マレーシアのマハティール元首相、TPPを駁す
私は、このブログを立ち上げたときから、一貫して、TPP反対の論陣を張り続けてきました。いまでも、その姿勢に変わりはありません。
これまでに何度か申し上げたことですが、TPP問題は自由貿易推進が是か非かという経済問題ではなく、その本質は、国家主権の独立性を守るのが是か非かという政治問題なのです。さらに言葉を継ぐならば、自由貿易それ自体が、覇権国家にとっては常に絶対善ですが、その他の国々にとっては、常にそうとは限りません。大学の経済学の教科書レベルの青臭い議論に、私たちは惑わされることなく、社会人としての常識を働かせようではありませんか。TPP問題をめぐって、自由貿易推進の立場からそれを是とする者は、たとえ彼がどんなに年を食った経済の専門家であろうと、所詮は、その精神において、しょんべん臭い青二才であると断じることを躊躇するには及ばないと、私は考えます。
ちなみに、自由貿易を擁護する立場の経済学者スティグリッツでさえ、「TPPは危険である」ameblo.jp/minna4970/entry-11553373414.htmlという旨の発言をしています。彼は、「TPPは、『自由』な貿易協定ではない」とも言っています。「自由貿易を推進するTPPに、日本は加盟すべきである」という、おもにオタク系の若手のエコノミストの主張に、われわれは眉に唾をして耳を傾ける必要があります。彼らの専門知に対して、私は「経済学の知見は、現実をよく見るための道具に過ぎない」という健全な感覚を対置させたいと考えます。現実がゆがんで見えるようなら、そんな使えない道具はいつでも潔く捨て去る勇気が必要であると、私は考えるのです。直感的に言えば、経済学者の言うことって、なんだかエラそうでうっとうしいことって多いですよね。あくまでも、人々の物質的な意味での幸福のより良き実現のために、経済学の知見は存在するのです。そのことに対して、専門家はあくまでも謙虚であらねばならないのではないでしょうか。
論証抜きに申し上げておきますが、アベノミクスの第三の矢の核心は、規制改革であります。ここで、規制改革とは、自由貿易の用語に直せば「非関税障壁の撤廃」です。そうして、それを今のところ日本に関わるところで最も推進しようとしているのは、TPPであります。TPP加盟諸国は、果敢な規制撤廃を余儀なくされることになるのです(「平蔵」派が、TPP加盟に躍起になるはずです)。
つまり、アベノミクス「第三の矢」の「成長戦略」の肝(きも)は、TPP参加による劇的な規制緩和の推進なのです。安倍内閣は、どうやら最初からそう考えていたようなのです。もしかしたら、民主党政権に続いて、私は、安倍内閣にも、またもや騙されてしまったのかもしれないと、煮え湯を飲んでしまった思いがし始めています(いま繰り広げられている消費増税・政治ショーの空騒ぎを見ても、そう思ってしまいます。消費増税賛成派の議論は、すべてすでに反対派によって論破され尽くしたものなのですから)。むろん、それが私の思い過ごしにすぎないことを祈る気持ちは、いまでも持ち合わせていますけれど。それと同時に、安倍内閣は、その支持基盤としての景気回復基調を台無しにしてしまっても平気なのかと、いぶかしく思う気持ちも湧いてきます。権力の伏魔殿は、やはり常人には推し量りがたい、摩訶不思議な別世界なのでしょうかね。
TPP参加が、なにゆえ景気回復基調を台無しにしてしまうのか。TPPは経済的に見れば規制緩和の劇的な推進を意味します。そうして、規制緩和の劇的な推進は、経済諸領域での競争の激化をもたらします(そのことで、供給能力の向上を図ろうとするのが、サプライサイド経済学の眼目なのですね)。ここで競争の激化は、価格の下方圧力を生じます。つまり、デフレからの脱却の途上にある経済状況に対して、規制緩和の劇的な推進はマイナスに働いてしまうことになるのです。だから、純粋に経済的に考えてみたとしても、TPP参加や消費増税の是非は、日本経済が、日銀の目標とする2%インフレを達成した後の主題である、と申し上げるよりほかはありません。いま、それらを問うのは、拙速に過ぎる。また、それらをこのタイミングで推進し断行しようとするのは暴挙にほかなりません。「それでは、バスに乗り遅れてしまうではないか」と問われれば、私は「そんな地獄行きのバスになんか、乗り遅れてしまった方が良いに決まっているよ」と応えたいと思います。さらに、「それでは、日本国債に対する国際的な信認を失って、金利が暴騰し、国家財政が破綻してしまうではないか」と問われれば、私は「それは杞憂にすぎない。なぜなら、内国債が国家財政を破綻に追い込んだ事例は歴史的に皆無であるし、それが生じる可能性は理論的にもありえない」と応えたいと思います。
