美津島明様 ( 平成24年6月14日発信)
対話篇を再開しましょう。お忙しいでしょうから、お返事はゆっくりでけっこうですよ。
ブログ「『ふしぎなキリスト教』を読む・その1」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/1e79ada1ec92796423144a1278f7a342)を読みました。的確な要約に感心するとともに、小生の発言を過分に取り上げていただき、感謝します。ここで簡略化して言われていることに私も同感です。
著者の橋爪さんは、学者としての良心・役割を一歩も踏み外さない職業倫理の厳しい人であるため、「違い」を大切にするのだと思います。これに対して長谷川三千子さん(彼女を巻き込むことが適切かどうか、少し迷いますが)や私は、人間存在とは何かという問題に関心が向くため、どうしても共通点のほうを強調したくなる傾きがあるのでしょう。学者と思想者の観点の違いといってもいいかもしれません。両者、相補って知的探求の姿がより豊かなものとなると思うので、本音としては橋爪さんと議論したい気持ちが多々あるのですが、まあ、それぞれの道を行けばいいのではないか、と思っています。
長谷川さんが、哲学は一貫して「存在」を問題にしてきたが、宗教(特にキリスト教)は超越的な創造者を立てるので、ついに折り合わないと指摘されていたのは、面白いですね。これは、長谷川さんご自身の思索上のアイデンティティが、やはり哲学にあるのだな、ということを感じさせて印象的でした。
ただ、「哲学」というとき、この出自はどうしても古代ギリシャ以来の西洋の思考様式を指していて、インド哲学とか、東洋哲学とかいう言葉は、あとから無理に作った言葉ですから、こちらは厳密にいえば「哲学」ではないのですね。しかと規定することはできませんが、こちらの思考様式は、いわゆる西洋哲学とはまったく違うということは、私でも何となくわかります。矛盾するようですが、ここではむしろ、まず違いを確認していくほうが大切のように思います。宗教という括りの内部では共通点を見出し、哲学という言葉(思考様式)はヨーロッパ・ローカルであることを強調する、こういう構えが当面必要であるような気がします。
これまでの対話では、日本語の問題について話してきましたね。これもそういう確認の試みのひとつとみなすことができそうです。
ここから一気に話題を、ここ数日間の私的な心境というところに飛躍させます。
紫陽花が美しい季節ですね。今年は桜も素晴らしかったですが、紫陽花の美しさに目を奪われる思いです。私は淡紅色の紫陽花はあまり好きではなく、なんといっても青いほうが好きです。
それで、へたくそな歌が口をついて出てきましたので、恥ずかしいですがご披露します。ご笑覧ください。年甲斐もなくちょっと「スケベ」な歌です(笑)。
紫陽花三首
・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり
・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし
・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ
こう詠んでみると、つくづく自分のなかのナルシシズムを感じます。また、私はけっこう女性的なのだなとも。
ちなみに紫陽花の花言葉は、「執念深い、しつこい」だったと記憶します。開花期間がとても長いからだそうです。
ところで、親鸞・唯円をやっていて(『新訳 歎異抄』PHP新書 古典の名著シリーズhttp://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/be020a30f29ae588a1f538104d853d83)、また同時に日本語の問題を考えていて、最近、「えにし」「縁」「ご縁」という言葉の独特なニュアンスがしきりと気になります。ご承知のように、親鸞の場合、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」、つまり、自由意志でなせることなどたかが知れていて、すべては業縁であり、機縁であるという人間認識が徹底していますね。
この「縁」という言葉、ふしぎな含みと拡がりがあって、印欧語では適訳が見つかりません。connection、bond、relation――どれもだめです。なぜなら、これらの語群は、すべて人間同士の具体的な「つながり」を意味しているにすぎませんから(時には「契約関係」を意味します!)。
ではchanceならどうかというと、今度は逆に、単なる偶然の機会という感じがして物足りません。いずれにしても、ひとがあるつながりを持つに至った、人知を超えた力のようなものを表現することができていないのですね。
先日も、飲み屋ではじめて知り合った人から、ある病をいかに克服したかという体験談を聞き、この話が、私の身内に関係があるので、とても助かりました。私はちょっと急いでいたので、深謝してそそくさと別れたのですが、そのとき先方から「またご縁がありましたら」と言われて、そのご挨拶の絶妙さに感じ入ってしまったのです。いいですね、こういう別れの挨拶って。
こういう使い方は、英語ではできないのではないでしょうか。If we could have a chance to meet again.とでも言うのかな。なんだか味気ないですね。
「ご縁がありましたら」という挨拶には、ひととひととの出会いの中にあらかじめ込められている哀しみのようなものがしっかりと表現されていますね。「縁あってこういうことになり」「これも何かのご縁というものでしょう」「えにしあらば再びあいまみえん」「袖ふれあうも他生の縁」……
先に貴兄が印欧語の限界、日本語との断絶感を指摘されて、私はむしろそれをたしなめるような偉そうなことを言ったのですが、今度は反対に、こちらが異言語間にある断絶に対するいらだたしさを表明する立場になってしまいました。
もう少し「縁」について考えるところを述べます。
この言葉は、偶然性とも必然性とも違います。両方の対概念を同時に含みこんでいるような気がするのです。
たとえば、凶悪犯罪の現場を目撃すれば、私たちは、「偶然そこに居合わせた」と言いますが、果たしてそう割り切って済ませられるでしょうか。何となく感情が逆らいますよね。では、逆に、「それは私たちの視野にかぎりがあるから偶然と見えるだけで、じつは神が引き合わせたのであり、すべてがお見通しの神にとっては何もかも必然なのだ」と、スピノザのように言えば納得するかというと、これもちがうような気がする。「縁」としかいいようがないのではないでしょうか。
なぜ私はここに存在しているのか。それは私の両親が見合い結婚したからだ。では両親はなぜ見合い結婚することになったのか。それは両方を知っている仲人がいたからだ。ではなぜ仲人はそれぞれを知ったのか。それは新婦の父が彼の友人で、新郎が彼の部下だったからだ。では、新婦の父はなぜ彼と友人になったのか。それは中学校時代に同級生だったからだ。ではなぜ二人は同じ中学校に通うことになったのか。それはたまたま近隣地区に住んでいたからだ。ではなぜ二人は近隣地区に住むようになったのか。それはそれぞれの生活事情と家族の歴史があって偶然そういうことになったのだ……
このように、過去のいきさつを合理的な理路によってたどる方法だと、最終的には「偶然」の概念に逢着して、砂に水がしみこむような茫洋たる感覚に襲われて終わりです。
しかし「それは縁というものだ」と言いきりますと、七面倒くさい理路をたどる必要などなく、むしろ深く納得するところがあるのではないでしょうか。この納得感は、どこからやってくるのか。「縁」という言葉の概念をうまく言いあらわすことはできないものか。
ひとつ考えられるのは、この言葉には、過去のいきさつだけではなく、未来に必ずやって来る別離の予感が繰り込まれているのではないかということです。人はすべて死ぬのだという自覚(さとり)が、生活実感のなかにすでにつねに深く沁み込んでいるのですね。だからこそ「他生の縁」というように、前世や後世をはるかに臨みみる視線も生れてくるのだと思うのです。
自分の勝手な関心を長々と述べました。私の言葉に「縁」を感じられたら、何ほどかのお言葉をお返しください。
*****
小浜逸郎様 (発信日 6月23日)
返事、遅れてしまってすみません。
先日お話した(送信するメールの原稿が消えてしまったという)アクシデントも原因と言えば原因なのですが、基本的には、ブログにかかりっきりで、ほかのことに注意を振り向ける精神的な余裕があまりないという状態が続いているということなのでしょう。
特に、最近は消費増税をめぐる政局が風雲急を告げているので、注目している人物や政党の動向をブログやツイッターやネット・ニュースなどで探っているとあっという間に時間が過ぎていってしまいます。このままでは消費税オタクになってしまいそうです(*´∀`*)。
