線にフリーの味方がいればロングボールもありだが、そうでないならGKに足元がいいシュミットを使い、最終ラインから丁寧にビルドアップするサッカーをしたい。こうして組み上げ、意図のある攻撃をする。

 ビルドアップのパターンはいろいろだ。4バックの右SBが上がれば残る3枚が右にスライドし3バックを構成して味方を押し上げる。

 あるいはCMFがCBの間に落ちて3バックになり、両翼を上げて前線をうかがう。これで中盤までボールを運び、中盤で組み立てて相手ゴールを狙う。

 こんなふうに「主体性のあるサッカーを」というなら、まずビルドアップからだ。

オーバーロードで敵を釣る

 こうしてポゼッションし、ゾーンのギャップでボールを受けて敵をゆさぶる。

 あるいはオーバーロードで一定のエリアに意図的に選手を集中させ、逆側にスペースを作って活用する。

 つまり逆サイドにアイソレーションを作り出し、そこに三笘を使って勝負させる。

 またはSBの選手が内側に絞って偽SB化し、敵の中盤の選手を中へ釣って同サイドのウイングに1対1の状況を作り出す。そこで仕掛ける。

 こんなふうに戦術的にテンプレート化された崩し方は多い。

 だがカタールW杯でのわが日本代表は、ボールを持たされポゼッションせざるを得なかったコスタリカ戦を見ればわかる通り、攻め手に回った場合の戦術がカケラもなかった。「主体性のあるサッカー」を求めるなら、森保ジャパンはこうした攻めの手をマスターし、戦術的に動いてほしい。

W杯本大会を見据えた戦術的な強化を

 カタールW杯での森保ジャパンは、ただなんとなく「選手まかせ」でアジア予選を戦った。

 で、本大会に入ればほぼぶっつけ本番の3-4-2-1で、相手にボールをもたせて勝つサッカーをした。

 あんなドタバタはもう御免だ。森保監督はアジア予選のときから「本番」を見据えて戦術的に強化してほしい。

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【戦術分析】「森保ジャパン」とは何だったのか?

2021-10-09 06:49:33 | サッカー戦術論
三銃士が繰り広げたストーミングの宴

 少し早いが、森保ジャパンを総括しておこう。

 多少アバウトでもタッチ数の少ない「縦に速い攻め」をし、もし前線でボールを失ったら足を止めずにその場でカウンタープレスをするーー。

 中島翔哉と堂安律、南野拓実という若い「三銃士」が一時代を築いた森保ジャパンのサッカーをひとことで言い表せば、そんな「ストーミング」と呼ばれるスタイルになる。

 つまり森保監督が何も指示をしなくても、高い位置でこの3人プラス、大迫の4人が意思疎通の取れたストーミングを勝手に繰り返すのだ。ゆえに森保監督は選手の自主性まかせで済む。

 これが森保ジャパンの「正体」である。

ストーミングにハマった選手の自主性まかせ

 で、このトリオの組み合わせが崩壊して以降は、カラッポの燃えカスのように一部だけ別のメンバーでそのスタイルを部分的に再現できるときもあれば、できないときもある。

 だから森保ジャパンは「勝ったり、負けたり」する。

 森保ジャパンをひとことで総括すれば、そういうことだ。

 つまり「森保ジャパン」という幻影は、三銃士による意思統一の取れたストーミングと、森保監督による「選手の自主性まかせ」という2つの要素がたまたま軌を一にして実現したため現れた幻にすぎない。

 この絶妙なマッチングが消えたいま、この監督に指揮をまかせる意味はハッキリ言ってない。ゼロだ。

 もしやるとすれば森保監督のまま当時のストーミングのスタイルを選手みんなで今から分析し、それを雛形にしてゲームモデルとプレー原則をあらためて決めて別の選手がプレーする。

 そんなところだろうか。

サッカー利権を享受したい協会会長

 しかし同じ監督のまま、そんなことをやって果たしてどれだけ意味があるのか?

 森保監督の監督としてのコンセプトが「選手の自主性まかせ」「自然なアドリブでゲームを作る」である以上、人工的にそんなことをしてもあまり意味があるとは思えない。

 なぜなら森保監督の意図から言えば、たまたまそうなるのでなければ意味がないのだから。

 ゆえに結論をいえば、このチームはすでに賞味期限を過ぎたのだ、ということになる。

 もし今後、森保監督のままでも、これからも勝ったり負けたりするだろう。だが、それは結局たまたまだ。

 その「たまたま」に意味があると思えばそうすればいいし、でなければ解散すればいい。

 もちろんこの居心地のいい体制のまま、電通を駆使したサッカー利権を享受したい日本サッカー協会の田嶋幸三会長としては、監督が「物わかりのいい日本人」の森保氏である意味は十二分にあるのだろうが。

