「理性の君主」昭和天皇が抱いた逆説的な認識
――『昭和天皇』(古川隆久著 中公新書)の書評の補論として――
宮里立士
まえおき
11月24日に古川隆久氏の『昭和天皇「理性の君主」の孤独』の書評を書き上げ、美津島明さんのブログに投稿しました(翌日にブログアップして頂きました)。しかし、拙文を読み返したとき、本書の内容紹介に力が入りすぎ、書評としての論旨が十分に展開されていないことに気づきました。そこで改めて補論というかたちで、これを展開したいと思います。
*
先の書評の最後に、本書の古川氏の論調に「若干の疑問が残った」と記した。
その疑問とは、「昭和天皇を『理性の君主』と強調しようとするあまり、陸軍(部分的には海軍)を、図式的に「悪玉」に仕立てていないか」、「本書の『歴史的文脈』が、やや安易に戦後的価値観に依りかかっていないか」の二点であった。しかし、これは率直にいって、やはり本書への「批判」というべきだった。「疑問」という言葉にこれを和らげたのは、古川氏の本書結論に深く共感するところがあったためである。
すなわち、「天皇・皇室というものが、日本の国家と国民、さらには世界の平和と発展に寄与し得るはずだという認識が昭和天皇にあった」。そして「森羅万象すべてを理性で解き明かすことができるとは限らず、しかも、理性だけでは人間社会は維持しきれず、天皇は、国家において、そうした信仰や信念に相当する役割を果たしてきており、これからも果たし得る、という認識が昭和天皇にあった」という結論である(395頁)。
しかし、その一方で古川氏は本書で、昭和天皇への政治責任追及の声に、「一般住民すべてが国民という、いわば国家の正式なメンバーとなる、近代国家においては、貴族や武士などごく一部の人々しか政治に関与できない前近代の国家と比較して、指導者の業務が飛躍的に多くなり、問題も解決方法も複雑になる。近代国家の指導者は、一人で長期間適切に業務をこなすことは不可能なのである。しかも昭和天皇は世襲君主であって、望んでその地位についたわけではない」と述べて、その立場を擁護する。
そして、「天皇にすべての最終権限を集中した旧憲法の制度設計はそもそも不適切だった」と指摘する(393頁)。
ここには古川氏が君主制を合理的とはいえない、「前近代」的存在である、と観ていることが窺われる(古川氏は「近代国家において、君主は象徴的な存在にとどまるべき」とも述べている)。
この古川氏の結論と指摘を念頭に改めて本書のテーマを考えた。すると、先の結論の引用部分、「森羅万象すべてを理性で……」の前に置かれている古川氏の文章、すなわち「天皇機関説事件の際や終戦直後の昭和天皇の発言や、その背景となっている生物学者たちの議論が示唆しているように」、という箇所が気にかかった。
昭和天皇は生物学研究を通して「進化論者」になったと、古川氏はいう。その当否はともかく、昭和天皇がダーウィンを尊重していたのは、自らの執務室に彼の胸像を、リンカーンの胸像とともに置いていたという逸話からも察せられる。その天皇が進化論を肯定していたことは多くの史料から明白である。古川氏は本書で、戦前の代表的な生物学者の丘浅次郎が執筆し、ロングセラーとなった『進化論講話』の大正三(一九一四)年の増補修正版に追加された「進化論の思想界に及ぼす影響」という章に注目する。そこでは丘の、「『信仰は理会力〔理性〕の外に立つ』もの」で、「人類という種を維持繁栄させるためには、信仰、宗教のような非理性的な観念が必要だという見解が示されている」(199頁)。
これに続けて、丘が「極めて面白い」と評するドイツの生物学者ヘッケルの著書『生命の不可思議』(上下二巻として、岩波文庫に収録)の学説を古川氏は紹介する。それは結局、生命発生の時期と原因とは不明であるという学説である。そしてこの説は現在の生物学でも踏襲されているという。これを受けて古川氏は、「昭和天皇の思想は当時の自然科学の動向から大きな影響を受けたものだった」ことを踏まえて(200頁)、「理性だけでは人間社会は維持しきれず、天皇は、国家において、そうした信仰や信念に相当する役割を果たしてきており、これからも果たし得る、という認識が昭和天皇にあった」という結論を抽き出したのである。