思えば、たまたま由紀草一さんから「美津島さん、ブログをやってみたら」とアドバイスを受けたのがこの道に入り込んだきっかけでした。それと小浜さんのさりげない励ましが大きいですね。まあ、やれるところまでやってみます。
話題を移しましょう。
小浜さんの短歌三首、拝見いたしました。とてもいい感じです。僭越な言い方になりますが、前回からの進歩が見受けられます。
・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり
・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし
・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ
こころは流れるものであり、つねに動いているものであり、刻々と変わりゆくものである。それは、さかしらを排したなおきこころに自ずと開示される。そういう意味のことを、本居宣長は、いろいろなところでくりかえし言っています。
これは、歌の本義でもあると思われます。それにかなった、芳しい情趣が上の三首から感じられます。私は、短歌の専門家ではありませんが、それほどトンチンカンなことを言っていない気がします。
歌人は、近所の公園でも歩いているのでしょうか。物静かなたたずまいが感じられるのでおそらくひとりなのでしょう。ふと紫陽花が目にとまります。時期的なことを考えれば六分咲きくらいでしょうか。その青くて小さな花びらが楚々と群れ咲く様に、歌人の心は引き寄せられます。ここからおもむろに歌人のこころは、いまここにある紫陽花を遠く離れて、時空の限界の向こう側に軽々と飛翔します。そうしてまた、いまここにある紫陽花にもどって来ます。その時空の往還のさ中で、紫陽花をめぐるいくつかのイメージが湧きおこり、歌人はそれらを次々に言の葉で紡ごうとします。
これらの一連の流れを、われわれはどう理解したら、うまく言い当てたことになるのでしょうか。
歌人は、自分の「主観」を紫陽花という「客観」によって表現したのだ、という言い方は、事態を不器用に強引に表現しているだけです。
では、大森荘蔵のように、歌人に紫陽花が立ち現れていることがすべてで、それよりほかに、歌人の心などというものはないと納得してしまえるでしょうか。歌人は、そう言われてもおそらく納得しないでしょう。
では、小林秀雄のように「紫陽花の美しさなんてものはない。美しい紫陽花があるだけだ」と言ってしまえばよいのでしょうか。これはかなりいい線を行っているように感じられます。が、その半歩手前に踏みとどまって、もう少し細やかに言い表すことができないものでしょうか。
歌人にとって目の前の紫陽花は、前言語的な情趣をたたえて存在しています。その情趣に歌人はわれ知らず参画するうちに、そこに含まれる言語化の契機に触れることになります。
人によっては、紫陽花を見かけても素通りしてしまうでしょう。ちょっと立ち止まって、「ほお」と嘆声を上げる人もいるでしょう。一緒に散歩している相手に「ほら、きれいだね」と語りかける人もいるでしょう。歌人は、それらの全ての言語化の可能性のなかで、三十一文字に結晶化するというかなり高度な言語化に向けてその存在を投げ入れることにしました。
さらに、それを知り合いに見せます。見せられた知り合いは知り合いで、歌人の意を目がけながら、彼なりのパロールを展開することに自己投企します。
私は、なにが言いたいのか。
この世のあらゆる存在物は(とりわけ女性は)、なにかしらの前言語的な情趣をたたえて存在している。その情趣にわれ知らず触れることで、人は不可避的にそこに含まれる言語化のあらゆる可能性のどこかに自己を投企せざるを得ない。そのことを紫陽花の歌人は喚起させるのです。(素通りは、言語化の欠如態と位置づけることができるでしょう。)
つまり、ここには言語現象という目には見えない心的諸運動が、広義の表現主体において鳴門海峡の大小の渦のようにあちらこちらで無数に生まれ、拡大し、共鳴している様が広がっているように私には感じられます。
この世界イメージを片時も忘れなければ、そこから「主観」「客観」というツールを取り出すことには一定の限られた有効性を認めるにしても、まさか、それらの言葉でこの世界に起こっている事態の総体をうまく言い当てることができるなどとは夢にも思わないでしょう。
また、大森荘蔵が、「主観」「客観」の二分法から超出する試みに無残にも失敗したのは、世界を言語現象として捉え切るという透徹した視点が欠如していたからなのではないかと思われるのですが、いかがでしょう。私が読んだ大森本はせいぜい三、四冊なので、断言はできないのですけれど。小林秀雄から、「全集を読みなさい」と説教されてしまいそうで
すね。
ここからは、橋爪的主題にご登場願います。
橋爪さんによれば、日本人は近代化を成し遂げた今日においても、森羅万象にその数だけの神様を感じる神道的な感性を保存している珍しい民族です。それを、良いとか悪いとか言ってみても始まりません。私は、橋爪さんの言っていることが、どうも当たっているような気がするのですね。
それに関連して、私は「『ふしぎなキリスト教』を読む」という投稿で、次のように申し上げました。
橋爪氏が指摘しているように、近代化を経てもなお、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性を保存している日本人は、西欧的な基準からすれば、決して無神論者になりえません。それは、橋爪氏が言う通り弱点にもなりえますが、西欧近代の無神論がもたらすニヒリズムを緩和する可能性もあるのではないでしょうか。
これを哲学の分野に移し替えると、どうなるか。キリスト教的な感性からすれば、神が不在となった世界という「空家」=客観のなかで、主権者となった人間は主観に押し込められることになります。近代西欧哲学を根のところで規定してきた主観・客観の二分法が、キリスト教的な感性に基づく思考の枠組みであることが分かりますね。
それに対して、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性にとって、主観からくっきりと区別された客観は存在しないし、逆に、客観からくっきりと区別された主観も存在しません。そこに、主観と客観とが交流する形容詞的世界が像を結ぶことになりますね。
やや日本人として「内輪ぼめ」の疑いのある記述ですけれど、事の当否はとりあえず措きます(よろしければ大いにツッコミを入れてください)。ここで言いたかったことを、言葉を変えてもう一度言い直してみましょう。
確か、竹田青嗣さんが、われわれは世界を解釈する以前にすでに感じ取ってしまっているのだ、という言い方を『エロスの世界像』あたりでしていたと記憶しています。
世界をどう感じ取るかという直観に、橋爪流の「宗教」が大きな影を落としているのではないかと私は考えるのです。つまり、ここで「宗教」とは、共同幻想としての感性の様式のことです。唯物論めかして言えば、文化の創出装置それ自体です。神を信じるかどうかという意識の次元ではなく、森羅万象をどう感じ取るかという感性の様式の共同性の次元は、
今日においても大きな影響をそれぞれの文化に根のところで与え続けているのではないかと思われます。そこに、表立った信仰が薄れたと言われている現代社会においても、宗教について考え、論じる意義の核心があるのではないでしょうか。宗教論は、展開のしようによっては、自己認識を拡張する大きな武器になりうるようです。
話が大きくなりすぎたので、日本語の問題に絞ります。
「言霊」という言い方がありますね。これは、橋爪流の、『森羅万象にその数だけの小さな神を見出す「神道」的感性』で言葉をとらえることによって、日本文化において自ずと生み出された世界説明の一種です。近代言語学の成果によって、これを非科学的な迷信と一笑に付すのは簡単です。しかし、それで問題が終わるわけではありません。
先ほど申し上げた、感性の様式の共同性の次元において、われわれ日本人は、一人残らずいまだに言霊信仰者です。
言霊信仰者にとっては、言=事です。だから、彼らは「良き言の葉は良きものを招き、悪き言の葉は災いを招く」という観念のとらわれ人となります。私を含めて日本人はTPOをわきまえないKY発言をとても嫌がります。小浜さんはどうですか。まったく平気ですか。平気でなければ、小浜さんもやはりかなりの言霊信仰者である、ということになります(笑)。これはほんの一例です。まあ、それを慣習の力と呼んでも一向に差し支えないのですが。それに逆らうことは、普通の人にとってはけっこうなストレスになりますよね。
さらに言い募れば、理屈抜きの慣習の力とは、人倫を支えているものです(これは小浜さんや和辻から学んだことです)。先ほど申し上げたように、日本人にとって、言霊信仰は慣習の核心の少なくともひとつを成しています。とすると、日本人にとって、言霊信仰は人倫を支えている重要なファクターとして無視しえないものである、ということになりませんか?
