美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

 「悲しくてやりきれない」ベスト3  (イザ!ブログ 2013・7・25 掲載)

2013年12月18日 08時26分43秒 | 音楽
先日、ある友人と酒を酌み交わしながら夜っぴいて話していたときのことである。たしかどんな歌が好きか、という話題だったと思う。おたがいいくつか曲名を挙げた後、どちらからともなく「悲しくてやりきれない」がいいという意見が出て、お互い我が意を得たりの思いを共有しあったのだった。また、同意の意気込みのようなものが嵩じて、この曲は日本を超えてアジアの屈指の名曲ではないかということに話が落ち着いたりもしたのである。酒気を帯びていない今においても、その見解を撤回する気にはいまのところなれない。というのは、この曲に織りこまれている独特の「切なさ」の細みのようなものは、まったくもって管見の限りであるが、西洋音楽には見当たらないような気がするからである。

それはそれとして、その後 youtube で、いろいろな歌い手が同曲を歌っているのを聞いた。そのうえで、私家版「悲しくてやりきれない」ベスト3を発表してみようと思う。評価の基準は、この曲の生命としての独特の「切なさ」の細みをどこまできちんと表現できているか、である。

その基準からすると、なんと、この曲を作ったフォーククルセイダースや加藤和彦のソロが「落選」の憂き目にあった。また、奥田民生や杉田二郎・イルカのデュエットやユニークなアレンジの矢野顕子も選から漏れてしまった。あくまでも自分の感性に正直にということで、そうなってしまったのである。生意気なヤツだと石を投げつけないでほしい。

第三位は、オダギリ・ジョーである。その歌声の朴訥で男臭い味わいが、この曲の魅力を引き出していると感じたからである。


オダギリジョー - 悲しくてやりきれない


次に第二位は、PUSHIMである。とはいうものの、私はこの歌い手の顔やその詳細については何も知らない。とにもかくにも、この曲の命を掴み切った表現をしていることに心を激しく揺さぶられた。ロック・テイストであることと繊細な表現とはまったく矛盾しないのである。

PUSHIM - 悲しくてやりきれない


見事、第一位の栄冠に輝いたのは、おおたか静流である。彼女の歌声が、もっとも深く私のハートに響いたのである。「アジアの屈指の名曲」の名に恥じない歌いっぷりではないかと思う。お聞きいただければ幸いである。

悲しくてやりきれない/おおたか静流ライブ
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水素は、万物の祖先である―――放射能考  (イザ!ブログ 2013・7・23 掲載)

2013年12月18日 08時06分12秒 | 科学
いまから138億年前、ビッグバンという大爆発が起こりました。原子や物質だけではなく、時間も空間もすべてはこのビッグバンによってはじまったというのですから、想像がつかないほどに大規模な爆発ですね。「その前は?」という疑問が過ぎりますが、それはこの場合措いておきます。


ビッグバン http://homepage2.nifty.com/AXION/note/2006/note_200609.html より

このときに散らばった″宇宙の素″の一滴一滴のほとんどすべてが水素原子(原子番号1番)で、ほんの少しがヘリウム(原子番号2番)だったそうです。

できたばかりの宇宙には水素原子が均一に漂い、充満しました。そのうちに、濃いところと薄いところができました。そうして、濃いところは重力によってさらに引き合って高密度になり、熱を発し、高温となりました。

その結果、原子番号1の水素原子Hどうしが融合して原子番号2のヘリウムHeになる核融合反応が起きました。小さくて高エネルギーの原子が融合して大きくて安定した原子になれば、その間のエネルギー差である余分なエネルギーが放出されます。その結果、水素原子集団は膨大なエネルギーを生み出すことになり、こうこうと輝いてまわりじゅうにエネルギーを放出するようになりました。これが恒星です。そうしてもちろん、私たち地球の住人にとっては、太陽がいちばん身近な恒星です。


http://www.nifs.ac.jp/kids/qa/qa_02_01.html より

恒星にあるすべての水素がヘリウムになると、今度はヘリウムどうしが核融合して、原子番号4のベリリウムBeになります。このようにして、次々と大きな原子が誕生しました。だから恒星は、原子の誕生の地なのです。そうして、核融合とはもちろん原子核反応です。また、原子核反応から生じるエネルギーとはもちろん原子力エネルギーです。つまり、原子の誕生の地には、原子力エネルギーが満ちあふれていたのです。

