個人的願望とめざすべきスタイルを混同するな
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? そんなお題で熱く論じる人のうち、けっこう多くの人が「日本人の長所を生かしたサッカーをすべきだ」という。で、それってどんなサッカーなの? とさらに聞いているとこう言う。
「日本人の足元の技術の高さや敏捷性、組織性を生かし、グラウンダーのショートパスを使ってワンツーやダイレクトプレーを織り交ぜポゼッションし、主導権を握るサッカーをしたい。前が詰まったら何度でもバックパスしてやり直し、最終ラインから丁寧にビルドアップすべきだ」
え? でもそれって一時のバルセロナじゃん、みたいな。
つまりその人はバルセロナ教の信者であり、そんなスタイルを見たいと強く願ってる。で、日本代表にもそういうサッカーをやれと主張する。「長所を生かすべきだ」なんて論拠は単なる刺身のつまで、要は「俺はこういうサッカーが見たい。だからやれ」。そういう話なのだ。
この場合、自分が「見たいサッカー」と、日本代表が「やるべきサッカー」がごっちゃになっている。前者は単なる個人の主観(好み)だが、後者はきちんと客観性のある論拠がベースにあるべきだ。つまり主観と客観を区別できてない。
日本人は何かについて言及するとき、つい感情(主観)に引きずられて論理性(客観性)に欠けた主張をしてしまうことがよくある。なぜかこのテの人は「長所を生かせ」論の人に多く、その実、「自分の好みを言ってるだけ」だったりする。なんだか議論の仕方がおかしい。
欠点を長所で覆い隠せば勝てる?
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? を論じる以上、そのサッカーをすれば日本が世界で勝てる客観的な論拠を添えるべきだ。「俺はバルセロナが好きだからそういうサッカーが見たい」というのは、論拠にならない。
「長所を生かせば勝てる」というなら、「でも短所を突かれたらどうするの?」と強く思う。このテの論者は決まって「日本人はフィジカルがなく1対1や個が弱い。そこで勝負すると負ける。だから日本人の長所である組織性や敏捷性を武器にすべきだ」という。
つまり欠点には目をつぶって放置し、短所を長所で覆い隠せば勝てるんだ、というわけ。いやストロングポイントで勝負するのは当然だけど、1対1や個の強さ、フィジカルなんてプロとして当然そなえておくべきだ。そこが弱いなら強くすべきだろう。
長所を生かすのは当たり前だが、同時に欠点があれば修正すべきだ。なぜこういう議論にならないのか不思議でしようがない。要はこのテの論者は「フィジカルや個で勝つサッカーは好きじゃない。だから見たくない」というだけなのだ。ここでも個人的な好み(主観)と、やるべきサッカー(客観)を混同してしまっている。
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをすべきか? それを論じるなら、主観と客観をしっかり区別するべきだ。でないと「どんなサッカーを見たいのか?」という、単なる人気投票になってしまう。
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? そんなお題で熱く論じる人のうち、けっこう多くの人が「日本人の長所を生かしたサッカーをすべきだ」という。で、それってどんなサッカーなの? とさらに聞いているとこう言う。
「日本人の足元の技術の高さや敏捷性、組織性を生かし、グラウンダーのショートパスを使ってワンツーやダイレクトプレーを織り交ぜポゼッションし、主導権を握るサッカーをしたい。前が詰まったら何度でもバックパスしてやり直し、最終ラインから丁寧にビルドアップすべきだ」
え? でもそれって一時のバルセロナじゃん、みたいな。
つまりその人はバルセロナ教の信者であり、そんなスタイルを見たいと強く願ってる。で、日本代表にもそういうサッカーをやれと主張する。「長所を生かすべきだ」なんて論拠は単なる刺身のつまで、要は「俺はこういうサッカーが見たい。だからやれ」。そういう話なのだ。
この場合、自分が「見たいサッカー」と、日本代表が「やるべきサッカー」がごっちゃになっている。前者は単なる個人の主観(好み)だが、後者はきちんと客観性のある論拠がベースにあるべきだ。つまり主観と客観を区別できてない。
日本人は何かについて言及するとき、つい感情(主観)に引きずられて論理性(客観性)に欠けた主張をしてしまうことがよくある。なぜかこのテの人は「長所を生かせ」論の人に多く、その実、「自分の好みを言ってるだけ」だったりする。なんだか議論の仕方がおかしい。
欠点を長所で覆い隠せば勝てる?
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをやるべきか? を論じる以上、そのサッカーをすれば日本が世界で勝てる客観的な論拠を添えるべきだ。「俺はバルセロナが好きだからそういうサッカーが見たい」というのは、論拠にならない。
「長所を生かせば勝てる」というなら、「でも短所を突かれたらどうするの?」と強く思う。このテの論者は決まって「日本人はフィジカルがなく1対1や個が弱い。そこで勝負すると負ける。だから日本人の長所である組織性や敏捷性を武器にすべきだ」という。
つまり欠点には目をつぶって放置し、短所を長所で覆い隠せば勝てるんだ、というわけ。いやストロングポイントで勝負するのは当然だけど、1対1や個の強さ、フィジカルなんてプロとして当然そなえておくべきだ。そこが弱いなら強くすべきだろう。
長所を生かすのは当たり前だが、同時に欠点があれば修正すべきだ。なぜこういう議論にならないのか不思議でしようがない。要はこのテの論者は「フィジカルや個で勝つサッカーは好きじゃない。だから見たくない」というだけなのだ。ここでも個人的な好み(主観)と、やるべきサッカー(客観)を混同してしまっている。
日本が世界で勝つにはどんなサッカーをすべきか? それを論じるなら、主観と客観をしっかり区別するべきだ。でないと「どんなサッカーを見たいのか?」という、単なる人気投票になってしまう。
データ・ワラント・クレームからなる主張、
質疑・反駁・反論による反対など。