美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

小浜逸郎氏 国会議員数減らしと役人給料カットは愚策 (イザ!ブログ 2013・4・16 掲載)

2013年12月13日 23時35分35秒 | 小浜逸郎
一票の格差問題について、広島高裁、同岡山支部で相次いで「違憲・選挙無効」の判決が出されました。それに対する対応について、いま中央政界では盛んに論議されています。それと絡むのですが、少し質の異なる問題でずっと以前から不思議に思っていたことがあります。

今回の選挙制度改革論議でも、「0増5減」案をまず通そうという自民党の提案と、「選挙区30議席、比例代表50議席削減」を唱える民主党の提案とが対立しています。しかしまずその前に、そもそもどうして国会議員数を減らさなくてはならないのでしょうか。

この話は橋本行政改革、小泉構造改革のあたりからずっと俎上に載せられてきた問題のようですが、中央行政機構の効率化、国家公務員の給与削減、地方公務員の給与削減などの課題と連動しています。とにかく国家のために働いている人たちの数減らしや給料カットなど、政治家や役人になるべく税金を使わせないようにしようという暗黙の民意のようなものにもとづいて、その正当性が担保されてきたのだと思われます。おかしなことに、こういう方向性が政治理念として正しいのだということが、公式的に疑われたためしがありません。

国政をめぐる重要な議論が、その基本枠組みの是非や論拠が根本から問われないままどんどん進んでいってしまう無残な光景をこれまで私たちは、さんざん見せつけられてきました。たとえば裁判員制度、消費税増税、TPP交渉参加、電力自由化問題等々。

国会議員数削減や、公務員の給料カットなども同じです。維新の会などは、なんと衆議院議員を半分の240名に減らせとまで主張していますね。なのにだれも、なぜそれがいいことなの? 何の根拠があってそういう主張をするの? と問いません。

少し面倒な数字におつきあいください。

国会議員に当てられる国費は、歳費、立法調査費、文書通信交通滞在費、秘書給与の四種類です。これは議員一人当たり年間6380万円ですので、衆参両院議員数722名分で総額約460億円になります。これに政党助成金が全政党で総額320億円ですから、合計約800億円が国庫から支出されることになります(*1)。

そこで、仮にこの案件について最も過激な主張をしている維新の会の方針を採用したとしても、200億円未満、さらに乱暴な主張を取って参議院を廃止したとしてもせいぜい300億円程度の節約しかできません。

次に公務員の賃金カットですが、公務員の平均年収は約700万円。いっぽう、日本の公務員総数は、国家・地方合わせて約400万人ですから、公務員の給与は年間28兆円です。

さてみなさんご存知のとおり、2006年6月に公布された行政改革推進法に則り、民主党政権下で国家公務員の給与が2年間7.8%削減されることが決まりました。この措置により、公務員の給与は、地方:国=107:100となって、地方のほうが高いことになるので、地方交付税を3921億円削減する改正地方交付税法が国会を通過しました(産経新聞2013年3月29日付)。

国家公務員約100万人の給与総額が年間約7兆円ですから、これを7.8%カットして得られる節約分は、ほぼ5000憶円です。すると地方公務員の給与カットと合わせても、1兆円に満たないことになります。先の国会議員数の削減によって節約できる金額を合わせても1兆円に達しませんね。

では、そもそも国家予算、地方自治体予算の総額はどれくらいに上るでしょうか。

国家予算は一般会計と特別会計に分かれますが、両者を単純に合算すると平成24年度で、470兆円を超えます。しかし両者はかぶっている部分が多いので、重複を除くと、約220兆円となります(*2)。また、地方自治体の予算総額は、同じく平成24年度で、約84兆円です(*3)。合計300兆円強というところですね。

これで、一連の行政改革による経費削減の規模がどれくらいかということがお分かりでしょう。国会議員や公務員がどんなに「身を切る」ふるまいをしても、その全予算規模に対する割合は、わずか0.3%にすぎません。

こんなチンケな「節約」宣言によって、国民はどういう心境に誘われるのか。つまり、「私たちもこんなに痛みを共有するので、どうか国民のみなさん、消費税増税を受け容れてください」という見かけ倒しのパフォーマンスに引っかかってしまうというわけです。どのマスコミも、こういう事実を報道せず、反対世論を喚起しようともしません。節約は美徳であるという有無を言わせぬマインドコントロールによって、国民はしぶしぶ納得させられているのですね。

それでは、日本の国会議員数、公務員数は、諸外国、特に先進諸国と比べて多いでしょうか、少ないでしょうか。答えは、みなさんだいたいご存知と思いますが、結論から先に言うと、日本は先進諸国の中で、国会議員数、公務員数とも人口比で最も少ない部類に属します。