ところで、核融合反応は次々と新たな原子を産み出しますが、それにも限りがあります。というのは、核融合がエネルギーを生み出すのは、質量数(原子核の陽子数と中性子数の合計)60程度の鉄の同位体までです(同位体というのは、原子番号が同じでも中性子の個数が異なる元素どうしのこと。ただし、原子番号=陽子の数は同じ)。そこまで核融合が進行すると、それ以上の核融合をしてもエネルギーは生産されなくなるのです。


恒星の終わり http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0703/fea...より

エネルギー生産を停止した恒星は膨張力を失い、反対に重力の働きにより収縮をはじめます。この収縮は凄まじいもので、ミクロレベルで原子核のまわりに雲のように存在していた電子雲までもが原子核のなかに押し込められるそうです。

その結果、マイナス電荷をもった電子とプラス電荷をもった原子核が反応して、中性子が生まれます。すなわち、収縮した恒星が、一個の原子がまるごと中性子だけでできた星、中性星になるのです。原子核をピッチャーマウンドに置いたパチンコ玉だとする(本当はそれよりずっと小さいですよ、もちろん)と、それをつつむ原子雲は、東京ドーム二個をハンバーガーのような形に合わせたほどの広がりがあります。だから、東京ドーム二個分の体積を持っていた電子雲が、まるまるパチンコ玉のなかに押し込められることになるのですね。

その結果、星の密度は、一立方センチメートルあたり数十億トンというおそろしい数値になります。それによってもたらされる重力は光をも飲み込むほどのすさまじさになります。これが、有名な(というのも変ですが)ブラック・ホールです。


ブラック・ホール http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1109080017/ より

さて、恒星の最期はブラック・ホールだけではありません。その姿は、大きさによってさまざまですが、大きな恒星はその最期にエネルギーと質量とのバランスを失い、突如きらめくような大爆発を起こします。これを超新星爆発といいます。

このときに発生する巨大なエネルギーによって瞬間的に誕生したのが、鉄Feより大きな原子なのです。


超新星爆発 http://www.wallpaperlink.com/bin/0602/01980.htmlより

ちなみに、自然界に存在する元素の種類はおおむね90程度です。しかし、周期表の原子番号は118までありますね。その差を埋めるのが、原子炉や加速器で人工的に作り出された人工元素です。これらは一般に超ウラン元素と呼ばれています。これらはおおむね核分裂反応で得られるものです。

このように、大きい原子も小さい原子も、すべて夜空に輝く恒星を舞台に、まばゆいばかりの光とめくるめくような無尽蔵のエネルギーのなかで誕生しました。

そのような原子が何万光年という遠距離を旅することで、一箇所に集まって地球という惑星が作られ、それらが分子となり、有機物となり、そうして、私たち人間をふくむ生命体がつくられたのです。生物の進化などと言っても、その壮大な宇宙のドラマの寸劇のようなものなのです。

目をわれらが太陽に転じましょう。太陽は恒星ですから、そこでは、水素(質量数1=陽子1)の原子核が反応して、重水素(質量数2=陽子1+中性子1)になり、それがまた反応してヘリウム(質量数4=陽子2+中性子2)になります。

この一連の原子核反応で、原子力エネルギーが解放されて電子の運動エネルギーとなり、太陽光エネルギーとなって四方八方に放出されます。その一部が地球に降りそそぎ、植物や微生物を育て、それが化石となって、石油・石炭・天然ガスとして、人間にとっての重要なエネルギー源を供給します。

また、太陽光で育つ植物と、それを食べる動物は、人間の食物という形で、重要なエネルギー源になります。

さらに、目を地下に転じてみましょう。私たちが踏みしめている、いわゆる「大地」なるものは、地殻と呼ばれるもので、地球の直径1万3千mに対してわずかに30kmの厚さに過ぎません。人間で言えば、皮膚のようなものです。これは「冷たい大地」などと形容されることもありますが、それより深いところは信じられないほどの高温なのです。地殻の下のマントルは熱いところ(下部マントルの最深部)で3000℃にまで達し、地球の中心あたりの内核では8000℃にまで達するほどです。

では、地球の内部はなぜこれほどに熱いのでしょうか。地球が誕生したとき、地球は、宇宙から降り注いだ隕石の衝撃熱や摩擦熱で溶けていたといわれます。その余波がいまだに残っているのでしょうか。しかし、それは48億年も前の話です。いまとなっては、熱は宇宙に放散して冷え切っているはずですね。数千℃の熱をいまだに保っているのは、自分で熱を出していると考えるよりほかにはありませんね。

実は、地球の内部では絶えず原子核反応が生じているのです。つまり、地球は一個のとほうもなく巨大な原子炉のようなものなのです。

だから、当然のことながら、この巨大な原子炉から、放射性物質が漏れてきます。そのひとつがラドンRn(原子番号86)です。ラドンは、地殻中にある放射性物質であるラジウムRa(原子番号88)が壊れることによって発生するものです。だから当然のことながら、ラドンは放射線(α線:ヘリウム原子核)を放出します。それが温泉に溶けたものがラジウム温泉として人気を博することになったりするのです。ラジウム温泉とは、要するに放射能温泉です。


地球の内部のイメージ http://www.kankyo-sizen.net/blog/2012/09/001194.html より

こうやって、宇宙の始まりから、人間の生命の誕生・維持にまでに思いを致してみると、ふたつのことがおのずと浮かんできます。

ひとつは、宇宙の始まりとともに生まれた水素こそが、人類をはじめとする森羅万象に共通の祖先であること。まったくもって、感謝、感謝ですね。

もうひとつは、核融合反応によるまばゆいばかりのエネルギーの放出が、生命の本質に深く関わっているということ。ここで、「核融合反応によるまばゆいばかりのエネルギーの放出」とは、要するに、放射能のことです。というのは、放射能とは、放射線を放出する能力のことであるからです。つまり、放射能こそが、もしかしたら、生命の本質なのかもしれないのです。この真実からかたときも目を離さずに、原発問題を考え抜く姿勢がいま求められているように、私は感じています。


参考 『知っておきたい放射能の基礎知識』齋藤勝裕 Soft Bank Creative

   『ビックリするほど原子力と放射線がわかる本』 江尻博素 同上

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明日に選挙をひかえて (イザ!ブログ 2013・7・20 掲載)

2013年12月18日 05時42分49秒 | 政治
いよいよ明日は、参議院議員選挙投票日です。みなさんは、どう投票するかお決めになりましたか。私がどう考えているのか、以下、少しだけお話しいたします。前もって申し上げておきますが、本題はその先です。

自民党が圧勝することは、どうやら間違いがないようです。問題はその先です。私の予想では、自民党内の「構造改革派VS国土強靭化派」の構図がいよいよヒートアップしてくるのではないかと思っています。両勢力間の主導権争いが熾烈になってくるのではないかと思うのですね。

構造改革派は、もちろんグローバリズムの推進を是としますから、TPP参加賛成ですし、また、規制緩和を原理主義的に推し進めようとするでしょう。市場原理の貫徹を是とする立場なので、そのことによる格差の拡大はやむをえないものとします。社会保障については、できうることならば最低水準にとどめようとします。そのシンボル的な存在が竹中平蔵であることは、みなさまご承知のことでしょう。

それに対して、国土強靭化派は、国家主権侵害の恐れありとする立場からTPP参加には反対します。また、グローバリズムの一定の不可避性は認めますが、それが野放図に推進されることに対しては慎重な態度で臨みます。規制緩和に対しても同様です。格差の拡大に対しては、国民経済の充実を図るうえで中間層の存在を重視する立場から非とします。また、社会保障については、経世済民の立場から、その充実を図ります。京都大学教授の藤井聡氏がそのシンボル的な存在であることも、みなさまはよくご存知でしょう。

(ただし、いずれの路線を是とするにしても、マトモに頭の働く人ならば、デフレからの脱却を目論む「異次元緩和」には、是の立場で臨みます。また、早期の消費増税実施については、同様の観点から、非とします。これに異を唱える論者・政治家は論外です)

私は、国土強靭化路線が自民党内の主流になることが日本国民のためになると信じているので、国土強靭化派が選挙後に構造改革派に対してなるべく優位に立てるような投票行為をしようと思っています。だから、比例区では、政党名ではなく国土強靭派の個人名を記入して投票しようと思っています。政党名を記入して投票することが主流になってしまったら、構造改革派のシンボル的な候補者であるブラック・ワタミの渡邉美樹候補がやすやすと当選してしまうからです。それは困る、というわけです。