私は、(駆け足ですが)やっと「縁」という言葉に触れるところまでたどり着くことができました。
「縁」の「エン」という読みは音読みです。訓読みはありません。「えにし」という読み方は、音読みの「エン」の日本語化した字音の「えに」に強意の助詞「し」がつくことで成立しました(by 辞書)。
素人考えですが、そこから察するに、もともと日本には「縁」なる言葉はなかったようです。「きずな」とか「つながり」などという言葉は和語ですから、もともと日本にあったことばなのでしょうが。
とすれば、縁は仏語として中国から入ってきた。つまりもともとは純粋の外来語・外来思想なのです。
一時期原始仏教を集中的にかじった経験があるので、それのうろ覚えで、ちょっと偉そうに薀蓄をたれます。
縁とは、原始仏教では、縁起の法として語られるものです。いわゆる因果律を前世・現世・来世を貫くものとしてとらえます。前世での悪行が縁となって、生まれ変わった現世での苦境をもたらします(娑婆苦)。そうして、煩悩具足であり続ける限り、輪廻転生を繰り返すだけで娑婆苦から永遠に脱することがかないません。その繰り返しから脱却するには、出家し修行して縁起の法の核心を直観的に掴み、悟りを開いて輪廻転生の外に超出するよりほかにありません。それが解脱です。つまり、在家には解脱の道がないのです。これが仏教のもともとの姿です。(橋爪さんにちょっと口調が似てきましたか(笑))
それが中国に移入されると、おおざっぱに言えば、在家仏教に変質します。仏教のいわゆる儒教化ですね。それと同時に、インドにおける爛熟期の仏教である密教も中国に入ってきます。
これら三つの、時期的にも地理的にも異なる仏教の流れが日本に一度にどっと押し寄せたわけです。
そのなかで原始仏典は、日本においては大蔵経として珍重され、そこに述べられている縁起の法の意味合いは、当時の高級知識人である学僧たちにきちんと理解されていました。おそらくそこいらが縁という言葉の発信源なのでしょう。
で、縁起という言葉が世間に流布するにつれて、もともとのペシミスティックな意味合いを基底にニュアンスとして残しつつ、「縁起がいい」とか「縁起が悪い」といった俗語に変化していきます。その、意味の変化のプロセスに、私は日本人の神道的な感性とか言霊信仰とかが大きく作用していると思っています。
「縁起がいい」「縁起が悪い」というのは、何かをなす初っ端に起こったちょっとした出来事で、その何かがうまくいくかどうかを判断するときに使うことばですね。場の空気の穢れにとても敏感な日本人ならではの「誤用」ですね。場の空気の穢れに敏感な姿勢は、晴れの舞台での忌み言葉を嫌うそれと全く同じであることはいうまでもないでしょう。さらに、忌み言葉を嫌う感性は、言=事の言霊信仰的なそれであることも言を俟たないでしょう。
「縁起」が「縁」に端折られてからも、そういう「誤用」「誤解」のプロセスは、同様の文化的な無意識の手続きを踏んだものと思われます。
教養の足りない学者もどきのような発言が多いメールですが、何かの話の糸口になればと思って送ります。バトンタッチです。
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美津島明さま (発信日 6月26日)
ご多忙中を、時間の流れがちがうようなメッセージをお送りして、申し訳ない。それにもかかわらず、私の目下の関心に対してこれほど刺戟とヒントを与えてくれてありがとうございます。
私のへたくそな歌について、過分な評価をいただき恐縮です。
しかしそのことよりも、こんな片々たる素材をもとにして、私たちの住むこの世界と言葉との関係について、より普遍的な問題提起をされている貴兄の思想的な膂力を感じることができてとても嬉しく思いました。
こちらは、昨24日、『新訳 歎異抄』をようやく脱稿し、一息ついているところです。この原稿で扱った中身と、貴兄の今回のご指摘とは、重なるところが多いように思います。
貴兄が今回言われていることのポイントを私なりにまとめると以下のようになります。
①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。
②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。
③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。
④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。
⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。
⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。
どれにもまったく異論がありません。加えて、これらの指摘には、日本人の世界感受のあり方について考えを発展させるための重要なヒントがいくつもあるように思います。
はじめに、私は自分を当然、言霊信仰者だと思っています。小さいころから腕力が苦手で、小学校入学の折、意味もなく私を殴ってくるやつがいたので、なんで世の中にはこんな理不尽なやつがいるんだろうと、その不可解さにとても悩んだおぼえがあります。何しろ弱虫で仕返しすることもできず、人一倍傷つきやすかったのですね。
少し長じて生意気盛りのころは、逆に言葉で相手をとても傷つけてしまったこともあり、それはそれで忘れ得ない思い出なのですが。
いまにして思えば、言葉をたよりに生きるという私の運命は、そのころから決まっていたのかもしれません。言葉を磨くことで商売ができる、時には防御攻撃の武器にすらなりうる、こういうことが可能であるこの社会にとても感謝しています。戦国時代でなくてよかった(笑)。
上記③にかかわる最近の経験をお話しましょう。
私の娘はアメリカ人と結婚していて、四歳になる女の子がひとりいるのですが、先日、その彼と孫娘と三人で公園を散歩しました。池のほとりに来たとき、亀やアヒルが見えるので、「あ、かめさんがいるね」「アヒルさんもいるよ」といったやり取りのあと、ふと思いついて、彼に、アメリカでは動物やものに「さん」をつけるような習慣があるかと聞いてみました。答えは「まれにMr.何々などということはあるが、ふつうはしない」というものでした。
日本ではこれは当たり前の習慣ですね。「アリさん」「カラスさん」「お日さま」「風さん」等々。昔母から聞いた話ですが、「豆さんを煮ましょうね」などというのもあったそうです。
こういう慣習は、宗教学的には「アニミズム」と呼ばれて、森羅万象に生きた霊を感じる自然宗教のパターンとして分類されます。しかし、そう言い切って済ませられるでしょうか。もう少し繊細な視線がほしいところです。
接頭語の「お」「ご」も日本独特ですね。「お昼になったからごはんにしましょう」「今日はご馳走だね、お茶入れてこよう」等々。「おみおつけ」に至っては、最初から三文字までが接頭語です。抽象概念にも使われるし、なんと卑猥な言葉にさえ使われます。「ご成功、おめでとうございます」「お×××」。
まあ、便宜のために仮にこれらの言語慣習をアニミズムと呼んでおきましょう。
このアニミズム的慣習は、貴兄の直観どおり、言霊信仰に通じていると私は思います。その心は、単にまわりのものごとを宗教的に畏れるというのではなく、ひと言で言えば、まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。
このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。
上記④について。
思想家の長谷川三千子さんが、谷崎の『細雪』について卓抜な論考を書いているのを思い出しました。九月刊行予定の拙著(11月に刊行が延期された『日本の七大思想家』幻冬舎新書)で、大森荘蔵に絡めてその部分を引いたのですが、冗長を恐れて削除しました。長くなって申し訳ないですが、以下にそれを再現します。
長谷川氏はこの批評文で、寺田透の『細雪』評を引用した後、この評が「現実とは物体のことである」という、まさにデカルトに始まる近代ヨーロッパの「現実」観を前提としていると述べ、さらに次のように論を展開している。
《(引用者注――デカルトの『省察』からの引用の後)この「物体」に生命はない。あるのはただ三次元の拡がりだけである。近代ヨーロッパは、物体をかういふものと考へることで「近代科学」を持つに至つた。そしてかうした物体を「自己」といふ名の精神が眺めるとき、それが「現実」と呼ばれるのである。/したがつて近代ヨーロッパのものの考へ方は、それをどこからどう切つても、必ずこの「物体」といふ断面を見せることになる。自ら動くことなく、自らの輪郭の内にとじ込められた「物体」が、いつも「精神」の向う側にある。(中略)実際に『細雪』の文章を眺めてみると、先の批評(引用者注――寺田透の評)にあがつてゐた平安神宮の紅枝垂れ桜の眺めはこんな風に書きあらはされてゐる。
あの、神門を入つて大極殿を正面に見、西の回廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、――海外にまでその美を謳はれて ゐると云ふ名木の桜が、今年はどんな風であらうか、もうおそくはないであらうかと気を揉みながら、毎年回廊の門をくゞる迄はあやしく 胸をときめかすのであるが、今年も同じやうな思ひで門をくゞつた彼女達は、忽ち夕空にひろがってゐる紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様 に、「あー」と、感嘆の声を放つた。
たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》(同前)
いかがでしょうか。私はなかなかのものだと感心するのですが。
上記⑤と⑥について。
なるほど、言霊信仰は「人倫」にもかかわってくるのですね。これも深く納得できます。「人倫」というなら、絶対、和辻です(笑)。
