こないだひさしぶりに渋谷へ行ったら、無料喫煙スペース「渋谷カフェ」っていうヘンなお店を見つけた。「たばこを吸う人はここでねっ♪」てな半・公共スペースらしい。
で、それを見た私はあれこれ思索したあげくに、「ジャーナリズムとしてのブログの限界」を悟るに至ったのでありましたとさ。
いったいどういう関係があるのかって? まあ話は最後まで聞きなさいよ。
まず店の女の子(たぶんバイト)に軽くインタビューしてみた。するとココんちはもう1年半も前にオープンしたらしい。なら、さんざんマスコミに取り上げられてるんだろうな、と思い「渋谷カフェ」で検索してみると……なんと一件も出てこない。
で、たばこを1日3箱吸う時代遅れな私としては、おそるおそるブログに書いてみることにした次第だ。
さて「渋谷カフェ」である。店内にはなんとCDの新譜がヘッドホンで聴けるコーナーが、壁面一面を使って設置されている。なかなか気が利いてるじゃないか。さらにはいかにも渋谷にいそうなおねえさんが、気だるくたばこを吸ってたりして目の保養にもなっていい(謎)。
ただし店じゅうがとんでもなくたばこ臭いのが玉にキズだ。1日3箱吸う人間のクズな私が「臭い」って感じるんだから、吸わない人はホント迷惑だろうな。でも吸っちゃうけど。
店の人によると、なんでもココはJTが運営してるらしい。JTサンも大変ですな。ここまで嫌煙ムーブメントが一般的になると。
だってこれって、たとえるならば……。
自分の会社じゃ「越前ガニ」売ってる。弊社は越前ガニの専門店である。
なのに世間では「越前ガニを食うとガンになる」って話になり、レストランや喫茶店には「禁・越前ガニ」スペースはできるわ、「道を歩きながら越前ガニ食べちゃいけません」って規則ができるわ、って状態なわけでしょ(問題ちがうよ)。よくつぶれないよなあ、JT。いやまじめな話。
さらに調べてみると、JTがやってるこの喫煙スペース、秋葉原とか六本木とかあちこちにあるらしい。こりゃ現代の世相としてネタ的に非常におもしろい。JTのこの企業戦略を前フリにし、たばこをめぐる日本文化論が展開できそうだ。
「日本の禁煙ブームなんて、しょせんアメリカ様のマネゴトじゃないか? 日本人は『アメリカ=世界』と思ってるから嫌煙は世界的な現象だとカンちがいしてるけど、フランス人なんてガンガンたばこ吸ってるじゃん」みたいなことが言えれば、いい原稿になりそうである。
つまりたばこをとば口にし、日本という国の成り立ちにまで問題を敷衍して考察するわけだ。
そこでますは喫煙スペースを企画した意図とか、いまの嫌煙ムーブメントをあんたらはどう思うか? あたりをJTに正式に取材しようかと思ったが、なんかめんどくさくなってやめた。ブログで取材の結果をレポートし、分析しても儲からないしなあ。
商業主義にどっぷりつかり、堕落しきった分泌屋、もとい、文筆屋としては、これはどうもやる気になりまへん。たとえて言えば、医者が無料で患者を治療するようなモンかも。んー、そんなリッパなもんじゃないな。八百屋のオヤジが、「なんか今日はやけに気分がいいやっ。ええい、大根はタダだっ。もってけぇドロボー!」って3日おきに継続してやらかすのに近いか。
や、そこでもし仮に取材したら、それこそ「真のパブリック・ジャーナリスト」たらいうモンになるのかもしれないけど。
というかよく考えたら実際のところは、実入りの問題よりも単に「なんとなくめんどくさくなった」っていう気まぐれな理由のほうがデカい気がしてきた。で、その「めんどうくささ」を乗り越えるモチベーションになるものが、「収入になること」だったり「世の中に重要な問題提起をする充実感」だったりするわけだ。つまりそれがあれば最初から、「めんどうくさい」なんて感じないのである。
たとえば仕事で取材したネタのうち、ヤバくて媒体に書けなかった部分、またはスペースの関係で書き漏らしたことをブログに書く。あるいはそれらの取材をもとに、仕事としての原稿には書かなかった「もっと深い分析」や「評論」、「二次報道」をブログでやる。これならイケるだろう。
だが「ブログのためだけ」にプロがハナから手弁当で取材して書く、ってありえるんだろうか? ブログを有料にするなら話は別だが、そんなビジネスモデルが成立しないのはもうとっくに証明されてるし。
まあライブドアPJみたいなアマチュアの人たちが「趣味」で取材して書く、あるいはその無料取材を足がかりにし、モノカキ業界でこれからのし上がっていこうって人なら別かもしれないが。
てなわけで渋谷の無料喫煙スペースを見て、独自取材をガンガンかましながら一次情報をブログにアップしていく新しいジャーナリズムのあり方、たらいうもんのはかない限界を見た私でありました。
まあそのうちやる人も出てくるんだろうから、その人に期待しよっと。
(追記)文意が正確に伝わらないんじゃないか? と考え、一部を加筆修正した(4/25)。
(追記)第1稿の文中で「私が連想した」と書いたSF作品は、眉村卓氏のものではなく筒井康隆氏の「にぎやかな未来」であることが判明した。また内容についても前後の辻褄が合わなくなるため、該当する部分を段落ごと削除した。眉村卓氏、筒井康隆氏に謹んでお詫び致します(5/3)。