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【J1戦術論】名古屋はポジティブ・トランジションを磨け

2021-05-26 06:00:00 | サッカー戦術論
素早い切り替えから速攻をかける

 鋭いカウンター攻撃を武器にするチームは、たいていポジティブ・トランジション(守から攻への切り替え)が速い。

 例えば、敵はいままさに守備の備えを犠牲にし、自ら守備のバランスを崩して攻撃を仕掛けている。

 このとき敵がミスしてボールをロストした。さあ、ここがチャンスだ。

 ボールを失った敵の守備のバランスは、まだ崩れたままだ。

 つまり彼らはついさっきまで攻撃の態勢にあり、守備に穴がある。

 そんな状態でボールを失っている。

 ならば自チームは素早い切り替えから、敵の守備の態勢がまだ整ってないうちに攻め切ってしまいたい。

 ここがポイントだ。

 相手は攻めにかかって自分から守備のバランスを崩しているのだから、攻略は容易である。

名古屋は切り替えの速さにこだわってない?

 だが名古屋グランパスに関しては、実は上記の点で疑問がある。

 名古屋は守備の堅さを生かして相手にボールを持たせ、カウンターを狙うタイプのチームだ。

 もちろんボールを持てばポゼッション・スタイルもできるが、どちらかと言えば比重はカウンターだろう。

 だが彼らはトランジション(切り替え)の速さには、こだわってないように見える。

名古屋はポジティブ・トランジションに問題あり?

 彼らは守備意識が高いので、ネガティブ・トランジション(攻から守への切り替え)については問題ない。

 だが逆にポジティブ・トランジション(守から攻への切り替え)には問題があると感じる。

 わかりやすく言えば攻めへの切り替えが遅いせいで、敵がボールを失ったとき、相手が守備の態勢を立て直す時間をわざわざプレゼントしてあげてから攻めている。

 つまり相手が守備の準備を終え、ファイティングポーズを取って初めて、名古屋はポゼッションをスタートし攻め始めている感じがするのだ。

 そこで素早くカウンター攻撃を見舞うのでなく、敵に時間的な猶予を与え、自分たちはゼロからポゼッションを始めて敵を攻略するスタイルに見える。

 これは大きな損である。

 名古屋は守備力が高いのにくらべ、得点力・攻撃力が見劣りするのはおそらく上記の理由が原因だろう。

現代フットボールはトランジションで決まる

 せっかく守備の堅さを生かしてカウンターを行うなら、相手がボールを失った瞬間に素早く守備から攻撃に切り替えて即座に敵に襲いかかるのがベストだ。

 これにより破壊力は爆発的になる。

 なぜなら敵はまだ守備の態勢を崩しているうちに、奇襲を食らうのだから。

 そこで名古屋に提案したいのは、敵がボールを失ったら、瞬時に切り替えて攻撃にかかることである。

 現代フットボールはトランジションで決まる。

 できるだけ切り替えを速くして、攻めにかかることである。

【サッカー観戦術】ひとクラス上になるサッカーの見方

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【J1戦術論】日本人は「川崎Fのサッカー」を見習うな

2021-05-14 06:55:47 | サッカー戦術論
省エネモードのヤワなサッカーだ

 J1リーグ第20節、2-2の引き分けに終わったおとといの川崎フロンターレ vs ベガルタ仙台の試合を観てずっこけた。川崎Fがまたあのヒョロヒョロとボールスピードが弱い、ショートパスばかりの軟弱なサッカーをやっていたからだ。彼らお得意の省エネモードである。

 日本のサッカー界は決してあのサッカーを見習い、あれを「日本の標準」などにしてはいけない(特に日本代表は)。なぜならあのサッカーでは、ヨーロッパの一流クラスに勝てないからだ。

 どうやら川崎Fの鬼木達監督もそれをわかっているらしく、試合後に「自分たちのサッカーにはほど遠いぐらいのミスがあった。自滅に近いと思っています」と語っている。

 川崎Fのサッカーには、どうやら2種類あるらしい。2種類とは、この日のような省エネモードのサッカーと、名古屋との首位決戦・第1戦で見せたインテンシティの高い強度のあるサッカーである。

 彼らが後者のサッカーをしてJリーグで優勝するなら大歓迎だ。大いに味習うべきである。だが前者のサッカーで省エネしながら勝つのでは、百害あって一利なしだ。なぜなら日本サッカー界への悪影響が甚だしいからだ。

弱いショートパスは世界で通用しない

 なぜこの日のような省エネモードのサッカーでは、世界に勝てないのか? それは過去に別記事『ガラパゴス化する日本人の「小さいサッカー」』でも解説した通りだ。まず第一にこの日のような弱いショートパスでは、現代サッカーの高度に密集した狭いゾーン(特に中盤)を通せない。

 第二に、川崎Fはこのサッカーをやるためボールホルダーに近よってやり、互いに短い距離を保ってパス交換するからだ。「距離感が大切だ」というわけである。だが、ということは彼らのボールの周辺には、常に3〜4人の選手が固まっていることになる。

 もしこのとき敵にボールを奪われ、大きくサイドチェンジされれば、それまでボールに群がっていた3〜4人の選手は完全にまとめて置き去りにされる。つまり川崎Fの「小さいサッカー」は極端にカウンターに弱いのだ。

