藤圭子よ、さようなら
藤圭子が死んだ。住んでいたマンションの13階からの飛び降り自殺だそうだ。享年六二歳。ショックではない、と言えば嘘になる。60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、彼女は、その美少女然とした風貌とドスの効いたハスキーヴォイスとのギャップのある取り合わせで一世を風靡した。ジャーナリスティックな言い方に従えば、60年安保を象徴するのが西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』(60年)なら、70年安保を象徴するのは藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』(70年)である、とされる。その前年に発表された『新宿の女』と当曲とが彼女の代表作と言っていいだろう。
彼女が人気の絶頂期のころ、私は広島県の江田島に住んでいて小学校六年生だった。そのことははっきりと覚えている。なぜなら、私は彼女の大ファンだったからだ。私は、「この世にこんな綺麗な女(ひと)がいるのか」と信じがたい思いを抱きながら、白いジャケットと白いパンタロンのコスチュームを身にまとった痩身で黒髪の彼女が一点を見つめて歌う姿が映るテレビの画面を固唾を呑むようにして観ていたのだった。歌い終えた彼女の視線はどこか定まらずにおどおどしているような風情があって、これがまたこちらを落ち着かない気分にさせるのだった。子どもながらに、どうやら男としての庇護本能のようなものが働いたらしいのだ。ファン心理なるものがあくまでも倒錯的であることが、この一事からも知れよう。要するに私は、マセガキだったのだろう。ちなみにその仕草が、孤独に傾斜しがちな彼女の心を物語っているものであることに気づいたのは、ずいぶん後のことだった。
ちょうどそのころ、私は、『長崎は今日も雨だった』のクール・ファイブも大好きだった。前川清の特徴のある節回しをマスターしようと思って、『噂の女』(70年)を、歌詞の意味などまったくわからぬまま、顔を真っ赤にしながら一生懸命に唸って何度も練習したのを覚えている。それを小耳にはさみながらも私を小馬鹿にしなかった母はなかなか偉かったとしか言いようがない。
その大好きだった前川清と藤圭子とが1971年に結婚したのには、びっくりするやら嬉しいやらだった。マセガキ連中の間でも、それはかなり話題になったような記憶がある。そのころ流行っていたのは、たしか『京都から博多まで』(72年)だったのではなかったか。ところが、翌年に二人はあっけなく離婚した。われわれマセガキは、なんとなくシュンとしたものだった。後年の藤圭子が、『だってあの人、鯉ばかり眺めていて、私のことカマってくれなかったんだもの。ふたりとも、まだ大人に成りきっていなかったってことだったんでしょうねぇ』という意味のことを言っているのを、週刊誌のインタビュー記事で読んだ記憶がある。
藤圭子にまつわる記憶は、そこから一気に1979年、すなわち私が大学一年生のころに飛ぶ。所属していた文芸サークルの一年先輩のGさんが大の藤圭子ファンで、彼から、今度藤圭子の引退記念コンサートがあるのだが、自分一人では行きにくいので一緒に行かないかと誘われたのだった。おそらく私も彼女のファンだという意味のことを彼に伝えたのだろうと思う。二つ返事というほどではなかったが、喜んで行くことに決めた。
そのコンサートの詳細については忘れてしまった。一世を風靡した歌手のコンサートにしては、ずいぶんと客の入りの少ないわびしいものだったという印象が残っているばかりである。それと、第2部の時代劇で観た彼女のお姫様姿がとても美しかったことと、その芝居ぶりがお世辞にも上手とは言えなかったのもなんとなく覚えている。それくらいである。歌の印象がまるで残っていない。
藤圭子についての私の記憶らしい記憶はそこまでである。宇多田ヒカルの母としての彼女や、結婚と離婚とを何度も繰り返した宇多田照實(てるざね)氏の妻としての彼女に、私はほとんど興味を持てない。私は、歌手としての藤圭子のファンに過ぎなかったのだから。
彼女がなぜ死んだのか。そんなことはどうでもいい。テレビは下劣な穿鑿(せんさく)をほどほどのところでやめてほしい。彼女は彼女なりにギリギリのところまで生きて、それでどうしてもだめだったんだから、もういいじゃないか。そっとしておいてやれよ。そう思うと、なんだか辛くなってくる。
一曲、彼女の歌を紹介しておこう。美空ひばりの『みだれ髪』のカヴァーである。彼女が中年になって復帰と引退とを不安定に繰り返していたときのワン・シーンといった趣か。ちょっとした軽いバラエティ番組に出演したときに、なにげなくひょいと歌って、そのあまりの見事な出来栄えに、まわりの出演者たちが度肝を抜かれ、歌い終えた彼女がひょこひょこ戻ってくるのを心からの拍手で暖かく迎えているのが印象的だ。「見えぬ心を照らしておくれ」というフレーズが頭にこびりついてついてしまうのは、仕方がないことだろう。
藤圭子♥追悼:みだれ髪
藤圭子よ、さようなら。
〔追加〕
*藤圭子の『港町ブルース』も、なかなかのものです。
藤圭子♥港町ブルース
〔追記〕
八代亜紀の『舟歌』のカヴァーを見つけました。完全に自分のものにしています。無名時代に流しをやっていた経験が生きているのでしょう。
藤圭子♥舟唄
藤圭子が死んだ。住んでいたマンションの13階からの飛び降り自殺だそうだ。享年六二歳。ショックではない、と言えば嘘になる。60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、彼女は、その美少女然とした風貌とドスの効いたハスキーヴォイスとのギャップのある取り合わせで一世を風靡した。ジャーナリスティックな言い方に従えば、60年安保を象徴するのが西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』(60年)なら、70年安保を象徴するのは藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』(70年)である、とされる。その前年に発表された『新宿の女』と当曲とが彼女の代表作と言っていいだろう。
彼女が人気の絶頂期のころ、私は広島県の江田島に住んでいて小学校六年生だった。そのことははっきりと覚えている。なぜなら、私は彼女の大ファンだったからだ。私は、「この世にこんな綺麗な女(ひと)がいるのか」と信じがたい思いを抱きながら、白いジャケットと白いパンタロンのコスチュームを身にまとった痩身で黒髪の彼女が一点を見つめて歌う姿が映るテレビの画面を固唾を呑むようにして観ていたのだった。歌い終えた彼女の視線はどこか定まらずにおどおどしているような風情があって、これがまたこちらを落ち着かない気分にさせるのだった。子どもながらに、どうやら男としての庇護本能のようなものが働いたらしいのだ。ファン心理なるものがあくまでも倒錯的であることが、この一事からも知れよう。要するに私は、マセガキだったのだろう。ちなみにその仕草が、孤独に傾斜しがちな彼女の心を物語っているものであることに気づいたのは、ずいぶん後のことだった。
ちょうどそのころ、私は、『長崎は今日も雨だった』のクール・ファイブも大好きだった。前川清の特徴のある節回しをマスターしようと思って、『噂の女』(70年)を、歌詞の意味などまったくわからぬまま、顔を真っ赤にしながら一生懸命に唸って何度も練習したのを覚えている。それを小耳にはさみながらも私を小馬鹿にしなかった母はなかなか偉かったとしか言いようがない。
その大好きだった前川清と藤圭子とが1971年に結婚したのには、びっくりするやら嬉しいやらだった。マセガキ連中の間でも、それはかなり話題になったような記憶がある。そのころ流行っていたのは、たしか『京都から博多まで』(72年)だったのではなかったか。ところが、翌年に二人はあっけなく離婚した。われわれマセガキは、なんとなくシュンとしたものだった。後年の藤圭子が、『だってあの人、鯉ばかり眺めていて、私のことカマってくれなかったんだもの。ふたりとも、まだ大人に成りきっていなかったってことだったんでしょうねぇ』という意味のことを言っているのを、週刊誌のインタビュー記事で読んだ記憶がある。
藤圭子にまつわる記憶は、そこから一気に1979年、すなわち私が大学一年生のころに飛ぶ。所属していた文芸サークルの一年先輩のGさんが大の藤圭子ファンで、彼から、今度藤圭子の引退記念コンサートがあるのだが、自分一人では行きにくいので一緒に行かないかと誘われたのだった。おそらく私も彼女のファンだという意味のことを彼に伝えたのだろうと思う。二つ返事というほどではなかったが、喜んで行くことに決めた。
そのコンサートの詳細については忘れてしまった。一世を風靡した歌手のコンサートにしては、ずいぶんと客の入りの少ないわびしいものだったという印象が残っているばかりである。それと、第2部の時代劇で観た彼女のお姫様姿がとても美しかったことと、その芝居ぶりがお世辞にも上手とは言えなかったのもなんとなく覚えている。それくらいである。歌の印象がまるで残っていない。
藤圭子についての私の記憶らしい記憶はそこまでである。宇多田ヒカルの母としての彼女や、結婚と離婚とを何度も繰り返した宇多田照實(てるざね)氏の妻としての彼女に、私はほとんど興味を持てない。私は、歌手としての藤圭子のファンに過ぎなかったのだから。
彼女がなぜ死んだのか。そんなことはどうでもいい。テレビは下劣な穿鑿(せんさく)をほどほどのところでやめてほしい。彼女は彼女なりにギリギリのところまで生きて、それでどうしてもだめだったんだから、もういいじゃないか。そっとしておいてやれよ。そう思うと、なんだか辛くなってくる。
一曲、彼女の歌を紹介しておこう。美空ひばりの『みだれ髪』のカヴァーである。彼女が中年になって復帰と引退とを不安定に繰り返していたときのワン・シーンといった趣か。ちょっとした軽いバラエティ番組に出演したときに、なにげなくひょいと歌って、そのあまりの見事な出来栄えに、まわりの出演者たちが度肝を抜かれ、歌い終えた彼女がひょこひょこ戻ってくるのを心からの拍手で暖かく迎えているのが印象的だ。「見えぬ心を照らしておくれ」というフレーズが頭にこびりついてついてしまうのは、仕方がないことだろう。
藤圭子♥追悼:みだれ髪
藤圭子よ、さようなら。
〔追加〕
*藤圭子の『港町ブルース』も、なかなかのものです。
藤圭子♥港町ブルース
〔追記〕
八代亜紀の『舟歌』のカヴァーを見つけました。完全に自分のものにしています。無名時代に流しをやっていた経験が生きているのでしょう。
藤圭子♥舟唄