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いったいどういう関係があるのかって? まあ話は最後まで聞きなさいよ。
まず店の女の子(たぶんバイト)に軽くインタビューしてみた。するとココんちはもう1年半も前にオープンしたらしい。なら、さんざんマスコミに取り上げられてるんだろうな、と思い「渋谷カフェ」で検索してみると……なんと一件も出てこない。
で、たばこを1日3箱吸う時代遅れな私としては、おそるおそるブログに書いてみることにした次第だ。
さて「渋谷カフェ」である。店内にはなんとCDの新譜がヘッドホンで聴けるコーナーが、壁面一面を使って設置されている。なかなか気が利いてるじゃないか。さらにはいかにも渋谷にいそうなおねえさんが、気だるくたばこを吸ってたりして目の保養にもなっていい(謎)。
ただし店じゅうがとんでもなくたばこ臭いのが玉にキズだ。1日3箱吸う人間のクズな私が「臭い」って感じるんだから、吸わない人はホント迷惑だろうな。でも吸っちゃうけど。
店の人によると、なんでもココはJTが運営してるらしい。JTサンも大変ですな。ここまで嫌煙ムーブメントが一般的になると。
だってこれって、たとえるならば……。
自分の会社じゃ「越前ガニ」売ってる。弊社は越前ガニの専門店である。
なのに世間では「越前ガニを食うとガンになる」って話になり、レストランや喫茶店には「禁・越前ガニ」スペースはできるわ、「道を歩きながら越前ガニ食べちゃいけません」って規則ができるわ、って状態なわけでしょ(問題ちがうよ)。よくつぶれないよなあ、JT。いやまじめな話。
さらに調べてみると、JTがやってるこの喫煙スペース、秋葉原とか六本木とかあちこちにあるらしい。こりゃ現代の世相としてネタ的に非常におもしろい。JTのこの企業戦略を前フリにし、たばこをめぐる日本文化論が展開できそうだ。
「日本の禁煙ブームなんて、しょせんアメリカ様のマネゴトじゃないか? 日本人は『アメリカ=世界』と思ってるから嫌煙は世界的な現象だとカンちがいしてるけど、フランス人なんてガンガンたばこ吸ってるじゃん」みたいなことが言えれば、いい原稿になりそうである。
つまりたばこをとば口にし、日本という国の成り立ちにまで問題を敷衍して考察するわけだ。
そこでますは喫煙スペースを企画した意図とか、いまの嫌煙ムーブメントをあんたらはどう思うか? あたりをJTに正式に取材しようかと思ったが、なんかめんどくさくなってやめた。ブログで取材の結果をレポートし、分析しても儲からないしなあ。
商業主義にどっぷりつかり、堕落しきった分泌屋、もとい、文筆屋としては、これはどうもやる気になりまへん。たとえて言えば、医者が無料で患者を治療するようなモンかも。んー、そんなリッパなもんじゃないな。八百屋のオヤジが、「なんか今日はやけに気分がいいやっ。ええい、大根はタダだっ。もってけぇドロボー!」って3日おきに継続してやらかすのに近いか。
や、そこでもし仮に取材したら、それこそ「真のパブリック・ジャーナリスト」たらいうモンになるのかもしれないけど。
というかよく考えたら実際のところは、実入りの問題よりも単に「なんとなくめんどくさくなった」っていう気まぐれな理由のほうがデカい気がしてきた。で、その「めんどうくささ」を乗り越えるモチベーションになるものが、「収入になること」だったり「世の中に重要な問題提起をする充実感」だったりするわけだ。つまりそれがあれば最初から、「めんどうくさい」なんて感じないのである。
たとえば仕事で取材したネタのうち、ヤバくて媒体に書けなかった部分、またはスペースの関係で書き漏らしたことをブログに書く。あるいはそれらの取材をもとに、仕事としての原稿には書かなかった「もっと深い分析」や「評論」、「二次報道」をブログでやる。これならイケるだろう。
だが「ブログのためだけ」にプロがハナから手弁当で取材して書く、ってありえるんだろうか? ブログを有料にするなら話は別だが、そんなビジネスモデルが成立しないのはもうとっくに証明されてるし。
まあライブドアPJみたいなアマチュアの人たちが「趣味」で取材して書く、あるいはその無料取材を足がかりにし、モノカキ業界でこれからのし上がっていこうって人なら別かもしれないが。
てなわけで渋谷の無料喫煙スペースを見て、独自取材をガンガンかましながら一次情報をブログにアップしていく新しいジャーナリズムのあり方、たらいうもんのはかない限界を見た私でありました。
まあそのうちやる人も出てくるんだろうから、その人に期待しよっと。
(追記)文意が正確に伝わらないんじゃないか? と考え、一部を加筆修正した(4/25)。
(追記)第1稿の文中で「私が連想した」と書いたSF作品は、眉村卓氏のものではなく筒井康隆氏の「にぎやかな未来」であることが判明した。また内容についても前後の辻褄が合わなくなるため、該当する部分を段落ごと削除した。眉村卓氏、筒井康隆氏に謹んでお詫び致します(5/3)。
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