世界で勝つには「強度」が必要だ

 また川崎Fの省エネモード・サッカーは、体を敵に激しくぶつけ肩や腰、足を入れて激しく競り合わない。そういうフィジカルコンタクトのない、ただ足先だけでやるお上品なサッカーである。

 しかもスペースでボールをもらうのでなく、足元、足元にボールを欲しがる。チマチマ足元だけでこねるサッカーである。サイドチェンジのような大きな展開のない、まるでフットサルのようなスタイルだ。これでは世界で勝てない。

 これはたとえて言えば、ボールを扱う技術レベルだけは高い(がフィジカルやオフ・ザ・ボールがダメな)久保建英が11人集まったチームのようなものだ。これなら技術レベルが圧倒的に高いので、確かに日本国内では勝てるだろう。

 だがサッカーは足先の技術だけで争うスポーツじゃない。少なくともヨーロッパの一流国では、激しいカラダの入れあいでボールを奪い合う強度の高い競技である。パスの強さにしろ、フィジカル・コンタクトの強度にしろ、すべての強度が日本とは格段に違う。

 そんな世界で、久保建英が11人集まったチームが勝てるわけがない。それは現に久保がヨーロッパで通用してない現状(2021年現在)によってすでに証明されている。つまり日本代表のサッカーが、川崎Fのスタイルみたいになっては困るのだ。それではワールドカップで勝てない。

川崎Fはインテンシティの高いサッカーをやるべきだ

 川崎FがJリーグで勝ちまくるのを観て、日本の子供たちは「あんなサッカーをやりたい」とマネするだろう。だが「あんなサッカー」ではダメだ。

 川崎Fのサッカーは日本だけに特化された、ガラパゴス化した「小さいサッカー」だ。くれぐれも子供たちはマネするべきじゃないし、日本代表がああなっては世界で勝てない。

 ただし彼らが首位決戦になった名古屋戦の第1戦で見せたような、インテンシティの高い頑強なサッカーをやるのであれば、この限りではない。もしそうなれば私は喜んで「川崎Fのサッカーを見習おう」と大宣伝するだろう。

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【サッカー戦術論】オン・ザ・ボールか? オフ・ザ・ボールか?

2021-05-06 07:22:07 | サッカー戦術論
サッカー選手の分類法

 サッカー選手のタイプを分類する方法はいろいろある。

 例えばその選手はオン・ザ・ボールか? オフ・ザ・ボールか? という分け方をすると話がけっこうわかりやすくなる。

 ただし厳密にはオン・ザ・ボールが「得意な選手」か、オン・ザ・ボールしか「できない選手か」という違いはあるが。

 それでいけば、先日、記事にした久保建英(ヘタフェ)なんかは、オン・ザ・ボールしか「できない選手」の典型だ。彼はボールのないところでの威力がガクンと落ちる。非常に惜しい。

 彼はきっとボールを触るのが大好きで、子供のころからずっとそういう練習ばかりしてきたのだろう。だがしかし……サッカーはボールのない所でどう機能するか? も大きい。

 その意味では、彼はオフ・ザ・ボールの動きを身につければ大きく伸びるだろう。

オフ・ザ・ボール型の典型は南野拓実だ

 一方、その久保と対照的なのが、プレミアリーグ・サウサンプトンFCの南野拓実だ。彼は久保と正反対でボール扱いのレベルはあまり高くないが、典型的なオフ・ザ・ボールで生きる選手である。

 南野によるボールのないところでのプレッシングは非常に利いている。カウンタープレスの申し子のような選手といえる。アグレッシブでハートが熱いのも大きな特徴だ。

 そのほかボールコントロールでなく、スピードで生きる浅野拓磨(パルチザン・ベオグラードとの契約を解除したばかり)のようなタイプもオフ・ザ・ボール型の選手と言える。

 また伊東純也(KRCヘンク)なんかもそうだったが……ただし彼はすでにオフ・ザ・ボール型から脱皮し、堂々、もはやマルチ・プレーヤー化したといえるかもしれない。

 これらの中間で、オン・ザ・ボールもオフ・ザ・ボールも両方いける選手といえば、最近売り出し中の古橋亨梧(ヴィッセル神戸)なんかはそう。

 彼の裏のスペースへの飛び出しは素晴らしいし、ボールに追いついてからのコントロールも完璧。ワンタッチですべてを決めてしまう。いい選手だ。

原口元気は両刀使いだ

 このほかにはボールコントロールもうまいが、アグレッシブでインテンシティの高さや献身的な守備がウリの選手もいる。原口元気(ハノーファー96)なんかはこのタイプだ。

 彼はワールドカップでもゴールを決めているし、オフ・ザ・ボールではなんといってもサイドを蒸気機関車のように爆走し上下動する壮絶な守備がすごい。

 ああいう選手がチームにひとりいれば監督は助かる。

 最近、守備に開眼しつつあるアイントラハト・フランクフルトの鎌田大地などもそんな両刀使いと言えそうだ。

 あと原口元気みたいなインテンシティの高いプレイができ、アグレッシブな守備もいい両刀使いの選手といえば、サガン鳥栖のFW林大地がすばらしい。

上田綺世も両方いける

 こう考えてくると、日本人フォワードでオン・ザ・ボールもオフ・ザ・ボールも両方いける選手というのは案外、少ない。

 その意味では鹿島アントラーズの上田綺世はオフ・ザ・ボールの動きがいいし、オン・ザ・ボールのボールコントロールも穴がない。

 となれば古橋と上田は、日本人フォワードとしてかなりのおすすめ株といえるだろう。

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【J1天王山・戦術的まとめ】トランジションとカウンタープレス ~名古屋に戦術リフォームのススメ