先のメールで、「縁」という言葉には、前世、現世、後世を貫く時間概念がすでにつねに繰り込まれていて、そこにはあらかじめ感受された「別離」の哀しみのようなものが含まれているという意味のことを書いたのですが、この時間性に関しては、和辻倫理学が、「時間性と空間性の相即」という節で、透徹した人間理解を示しています。
彼は、人間を、全体から個が析出し、その個が再び全体に帰っていく無限の運動過程と捉えるのですが、この「本来性に帰還する運動としての人間」という捉え方は、「縁」「えにし」という言葉がはらんでいる時間概念に深くかかわると思うのです。彼は、進歩的な歴史観のように、時間を過去から未来へひたすら直線的に進行するというようには考えず、未来への志向もまた、たえず「帰来」するものと考えます。「本末究竟等」とも言っています。教養としては仏教の影響が強いと思いますが、よく考えると、これは日本古来の時間概念に適合するとも言えそうですね。
つまり、そもそも「時間」というように、空間からこれを分けて捉えること自体、私たちに親しい世界感受の仕方からずれてくるところがあるわけで、強いて言えば、私たちの時間概念は、たえず循環するものである、同じところをぐるぐる回っているのだ、というほうが実感に近いかもしれません。丸山眞男が捕まえようとした、「日本人の歴史観のオプティミズム」(「歴史意識の『古層』」)というのも、これに引っかかってくるような気がします。このことが、「縁」「えにし」という言葉が持つ豊かな含蓄と関係があるように思います。
「ご縁がありましたら」という別れの挨拶には、「個」としてはそのつど切れてしまって哀しいけれど、ぐるぐる回っているうちには、また会えるかもしれないという期待感も込められていますね。
それにつけて思い出すのが、「あと、さき」「まえ」という言葉の不思議さです。
私はこれらの言葉の使われ方が、論理的にはとても矛盾しているということに早い時期から疑問を抱いてきました。
これらは、空間概念にも時間概念にも使われますね。ところが、おかしなことに、「あと」という概念が時間的には、過去にも未来にも使われるし、「さき」もそうなのですね。両者は必ずしも対義語ではないのです。「まえ」は、空間的には自分の身体が直面しているあたりを指していますが、これも時間的には、過去にも未来にも使われます。
以下、例示しましょう。
・この仕事はあとにまわそう(未来)
・自分のたどってきたあとを省みると(過去)
・さきのことはわからない(未来)
・さきの大戦における(過去)
・まえを見つめて進もう(未来)
・まえにこんなことがあった(過去)
いかがですか。時間を直線的に進むものと考えると、こういう使用法は理解できないですね。でも私たち日本人は、矛盾を矛盾と感じず、平然と使いこなしています。このことは、いったいどう読み解けばよいのか。いろいろと考えてはいるのですが、まだ、明快な答えは出せません。少し「あと」にまわそうと思っています。
*****
小浜逸郎様 (発信日 7月23日)
小浜さんから返信をいただいてから、かなり時間が経っていますので、議論のポイントを再確認するため、私が申し上げたことを小浜さんから要領よくまとめていただいたものを改めて掲げます。
①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。
②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。
③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。
④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。
⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。
⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。
小浜さんも言霊信仰者である、とうかがってなにやらほっとしました(笑)。また、上記①~⑥に対しても、基本的にはご同意いただだけたとのこと。素直に嬉しいと思います。
しかし、以上は、言ってみればメニューを並べただけのこと。本当の問題は、ここからどれだけ踏み込んだ展開ができるかということです。それぞれについて一ミリでも一センチでも先に行くことができれば、と思います。
上記③に関連して、小浜さんは次のような発言をなさっています。
〉まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、 それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。
小浜さんのこの言葉を受けとめた読み手に、深い納得感が生じるのはなぜなのでしょう。それは、小浜さんが言葉を論じるにあたって、身体性の問題を片時も手放していないからではないでしょうか。
「環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性」によって、「それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする」という一連の流れは、身体性の深い介在なしにありえないことであるし、明示的ではありませんが、小浜さんの言葉はそういう事態をおのずと織り込んでいるように感じられるのです。
とするならば、私たち日本人は、森羅万象としての「事」を肌の温もりのある「言」として掴まえなおすことを日々繰り返していることになります。言いかえれば、「事」に血を通わすうえで、身体性を伴った「言」が大きな役割を果たしている。
だから、西洋の大文字のGODが有する抽象性を、日本のカミは鼻から持ちようがないし、人間とまったく同じように肌の温もりがあり、喜怒哀楽に左右される、いわば具象的存在である、ということになるのでは。抽象性がその精神運動上の本質において「一」に凝縮する強い傾向があるのに対して、具象性はその本質から多様性の展開を予定します。だから、日本人の宗教的感性からすれば、カミがたくさん存在するのは当たり前、ということになります。
そう考えると、法然と親鸞の思想が日本においていかにユニークであるか、驚きをもって、再認識する思いです。そのユニークさを、ちょっと刺激的な言葉を使えば、扼殺することで、真宗は後に世に流布したのではないかと思うのですが、ここは小浜さんのご意見を伺いたいところです。
また、冷徹な合理主義の経済的表現であるグローバリズムに対して、日本人がいわば本能的に身構えてしまうのは、いままで述べてきたことから、不可避であると言えるのではないでしょうか。変に無理をして、それをためらいもなく受け入れられない日本人はダメだのだといわんばかりに推進された1997年から2007年ころまでのラディカルな行政改革・構造改革は、日本人の自然体の感性を押しつぶそうとする野蛮な運動だったのではないかとあらためて思われます。変に真面目になったりせずに、適当におつきあいすればいいのです、あんなものとは。
身体性に深く根ざした「言」によって「事」に血を通わせるところに、日本人が霊力(生命力)を感じるポイントがあるのだとすれば、それとは逆に、「事」はあくまでも「事」であって、「言」はあくまでも「事」を伝えるための道具であるのに過ぎないという当世流行りの言語観は、生命力の減退・衰退をもたらす危険な思想である、とも言えそうです。私が申し上げているのは、当世ではほぼ無自覚な形で展開されている言語観のことで、情報社会が高度化すればするほど、不可避的に跋扈せざるをえないものです。つまり、情報をやり取りするためだけの便利なツールとして言葉をとらえる風潮のことを、私は、言っているのです。
むろん、私はこの現象を全否定するわけではありません。私自身、忙しい日常生活のなかで、言葉をそういうふうに使い、また受けとめる局面は多々あるのでしょう。それで、済んでしまうし、そのほうがいろいろとうまくいくことが多いからです。
しかし、それが言葉との付き合い方の全てになってしまったら、おそらく、文化の底力が減退することになるのではないか、という危惧の念が脳裏をかすめるのをいかんともしがたい、と申し上げたいのです。
その点、小浜さんが引用なさった長谷川三千子さんの文章も、その中で孫引きされている谷崎潤一郎の『細雪』の文章も、文化の圧倒的な底力を感じさせる素晴らしいものです。『「あー」と、感嘆の声を放つた』姉妹のそれこそ「はんなり」とした声が懐旧の情とともに耳底に響くようです。
それを受けての、長谷川さんの言葉は、頭というより身体に深く柔らかく入ってくる感じで、これまた素晴らしいものです。もう一度、引用してしまいます。
《たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)
《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》
この空間は、女性の肌のほんのりとした温かみを感じさせるやわらかさで満たされています。つまり、ここには間違いなく《言霊空間》と呼ぶ他にないものが広がっています。そうして、小浜さんがおっしゃるように、これは、主客二分法では捕まえようのない世界であり、少なくともわれわれ日本人には、身近な世界です。私は残念ながら現場を見たことがないのですが、精霊流しなんてのも、言霊の世界として、とても分かりやすいものなのではないでしょうか。
もしかしたら、言霊信仰を、信仰を失った(かのような)現代人にも納得のできる言葉できちんとなぞることができたのならば、主客二分法はおのずと超えられるのかもしれません。
次に、小浜さんは、日本人の時間概念を読み解くために四つの例をお出しになっています。それを再録しましょう。
・この仕事はあとにまわそう(未来)
・自分のたどってきたあとを省みると(過去)
・さきのことはわからない(未来)
・さきの大戦における(過去)
・まえを見つめて進もう(未来)
・まえにこんなことがあった(過去)
たしかに、時間の流れを直線的にとらえる近代的な時間概念からすれば不思議であるし、それで読み解き得ない以上、われわれ日本人は、それとは異なる時間概念を生きているのでしょう。
それと、もう一つ。ここでも、身体性が大きな位置を占めています。つまり、日本人が生きている時間概念は、身体性と深く関わっているとは、少なくとも言えそうです。
ここで、ただひとつ「うしろ」には、そのような時間をめぐる両義性がないことが気にかかります。なぜでしょうか。というか、「うしろ」という言葉に関して、時間性の含意のある用例は、「うしろ向き」ぐらいしか思いつきません。これは、過去にこだわることを否定的に言い表す場合に使われます。ほかは、
・うしろ髪を引かれる思い
・うしろ暗い
・うしろ傷
・うしろめたい
・うしろ指
などのように、身体性における死角がもたらす不安の念を織り込んだ、どちらかといえばマイナスの情緒を表す用法が多いような気がします。(もちろん、「うしろ明き」などという中立的な用法もありますが)
つまり、「うしろ」というのは、身体における、その空間性に対する着目の度合いがはなはだ強いので、表出上の関心がそちらのほうにひっぱられて、その時間性に着目した表現の多様性がほとんど展開されなかった。だから、時間性の含意のある用例がほとんどないし、ましてや時間の両義性を獲得するところにまで至らなかったのではないかと、思われます。
考えてみれば、「うしろ」は、身体性をとりまく空間領域で、視覚の特権性がどうにも及ばないただひとつのそれです。仮に、ある人が「そんなことはない」と言って「うしろ」を振り返ったとしても、視線のベクトルの反対方向と「うしろ」を定義すれば、やはり「うしろ」が生じてしまいます。
で、視覚の特権性が及ばない空間領域は、主体にとって基本的には、秩序立てのむずかしいカオスとして表象されることになる。
たとえば「無意識」などという小難しい言葉をわりとすんなり納得することができるのは、上に述べた「うしろ」の身体感覚が万人に共有されているからではないかと考えます。
「うしろ」については、とりあえずそんなところです。「あと」「さき」「まえ」については、まるまる残ってしまいました。バトン・タッチです。
対話篇を再開しましょう。お忙しいでしょうから、お返事はゆっくりでけっこうですよ。
ブログ「『ふしぎなキリスト教』を読む・その1」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/1e79ada1ec92796423144a1278f7a342)を読みました。的確な要約に感心するとともに、小生の発言を過分に取り上げていただき、感謝します。ここで簡略化して言われていることに私も同感です。
著者の橋爪さんは、学者としての良心・役割を一歩も踏み外さない職業倫理の厳しい人であるため、「違い」を大切にするのだと思います。これに対して長谷川三千子さん(彼女を巻き込むことが適切かどうか、少し迷いますが)や私は、人間存在とは何かという問題に関心が向くため、どうしても共通点のほうを強調したくなる傾きがあるのでしょう。学者と思想者の観点の違いといってもいいかもしれません。両者、相補って知的探求の姿がより豊かなものとなると思うので、本音としては橋爪さんと議論したい気持ちが多々あるのですが、まあ、それぞれの道を行けばいいのではないか、と思っています。
長谷川さんが、哲学は一貫して「存在」を問題にしてきたが、宗教(特にキリスト教)は超越的な創造者を立てるので、ついに折り合わないと指摘されていたのは、面白いですね。これは、長谷川さんご自身の思索上のアイデンティティが、やはり哲学にあるのだな、ということを感じさせて印象的でした。
ただ、「哲学」というとき、この出自はどうしても古代ギリシャ以来の西洋の思考様式を指していて、インド哲学とか、東洋哲学とかいう言葉は、あとから無理に作った言葉ですから、こちらは厳密にいえば「哲学」ではないのですね。しかと規定することはできませんが、こちらの思考様式は、いわゆる西洋哲学とはまったく違うということは、私でも何となくわかります。矛盾するようですが、ここではむしろ、まず違いを確認していくほうが大切のように思います。宗教という括りの内部では共通点を見出し、哲学という言葉(思考様式)はヨーロッパ・ローカルであることを強調する、こういう構えが当面必要であるような気がします。
これまでの対話では、日本語の問題について話してきましたね。これもそういう確認の試みのひとつとみなすことができそうです。
ここから一気に話題を、ここ数日間の私的な心境というところに飛躍させます。
紫陽花が美しい季節ですね。今年は桜も素晴らしかったですが、紫陽花の美しさに目を奪われる思いです。私は淡紅色の紫陽花はあまり好きではなく、なんといっても青いほうが好きです。
それで、へたくそな歌が口をついて出てきましたので、恥ずかしいですがご披露します。ご笑覧ください。年甲斐もなくちょっと「スケベ」な歌です(笑)。
紫陽花三首
・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり
・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし
・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ
こう詠んでみると、つくづく自分のなかのナルシシズムを感じます。また、私はけっこう女性的なのだなとも。
ちなみに紫陽花の花言葉は、「執念深い、しつこい」だったと記憶します。開花期間がとても長いからだそうです。
ところで、親鸞・唯円をやっていて(『新訳 歎異抄』PHP新書 古典の名著シリーズhttp://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/be020a30f29ae588a1f538104d853d83)、また同時に日本語の問題を考えていて、最近、「えにし」「縁」「ご縁」という言葉の独特なニュアンスがしきりと気になります。ご承知のように、親鸞の場合、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」、つまり、自由意志でなせることなどたかが知れていて、すべては業縁であり、機縁であるという人間認識が徹底していますね。
この「縁」という言葉、ふしぎな含みと拡がりがあって、印欧語では適訳が見つかりません。connection、bond、relation――どれもだめです。なぜなら、これらの語群は、すべて人間同士の具体的な「つながり」を意味しているにすぎませんから(時には「契約関係」を意味します!)。
ではchanceならどうかというと、今度は逆に、単なる偶然の機会という感じがして物足りません。いずれにしても、ひとがあるつながりを持つに至った、人知を超えた力のようなものを表現することができていないのですね。
先日も、飲み屋ではじめて知り合った人から、ある病をいかに克服したかという体験談を聞き、この話が、私の身内に関係があるので、とても助かりました。私はちょっと急いでいたので、深謝してそそくさと別れたのですが、そのとき先方から「またご縁がありましたら」と言われて、そのご挨拶の絶妙さに感じ入ってしまったのです。いいですね、こういう別れの挨拶って。
こういう使い方は、英語ではできないのではないでしょうか。If we could have a chance to meet again.とでも言うのかな。なんだか味気ないですね。
「ご縁がありましたら」という挨拶には、ひととひととの出会いの中にあらかじめ込められている哀しみのようなものがしっかりと表現されていますね。「縁あってこういうことになり」「これも何かのご縁というものでしょう」「えにしあらば再びあいまみえん」「袖ふれあうも他生の縁」……
先に貴兄が印欧語の限界、日本語との断絶感を指摘されて、私はむしろそれをたしなめるような偉そうなことを言ったのですが、今度は反対に、こちらが異言語間にある断絶に対するいらだたしさを表明する立場になってしまいました。
もう少し「縁」について考えるところを述べます。
この言葉は、偶然性とも必然性とも違います。両方の対概念を同時に含みこんでいるような気がするのです。
たとえば、凶悪犯罪の現場を目撃すれば、私たちは、「偶然そこに居合わせた」と言いますが、果たしてそう割り切って済ませられるでしょうか。何となく感情が逆らいますよね。では、逆に、「それは私たちの視野にかぎりがあるから偶然と見えるだけで、じつは神が引き合わせたのであり、すべてがお見通しの神にとっては何もかも必然なのだ」と、スピノザのように言えば納得するかというと、これもちがうような気がする。「縁」としかいいようがないのではないでしょうか。
なぜ私はここに存在しているのか。それは私の両親が見合い結婚したからだ。では両親はなぜ見合い結婚することになったのか。それは両方を知っている仲人がいたからだ。ではなぜ仲人はそれぞれを知ったのか。それは新婦の父が彼の友人で、新郎が彼の部下だったからだ。では、新婦の父はなぜ彼と友人になったのか。それは中学校時代に同級生だったからだ。ではなぜ二人は同じ中学校に通うことになったのか。それはたまたま近隣地区に住んでいたからだ。ではなぜ二人は近隣地区に住むようになったのか。それはそれぞれの生活事情と家族の歴史があって偶然そういうことになったのだ……
このように、過去のいきさつを合理的な理路によってたどる方法だと、最終的には「偶然」の概念に逢着して、砂に水がしみこむような茫洋たる感覚に襲われて終わりです。
しかし「それは縁というものだ」と言いきりますと、七面倒くさい理路をたどる必要などなく、むしろ深く納得するところがあるのではないでしょうか。この納得感は、どこからやってくるのか。「縁」という言葉の概念をうまく言いあらわすことはできないものか。
ひとつ考えられるのは、この言葉には、過去のいきさつだけではなく、未来に必ずやって来る別離の予感が繰り込まれているのではないかということです。人はすべて死ぬのだという自覚(さとり)が、生活実感のなかにすでにつねに深く沁み込んでいるのですね。だからこそ「他生の縁」というように、前世や後世をはるかに臨みみる視線も生れてくるのだと思うのです。
自分の勝手な関心を長々と述べました。私の言葉に「縁」を感じられたら、何ほどかのお言葉をお返しください。
*****
小浜逸郎様 (発信日 6月23日)
返事、遅れてしまってすみません。
先日お話した(送信するメールの原稿が消えてしまったという)アクシデントも原因と言えば原因なのですが、基本的には、ブログにかかりっきりで、ほかのことに注意を振り向ける精神的な余裕があまりないという状態が続いているということなのでしょう。
特に、最近は消費増税をめぐる政局が風雲急を告げているので、注目している人物や政党の動向をブログやツイッターやネット・ニュースなどで探っているとあっという間に時間が過ぎていってしまいます。このままでは消費税オタクになってしまいそうです(*´∀`*)。
思えば、たまたま由紀草一さんから「美津島さん、ブログをやってみたら」とアドバイスを受けたのがこの道に入り込んだきっかけでした。それと小浜さんのさりげない励ましが大きいですね。まあ、やれるところまでやってみます。
話題を移しましょう。
小浜さんの短歌三首、拝見いたしました。とてもいい感じです。僭越な言い方になりますが、前回からの進歩が見受けられます。
・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり
・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし
・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ
こころは流れるものであり、つねに動いているものであり、刻々と変わりゆくものである。それは、さかしらを排したなおきこころに自ずと開示される。そういう意味のことを、本居宣長は、いろいろなところでくりかえし言っています。
これは、歌の本義でもあると思われます。それにかなった、芳しい情趣が上の三首から感じられます。私は、短歌の専門家ではありませんが、それほどトンチンカンなことを言っていない気がします。
歌人は、近所の公園でも歩いているのでしょうか。物静かなたたずまいが感じられるのでおそらくひとりなのでしょう。ふと紫陽花が目にとまります。時期的なことを考えれば六分咲きくらいでしょうか。その青くて小さな花びらが楚々と群れ咲く様に、歌人の心は引き寄せられます。ここからおもむろに歌人のこころは、いまここにある紫陽花を遠く離れて、時空の限界の向こう側に軽々と飛翔します。そうしてまた、いまここにある紫陽花にもどって来ます。その時空の往還のさ中で、紫陽花をめぐるいくつかのイメージが湧きおこり、歌人はそれらを次々に言の葉で紡ごうとします。
これらの一連の流れを、われわれはどう理解したら、うまく言い当てたことになるのでしょうか。
歌人は、自分の「主観」を紫陽花という「客観」によって表現したのだ、という言い方は、事態を不器用に強引に表現しているだけです。
では、大森荘蔵のように、歌人に紫陽花が立ち現れていることがすべてで、それよりほかに、歌人の心などというものはないと納得してしまえるでしょうか。歌人は、そう言われてもおそらく納得しないでしょう。
では、小林秀雄のように「紫陽花の美しさなんてものはない。美しい紫陽花があるだけだ」と言ってしまえばよいのでしょうか。これはかなりいい線を行っているように感じられます。が、その半歩手前に踏みとどまって、もう少し細やかに言い表すことができないものでしょうか。
歌人にとって目の前の紫陽花は、前言語的な情趣をたたえて存在しています。その情趣に歌人はわれ知らず参画するうちに、そこに含まれる言語化の契機に触れることになります。
人によっては、紫陽花を見かけても素通りしてしまうでしょう。ちょっと立ち止まって、「ほお」と嘆声を上げる人もいるでしょう。一緒に散歩している相手に「ほら、きれいだね」と語りかける人もいるでしょう。歌人は、それらの全ての言語化の可能性のなかで、三十一文字に結晶化するというかなり高度な言語化に向けてその存在を投げ入れることにしました。
さらに、それを知り合いに見せます。見せられた知り合いは知り合いで、歌人の意を目がけながら、彼なりのパロールを展開することに自己投企します。
私は、なにが言いたいのか。
この世のあらゆる存在物は(とりわけ女性は)、なにかしらの前言語的な情趣をたたえて存在している。その情趣にわれ知らず触れることで、人は不可避的にそこに含まれる言語化のあらゆる可能性のどこかに自己を投企せざるを得ない。そのことを紫陽花の歌人は喚起させるのです。(素通りは、言語化の欠如態と位置づけることができるでしょう。)
つまり、ここには言語現象という目には見えない心的諸運動が、広義の表現主体において鳴門海峡の大小の渦のようにあちらこちらで無数に生まれ、拡大し、共鳴している様が広がっているように私には感じられます。
この世界イメージを片時も忘れなければ、そこから「主観」「客観」というツールを取り出すことには一定の限られた有効性を認めるにしても、まさか、それらの言葉でこの世界に起こっている事態の総体をうまく言い当てることができるなどとは夢にも思わないでしょう。
また、大森荘蔵が、「主観」「客観」の二分法から超出する試みに無残にも失敗したのは、世界を言語現象として捉え切るという透徹した視点が欠如していたからなのではないかと思われるのですが、いかがでしょう。私が読んだ大森本はせいぜい三、四冊なので、断言はできないのですけれど。小林秀雄から、「全集を読みなさい」と説教されてしまいそうで
すね。
ここからは、橋爪的主題にご登場願います。
橋爪さんによれば、日本人は近代化を成し遂げた今日においても、森羅万象にその数だけの神様を感じる神道的な感性を保存している珍しい民族です。それを、良いとか悪いとか言ってみても始まりません。私は、橋爪さんの言っていることが、どうも当たっているような気がするのですね。
それに関連して、私は「『ふしぎなキリスト教』を読む」という投稿で、次のように申し上げました。
橋爪氏が指摘しているように、近代化を経てもなお、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性を保存している日本人は、西欧的な基準からすれば、決して無神論者になりえません。それは、橋爪氏が言う通り弱点にもなりえますが、西欧近代の無神論がもたらすニヒリズムを緩和する可能性もあるのではないでしょうか。
これを哲学の分野に移し替えると、どうなるか。キリスト教的な感性からすれば、神が不在となった世界という「空家」=客観のなかで、主権者となった人間は主観に押し込められることになります。近代西欧哲学を根のところで規定してきた主観・客観の二分法が、キリスト教的な感性に基づく思考の枠組みであることが分かりますね。
それに対して、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性にとって、主観からくっきりと区別された客観は存在しないし、逆に、客観からくっきりと区別された主観も存在しません。そこに、主観と客観とが交流する形容詞的世界が像を結ぶことになりますね。
やや日本人として「内輪ぼめ」の疑いのある記述ですけれど、事の当否はとりあえず措きます(よろしければ大いにツッコミを入れてください)。ここで言いたかったことを、言葉を変えてもう一度言い直してみましょう。
確か、竹田青嗣さんが、われわれは世界を解釈する以前にすでに感じ取ってしまっているのだ、という言い方を『エロスの世界像』あたりでしていたと記憶しています。
世界をどう感じ取るかという直観に、橋爪流の「宗教」が大きな影を落としているのではないかと私は考えるのです。つまり、ここで「宗教」とは、共同幻想としての感性の様式のことです。唯物論めかして言えば、文化の創出装置それ自体です。神を信じるかどうかという意識の次元ではなく、森羅万象をどう感じ取るかという感性の様式の共同性の次元は、
今日においても大きな影響をそれぞれの文化に根のところで与え続けているのではないかと思われます。そこに、表立った信仰が薄れたと言われている現代社会においても、宗教について考え、論じる意義の核心があるのではないでしょうか。宗教論は、展開のしようによっては、自己認識を拡張する大きな武器になりうるようです。
話が大きくなりすぎたので、日本語の問題に絞ります。
「言霊」という言い方がありますね。これは、橋爪流の、『森羅万象にその数だけの小さな神を見出す「神道」的感性』で言葉をとらえることによって、日本文化において自ずと生み出された世界説明の一種です。近代言語学の成果によって、これを非科学的な迷信と一笑に付すのは簡単です。しかし、それで問題が終わるわけではありません。
先ほど申し上げた、感性の様式の共同性の次元において、われわれ日本人は、一人残らずいまだに言霊信仰者です。
言霊信仰者にとっては、言=事です。だから、彼らは「良き言の葉は良きものを招き、悪き言の葉は災いを招く」という観念のとらわれ人となります。私を含めて日本人はTPOをわきまえないKY発言をとても嫌がります。小浜さんはどうですか。まったく平気ですか。平気でなければ、小浜さんもやはりかなりの言霊信仰者である、ということになります(笑)。これはほんの一例です。まあ、それを慣習の力と呼んでも一向に差し支えないのですが。それに逆らうことは、普通の人にとってはけっこうなストレスになりますよね。
さらに言い募れば、理屈抜きの慣習の力とは、人倫を支えているものです(これは小浜さんや和辻から学んだことです)。先ほど申し上げたように、日本人にとって、言霊信仰は慣習の核心の少なくともひとつを成しています。とすると、日本人にとって、言霊信仰は人倫を支えている重要なファクターとして無視しえないものである、ということになりませんか?
私は、(駆け足ですが)やっと「縁」という言葉に触れるところまでたどり着くことができました。
「縁」の「エン」という読みは音読みです。訓読みはありません。「えにし」という読み方は、音読みの「エン」の日本語化した字音の「えに」に強意の助詞「し」がつくことで成立しました(by 辞書)。
素人考えですが、そこから察するに、もともと日本には「縁」なる言葉はなかったようです。「きずな」とか「つながり」などという言葉は和語ですから、もともと日本にあったことばなのでしょうが。
とすれば、縁は仏語として中国から入ってきた。つまりもともとは純粋の外来語・外来思想なのです。
一時期原始仏教を集中的にかじった経験があるので、それのうろ覚えで、ちょっと偉そうに薀蓄をたれます。
縁とは、原始仏教では、縁起の法として語られるものです。いわゆる因果律を前世・現世・来世を貫くものとしてとらえます。前世での悪行が縁となって、生まれ変わった現世での苦境をもたらします(娑婆苦)。そうして、煩悩具足であり続ける限り、輪廻転生を繰り返すだけで娑婆苦から永遠に脱することがかないません。その繰り返しから脱却するには、出家し修行して縁起の法の核心を直観的に掴み、悟りを開いて輪廻転生の外に超出するよりほかにありません。それが解脱です。つまり、在家には解脱の道がないのです。これが仏教のもともとの姿です。(橋爪さんにちょっと口調が似てきましたか(笑))
それが中国に移入されると、おおざっぱに言えば、在家仏教に変質します。仏教のいわゆる儒教化ですね。それと同時に、インドにおける爛熟期の仏教である密教も中国に入ってきます。
これら三つの、時期的にも地理的にも異なる仏教の流れが日本に一度にどっと押し寄せたわけです。
そのなかで原始仏典は、日本においては大蔵経として珍重され、そこに述べられている縁起の法の意味合いは、当時の高級知識人である学僧たちにきちんと理解されていました。おそらくそこいらが縁という言葉の発信源なのでしょう。
で、縁起という言葉が世間に流布するにつれて、もともとのペシミスティックな意味合いを基底にニュアンスとして残しつつ、「縁起がいい」とか「縁起が悪い」といった俗語に変化していきます。その、意味の変化のプロセスに、私は日本人の神道的な感性とか言霊信仰とかが大きく作用していると思っています。
「縁起がいい」「縁起が悪い」というのは、何かをなす初っ端に起こったちょっとした出来事で、その何かがうまくいくかどうかを判断するときに使うことばですね。場の空気の穢れにとても敏感な日本人ならではの「誤用」ですね。場の空気の穢れに敏感な姿勢は、晴れの舞台での忌み言葉を嫌うそれと全く同じであることはいうまでもないでしょう。さらに、忌み言葉を嫌う感性は、言=事の言霊信仰的なそれであることも言を俟たないでしょう。
「縁起」が「縁」に端折られてからも、そういう「誤用」「誤解」のプロセスは、同様の文化的な無意識の手続きを踏んだものと思われます。
教養の足りない学者もどきのような発言が多いメールですが、何かの話の糸口になればと思って送ります。バトンタッチです。
*****
美津島明さま (発信日 6月26日)
ご多忙中を、時間の流れがちがうようなメッセージをお送りして、申し訳ない。それにもかかわらず、私の目下の関心に対してこれほど刺戟とヒントを与えてくれてありがとうございます。
私のへたくそな歌について、過分な評価をいただき恐縮です。
しかしそのことよりも、こんな片々たる素材をもとにして、私たちの住むこの世界と言葉との関係について、より普遍的な問題提起をされている貴兄の思想的な膂力を感じることができてとても嬉しく思いました。
こちらは、昨24日、『新訳 歎異抄』をようやく脱稿し、一息ついているところです。この原稿で扱った中身と、貴兄の今回のご指摘とは、重なるところが多いように思います。
貴兄が今回言われていることのポイントを私なりにまとめると以下のようになります。
①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。
②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。
③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。
④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。
⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。
⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。
どれにもまったく異論がありません。加えて、これらの指摘には、日本人の世界感受のあり方について考えを発展させるための重要なヒントがいくつもあるように思います。
はじめに、私は自分を当然、言霊信仰者だと思っています。小さいころから腕力が苦手で、小学校入学の折、意味もなく私を殴ってくるやつがいたので、なんで世の中にはこんな理不尽なやつがいるんだろうと、その不可解さにとても悩んだおぼえがあります。何しろ弱虫で仕返しすることもできず、人一倍傷つきやすかったのですね。
少し長じて生意気盛りのころは、逆に言葉で相手をとても傷つけてしまったこともあり、それはそれで忘れ得ない思い出なのですが。
いまにして思えば、言葉をたよりに生きるという私の運命は、そのころから決まっていたのかもしれません。言葉を磨くことで商売ができる、時には防御攻撃の武器にすらなりうる、こういうことが可能であるこの社会にとても感謝しています。戦国時代でなくてよかった(笑)。
上記③にかかわる最近の経験をお話しましょう。
私の娘はアメリカ人と結婚していて、四歳になる女の子がひとりいるのですが、先日、その彼と孫娘と三人で公園を散歩しました。池のほとりに来たとき、亀やアヒルが見えるので、「あ、かめさんがいるね」「アヒルさんもいるよ」といったやり取りのあと、ふと思いついて、彼に、アメリカでは動物やものに「さん」をつけるような習慣があるかと聞いてみました。答えは「まれにMr.何々などということはあるが、ふつうはしない」というものでした。
日本ではこれは当たり前の習慣ですね。「アリさん」「カラスさん」「お日さま」「風さん」等々。昔母から聞いた話ですが、「豆さんを煮ましょうね」などというのもあったそうです。
こういう慣習は、宗教学的には「アニミズム」と呼ばれて、森羅万象に生きた霊を感じる自然宗教のパターンとして分類されます。しかし、そう言い切って済ませられるでしょうか。もう少し繊細な視線がほしいところです。
接頭語の「お」「ご」も日本独特ですね。「お昼になったからごはんにしましょう」「今日はご馳走だね、お茶入れてこよう」等々。「おみおつけ」に至っては、最初から三文字までが接頭語です。抽象概念にも使われるし、なんと卑猥な言葉にさえ使われます。「ご成功、おめでとうございます」「お×××」。
まあ、便宜のために仮にこれらの言語慣習をアニミズムと呼んでおきましょう。
このアニミズム的慣習は、貴兄の直観どおり、言霊信仰に通じていると私は思います。その心は、単にまわりのものごとを宗教的に畏れるというのではなく、ひと言で言えば、まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。
このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。
上記④について。
思想家の長谷川三千子さんが、谷崎の『細雪』について卓抜な論考を書いているのを思い出しました。九月刊行予定の拙著(11月に刊行が延期された『日本の七大思想家』幻冬舎新書)で、大森荘蔵に絡めてその部分を引いたのですが、冗長を恐れて削除しました。長くなって申し訳ないですが、以下にそれを再現します。
長谷川氏はこの批評文で、寺田透の『細雪』評を引用した後、この評が「現実とは物体のことである」という、まさにデカルトに始まる近代ヨーロッパの「現実」観を前提としていると述べ、さらに次のように論を展開している。
《(引用者注――デカルトの『省察』からの引用の後)この「物体」に生命はない。あるのはただ三次元の拡がりだけである。近代ヨーロッパは、物体をかういふものと考へることで「近代科学」を持つに至つた。そしてかうした物体を「自己」といふ名の精神が眺めるとき、それが「現実」と呼ばれるのである。/したがつて近代ヨーロッパのものの考へ方は、それをどこからどう切つても、必ずこの「物体」といふ断面を見せることになる。自ら動くことなく、自らの輪郭の内にとじ込められた「物体」が、いつも「精神」の向う側にある。(中略)実際に『細雪』の文章を眺めてみると、先の批評(引用者注――寺田透の評)にあがつてゐた平安神宮の紅枝垂れ桜の眺めはこんな風に書きあらはされてゐる。
あの、神門を入つて大極殿を正面に見、西の回廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、――海外にまでその美を謳はれて ゐると云ふ名木の桜が、今年はどんな風であらうか、もうおそくはないであらうかと気を揉みながら、毎年回廊の門をくゞる迄はあやしく 胸をときめかすのであるが、今年も同じやうな思ひで門をくゞつた彼女達は、忽ち夕空にひろがってゐる紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様 に、「あー」と、感嘆の声を放つた。
たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》(同前)
いかがでしょうか。私はなかなかのものだと感心するのですが。
上記⑤と⑥について。
なるほど、言霊信仰は「人倫」にもかかわってくるのですね。これも深く納得できます。「人倫」というなら、絶対、和辻です(笑)。
先のメールで、「縁」という言葉には、前世、現世、後世を貫く時間概念がすでにつねに繰り込まれていて、そこにはあらかじめ感受された「別離」の哀しみのようなものが含まれているという意味のことを書いたのですが、この時間性に関しては、和辻倫理学が、「時間性と空間性の相即」という節で、透徹した人間理解を示しています。
彼は、人間を、全体から個が析出し、その個が再び全体に帰っていく無限の運動過程と捉えるのですが、この「本来性に帰還する運動としての人間」という捉え方は、「縁」「えにし」という言葉がはらんでいる時間概念に深くかかわると思うのです。彼は、進歩的な歴史観のように、時間を過去から未来へひたすら直線的に進行するというようには考えず、未来への志向もまた、たえず「帰来」するものと考えます。「本末究竟等」とも言っています。教養としては仏教の影響が強いと思いますが、よく考えると、これは日本古来の時間概念に適合するとも言えそうですね。