話を元に戻しましょう。では、TPPの正体は何なのか。端的に言えば、それは貿易協定の名を借りて〈米国ウォール街金融資本を筆頭とするグローバル企業が、諸国家の主権という名の非関税障壁を撤廃することで、あくなき利潤追求の貫徹を実現すること〉です。そのことが露呈されないように、TPPは秘密交渉の原則が厳重に守られているのです。諸国民が、グローバル企業による自国内での円滑な営利活動を実現するために、自分たちの命や生活を守ることを犠牲にして、ノーガードになることを黙って受け入れるはずがありませんものね。事の真相が分かれば、怒りの声を上げるに決まっています。TPPを推進したい勢力にとって、「それでは困る」というわけです。(mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3142374/ )私が、TPP問題は経済問題というよりむしろ政治問題である、と主張する所以(ゆえん)です。センシティヴ五品目の聖域を守れればそれでOKなどという甘っちょろいお話ではないのです(もっとも交渉担当者たちは、その五品目の関税でさえも、いろいろと弁解がましいことを言って、死守する気などまったくなさそうですけれどhttp://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130829-00040879-diamond-nb)。
それゆえTPPとは、言葉を換えれば、近代世界が達成した国家主権の確立による民主主義の実質的展開の実現という歴史的な成果に、真正面から打撃を与えようとする由々しき毒性条項である、というのが、私の当初からの見立てでしたし、それに変更を加えるべき、決定的な資料・情報を、残念ながら、いまに至るまで得ることができていない、というのが現状です。TPPは、近代が成し遂げたなけなしの成果に脅威を与えるとんでもないものなのです。マスコミのミスリードによって、そのことが日本国民に常識として周知されていないことは返す返すも残念です。この歴史的な空前の事態に臨んで、イデオロギー上の立場のちまちました違いになおもこだわるのは、私からすれば馬鹿げているように思われます。いまこそ心ある知識人は、自分たちの言論の生き生きとした取り交わしを可能とする健全な国民的基盤を保持するために、一致結束すべきであると、私は考えています。君たちはお利口さんのつもりなのだろう?だったら、早く目を覚ましなよ、と言いたいのですね。それ抜きに、一般国民の覚醒はおぼつかないことでしょう。
そのような認識を抱き続けている私にとって、以下に掲げる、マレーシア元首相マハティールのコメントは、日本にとっても傾聴すべきものが少なからずあるものと思われます。つまり、彼が抱いている、マレーシアがTPP参加によってアメリカの植民地になってしまうという危機感は、ちょっと言葉を変えれば、日本人としての私のものでもある、ということです。それが、あなたのものでもあってほしい、という願いをこめて以下に掲げます。
NHKニュースWEB マレーシア元首相 TPPは再び植民地化招く
8月27日 4時32分
TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡り、マレーシアのマハティール元首相は、「TPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べ、TPPに強く反対する考えを示しました。
2003年まで22年間、マレーシアの首相を務めたマハティール元首相は、26日に首都クアラルンプールで開かれたTPPに関するフォーラムで講演を行いました。
この中でマハティール氏は、TPPではマレーシアよりもアメリカのほうがはるかに多くの恩恵を受けるとしたうえで、「TPPは、経済成長を続ける中国の脅威に対抗するため、アジア太平洋地域の国々を自国の勢力圏に取り込もうとするアメリカの企てにすぎない」と厳しく指摘しました。
そのうえで、マハティール氏は、「もしマレーシアがTPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べて、TPPに強く反対する考えを示しました。
マレーシアは2010年10月にTPP交渉に参加しましたが、このところ国内では、国有企業の優遇措置の是正や製薬の特許延長などの交渉分野を巡ってTPPへの反発が強まっていて、政界引退後も強い影響力を持つマハティール氏の発言はこうした世論にも少なからぬ影響を及ぼしそうです。