2021-05-05 05:39:35 | サッカー戦術論
名古屋の戦術は古色蒼然としている

 戦術的トレンドでいえば、攻撃時、アタッキングサードでボールを失ったときにどんな挙動を取るのか? は、そのチームのコンセプトを如実に語る要素である。

 例えばヨーロッパサッカーの最前線ではそんなとき、リトリートせず失ったその場でカウンタープレス(集団でボールに襲いかかる)をかけるスタイルが花盛りだ。

 ボールを失った。するとすぐさま攻撃から守備へとトランジション(切り替え)を働かせ、ゲーゲンプレッシング(=カウンタープレス)する。
 
 なぜならアタッキングサードでボールを即時奪回できれば、相手のゴールが近いためすぐさま効果的な速いショートカウンターが利くからだ。

 これは相手チームにとっていちばん失点しやすいシチュエーションである。

 だからカウンタープレスは花盛りなのだ。

ディフェンディングサードまでリトリートするのは古い

 これに対し、旧来からの守備のしかたが、リトリートからブロックを作っての組織的守備である。

 このときアタッキングサードでボールを失い、ミドルサードまでリトリートするなら、まだ相手ゴールまではそう遠くない。ボールを奪ってからのカウンターが利く。

 だがディフェンディングサードまでリトリートしてしまっては、相手ゴールは遥か彼方だ。せっかくボールを奪っても、実効性の低いロングカウンターになってしまう。

 ゆえにこのテのチームはたいてい古式ゆかしい戦術を取るチームであり、リーグ下位に位置する守備一辺倒のチームだと相場は決まっている。

名古屋が引く位置は低すぎる

 一方、J1リーグの首位決戦といわれた川崎フロンターレと名古屋グランパスとの2連戦で、名古屋はボールを失うとたいていディフェンディングサードまでリトリートしていた。

 カウンタープレスや、相手のビルドアップに対しハイプレスをかけることはまったくなかった。つまりボールを失ったら、自陣に引くしかテがないのだ。

 これは「守備的であることが悪い」という意味ではないのだが、使っている戦術がなんとも古色蒼然として見えるのだ。

攻めへの切り替えも遅い

 かたや名古屋はポジティブ・トランジション(守→攻への切り替え)に関しても、遅いケースが目立った。

 そこで切り替えれば速いショートカウンターが利くのに、という場面で、バックパスして攻撃をいったんスローダウンさせ、また攻めをイチからやり直すケースが多かった。

 切り替えに関しては、川崎Fのほうがはるかに速かったくらいだ。

 これではトランジション・フットボール全盛の時代にあまりに時代遅れに見えてしまう。

 もちろん伝統的な手法で守り、伝統的な手法で攻めるチームがあってもいいのだが、それではチームとしての成長が止まってしまうと思うのだ。

 そこで名古屋グランパスには、これら最新の戦術を部分的にでも取り入れモードチェンジしてはどうか? というススメである。

 何も新しいものの方が「優れている」とは限らないが、明らかに優れている「新しいもの」なら取り入れたほうがいいと思うのだ。どうだろうか?



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【J1首位決戦・2連戦分析】どこからプレスをかけるのか? ~川崎F vs 名古屋

2021-04-30 05:46:45 | サッカー戦術論
高い位置でプレスをかけない戦術の古さ

 変則日程で4月29日に行われた、J1リーグ第22節の首位決戦・2連戦の第一幕。

 マッシモ・フィッカデンティ監督が欠場したショックは、名古屋のメンバーのメンタル面に大きな影を落とした。

 そのせいで十分な力が出せなかったことは否定できない。

 だが、それを差し引いても川崎Fとの戦術の差は明らかにあった。

 それは第2戦となった5月4日の第12節でも顕著だった。

 名古屋はこれまで相手ボールになればミドルサードにリトリートし、4-4-2の守備ブロックを作り堅守を誇っていた。

 だがこの連戦では高いゾーンに踏みとどまることができず、引きすぎて敵のパンチを浴び続けた。これが敗因のひとつだ。

トランジションを意識せよ

 また、もう一点は戦術の古さである。

 名古屋はピンチになると引いて守るだけで、ほかの手立てがない。例えば敵のビルドアップに対しハイプレスを行わない。

 また高いゾーンでボールを失った場合、集団で一気にカウンタープレスを見舞うこともない。

 さらには選手にもっと強い意識づけをし、ポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)を認識させ、速いショートカウンターを打てるようになる必要があるのではないか?