先に「若干の疑問」として挙げた二点から私は、古川氏が「丸山真男流の『戦前無責任体制』論」に依拠し、この戦後的視点から「歴史評価」を下しているのではないかと疑った。しかし、これは誤りだったようだ。
「世襲君主」という己れひとりの意思では身動きできない立場に同情する視点から、昭和天皇の「戦争責任」追及を擁護しようとする主張は、戦後の穏健リベラリストの多くに見られた。また、皇室祭祀の執行に端的に現れる「天皇の宗教的権威」から、その「尊厳」を、近代個人を超えた存在価値として重んずる論説も、戦後にも一部に一定の有力なものとしてあった。しかし、古川氏は本書で、これらをおそらく意識しつつ、異なる視点から両者を止揚する見解を述べようとしている。ここに私は、古川氏の現代の歴史家としての「誠実さ」を感じとった。古川氏は、昭和天皇という、未だ「歴史」となりきっていない存在に対し、自身の歴史家としての「評価」を本書で披露したのである。
ここまで考え直したとき、私が本書に「若干の疑問」を内包しつつ、深い共感を寄せた理由もはっきりと解った。
すわなち、「理性の君主」である昭和天皇は、その立場ゆえに、「孤立」を強いられた。しかし、その「孤立」のなかで、昭和天皇は理性を超えた、天皇の存在理由を認識することができた。これが本書で古川氏が辿りついた結論だったのである。
「天皇」(ここでは「君主制」と置き換えてもいいであろう)という、近代政治の通念では「前近代の遺物」とも観念される存在を、「進化論」という、ある意味で優れて「近代的」な観点から捉え直し、昭和天皇がここから「理性」の限界とそれを超えた「天皇」の存在意義を逆説的に感得したという天皇の自己認識のダイナミズムを説くところに、私は本書のユニークでオリジナルな魅力を感じたのであった。
――『昭和天皇』(古川隆久著 中公新書)の書評の補論として――
宮里立士
まえおき
11月24日に古川隆久氏の『昭和天皇「理性の君主」の孤独』の書評を書き上げ、美津島明さんのブログに投稿しました(翌日にブログアップして頂きました)。しかし、拙文を読み返したとき、本書の内容紹介に力が入りすぎ、書評としての論旨が十分に展開されていないことに気づきました。そこで改めて補論というかたちで、これを展開したいと思います。
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先の書評の最後に、本書の古川氏の論調に「若干の疑問が残った」と記した。
その疑問とは、「昭和天皇を『理性の君主』と強調しようとするあまり、陸軍(部分的には海軍)を、図式的に「悪玉」に仕立てていないか」、「本書の『歴史的文脈』が、やや安易に戦後的価値観に依りかかっていないか」の二点であった。しかし、これは率直にいって、やはり本書への「批判」というべきだった。「疑問」という言葉にこれを和らげたのは、古川氏の本書結論に深く共感するところがあったためである。
すなわち、「天皇・皇室というものが、日本の国家と国民、さらには世界の平和と発展に寄与し得るはずだという認識が昭和天皇にあった」。そして「森羅万象すべてを理性で解き明かすことができるとは限らず、しかも、理性だけでは人間社会は維持しきれず、天皇は、国家において、そうした信仰や信念に相当する役割を果たしてきており、これからも果たし得る、という認識が昭和天皇にあった」という結論である(395頁)。
しかし、その一方で古川氏は本書で、昭和天皇への政治責任追及の声に、「一般住民すべてが国民という、いわば国家の正式なメンバーとなる、近代国家においては、貴族や武士などごく一部の人々しか政治に関与できない前近代の国家と比較して、指導者の業務が飛躍的に多くなり、問題も解決方法も複雑になる。近代国家の指導者は、一人で長期間適切に業務をこなすことは不可能なのである。しかも昭和天皇は世襲君主であって、望んでその地位についたわけではない」と述べて、その立場を擁護する。