国会議員数は、資料(*4)に載っている77か国中、少ないほうから数えて15番目ですが、日本よりも少ない14か国は新興国、発展途上国がほとんどで、先進国はアメリカと韓国だけです。

韓国を果たして安定した先進国と呼びうるのかはなはだ疑問が残ります。またアメリカは、州の独立性が極めて高い連邦国家ですから、連邦議会の議員数が少なくても、州議会の議員数を考慮にいれざるを得ません。この数字は今回の検索では得られませんでしたが、アメリカの各州はネブラスカ州一つを除いて、すべて上院、下院の二院制を取っていますので、その性格は連邦議会にきわめて近いと言えます。ちなみにもっとも議員数の多いのは、ニューハンプシャー州下院の400名です(*5)。

ヨーロッパ諸国の議員数(人口比)を日本と比べますと、ドイツ1.5倍、フランス2.5倍、イギリス2.8倍、スウェーデン6.6倍となります。これらの国々で、国会議員の数を減らせというような議論が俎上に載っているのか、寡聞にして私は知りません。

次に公務員数ですが、日本が他の先進国に比べていかに少ないか、これは一目瞭然(*6)。人口千人当たりで、フランス95.8人、イギリス78.3人、アメリカ73.9人、ドイツ69.6人に対し、日本はなんと42.2人です。

さてこれらのことはなにを意味しているでしょうか。

日本の国会議員や公務員の人たちが、現状のままで、多様な民意をできるだけ国政や地方行政に反映させようといかに努力しているかを物語っているのではないでしょうか。もちろん、一部の官僚や政治家の中には、甘い汁を吸っていたり権力に胡坐をかいてサボっていたりする人がいるでしょう。しかし、総体としてみた場合、たとえばお隣の某国などに比べれば、汚職などもはるかに少なく、また治安の維持も世界最高水準に保たれ、日々の行政サービスもほぼ遅滞なく運営されていると言えます。

再び問いますが、ぎりぎりまで数を減らしても公的予算のわずか0.3%しか節約できないのに、どうして削減や給料カットが無前提に正しい方向とされているのでしょうか。

これも繰り返しになりますが、ここには、いつからか根づいた日本国民の長年の悪習である「お偉いさん引きずりおろし」の感覚が強く作用しているように思えてなりません。この悪平等主義は、心理学的にいえば、一種の「集合無意識」のようなもので、官僚や政治家は、権力を握っているというただそれだけのために、批判や怨嗟の声を受けなくてはならないようです。

しかし、いまの公務員や国会議員は、悪代官や悪徳政治家が跋扈していたような昔とは違います。彼らはおおむね、毎日国民のため、民主主義精神を生かすために激務に追われ、身を削って働いています。

もちろん、それらの成果がすべて良いものだなどとは言いません。しかし現実に施行される政策や行政サービスに問題があるならば、それらをひとつひとつとりあげて冷静に批判し、かつ審判を下せばよい話です。もういいかげんに下品なルサンチマンに身をゆだねて無責任な「引きずりおろし」に加担するのだけはやめましょう(某大新聞はいまだにそれをやっていますね)。

私などはむしろ、彼ら代理人や公僕をそこそこ優遇し、そのことによって彼らにその重責を自覚してもらい、豊かで力強い政治を実行してほしいものだと願っています。金や権力の集中が悪徳や腐敗の温床であるという世のならいは否定しませんが、そうならないようにたえず厳しいチェックを怠らないのが、私たち国民自身の責任だと思うのです。

また、政治に携わる人たちも、こういう下品なルサンチマンにおもねるポピュリズムからはきっぱり足を洗って、自分たちのノブレス・オブリージュ(選ばれた者の責任)をきちんと自覚し、国会議員減らし、公務員給料カットなど、現実的に意味のない政策を一刻も早く停止してほしいものです。

現実的に意味がないどころか、これらの政策は明らかに国民にとって有害です。なぜならば、いま各種の統計で記したとおり、日本の国会議員や公務員は、現状でぎりぎりがんばっているのであり、数をさらに削減したり給料カットをしたりすれば、先進国国民の複雑多様化しているニーズを、公正に国会活動や行政サービスに反映させることがますます難しくなるに決まっているからです。せっかく旺盛な公共精神をもった国会議員も、あまりの多忙に追われてついに過労死に至るかもしれませんし、給料をカットされた公務員は、士気と誇りを喪失して堕落の道を歩むかもしれません。