 切り替えの速さは特にマテウスに求められる(彼はムラっ気がある)。

 このあたりがトランジションをめぐる川崎Fとの大きな違いであり、ただ引くだけの名古屋の戦術はやや古色蒼然として見えてしまう。

 この論点はひと昔前の日本代表でも盛んに話題になった、「どこからプレスをかけるのか?」問題である。

ハイプレスを導入してはどうか?

 名古屋はこのさい思い切って、引いて守るだけでなくハイプレスを導入してみたらどうだろうか?

 加えてトランジションをもっと選手にイメージさせ、ひんぱんに速攻を打てるようになるべきだ。

 名古屋は引いて守ることが多いのだから、ボールを奪ってからの切り替えの速さは不可欠だろう。リトリートする以上、絶対にそこを武器にするべきだ。

 こうした問題は前半6分に失点し、なすすべなく負けた第10節のサガン鳥栖戦でもクローズアップされていた。

 シーズン途中でのモードチェンジだけに難しい面もあるが、トライしてみる価値は十分にある。

 まだまだシーズンは長いのだ。

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【サッカー観戦術】ひとクラス上になるサッカーの見方

2021-01-01 08:48:50 | サッカー戦術論
4つの局面での挙動を観察する

 みなさんはどんな風にサッカーを観ているだろうか? もちろん酒を飲みながら楽しんで観るのがいちばんだが、ときには分析的な見方をするのも楽しい。今回はそんな観戦術を見ていこう。

 まずはフォーメーションの確認だ。で、それが攻撃時、守備時それぞれにどう変化するのか観察する。例えば攻撃時4-2-3-1だが、守備の時は4-4-2に変化し敵のビルドアップを牽制する、など。

 一方、一例として基本フォーメーションは4-2-3-1だが、ボールを持ってビルドアップする時にはセントラルMFの1人が2CBの間に下りて3バックを構成し、そのぶん両SBを上げる3-1-3-3になる、みたいな例も。

 サッカーチームはこんなふうにそれぞれ自分たちの型をもっており、それがわかると観戦がグッとおもしろくなる。

ビルドアップのパターンは?

 また上にも書いたが、ひとくちにビルドアップといってもいろんなパターンがある。

 例えば前記したセントラルMFが2CBの間に下りてSBを上げる形もあれば、そのほかにもセントラルMFがCBとSBの間に下りることもある。

 また左(右)のSBが高く上がり、2人のCBと逆サイドのSBが左(右)にスライドして3バックを形成する形。

 さらにはスペースがあれば、ボールを保持したCBがドリブルで持ち上がるなど、いろいろだ。

 あなたがサポートするチームはどれに近いだろうか?

サッカーにおける4つの局面とは?

 さて冒頭ではザックリ攻撃時、守備時で分けたが、もっと細かくいえばサッカーには4つの局面がある。

 それは(1)攻撃中にボールを失い、(2)守備の態勢に切り替えて(3)守備に移行する。そこから(4)ボールを奪ってまた攻撃する、という遷移だ。

 つまりサッカーでは、攻撃→ネガティブ・トランジション(攻→守の切り替え)→守備→ポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)という4つの局面が無限に円環構造を描いて続いている。つまりポジティブ・トランジションの次は冒頭に戻ってまた「攻撃」の局面を迎える。で、以下、無限ループだ。

 すなわちこの4つの局面それぞれに、チームがどんな挙動をするのかを観察するのだ。

 例えば攻撃時からボールを失ったらその場でゲーゲンプレッシングし(複数の選手がボールに襲いかかる)、ボールを奪取したら高い位置からショートカウンターをかける、というぐあい。

 あるいは逆に攻撃時からボールを失えば、まずミドルサードまでリトリートし、4-4-2に変化してミドルプレスをかける、というパターンもある。さらに守備的なチームなら、ボールを失うとディフェンディングサードまで後退し、自陣深くで5-4-1や5-3-2の組織的守備からロングカウンターを狙う、という例もある。

プレー原則がちがえばスタイルが変わる

 上に書いた前者はボールを失うと、その場で足を止めず失ったボールに嵐のように襲いかかって(ストーミング)、ボールを奪取したらカウンター速攻に移る、という「攻撃的な守備」からの反攻だ。このタイプのチームはトランジション(切り替え)を重視し、4つの局面が素早くシームレスに連続する。

 一方、後者はボールを失えば逆に後退し、いったん態勢を整えてから組織的守備に移るパターンだ。ミドルプレスでボールを奪えればそう遅くないカウンターを打てる。

 またディフェンディングサードでボールを奪ったら、最前線のターゲットマンに一発でロングボールを入れるダイレクトな攻撃もあれば、いったんビルドアップし直してじっくり遅攻にするパターンもある。