私は、このブログを立ち上げたときから、一貫して、TPP反対の論陣を張り続けてきました。いまでも、その姿勢に変わりはありません。
これまでに何度か申し上げたことですが、TPP問題は自由貿易推進が是か非かという経済問題ではなく、その本質は、国家主権の独立性を守るのが是か非かという政治問題なのです。さらに言葉を継ぐならば、自由貿易それ自体が、覇権国家にとっては常に絶対善ですが、その他の国々にとっては、常にそうとは限りません。大学の経済学の教科書レベルの青臭い議論に、私たちは惑わされることなく、社会人としての常識を働かせようではありませんか。TPP問題をめぐって、自由貿易推進の立場からそれを是とする者は、たとえ彼がどんなに年を食った経済の専門家であろうと、所詮は、その精神において、しょんべん臭い青二才であると断じることを躊躇するには及ばないと、私は考えます。
ちなみに、自由貿易を擁護する立場の経済学者スティグリッツでさえ、「TPPは危険である」ameblo.jp/minna4970/entry-11553373414.htmlという旨の発言をしています。彼は、「TPPは、『自由』な貿易協定ではない」とも言っています。「自由貿易を推進するTPPに、日本は加盟すべきである」という、おもにオタク系の若手のエコノミストの主張に、われわれは眉に唾をして耳を傾ける必要があります。彼らの専門知に対して、私は「経済学の知見は、現実をよく見るための道具に過ぎない」という健全な感覚を対置させたいと考えます。現実がゆがんで見えるようなら、そんな使えない道具はいつでも潔く捨て去る勇気が必要であると、私は考えるのです。直感的に言えば、経済学者の言うことって、なんだかエラそうでうっとうしいことって多いですよね。あくまでも、人々の物質的な意味での幸福のより良き実現のために、経済学の知見は存在するのです。そのことに対して、専門家はあくまでも謙虚であらねばならないのではないでしょうか。
論証抜きに申し上げておきますが、アベノミクスの第三の矢の核心は、規制改革であります。ここで、規制改革とは、自由貿易の用語に直せば「非関税障壁の撤廃」です。そうして、それを今のところ日本に関わるところで最も推進しようとしているのは、TPPであります。TPP加盟諸国は、果敢な規制撤廃を余儀なくされることになるのです(「平蔵」派が、TPP加盟に躍起になるはずです)。
つまり、アベノミクス「第三の矢」の「成長戦略」の肝(きも)は、TPP参加による劇的な規制緩和の推進なのです。安倍内閣は、どうやら最初からそう考えていたようなのです。もしかしたら、民主党政権に続いて、私は、安倍内閣にも、またもや騙されてしまったのかもしれないと、煮え湯を飲んでしまった思いがし始めています(いま繰り広げられている消費増税・政治ショーの空騒ぎを見ても、そう思ってしまいます。消費増税賛成派の議論は、すべてすでに反対派によって論破され尽くしたものなのですから)。むろん、それが私の思い過ごしにすぎないことを祈る気持ちは、いまでも持ち合わせていますけれど。それと同時に、安倍内閣は、その支持基盤としての景気回復基調を台無しにしてしまっても平気なのかと、いぶかしく思う気持ちも湧いてきます。権力の伏魔殿は、やはり常人には推し量りがたい、摩訶不思議な別世界なのでしょうかね。
TPP参加が、なにゆえ景気回復基調を台無しにしてしまうのか。TPPは経済的に見れば規制緩和の劇的な推進を意味します。そうして、規制緩和の劇的な推進は、経済諸領域での競争の激化をもたらします(そのことで、供給能力の向上を図ろうとするのが、サプライサイド経済学の眼目なのですね)。ここで競争の激化は、価格の下方圧力を生じます。つまり、デフレからの脱却の途上にある経済状況に対して、規制緩和の劇的な推進はマイナスに働いてしまうことになるのです。だから、純粋に経済的に考えてみたとしても、TPP参加や消費増税の是非は、日本経済が、日銀の目標とする2%インフレを達成した後の主題である、と申し上げるよりほかはありません。いま、それらを問うのは、拙速に過ぎる。また、それらをこのタイミングで推進し断行しようとするのは暴挙にほかなりません。「それでは、バスに乗り遅れてしまうではないか」と問われれば、私は「そんな地獄行きのバスになんか、乗り遅れてしまった方が良いに決まっているよ」と応えたいと思います。さらに、「それでは、日本国債に対する国際的な信認を失って、金利が暴騰し、国家財政が破綻してしまうではないか」と問われれば、私は「それは杞憂にすぎない。なぜなら、内国債が国家財政を破綻に追い込んだ事例は歴史的に皆無であるし、それが生じる可能性は理論的にもありえない」と応えたいと思います。