ところで、国土強靭化派に共通しているのは、総合安全保障の重視です。彼らが、さまざまな方面における不測の事態に対処できる柔軟な国家体制の確立を最重要視することから、当然そういうことになります。この場合、総合安全保障には、軍事面の安全保障はもちろんのこととして、エネルギー安全保障、食の安全保障、自然災害に対する安全保障がふくまれます(私見によれば、そこに情報の安全保障をふくめるべきであると思っています)。

そうして、軍事面の安全保障体制を確立するうえで、沖縄問題は最も重要かつ喫緊の課題のひとつです。しかしながら、沖縄問題はとても複雑で考えるのが難しい。また、それを今回の選挙でのあるべき投票行為とつなげることも同様に難しい。

その点、七月一九日の夕刊フジに掲載された次の記事は、おおいに参考になりました。また、熟考を要する問題提起も少なくありません。ぜひごらんください。なお、カッコ内の黒字は、仲新城誠氏の意を汲んで、私が補ったものです。

【7・21参院選 私はこれで投票する】

「自分の領土は自分で守る」日本人の気概を聞きたい

★八重山日報編集長仲新城誠

「日本の国境が、ぐちゃぐちゃな状況になっている」

6月下旬、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域を地元漁船で視察した本土の青年が漏らした感想だ。昨年の尖閣国有化後、周辺海域で中国公船の領海侵犯はすでに50回超。中国公船と日本の巡視船が日常的に入り乱れる海と化した。中国の横暴さだけでなく、日本人の堕落も感じる

尖閣をはじめ、沖縄をどのように守るべきかは参院選の重要テーマだ。米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設問題の議論は避けて通れないと思うのが普通だが、驚いたことに、沖縄では基地問題や安全保障は参院選の争点になっていない。事実上の一騎打ちとされる保革の2候補とも、同飛行場の移設先は「県外」で一致しているからだ。

沖縄では移設先に「県内」を主張する政治家が現れると、主要マスコミが集中砲火を浴びせる。その影響なのかはわからない。

しかし、自民党の候補者は党本部の公約に逆らってまで「県外」を主張。革新系の候補者は「尖閣で武力衝突は起きない」と有権者の懸念をかわす。「基地、尖閣を見て見ぬふり選挙」のよう。参院選は華麗な政治ショーにも見える。

政府が同基地の移設先に予定している名護市辺野古地区をはじめ、県内移設を要望する県民はたくさんいる。沖縄の参院選では、そうした声は事実上受け皿を失い、行くあてもなく漂流する。健全とは思えない。

私は各党や政治家に「領海侵犯する中国公船はただちに大砲で沈めよ」とは求めない。挑発に乗るべきでないのは当然だ。しかし、「尖閣を守る」という、心に伝わるメッセージが聞きたい

ここでいう「尖閣」とは、石垣島の北方にある小さな島々のことではない。「自分の領土は自分で守る」という日本人の気概そのものなのだ。それを取り戻さずして、100年経っても中国公船を排除することはできない

21世紀は米国と中国が世界をリードするといわれる。しかし、中国を見ていると、このような横暴な国に世界を引っ張る大義があるとは思えない。参院選を契機に、むしろ日本こそ、力と正義を備えた国として立ち上がってほしい。原発にせよ、被災地復興にせよ、景気対策にせよ、そのような観点から各党の政策を吟味したい
(安易に脱原発を唱えたり、TPP参加に賛成して被災地復興を後回しにしたり、デフレからの脱却を強く打ち出さずに景気の回復が可能であるかのような誤った経済政策を唱えたりする政党や候補者が、力と正義を備えた国を目指しているとは、どうしても思えない)。

「力と正義を備えたヒーロー」は、日本人にはなじみ深いはずだ。ウルトラマンではなく武士である。日本最西南端の国境の島から「武士の国」が復活することを心待ちにする

■仲新城誠(なかあらしろ・まこと)1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点する地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。


沖縄本島では、琉球新報と沖縄タイムスという左翼メディアが、幅をきかせています。また、沖縄事情を知悉している方によれば、沖縄は一枚岩ではなく、本島と八重山諸島とでは、住民の意識はかなり異なるそうです(本島でも、北部と中部と南部とではかなり異なるそうです)。仲新城誠氏が、「八重山日報社」で、左翼メディアとは一線を画した取材・報道をなしえている背景には、そういう事情があるのかもしれません。


〈コメント〉

Commented by ぱんたか さん
 美津島様

 投票に際してのご指摘、仰る通りです。
 参考にさせていただきます。


Commented by 美津島明 さん
To ぱんたかさん

いささかなりとも、お役に立てれば幸いです。
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東郷茂徳『時代の一面 大戦外交の手記』覚書(その1) (イザ!ブログ 2013・7・15,18)

2013年12月18日 02時43分49秒 | 歴史
はじめに

東郷茂徳は、日米開戦時と終戦時に外務大臣を務めた、外交官出身の人です。また、極東軍事裁判で二〇年の禁固刑に処され、病躯に鞭打って手記を書き上げた後、巣鴨拘置所で獄死した人でもあります。出身地は、鹿児島県日置郡苗代川村(現在は美山と呼ばれている)です。

私が、そういう劇的なキャリアを持つ東郷茂徳について何か書こうと心に決めたのは、四年ほど前のことです。自分が主宰している日本近代思想研究会で、彼の手記――すなわち『時代の一面』――を取り上げ、深く感銘を受けたのが、そのきっかけでした。

そのことを、書き手としての私の今後を気づかっていただいている幾人かに口ごもりながら打ち分けました。そのなかのほとんどの方は、それはいい考えだと賛意を表してくれ、また励ましてもくれました。ひとりからだけ「君には、東郷茂徳論より、菅谷規矩雄論を書いてほしい」と言われ難色を示されました。そのひとに対しても、悪い気はしませんでした。自分が菅谷規矩雄を論じられるほどの書き手であるともくされるのは、正直に言えば、なけなしの自尊心をくすぐられるからです。それほどに、菅谷規矩雄は文学論の対象としてハードルが非常に高い表現者なのです。

私のすべてのポテンシャルを燃焼しつくせば、あるいは、菅谷規矩雄を論じ切ることが可能なのかもしれません。そんな気もします。また、そういうことに興味がないわけではありません。

しかし、文学に没頭しそれに殉じる(菅谷規矩雄を論じ尽くすには、それほどのエネルギーを要します)には、私はあまりにも公的なことへの関心が強すぎます。日本が滅びても文学に没頭していられるほどに、私はどうやら人が悪くないようなのです。同じことですが、私は、自分の好きな女のことが四六時中気になってしかたがないように、日本のいまとその行く末が気になって仕方のない人間のようなのです。端的にいえば、自分のことが気になってしかたがないのと同じくらいに日本のことが気になってしかたがない。

そういう自分をいやおうなく受け入れるとすれば、私が自分の書き手としてのすべてのポテンシャルを燃焼し尽くす「奉献」の対象は、「菅谷規矩雄」の形で現れた文学の神ではなく、「東郷茂徳」の形で現れた歴史の神である、という結論が得られます。私は、いろいろと考えたうえで、その結論を甘受することにしました。

実は、その結論を甘受してからが大変だったのです。普段は、誰に頼まれなくても、書きたいことを勝手にスラスラとのんきに書き進めている私が、東郷茂徳に関しては、一文字も書けなくなってしまったのです。そういう状態がいまに至るまでずっと続いてきた。情けないことです。おそらく、東郷成徳を論じるうえでの思い込みの激しさと、自分の力量不足という現実とのギャップが、無言の圧力として迫ってくる事態に尻尾を巻いて逃げ出していた、ということなのでしょう。平たくいえば、「構えてしまった」のです。私は、自分のどこをどう啄(つつ)いてみても、外交とはまったく無縁の人生を歩んできたのですから。

しかし、いつまでもそういう状態を続けている場合ではない。小浜逸郎氏の『日本の七大思想家』 (幻冬舎新書)からそういうメッセージを受け取り、最近刊行された長谷川三千子氏の『神やぶれたまはず』(中央公論新社)から「早く書きなさい」とダメを押されたような格好になりました。それはもちろん、私の勝手な妄想です。しかしながら、この勝手な妄想に、いまは素直に従うべきときである、と歴史の神が、声なき声で告げているような気がします。非才をかえりみずに「ここがロードス」と腹を括りました。ここでどこまで跳べるものやら。書き手として、「命懸けの飛躍」をするよりほかはなくなってしまったことだけは、どうやら確かなことのようです。

