
7月になりました。1日は、米原まで出張。近畿の大会がありまして、午前中で終わり、雨上がりの蒸し暑い中、彦根に行きました。NHKの大河ドラマも、あまりの低視聴率なので影響ないのかも知れません。彦根城は立派なお城でした。姫路のみなさんと同行したのですが、姫路城を見ている人にとっては、どうなんでしょうかねえ。「ひこにゃん」も登場しましたが、この人(いやネコ)は、虚弱体質なんでしょうか。まあ、これだけで、人気アップですねえ。
さてさて、今回はロヴロ・フォン・マタチッチの演奏。2年ほど前に、Altusからベートーヴェンの交響曲全集が出て話題になりましたね。1962年のミラノ・イタリア放響との演奏でしたが、この人のベートーヴェンを聴いてみたいなと思っていました。この人、宇野功芳氏が高く評価しており、それもあって日本ではけっこう人気が高かったですね。また、1965年~1975年に8回
と1984年の9回も来日してN響と演奏して、いくつかのライブが残されています。ブルックナーの8番などの名演と言われる演奏もCD化されております。
そして、今回はベートーヴェンです。1984年にマタチッチは最後の来日をしました。1975年に8回目の来日をしたのち、病気がちになり、この年まで来日はありませんでした。この1984年3月に来日をして、1985年1月に逝去されるので、この最後の来日でもかなり体調は悪かったようです。ブルックナーの第8番(第925回N響定期)、自作の「対決の交響曲」とベートーヴェンの交響曲第2番(第926回定期)、ブラームスの交響曲第1番とベートーヴェンの交響曲第7番(第927回定期)を指揮されました。歩行困難な状況であり、また疲労もたまった状態であり、最後の927回定期ではコンマス徳永二男さんの助けを借りながらの登壇だったようです。
そんなことで、この最後の演奏であるベートーヴェンの交響曲奈7番であります。1984年3月24日のN響定期演奏会。はっきり言って、そんな状況での演奏とはまったく思えませんでした。この演奏は、当時テレビ放映されていたし、ネットで第1楽章や終楽章を見ることができるのですが、ほんとに歩くのもままならない状況であり、指揮も肘はまったあがりませんし、腕を最小限に動かすだけ。しかし、眼光の鋭さはさすがですねえ。
そして、音楽も10ヶ月後に逝去される人の指揮とは思えない充実したもの。凄い演奏です。金管は吹き鳴らし、弦は切れんばかりの強奏。ど派手で明るく、熱狂的な演奏になっております。私的には、こんなベートーヴェンは、あまり好みではありません。うーん、これは違うぞと思ってしまう。しかし、この曲が「舞踏の聖化」と言われたりすることからしても、こんな演奏をもしかしたらベートーヴェンも考えたのかなとも思ってしまうのでありました。熱狂的なベートーヴェンの世界を味わうのもいいな、ということなのであります。
第1楽章からN響は全力投球。ぶっとぶようであります。まあマタチッチの前では当然だ、との雰囲気。どの楽器も実に味わい深い音色が聴けるのも驚き、木管もいいですよ。テンポが速めでグイグイ押し込んでいく。あっという間の第1楽章。第2楽章、悲痛さが指摘される楽章ですが、慟哭というより号泣って印象でしょうか。派手に泣きまくる。そして音楽は実に堂々と自己主張をして、それがまた快感でもあります。しかし、オケがよく鳴りますねえ。第3楽章スケルツォ。ここでは意外にテンポはゆったり。図体のでかい像が身軽に前進するようであります。中間部の凄さも鳥肌が立ちます。後半部は少々押さえてと思いきや、ゆったりと大見得をきるように進み、第4楽章へ。この映像もネットで見れますが、マタチッチの表情は元気一杯。生気にみなぎっています。音楽もすさまじい熱狂に支配されて、まさに狂喜乱舞であります。いやはやぶっ飛ぶような展開。すごいすごい。聴衆もフライング気味に拍手。聴衆も狂喜乱舞であります。これがこの曲の原点だ、と思わざるを得ない演奏でありました。
しかし、ここ数日の蒸し暑さは、もうたまりませんね。今日は台風も接近中。午前中は代休でした。これからお仕事であります。
(DENON COCO-78552 1995年 マタチッチの遺産②)