 このように攻撃時にボールを失えば前者をプレー原則として選択するチームもあれば、後者をプレー原則として採用するチームもある。

 こんなふうに4つの局面における挙動を観察すると、それぞれのチームカラーがわかっておもしろい。

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【森保批判を整理する2】選手の「テスト」だったメキシコ戦

2020-12-26 08:21:51 | サッカー戦術論
勝ちに行く試合ではなかった

 今回は、前回の【森保批判を整理する】で触れた論点をさらに深めてみる。2020年11月に行われた国際親善試合のメキシコ戦は、果たして森保監督にとって勝ちに行く試合だったのか? それとも選手の「テスト」だったのか? である。

 前回の記事でも書いたが、結論からいえば「選手のテスト」だったのだと思う。

 だからスペースがあってこそ生きる浅野は、後半になってスペースがないにもかかわらず(テストだから)途中起用されたのだ。

 ネットには「ゴールを決められなかった鈴木武蔵をもっと早く引っ込め、まだスペースがあるうちに浅野を出していれば」という意見も見られた。だがおそらく森保監督の中で武蔵は浅野よりだいぶんプライオリティが高い選手であり、武蔵はギリギリまで引っ張って使って「見たかった」のだと思う。

特に橋本拳人はもう一度チェックしておく必要があった

 とすれば前回の記事でも書いたが、武蔵と南野拓実の交代は同じFW同士を替えて「南野の力を再確認する」ための交代だ。

 一方、柴崎岳と橋本拳人の交代は、同じセントラルMF同士を替えて「橋本をテストする」ための交代である。

 特に橋本拳人に関しては、柴崎が何試合か不安定だったのでぜひ橋本を試してみたかった(行う価値のある)起用だった。なぜなら柴崎が不調のとき、橋本にやれるメドが立てばメンバー構成上、駒が豊富になり非常に意味があるからだ。

 つまりメキシコ戦はほぼすべての交代が実戦で選手を見てテストするための交代であり、「試合に勝ちに行くため」の交代ではなかったと考えられる。実は森保監督が行う選手交代は、このケースが非常に多い。

やはり清水英斗氏「メキシコのシステム変更に対抗した」は読み違い?

 となるとサッカージャーナリスト、清水英斗氏が記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』のなかで、「57分に武蔵と柴崎に代え南野と橋本を投入したのは、メキシコのシステム変更に対抗した交代策だ」と分析されていたが、それは読み違いではないか? ということになる。

 つまりあの交代策はメキシコのシステム変更に対応したものではなく、単なる「選手のテストだった」のではないか? ということだ。しかもあれらの交代策は森保監督が、「今日の試合では南野と橋本、浅野を途中投入して彼らをチェックしよう」と事前に考えてあった可能性が高い。

 なぜなら繰り返しになるが、リードしたメキシコが後半に引いて試合を終わらせようとしていたためスペースがない中、にもかかわらずスペースがあってこそ生きる浅野を投入しているからだ。試合の「内容」に応じた起用としては甚だ疑問が残る。

 ということは、一連の交代策はあらかじめ試合前に考えてあったものを機械的に実行したものだと推測できるのだ。

 こんなふうに交代策ひとつとっても、疑いの目を持ち深く思考すると見えてくる事実があっておもしろい。これだからサッカー観戦はやめられないのだ。

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【森保批判を整理する】議論の前提が違う清水英斗氏への違和感

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【森保批判を整理する】議論の前提が違う清水英斗氏への違和感

2020-12-23 06:37:02 | サッカー戦術論
批判すべきはチーム作りか? それとも采配か?

 サッカー日本代表の森保監督を批判する意見にふれるたび、「何か違うなぁ」と違和感を覚えてきた。

 その違和感とはいったい何かがわかった。サッカージャーナリスト、清水英斗氏の記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』を読んだのがきっかけだ。

 私と同じように森保監督を論評しているように見えて、その実、批判者によって議論の前提や土台が違うのである。

 その違いとはいったい何か? それは試合に至るまでの過程、つまりチーム作りの段階における指導力の欠如を問う趣旨なのか? それとも試合の最中の指示や用兵術など指揮ぶりを問う意図なのか? の違いだ。このどちらを批判するのかで、まったく議論の次元が変わってくる。

チーム作りの過程に問題がある

 僭越ながら私の例を出せば、私はほぼ一貫して前者、つまりチーム作りの段階における指導力を問題にしている。一例として、森保監督はふだんからゲームモデルやプレー原則をおそらく選手に仕込んでない点だ。

 これは試合を見ればよくわかる。例えば、いつカウンタープレスをするのか? いつハイプレスをするのか? 等にふだんの指導は如実にあらわれる。

 森保ジャパンでは南野と中島、堂安ら「三銃士」が揃って試合に出ていた頃、および最近ではカメルーン戦のように大迫と南野が同時に試合に出ているときには、カウンタープレスやハイプレスを行う。