話を元に戻しましょう。では、TPPの正体は何なのか。端的に言えば、それは貿易協定の名を借りて〈米国ウォール街金融資本を筆頭とするグローバル企業が、諸国家の主権という名の非関税障壁を撤廃することで、あくなき利潤追求の貫徹を実現すること〉です。そのことが露呈されないように、TPPは秘密交渉の原則が厳重に守られているのです。諸国民が、グローバル企業による自国内での円滑な営利活動を実現するために、自分たちの命や生活を守ることを犠牲にして、ノーガードになることを黙って受け入れるはずがありませんものね。事の真相が分かれば、怒りの声を上げるに決まっています。TPPを推進したい勢力にとって、「それでは困る」というわけです。(mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3142374/ )私が、TPP問題は経済問題というよりむしろ政治問題である、と主張する所以(ゆえん)です。センシティヴ五品目の聖域を守れればそれでOKなどという甘っちょろいお話ではないのです(もっとも交渉担当者たちは、その五品目の関税でさえも、いろいろと弁解がましいことを言って、死守する気などまったくなさそうですけれどhttp://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130829-00040879-diamond-nb)。
それゆえTPPとは、言葉を換えれば、近代世界が達成した国家主権の確立による民主主義の実質的展開の実現という歴史的な成果に、真正面から打撃を与えようとする由々しき毒性条項である、というのが、私の当初からの見立てでしたし、それに変更を加えるべき、決定的な資料・情報を、残念ながら、いまに至るまで得ることができていない、というのが現状です。TPPは、近代が成し遂げたなけなしの成果に脅威を与えるとんでもないものなのです。マスコミのミスリードによって、そのことが日本国民に常識として周知されていないことは返す返すも残念です。この歴史的な空前の事態に臨んで、イデオロギー上の立場のちまちました違いになおもこだわるのは、私からすれば馬鹿げているように思われます。いまこそ心ある知識人は、自分たちの言論の生き生きとした取り交わしを可能とする健全な国民的基盤を保持するために、一致結束すべきであると、私は考えています。君たちはお利口さんのつもりなのだろう?だったら、早く目を覚ましなよ、と言いたいのですね。それ抜きに、一般国民の覚醒はおぼつかないことでしょう。
そのような認識を抱き続けている私にとって、以下に掲げる、マレーシア元首相マハティールのコメントは、日本にとっても傾聴すべきものが少なからずあるものと思われます。つまり、彼が抱いている、マレーシアがTPP参加によってアメリカの植民地になってしまうという危機感は、ちょっと言葉を変えれば、日本人としての私のものでもある、ということです。それが、あなたのものでもあってほしい、という願いをこめて以下に掲げます。
NHKニュースWEB マレーシア元首相 TPPは再び植民地化招く
8月27日 4時32分
TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡り、マレーシアのマハティール元首相は、「TPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べ、TPPに強く反対する考えを示しました。
2003年まで22年間、マレーシアの首相を務めたマハティール元首相は、26日に首都クアラルンプールで開かれたTPPに関するフォーラムで講演を行いました。
この中でマハティール氏は、TPPではマレーシアよりもアメリカのほうがはるかに多くの恩恵を受けるとしたうえで、「TPPは、経済成長を続ける中国の脅威に対抗するため、アジア太平洋地域の国々を自国の勢力圏に取り込もうとするアメリカの企てにすぎない」と厳しく指摘しました。
そのうえで、マハティール氏は、「もしマレーシアがTPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べて、TPPに強く反対する考えを示しました。
マレーシアは2010年10月にTPP交渉に参加しましたが、このところ国内では、国有企業の優遇措置の是正や製薬の特許延長などの交渉分野を巡ってTPPへの反発が強まっていて、政界引退後も強い影響力を持つマハティール氏の発言はこうした世論にも少なからぬ影響を及ぼしそうです。