さてさて、今回はロヴロ・フォン・マタチッチの演奏。2年ほど前に、Altusからベートーヴェンの交響曲全集が出て話題になりましたね。1962年のミラノ・イタリア放響との演奏でしたが、この人のベートーヴェンを聴いてみたいなと思っていました。この人、宇野功芳氏が高く評価しており、それもあって日本ではけっこう人気が高かったですね。また、1965年~1975年に8回
と1984年の9回も来日してN響と演奏して、いくつかのライブが残されています。ブルックナーの8番などの名演と言われる演奏もCD化されております。
そして、今回はベートーヴェンです。1984年にマタチッチは最後の来日をしました。1975年に8回目の来日をしたのち、病気がちになり、この年まで来日はありませんでした。この1984年3月に来日をして、1985年1月に逝去されるので、この最後の来日でもかなり体調は悪かったようです。ブルックナーの第8番(第925回N響定期)、自作の「対決の交響曲」とベートーヴェンの交響曲第2番(第926回定期)、ブラームスの交響曲第1番とベートーヴェンの交響曲第7番(第927回定期)を指揮されました。歩行困難な状況であり、また疲労もたまった状態であり、最後の927回定期ではコンマス徳永二男さんの助けを借りながらの登壇だったようです。
そんなことで、この最後の演奏であるベートーヴェンの交響曲奈7番であります。1984年3月24日のN響定期演奏会。はっきり言って、そんな状況での演奏とはまったく思えませんでした。この演奏は、当時テレビ放映されていたし、ネットで第1楽章や終楽章を見ることができるのですが、ほんとに歩くのもままならない状況であり、指揮も肘はまったあがりませんし、腕を最小限に動かすだけ。しかし、眼光の鋭さはさすがですねえ。
そして、音楽も10ヶ月後に逝去される人の指揮とは思えない充実したもの。凄い演奏です。金管は吹き鳴らし、弦は切れんばかりの強奏。ど派手で明るく、熱狂的な演奏になっております。私的には、こんなベートーヴェンは、あまり好みではありません。うーん、これは違うぞと思ってしまう。しかし、この曲が「舞踏の聖化」と言われたりすることからしても、こんな演奏をもしかしたらベートーヴェンも考えたのかなとも思ってしまうのでありました。熱狂的なベートーヴェンの世界を味わうのもいいな、ということなのであります。
第1楽章からN響は全力投球。ぶっとぶようであります。まあマタチッチの前では当然だ、との雰囲気。どの楽器も実に味わい深い音色が聴けるのも驚き、木管もいいですよ。テンポが速めでグイグイ押し込んでいく。あっという間の第1楽章。第2楽章、悲痛さが指摘される楽章ですが、慟哭というより号泣って印象でしょうか。派手に泣きまくる。そして音楽は実に堂々と自己主張をして、それがまた快感でもあります。しかし、オケがよく鳴りますねえ。第3楽章スケルツォ。ここでは意外にテンポはゆったり。図体のでかい像が身軽に前進するようであります。中間部の凄さも鳥肌が立ちます。後半部は少々押さえてと思いきや、ゆったりと大見得をきるように進み、第4楽章へ。この映像もネットで見れますが、マタチッチの表情は元気一杯。生気にみなぎっています。音楽もすさまじい熱狂に支配されて、まさに狂喜乱舞であります。いやはやぶっ飛ぶような展開。すごいすごい。聴衆もフライング気味に拍手。聴衆も狂喜乱舞であります。これがこの曲の原点だ、と思わざるを得ない演奏でありました。
しかし、ここ数日の蒸し暑さは、もうたまりませんね。今日は台風も接近中。午前中は代休でした。これからお仕事であります。
(DENON COCO-78552 1995年 マタチッチの遺産②)
こんばんは。
そちらは雨は大丈夫でしたか?福岡のニュースを見ると、なんだかまだ油断できない感じですね。いったいいつまで降り続けるのでしょうね。
さて、マタチッチのベト7&2、特に7番はもう何度聴いても大興奮の演奏ですね。
ブル8も2楽章辺りからオケがどんどんノッてくるあたり、なかなかに聴かせる演奏です。
七味がまだクラシックを聴き始めた頃、マタチッチの指揮姿をみて、ただ手刀を上下に動かしているだけで何で?と思ったことを思い出しました。
ありがとうございました。
マタチッチさんの剛胆な演奏も好きでした。ベートーヴェンの7番は、映像でも何度も観ました。おぼつかない足取りにもかかわらず、何度も何度もカーテンコールを受けていた公演でした。