 一方、彼らが試合に出てないときには行わない。

 明らかに試合に出る選手が自分たちの個人的な判断で声をかけ合い、「やるのか? やるならこうやろう」などと選手が自主的に決めているフシがある。

ふだんの戦術の仕込みが試合を変える

 だがカウンタープレスやハイプレスは1人でやるプレイじゃない。個々の判断では無理がある。ふだんの練習時から監督がカウンタープレスやハイプレスをゲームモデルやプレー原則として設定し、選手に日頃から指導徹底しておく必要がある。

 しかし森保監督はこうしたふだんの仕込みをやっていない可能性がある。ゆえに私はそれを問題にしているのだ。

 たとえば前線でボールを失ったとき、その場で足を止めずにカウンタープレスを行いボールの即時奪回をめざすのか? それともミドルサードまでリトリートして相手を待ち受けるゾーンディフェンスをするのか? は大きな違いだ。

 また敵の最終ラインからのビルドアップに対し、ハイプレスをかけマンツーマンでハメに行くのか? それともミドルプレスで敵を待ち受け、FWが縦パスのコースを切ってボールをサイドに追い込みサイドでボール奪取を図るのか? この違いは大きい。

 こうした戦術もふだんから森保監督が約束事として仕込んでおくべきだ。

 こんなふうに私の場合は一貫してチーム作りの段階における指導力の欠如を問うている。これができてないなら、そもそも森保氏が監督である意味がないからだ。

森保監督はメキシコのシステム変更に対応した?

 一方、清水英斗氏は記事『森保一監督は、いつ「無能の仮面」を外すのか。巷に渦巻く“監督解任論“の是非を問う』のなかで、2020年11月に行われたメキシコとの国際親善試合にふれている。このなかでメキシコが後半からシステム変更したことに関連し、清水氏は以下のように書く。

「日本優勢の前半が終わった後、メキシコはシステムを4-3-3から4-2-3-1に変更し、戦術を修正した。それに対し、森保監督が交代カードを切ったのは、後半に入った57分。鈴木武蔵と柴崎岳に代え、南野拓実と橋本拳人を投入した。

 珍しく、動きが早い。風向きの変化を感じた。(中略)森保監督は10分も経たないうちに交代を話し合い、動きを見せた。珍しい。その必然性があるとすれば、やはりメキシコが戦術を変えてきたことだ」

 清水氏は、森保監督が行った選手交代はメキシコのシステム変更に対する対抗策だとしている。つまり私が上の方で「後者」としてあげた「試合の最中における指示や用兵術といった采配」を問題にしている。

 私が「チーム作りの段階における指導力の欠如を問うている」のとは議論がまったく食い違っているのだ。なるほど同じように「森保批判」をテーマにしていても、人によって着眼点が大きくちがうのである。

 これで冒頭に書いた「森保批判論に対する違和感」の正体が分かった。

 森保監督のふだんのチーム作りを批判しようとしているのか? それとも試合中の采配についての批判なのか? そんな大きなスレ違いがあるのだ。

森保監督は機械的にシナリオを実行しただけだ

 だが問題はそれだけではない。一点だけ、清水英斗氏の記事にツッコミを入れておこう。メキシコ戦で森保監督が行った選手交代の意味は、清水氏の分析と私の見立てでは180度違う。

 後半に鈴木武蔵と柴崎岳に代えて南野拓実と橋本拳人を投入したのは、同じFWである武蔵と南野、同じセントラルMFである柴崎と橋本を交代させることにより、森保監督の頭の中にある「控え組とレギュラー候補」を対比させ、選手を比較検討しながら試合で見てチェックするためだったと私は推測している。すなわち「テスト」だ。

 つまり(1)あの選手交代はメキシコのシステム変更に対する臨機応変な対応策などではないーーというのが一点。

 もう一点は、(2)おそらく森保監督は試合前からあの選手交代を事前に考えてあった。それを計画通り実行しただけではないか? という点だ。私はそう考えている。後半にスペースがないなか、わざわざスペースがあってこそ生きる浅野を途中投入したのも、あらかじめ考えてあったシナリオだったからだと思う。

 つまり森保監督は、試合の流れに臨機応変に対応して選手交代を行ったのではない。ただ単に、事前に考えてあった交代策を機械的に実行しただけではないか? 

 もし私のこの分析が正しければ、「森保監督はメキシコのシステム変更に対し素早く選手交代して対策を講じた」という清水氏の論述は根底から無意味なものになる。

 こんなふうに監督の指導力や用兵術とひとことで言っても、人によって解釈もちがえば着眼点もちがう。となれば議論を整理して生産的なものにするためには、各自のスタンスをまず明らかにするのがいいと思う。

 例えば、(1)森保監督のふだんのチーム作りにおける指導力の欠如を問おうとしているのか? あるいは(2)試合の最中にリアルタイムで行う指示や用兵術などの采配を問う主旨なのか? それを記事の冒頭にでも明記しておく。そうすれば議論のスレ違いも起こらず、生産的な意見交換が行えるだろう。