そして、「天皇にすべての最終権限を集中した旧憲法の制度設計はそもそも不適切だった」と指摘する(393頁)。
ここには古川氏が君主制を合理的とはいえない、「前近代」的存在である、と観ていることが窺われる(古川氏は「近代国家において、君主は象徴的な存在にとどまるべき」とも述べている)。
この古川氏の結論と指摘を念頭に改めて本書のテーマを考えた。すると、先の結論の引用部分、「森羅万象すべてを理性で……」の前に置かれている古川氏の文章、すなわち「天皇機関説事件の際や終戦直後の昭和天皇の発言や、その背景となっている生物学者たちの議論が示唆しているように」、という箇所が気にかかった。
昭和天皇は生物学研究を通して「進化論者」になったと、古川氏はいう。その当否はともかく、昭和天皇がダーウィンを尊重していたのは、自らの執務室に彼の胸像を、リンカーンの胸像とともに置いていたという逸話からも察せられる。その天皇が進化論を肯定していたことは多くの史料から明白である。古川氏は本書で、戦前の代表的な生物学者の丘浅次郎が執筆し、ロングセラーとなった『進化論講話』の大正三(一九一四)年の増補修正版に追加された「進化論の思想界に及ぼす影響」という章に注目する。そこでは丘の、「『信仰は理会力〔理性〕の外に立つ』もの」で、「人類という種を維持繁栄させるためには、信仰、宗教のような非理性的な観念が必要だという見解が示されている」(199頁)。
これに続けて、丘が「極めて面白い」と評するドイツの生物学者ヘッケルの著書『生命の不可思議』(上下二巻として、岩波文庫に収録)の学説を古川氏は紹介する。それは結局、生命発生の時期と原因とは不明であるという学説である。そしてこの説は現在の生物学でも踏襲されているという。これを受けて古川氏は、「昭和天皇の思想は当時の自然科学の動向から大きな影響を受けたものだった」ことを踏まえて(200頁)、「理性だけでは人間社会は維持しきれず、天皇は、国家において、そうした信仰や信念に相当する役割を果たしてきており、これからも果たし得る、という認識が昭和天皇にあった」という結論を抽き出したのである。
先に「若干の疑問」として挙げた二点から私は、古川氏が「丸山真男流の『戦前無責任体制』論」に依拠し、この戦後的視点から「歴史評価」を下しているのではないかと疑った。しかし、これは誤りだったようだ。
「世襲君主」という己れひとりの意思では身動きできない立場に同情する視点から、昭和天皇の「戦争責任」追及を擁護しようとする主張は、戦後の穏健リベラリストの多くに見られた。また、皇室祭祀の執行に端的に現れる「天皇の宗教的権威」から、その「尊厳」を、近代個人を超えた存在価値として重んずる論説も、戦後にも一部に一定の有力なものとしてあった。しかし、古川氏は本書で、これらをおそらく意識しつつ、異なる視点から両者を止揚する見解を述べようとしている。ここに私は、古川氏の現代の歴史家としての「誠実さ」を感じとった。古川氏は、昭和天皇という、未だ「歴史」となりきっていない存在に対し、自身の歴史家としての「評価」を本書で披露したのである。
ここまで考え直したとき、私が本書に「若干の疑問」を内包しつつ、深い共感を寄せた理由もはっきりと解った。
すわなち、「理性の君主」である昭和天皇は、その立場ゆえに、「孤立」を強いられた。しかし、その「孤立」のなかで、昭和天皇は理性を超えた、天皇の存在理由を認識することができた。これが本書で古川氏が辿りついた結論だったのである。
「天皇」(ここでは「君主制」と置き換えてもいいであろう)という、近代政治の通念では「前近代の遺物」とも観念される存在を、「進化論」という、ある意味で優れて「近代的」な観点から捉え直し、昭和天皇がここから「理性」の限界とそれを超えた「天皇」の存在意義を逆説的に感得したという天皇の自己認識のダイナミズムを説くところに、私は本書のユニークでオリジナルな魅力を感じたのであった。