とにかく、一歩を踏み出そうと思います。そのために、『時代の一面』の気にかかる箇所をひとつひとつページ順に取り上げて、それにコメントをつけてみようと思います。方法論はただひとつ、「歩きながら考える」。それ以上のことは、いまの段階では申し上げかねます。これからどう展開されるのか、自分がなにをどう考えるのか、まるで分からないからです。どれだけの分量になるのかもまったく分かりません。ただし、私たちが共同性において抱えている現在の諸問題の解答は、戦中期を丁寧にたどることによって得られるにちがいないという勘が働いている、とだけは申し上げておきます。この仮説を、それが擦り切れて破れてしまうまで、握りしめていようと思っています。

東郷茂徳への具体的な言及は、次回からにします。その前に、私の腹の中をお伝えしておこうと思った次第です。


〈コメント〉

Commented by kohamaitsuo さん
いよいよ始めますか。強い覚悟のほど、しかと伝わりました。心から応援の拍手を送りたいと思います。どうぞがんばってください。


Commented by 美津島明 さん
To kohamaitsuoさん

どうもありがとうございます。非力・非才をふりしぼって、やれるだけのことはやってみようと思っています。ただし、変に力んだりしないようにしようとも思っています。人は、どう逆立ちしても、自分にできるだけのことしかできないのですから。


*****

本書の「序に代えて」を書いた東郷いせは、東郷茂徳とドイツ人の母エディータとの間に生まれたひとり娘です。「序に代えて」は二ページのごく短い文章にすぎません。しかしながら、彼女は、そのなかで本書についての貴重な証言をいくつもしています。

彼女は、昭和二五年(1950年)七月十八日、父親からこの手記の原稿を手渡されました。当時の東郷茂徳は、巣鴨拘置所に拘禁中の身で重い病を得て、蔵前橋のアメリカ陸軍病院に入院加療中でした。しかしながら、完治するまでずっと入院していられたわけではありません。いせによれば、「(父は――引用者補)いくつもの持病をかかえた身体で拘置所の冷たい床に寝起きしなければならなかった。病状が悪化すると病院に送られ、少しでも回復すればまた拘置所に戻される」(東郷いせ『色無花火・いろなきはなび』)というのが実情だったようです。これは、実質的には虐待というべき扱いでした。東郷茂徳は、そういう扱いに日々耐え、なおかつ自尊心を強靭に保ち続けたのでした。その精神力は常人のものではありません。

東郷茂徳は、娘にノート二冊と数十枚の用紙に鉛筆でびっしり書いたものを手渡しながら、「いせ。なるべく早くこれを読んでお前の意見を聞かせてくれ」と言ったそうです。ところが、その五日後の七月二三日、入院先から麻生の自宅に父の訃報が伝えられました。突然といえば突然のことではありましたが、「なるべく早く」という言い方に、死期が間近に迫っていることの自覚がにじみ出ています。

いせは、父親に成り代わって、本書にこめられた東郷茂徳の思いを次のように読み手に伝えようとします。

父は一生を外務省生活に捧げ、殊に今度の戦争の開戦と終戦と双方に外務大臣を務めると云う、恐らく外交官としても最も働き甲斐のある機会に際会しました。父が終始自分の一身を顧みずひたすら国のため国民のためと働いておりました様子は、私も傍からよく見て参りましたが、特に今度の戦争がどうして始まり、またどうして終わったかと云うことについては、これを精しく正確に国民に伝えることが残された自分の義務であると、折に触れ私にも語っておりました。しかし巣鴨に参りましてからは何分にも不自由な環境であり、必要な参考書類とて何一つない事情で思うに委せずするうち、健康の衰頽著しく、恐らくこの分では生きて巣鴨を出ることも望めないとの気持ちも起こったのでしょうか、亡くなる半歳前、一月の五日から筆を執って三月十四日までの二月余りの間に一気に書き下したのがこの『時代の一面』であります。しかも最後の面会となるとも知らぬ亡くなる五日前に父が私に手渡しましたことを考えると誠にいいようのない感に打たれます。

いせの、心をこめた筆致に、娘と父親との心の通い合いが感じられて、読み手もまた、誠にいいようのない感に打たれます。父亡き後においても、いせの心には父親の姿がありありと生きていて、その姿に幾度も幾度も語りかけたことが、その書き記された文字の間から、読み手におのずと伝わってくるではありませんか。