ここで、では国家財政の逼迫をどうするのだ、という反論が考えられます。官民一体となった節約がどうしても必要であるし、そもそも無駄なお金をなるべく使わないようにすることはよいことではないか、と。

これについては、二つのことを言っておきたいと思います。

まず、産経新聞編集委員の田村秀男氏をはじめ、経済に明るい多くの人たち(いわゆるエコノミストではありません)がすでに何度も指摘していることですが、日本の財政の実態は、財務省が流し続けたデマ情報とまったく異なり、危機状態ではありません。

1000兆円の債務なるものは、9割が日本国民によって買われており、これは国民が債権者であることを意味します。また、国には総計500兆円の資産があり、地方にも200兆円の資産があります。ですからじつは純債務は300兆円ほどです。これはGDPの約6割ということになり、それほど憂慮すべき数字ではありません。高橋洋一氏によれば(*7)、国の資産500兆円のうち350兆円はすぐに取り崩し可能です。さらに高橋氏は次のように述べています。

日本政府の資産をどんどん売却、または年金資産(引用者注――年金積立金150兆円)は国民に還元していけば、グロスの政府債務は縮小していく。当初はネットの数字はあまり変わらないが、最終的にはよくなる。やがてさらに、民間が売却された資産を有効に活用しはじめ、そこから利益を上げて経済が回りはじめれば、税収が上がりはじめる。そうなればネットの政府債務も縮小していくことが期待できるのである。

高橋氏は金融政策の範囲内だけで話をしているので、果たして政府の資産をどんどん売却するという手法がいい結果を生むのかどうか、素人である私には判断しかねます。むしろ藤井聡氏が主唱しているように(*8)、日銀の大胆な金融緩和政策と、積極的な公共投資(国土強靭化)によって内需拡大を図る財政政策とをうまく連動させる方が有効で健全な気がします。実体経済が潤うことが確実だからです。現にアベノミクスはこの方向に向かって動いていますね。

しかしいまそのことは措くとしても、次のことは明らかでしょう。

①日本政府の財政危機なるものは、危機というほどのものではないこと。
②政府債務を縮小させる手はじゅうぶんあり、それは一にデフレ不況からの脱却・景気の回復にかかっていること。増税などはこの対策に逆行 するとんでもない手法であること。

もう一つは、とかく日本人は、節約・節倹・倹約を無条件に美徳と考えがちですが、これは正しいでしょうか。時に、米沢藩主・上杉鷹山の質素・倹約の奨励などを取り上げ、その部分だけを財政の模範事例のように謳う向きがあるようですが、鷹山はむしろ産業振興を最も重視して藩政を立て直した人で、いま流にいえば、深刻なデフレから民を救うべく、積極的に公共投資を推進し、内需を拡大させた人です。健全な資本主義の精神を先駆けて実行した人だと言っても過言ではありません。

倹約というのは、そもそもほかに打つべき手がまったくなく、ある時、ある状況下ではそうせざるを得ないところから出てくる苦渋の選択であって、別にそれ自体が「美徳」なのではありません。ことに資本主義社会では、マクロ経済政策としては下策というべきです。なぜなら、為政者も倹約し(金融を引き締め)、民にも倹約を強いる(消費税を増税する)ことは、結果的にお金が実体経済市場に潤沢に回らず、国民経済全体をシュリンクさせてしまうことにつながるからです。だれでも余裕さえあれば生産に投資し、豊かさを満喫するために十分な所得を得て消費したいと思っている。ケチケチ財政は、もういいかげんにやめてほしいものです。

最後にくどいようですが、いちばんの問題は、「美徳」めかして為政者の数を減らしたり、給料をカットしたりすることが、国民に不当な負担を強いることをごまかすための手段になっている点です。

デフレ不況下では、「たいへんな時だからみんなで倹約しましょうね」ではなく、「私たちが責任をもって経済を潤すので、その結果を見て、どうか投資、雇用、消費に積極的になってください」というのが上策でしょう。これまで当然のごとく考えられてきた行財政改革路線が、じつは悪習に他ならないのではないかと、政治家のみなさんも、国民のみなさんも、ここで根本的に考え直すべきではないでしょうか。


参考資料
*1:money.smart-ness.net/1400.html
*2:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1482013429
*3:www.soumu.go.jp/iken/zaisei.html
*4:homepage1.nifty.com/hujitako/saji/oriori/jinkou_giinsuu.htm
*5:www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/299.pdf
*6:www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5190.html
*7:shuchi.php.co.jp/article/810
*8:藤井聡『維新・改革の正体』産経新聞出版
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする