以心伝心

書・旅・本などのメモ。

百人一首を書く24

2009年12月02日 | 
管家

此たびはぬさもとりあへず手向山

紅葉のにしき神のまにまに

管家とは菅原道真のことである。
手向山は奈良の東山にある東大寺の鎮守社だそうです。
行幸に際して「とりあえず」詠んだ即興の歌と思われる。

時に道真は五十四歳で右大臣に昇格する前年のことであった。
それから三年後大宰府に左遷された。
このときは得意の絶頂にあり、そうゆう喜びがあふれているそうな・・。
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百人一首を書く23

2009年12月02日 | 
大江千里

月みれば千々にものこそ悲しけれ

我身ひとつの秋にはあらねど
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百人一首を書く22

2009年12月02日 | 
文屋屋康秀

吹くからに秋の草木をしをるれば

むべ山風を嵐といふらむ
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百人一首を書く21

2009年12月01日 | 
素性法師

今こむといひしばかりに長月の

有明の月をまちいでつるかな

これは素性法師が女性の身になって詠んだ歌で、平安時代にはしばしばこのようなことが行われたそうです。
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百人一首を書く20

2009年12月01日 | 
元良親王

わびぬれば今はた同じ難波なる

身をつくしてもあはむとぞ思ふ

元良親王は陽成天皇の第一子で本来なら天皇の位につくべき方であった。
宇多天皇の后、京極御息所と密通していたことが露見し人の噂にのぼっていたそうです。そこで「わびぬれば」という落胆のお言葉ですが、その他多くの女性と交渉があり、好色の貴公子として有名。
命をかけても会いたいという意味で「身をつくし」を澪標(目印のため、水の中に
立てる杭)にかけている。
元良親王は声がいいことでも有名であった。
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百人一首を書く19

2009年12月01日 | 
伊勢

難波がたみじかきあしのふしもまも

あはでこの世を過ごしてよとや


伊勢は九世紀の終りから十世紀へかけて活躍した歌人である。
藤原継蔭の娘で宇多天皇の中宮に仕え、天皇に寵愛されて皇子を産んだ。
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