つまり、そもそも「時間」というように、空間からこれを分けて捉えること自体、私たちに親しい世界感受の仕方からずれてくるところがあるわけで、強いて言えば、私たちの時間概念は、たえず循環するものである、同じところをぐるぐる回っているのだ、というほうが実感に近いかもしれません。丸山眞男が捕まえようとした、「日本人の歴史観のオプティミズム」(「歴史意識の『古層』」)というのも、これに引っかかってくるような気がします。このことが、「縁」「えにし」という言葉が持つ豊かな含蓄と関係があるように思います。
「ご縁がありましたら」という別れの挨拶には、「個」としてはそのつど切れてしまって哀しいけれど、ぐるぐる回っているうちには、また会えるかもしれないという期待感も込められていますね。
それにつけて思い出すのが、「あと、さき」「まえ」という言葉の不思議さです。
私はこれらの言葉の使われ方が、論理的にはとても矛盾しているということに早い時期から疑問を抱いてきました。
これらは、空間概念にも時間概念にも使われますね。ところが、おかしなことに、「あと」という概念が時間的には、過去にも未来にも使われるし、「さき」もそうなのですね。両者は必ずしも対義語ではないのです。「まえ」は、空間的には自分の身体が直面しているあたりを指していますが、これも時間的には、過去にも未来にも使われます。
以下、例示しましょう。
・この仕事はあとにまわそう(未来)
・自分のたどってきたあとを省みると(過去)
・さきのことはわからない(未来)
・さきの大戦における(過去)
・まえを見つめて進もう(未来)
・まえにこんなことがあった(過去)
いかがですか。時間を直線的に進むものと考えると、こういう使用法は理解できないですね。でも私たち日本人は、矛盾を矛盾と感じず、平然と使いこなしています。このことは、いったいどう読み解けばよいのか。いろいろと考えてはいるのですが、まだ、明快な答えは出せません。少し「あと」にまわそうと思っています。
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小浜逸郎様 (発信日 7月23日)
小浜さんから返信をいただいてから、かなり時間が経っていますので、議論のポイントを再確認するため、私が申し上げたことを小浜さんから要領よくまとめていただいたものを改めて掲げます。
①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。
②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。
③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。
④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。
⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。
⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。
小浜さんも言霊信仰者である、とうかがってなにやらほっとしました(笑)。また、上記①~⑥に対しても、基本的にはご同意いただだけたとのこと。素直に嬉しいと思います。
しかし、以上は、言ってみればメニューを並べただけのこと。本当の問題は、ここからどれだけ踏み込んだ展開ができるかということです。それぞれについて一ミリでも一センチでも先に行くことができれば、と思います。
上記③に関連して、小浜さんは次のような発言をなさっています。
〉まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、 それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。
小浜さんのこの言葉を受けとめた読み手に、深い納得感が生じるのはなぜなのでしょう。それは、小浜さんが言葉を論じるにあたって、身体性の問題を片時も手放していないからではないでしょうか。
「環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性」によって、「それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする」という一連の流れは、身体性の深い介在なしにありえないことであるし、明示的ではありませんが、小浜さんの言葉はそういう事態をおのずと織り込んでいるように感じられるのです。
とするならば、私たち日本人は、森羅万象としての「事」を肌の温もりのある「言」として掴まえなおすことを日々繰り返していることになります。言いかえれば、「事」に血を通わすうえで、身体性を伴った「言」が大きな役割を果たしている。
だから、西洋の大文字のGODが有する抽象性を、日本のカミは鼻から持ちようがないし、人間とまったく同じように肌の温もりがあり、喜怒哀楽に左右される、いわば具象的存在である、ということになるのでは。抽象性がその精神運動上の本質において「一」に凝縮する強い傾向があるのに対して、具象性はその本質から多様性の展開を予定します。だから、日本人の宗教的感性からすれば、カミがたくさん存在するのは当たり前、ということになります。
そう考えると、法然と親鸞の思想が日本においていかにユニークであるか、驚きをもって、再認識する思いです。そのユニークさを、ちょっと刺激的な言葉を使えば、扼殺することで、真宗は後に世に流布したのではないかと思うのですが、ここは小浜さんのご意見を伺いたいところです。
また、冷徹な合理主義の経済的表現であるグローバリズムに対して、日本人がいわば本能的に身構えてしまうのは、いままで述べてきたことから、不可避であると言えるのではないでしょうか。変に無理をして、それをためらいもなく受け入れられない日本人はダメだのだといわんばかりに推進された1997年から2007年ころまでのラディカルな行政改革・構造改革は、日本人の自然体の感性を押しつぶそうとする野蛮な運動だったのではないかとあらためて思われます。変に真面目になったりせずに、適当におつきあいすればいいのです、あんなものとは。
身体性に深く根ざした「言」によって「事」に血を通わせるところに、日本人が霊力(生命力)を感じるポイントがあるのだとすれば、それとは逆に、「事」はあくまでも「事」であって、「言」はあくまでも「事」を伝えるための道具であるのに過ぎないという当世流行りの言語観は、生命力の減退・衰退をもたらす危険な思想である、とも言えそうです。私が申し上げているのは、当世ではほぼ無自覚な形で展開されている言語観のことで、情報社会が高度化すればするほど、不可避的に跋扈せざるをえないものです。つまり、情報をやり取りするためだけの便利なツールとして言葉をとらえる風潮のことを、私は、言っているのです。
むろん、私はこの現象を全否定するわけではありません。私自身、忙しい日常生活のなかで、言葉をそういうふうに使い、また受けとめる局面は多々あるのでしょう。それで、済んでしまうし、そのほうがいろいろとうまくいくことが多いからです。
しかし、それが言葉との付き合い方の全てになってしまったら、おそらく、文化の底力が減退することになるのではないか、という危惧の念が脳裏をかすめるのをいかんともしがたい、と申し上げたいのです。
その点、小浜さんが引用なさった長谷川三千子さんの文章も、その中で孫引きされている谷崎潤一郎の『細雪』の文章も、文化の圧倒的な底力を感じさせる素晴らしいものです。『「あー」と、感嘆の声を放つた』姉妹のそれこそ「はんなり」とした声が懐旧の情とともに耳底に響くようです。
それを受けての、長谷川さんの言葉は、頭というより身体に深く柔らかく入ってくる感じで、これまた素晴らしいものです。もう一度、引用してしまいます。
《たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)
《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》
この空間は、女性の肌のほんのりとした温かみを感じさせるやわらかさで満たされています。つまり、ここには間違いなく《言霊空間》と呼ぶ他にないものが広がっています。そうして、小浜さんがおっしゃるように、これは、主客二分法では捕まえようのない世界であり、少なくともわれわれ日本人には、身近な世界です。私は残念ながら現場を見たことがないのですが、精霊流しなんてのも、言霊の世界として、とても分かりやすいものなのではないでしょうか。
もしかしたら、言霊信仰を、信仰を失った(かのような)現代人にも納得のできる言葉できちんとなぞることができたのならば、主客二分法はおのずと超えられるのかもしれません。
次に、小浜さんは、日本人の時間概念を読み解くために四つの例をお出しになっています。それを再録しましょう。
・この仕事はあとにまわそう(未来)
・自分のたどってきたあとを省みると(過去)
・さきのことはわからない(未来)
・さきの大戦における(過去)
・まえを見つめて進もう(未来)
・まえにこんなことがあった(過去)
たしかに、時間の流れを直線的にとらえる近代的な時間概念からすれば不思議であるし、それで読み解き得ない以上、われわれ日本人は、それとは異なる時間概念を生きているのでしょう。
それと、もう一つ。ここでも、身体性が大きな位置を占めています。つまり、日本人が生きている時間概念は、身体性と深く関わっているとは、少なくとも言えそうです。
ここで、ただひとつ「うしろ」には、そのような時間をめぐる両義性がないことが気にかかります。なぜでしょうか。というか、「うしろ」という言葉に関して、時間性の含意のある用例は、「うしろ向き」ぐらいしか思いつきません。これは、過去にこだわることを否定的に言い表す場合に使われます。ほかは、
・うしろ髪を引かれる思い
・うしろ暗い
・うしろ傷
・うしろめたい
・うしろ指
などのように、身体性における死角がもたらす不安の念を織り込んだ、どちらかといえばマイナスの情緒を表す用法が多いような気がします。(もちろん、「うしろ明き」などという中立的な用法もありますが)
つまり、「うしろ」というのは、身体における、その空間性に対する着目の度合いがはなはだ強いので、表出上の関心がそちらのほうにひっぱられて、その時間性に着目した表現の多様性がほとんど展開されなかった。だから、時間性の含意のある用例がほとんどないし、ましてや時間の両義性を獲得するところにまで至らなかったのではないかと、思われます。
考えてみれば、「うしろ」は、身体性をとりまく空間領域で、視覚の特権性がどうにも及ばないただひとつのそれです。仮に、ある人が「そんなことはない」と言って「うしろ」を振り返ったとしても、視線のベクトルの反対方向と「うしろ」を定義すれば、やはり「うしろ」が生じてしまいます。
で、視覚の特権性が及ばない空間領域は、主体にとって基本的には、秩序立てのむずかしいカオスとして表象されることになる。
たとえば「無意識」などという小難しい言葉をわりとすんなり納得することができるのは、上に述べた「うしろ」の身体感覚が万人に共有されているからではないかと考えます。
「うしろ」については、とりあえずそんなところです。「あと」「さき」「まえ」については、まるまる残ってしまいました。バトン・タッチです。