◼️追記

 清水氏の記事に触発されてメキシコ戦を再度振り返ったが、森保監督は(事前に考えてあった采配にしろ)勇気を持ってよく橋本と浅野を途中投入したと思う(結果はともかくあのテストは試す価値があった。なお南野投入に「勇気」はいらない)。それにしても後半からバイタルエリアにフタをした敵将の修正力を強く思い知らされたゲームだった。

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【サッカー戦術論】広く攻め、狭く守るサッカーのキモはトランジションだ

2020-12-19 07:27:56 | サッカー戦術論
攻守に合わせて陣形は収縮する

 攻撃では「いかに広がるか?」だ。幅と深さを取り、チームは散開してゴールをめざす。

 一方、守備では「いかに縮むか?」。スペースを消し、チームは密度高く布陣し穴を作らない。

 とすれば問題は攻撃から守備、守備から攻撃に移るときのトランジション(切り替え)である。

素早く密度を高める守備

 例えば広がって攻めている状態からボールを失うと、カウンターを食らいやすい。そこでかのグアルディオラは偽SBを発明し、あらかじめ予防的カバーリングや予防的マーキングを行う。

 そしてボールを失えば素早いネガティブ・トランジション(攻→守の切り替え)から、リトリートせずその場でカウンタープレスをかける。

 あるいはそれがムリならミドルサードにリトリートし、スペースを消しブロックの密度を高めるポジショニングが行われる。

 とすれば敵は、相手が守備の態勢を崩しているうちに速く攻め切りたい。ゆえに素早いポジティブ・トランジション(守→攻の切り替え)から、敵の陣形の穴を突くカウンター攻撃をめざす。

速攻と遅攻の使い分けは?

 では逆に縮んで守っている状態からボールを奪えば? そのとき敵が守備のバランスを崩していればカウンター速攻を選択すべきだ。

 一方、敵の陣形が崩れておらずアンバランスでなければ、じっくりパスをつないで敵の陣形に穴を開ける遅攻を選択する。

 例えば選手が真ん中に集まって(オーバーロード)トライアングルやロンボ(ひし形)を作ってパスを回し、敵の守備者を中央へ引き寄せる。で、サイドにスペースを作ってそこを攻める。

 あるいは例えば右サイドでパスを回して敵の守備者を右サイドへおびき寄せ、一転、サイドチェンジを入れて逆サイドでの1対1に勝つことを狙う(アイソレーション)。

トランジションの速さがカギだ

 こうしてめまぐるしく攻守が変わる現代サッカーに「お休みの時間」はない。

 そこで有利を稼ぐためには、ネガティブ・トランジションとポジティブ・トランジションを速くすることだ。

 スピーディーに守備の態勢に入れば守りは固くなる。逆に素早く攻撃の態勢に入れば、敵の脆いゾーンを突きやすくなる。

 トランジションを操るチームこそが勝利に近づく。

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【サッカー戦術論】森保ジャパンはアドリブで演奏されるジャズか?

2020-12-19 07:27:56 | サッカー戦術論
個性重視といえば聞こえはいいが……

 選手の自主性を生かし、ピッチで化学反応を起こすーー。

 選手のその場のインスピレーションが尊重される森保ジャパンを見ていると、前にもちょっと書いたが「芸術とは何か?」について考えさせられる。

 いわば森保ジャパンは、音楽理論を知らずにアドリブでジャズを演奏しようとしているように思えるのだ。

ジャズはクラシックより優れた音楽か?

 例えば譜面を見ながら演奏するクラシック音楽は、あらかじめ譜面に書いてある通りに譜面をどこまで精緻に再現できるか? が求められる。

 一方、ジャズのライブでは奏者が譜面など見ずにその場のアドリブで演奏し、すばらしいフレーズを連発して「彼は天才だ」などと持て囃されたりする。

 ではあらかじめ決められたシナリオ(譜面)なしで演奏されるジャズは、奏者のインスピレーションが要求される時点でクラシックより優れた音楽なのだろうか?

 いや、クラシックにはクラシックのよさがあり、ジャズにはジャズのよさがあるのだ。

「アドリブ」と「無軌道」はちがう

 譜面なしのアドリブで選手がプレイする森保ジャパン。だが彼らは音楽でいえば監督の指示なしにインスピレーションで演奏しているというより、音楽理論を知らない状態で演奏しているに近い。

 クラシックの奏者がいくら譜面を見ながら譜面通りに演奏するといっても、もちろん彼らは音楽理論を踏まえた上で演奏しているからだ。

 一方の森保ジャパンはゲームモデルやプレー原則といった「音楽理論」に基づいてない。いわば行き当たりばったりでプレイしている。それは「華麗なアドリブ」とは程遠い。

譜面があっても芸術的にプレイできる

 クラシックの奏者は、譜面という「監督」が決めたゲームモデルやプレー原則の範囲で自分を個性的に表現している。

 そういう最低限の音楽理論(約束事)なしで選手が無軌道にプレイし、「選手の自主性を尊重している」と称する森保ジャパンとはちがう。

 ゲームモデルやプレー原則という「譜面」を踏まえた上でも、サッカーはいくらでも芸術的にプレイできる。これだけは確実である。

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