東郷茂徳は、ひとり娘のいせをこよなく愛していたようです。そのことが、獄中でいせに宛てて詠まれた短歌からよく分かります。いくつか引用しましょう。

二年(ふたとせ)を住み慣れし身にはあれど淋しみ襲ふ春の日永に

「巣鴨プリズンに拘禁されて二年になり、ここでの不自由な暮らしにもどうやら慣れてきたが、このようなのどかな春の日には、おのずと娘のいせの面影が浮かんできて、会いたいという思いがこんこんと湧いて来る。淋しいことだ。これにはどうにも慣れることができない。参った」。父茂徳は、自分の強靭な精神力の泣き所を素直に詠っています。次の一首も、それと同じ心を詠っています。

日毎日毎(ひごとひごと)と會ひたるものを此のしばし會はねば淋し一(ひと)とせと覚ゆ

私の解釈は、次のとおり。「以前は毎日いせの顔を見ていて、それは当たり前のことだったのだが、いまでは、たまにしか会えない。だから、次に会うまでのあいだが、まるで一年間会っていないかのように長く感じられる。淋しいことよ」。淋しい、淋しいのオンパレードですね。

次の二首は、それらとやや趣を異にします。娘への強い愛情に裏付けられたものとしての、父茂徳の昂然とした気分の立ち上がりが感じられます。

我さとのつなぎをたちしくろがねの八重の門(と)高く立ち繞(めぐ)らせば
くろがねの八重の門如何に固くとも魂の通ひ路などか絶ゑなむ


一首目。「我さとのつなぎ」とは、自分と娘のいせとのつながりという意味。「くろがねの八重の門」とは、巣鴨プリズンと外界とを隔てるひときわ高い門扉のこと。

二首目。「巣鴨プリズンの門扉がどれほど邪魔をしようとしても、私といせとの魂の通い路を断つことなどできようか。いや、できはしない」。「魂の通ひ路」。とても強い言葉です。通常の父娘の精神的なつながりをどこか逸脱していると感じさせるほどに、ふたりの精神的な紐帯は強いものであったのでしょう。「魂の通ひ路」、これこそが、いせをして鮮烈な印象の文章を書かしめたものなのでしょう。それは、先ほど述べた東郷茂徳の「強靭な精神力」を根のところで支えていたものの所在を示してもいるように思われます。


(続く)

*このシリーズは、どれほど長い時間がかかろうと、最後まで書ききる所存です。(2013・12・18 記す)
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 「女性自衛官が歌う」シリーズ  (イザ!ブログ 2013・7・14 掲載)

2013年12月18日 02時13分23秒 | 音楽
自衛隊に楽団があることは、子どものころから知っていた。私の父が海上自衛官だった関係で、子どものころに、佐世保の自衛隊の楽団の演奏会に行ったことがあるからだ。子どもなりに、その演奏を楽しんだような気がする。まだ、小学校に上がる前のことだった。

しかし、自衛隊の楽団をバックに、女性自衛官が歌を歌うという趣向があるのは知らなかった。考えてみれば、いまは女性の自衛官を受け入れている時代なのだから、それは当たり前のことである。

ここに三つの歌を掲げてみた。すべて、私なりに良いと思ったものだ。いずれにも共通しているのは、歌っている女性自衛官たちのルックスがなかなかのものであり、また、見た目も内面的にも清潔感にあふれていることだ。歌も、それぞれに異なる魅力がある。そうして、一生懸命に心をこめて歌っている点も共通している。

ひとつめは、中島みゆきの『時代』。杉山ミナ二等陸曹が、説得力と表現力のある力強い歌唱を披露している。

女性自衛官が歌う 中島みゆき『時代』


ふたつめは、アンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』。制服から察するに、海上自衛隊である。会場の温かい拍手に包まれて、女性自衛官がそっと涙を拭っているのが可憐である。癒し効果抜群の、心にすっとはいってくる清水のような歌声。


女性自衛官が歌う アンジェラ・アキ『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』


みっつめは、難曲『Time to say Goodbye』。世界の歌姫サラ・ブライトマンの代表曲だ。それを、三宅由佳莉さんという女性海上自衛官は、圧倒的なソプラノで堂々と歌い切っている。素人の水準は、余裕で超えている。演奏もしっかりとしていて本格的である。

女性自衛官が歌う Time To Say Goodbye


気に入っていただけた曲があるだろうか。

*上記の三宅さんは、その後『祈り~未来への歌声』でCDデビューを果たし、さらに同CDで、同僚の 海上自衛隊東京音楽隊とともに2013年レコード大賞企画賞を受章した。(2013・12・18 記す)
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